Who Are You?:小林勇貴さん(27歳)映画監督

「ウンコって映していいんだ! すげえー! わー! カッコいい! って(笑)」

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nov 24 2017, 5:11am

信号が青になって歩き始めると、まったく同じスピードで、横に人が付いてしまうことありませんか? そこでゆっくり歩いても、その人もゆっくりになるし、速く歩いても気が合っちゃう。そういうときは、電話がかかってきたフリして立ち止まるのですが、先日はそのあと松屋に行ったら、その人がまたいました。出るときも一緒になったので、また電話がかかってきたフリをしました。

日々の生活の中で、私たちはたくさんの人たちとすれ違います。でもそんなすれ違った人たちの人生や生活を知る術なんて到底ありません。でも私も、あなたも、すれ違った人たちも、毎日を毎日過ごしています。これまでの毎日、そしてこれからの毎日。なにがあったのかな。なにが起るのかな。なにをしようとしているのかな。…気になりません?そんなすれ違った人たちにお話を聞いて参ります。

小林勇貴(こばやし ゆうき)さん 27歳:映画監督

本日は朝早くから、ありがとうございます。

こちらこそよろしくお願い致します。

遂に『全員死刑』が公開されましたが、やはりお忙しかったのではありませんか?

そうですね。宣伝期間もありましたので。

これまでも宣伝とかはやられていなかったんですか?

前に撮った『孤高の遠吠』のプレミア上映のときに、それに絡めたものは自分なりにしたんですけど、ここまでというのは初めてですね。

どうでしたか? 面倒臭いなぁとか?

全然そんなことありません。どんどん盛り上げたいので、面倒臭いとか、嫌だなあとは思わないですね。

『全員死刑』は、小林監督初の商業映画ですよね?

はい。

商業映画と、商業映画じゃない違いが、よくわからないんですが。

ヘドローバ』を撮ったおかげで、俺もさらにわからなくなりました(笑)。

この度は、弊社の初映画『ヘドローバ』の監督も引き受けてくださって、本当にありがとうございました!

こちらこそありがとうございました。楽しかったです。

『ヘドローバ』も商業映画といっていいのでしょうか?

もちろんです。予算を出してもらって、撮ったのですから。

では、今まで撮られた映画は、全部監督が自腹で出していたんですか?

はい、自主制作映画ですので。

やっぱりお金が出るとなると、「もっとこうしてよ、ああしてよ」みたいな要望が増えたりするんですか? やりにくくなったり?

そんなことはありません。「こういう風にした方が、お客さんに伝わりやすいのでは?」みたいなアドバイスはいただきましたが、政治的な意見などはありませんでした。それをしても、どうにもならない人間だと思われているので(笑)。

いってもしようがないと(笑)。

「こいつにさせてはいけない」と思ってもらえたことには、とても感謝しています。

『全員死刑』の制作は、どのようにスタートしたんですか?

西村喜廣監督からお話をいただいてスタートしました。

えっと、今作のプロデューサーさんですよね?

はい。

そもそも西村監督とは、どのようにして出会ったのですか?

2016年の〈ゆうばり国際ファンタスティック映画祭〉に『孤高の遠吠』が入選しまして、出席するために夕張に行ったんです。で、飲み屋にいたんですが、そこでイライラしてたんですよ。

何にイライラしてたんですか(笑)?

俺は、だいたいイライラしてるんですけど、そのときは同じ年に入選した監督が女子高生だったので、「そいつの勝ちじゃん」って思っていたんです。女子高生が撮った映画をグランプリにしたらニュースになるし、映画祭のアイドルになるし、それに〈ゆうばり映画祭〉って、勝つと200万の賞金が出るんですよ。賞金が絡む映画祭の悪いところは、〈攻めない〉って部分ですね。政治が絡んで、いろいろな出資者から集めた200万じゃないですか。人の思惑が絡んだ200万なんですよ。となると、もっとも無難な映画が優勝する。政治的に金を出した人間から、不満が出ないような映画が勝つ。だったら女子高生が最強じゃないですか? そう考えると、もうイライラして。

ちなみにその女子高生監督は可愛かったんですか?

これがめっちゃ可愛いんですよ。

アハハ!

もともと女優なんですよ。もう勝ちじゃないですか。女優で、めっちゃ可愛くて、女子高生で、映画も撮れますって。評判もいいんですよ。更に映画観たらめちゃ面白かった。

面白かった(笑)!!

はい。確かに面白かったんです。ラブコメなんですけど、40歳近くなっても高校を卒業できないおじさんと女子高生が主人公で。「こいつ絶対勝ちじゃん」って(笑)。

めちゃくちゃ面白そうですね(笑)。

イライラしていたときは、まだ観てなかったんですけど、作品じゃない要素で「勝つだろ、こいつ」って思っていたので、めちゃくちゃムカついていたんです。「殺す」って、ずっといってて。

殺す? 女子高生を(笑)?

いえ、皆です。映画祭に来ている皆です。「殺す気マンマンの人間が映画祭でウロチョロしてることを忘れるな」なんて、ずっとツイートしてたんです。

物騒な映画祭ですね(笑)。

で、飲み屋でイライラしていたら、そこに西村喜廣監督がいたんです。俺すごいファンだったので、「え~! 本物だ!」って、つい声かけちゃったんですよ。そしたら「あ?」っていわれて(笑)。「自分は『孤高の遠吠』っていう映画で、今年のゆうばり映画祭に入選したジャリです」

ジャリ!!

「小林勇貴っていいます」って挨拶したら、「飲み直すぞ」と。そしたら「お前さ、誰を殺したいんだ?」っていわれまして。

西村監督は、〈小林監督=殺す人〉って知ってたんですか?

はい。知ってたんです。西村さんは、ゆうばり映画祭の常連なんで、チェックしていたみたいなんです。「お前、ずっと殺したいっていってるけど、誰を殺したいんだ?」って。

それで、なんて答えたんですか?

「どいつもこいつも皆です」って答えたら、「それじゃあダメだ」と。「殺意が自分のなかにあるときは、〈明確なコイツ〉っていう殺人対象がいなきゃダメ。殺意を持つ上で1番大事なこと」って。すごいな、勉強になるな、でも皆殺人対象だしな、なんて考えながらも(笑)、朝近くまで飲んで、いろんな話をしたんです。そしたら俺がグランプリを獲りまして。

ええ。

その後、西村監督から「うちのアトリエに来い」って連絡がありまして、「200万、どうするんだ?」と。

賞金の200万円ですか?

はい。その200万で、次回作をつくらなくてはいけない決まりがあるんです。支援金みたいなものですね。だから半分商業映画みたいな立ち位置になるんです。

200万で映画は撮れるものなんですか?

これまでは撮れていました。『孤高の遠吠』とか、いつも2万から5万とかで、勝手にカーチェイスを撮ったりしていましたから。だから200万なんて大金、何に使ったらいいのか、さっぱりわからなかったんです。でも西村監督からは、「200万円で商業作品は撮れない」といわれまして。俺は5万でなんとかなると思っていたんですけど、もう、そういう話ではなかったんですね。

なるほど。

そしたら「日活に千葉さんという人がいる。繋げて話をしたいから、企画書を書け。A4の紙1~2ページでいいから出してくれ」っていわれまして。

こちらも『全員死刑』プロデューサーの千葉さん?

はい。千葉善紀さんです。「マジで会えちゃうの!?」って興奮しました。手がけられた『極道戦国志 不動』とか『ゼイラム』とか『殺し屋1』のアニメとか『隣人13号』とか、前から本当にめちゃくちゃ好きで、大ファンの西村監督と千葉さんに囲まれるという、正にハーレム状態でした(笑)。それで興奮して企画を8本出したら、千葉さんも西村さんも「どれも面白い」といってくれまして、クラっと失神しそうになりましたし、意味がわかりませんでした。ええ、この状況が(笑)。これまで、自分と不良だけで撮るばかりだったので、本当にすごく好きな人たちに届いて、更に新たな企画をご一緒させてもらう状況自体が信じられなかったんです。

はい。

その企画のなかで千葉さんが「この不良団地の話をロングプロットに変えて欲しい」っていわれたんですけど、ロングプロットの意味も知らなかった(笑)。脚本1歩手前みたいなもので、西村監督に教えてもらいながら、バーッと書きました。それが『ヘドローバ』に近い話だったんですけど、ちょっと撮影の工程が難しくて、途中で止まっちゃったんです。おふたりから「他に撮りたいモノを考えておいて」っていわれたんですが、俺は前から『我が一家全員死刑』っていう本がめちゃくちゃ好きだったんです。〈大牟田4人殺害事件〉の死刑囚による獄中手記を元に、鈴木智彦さんが書かれた本です。それをFacebookで「いつかこれを映画にできたらいいと考えています」なんて、たまたま書いたら、千葉さんが「じゃあ、今やっちゃう?」とコメント欄に書いてくれまして(笑)。それで企画が進み始めたんです。

では、西村監督、千葉さんには、『全員死刑』をやりたいと、直接いってなかったんですか?

はい。そのときのおふたりとのやりとりとは、分けて考えていました。どういうものになるのか、まったくイメージは浮かんでいませんでしたし、原作物なのでハードルもあるだろうし、漠然としたイメージで最初からつくれる映画ではないと考えていたんです。経験を積んでから、辿り着かせてもらうものだと。ただの呟きの気持ちでFacebookに投稿したら「今やるか?」でしたから、それはもう「はい!」っていう感じでしたね。

そこから『全員死刑』はトントントンと。

はい。

『全員死刑』は、2週間くらいで撮ってるんですよね?

はい、撮りました。

短くありませんでした? 大変じゃなかったですか?

いいえ。『孤高の遠吠』とかは、毎週土日とかで撮ってたんで、結果半年ぐらいかかってるんですよ。ですから、今回はたまらなかった。「明日も撮れる、明日も撮れるぞ」って(笑)。ぶっ続け、ぶっ通しは、撮影中毒者にとっては、本当にたまらなかったです(笑)。

クランクアップのときは、寂しくてしようがなかった?

いやいや、今度は早く編集したくて。

編集も全部ご自身で?

はい。1~2週間でやりましたね。仮編をして。

今回は商業映画ですから、編集後の作品を各所に見せなきゃいけないですよね。周りからの声は気にされました?

そうですね。でもそれは不良と共に撮ってたときとあまり変わりませんでした

不良と共に(笑)。

まぁ、今も不良と撮ってるんですけどね(笑)。撮った映画の仮編を不良たちに渡して、意見をもらってから、再編集をやっていたので、それと同じといえば、同じでしたね。

ちなみに今、監督は他にお仕事をされているんですか?

現在は映画だけです。でも今年からですね。それまでは日活でアルバイトをしてました。アダルトチャンネルで放映する作品のモザイクを入れるバイトです。千葉さんの紹介で。

CSとかBSのヤツですか?

そうです。マ●コにモザイクを入れる仕事です。オリジナルではなく、普通に売ってるAVなんですが、レンタル用、販売用、放映用のモザイクってサイズが違うんですよ。

へええ! それは知りませんでした! どっちがどうなんですか?

レンタルの方がモザイク濃いです。

タイルの部分がデカイんですか?

もう面積が。面積がデカイです。

その面積をデカくする仕事をずっとやられていたと(笑)。

はい。本当に金がなくて、その仕事を千葉さんが紹介してくれる前までは、どうしよう、どうしよう、ってな状況でした。

それまではなにをされてたんですか?

もともと俺はグラフィックデザイナーだったんですけど、辞めまして。

映画を撮り始めたからですか?

はい。しこたまバイトの面接も落ちましたし。

どんなバイトを受けたんですか?

最後に落ちて、気が狂いそうになったのは、綿菓子屋のバイトです(笑)。

綿菓子屋のバイトってなんですか? 工場?

実情はわからないですけど、綿菓子屋でした(笑)。

どこで見つけたんですか?

ネットのタウンワークみたいなので見つけました。業務内容〈綿菓子〉って書いてあって、〈これ絶対最強じゃん〉って。〈ヒゲ〉〈髪型〉〈自由〉みたいなの、検索で絞れるじゃないですか? 絞ったらすぐに〈綿菓子〉が出て来たんですよ。これは自由そうだな、綿菓子だからね、みたいな。

綿菓子=自由(笑)。

それで面接に行ったんです。そしたら廃ビルのなかにあって、部屋に入ったら、本当にビートたけしの映画に出てくるようなヤクザ事務所みたいなテーブルがあって、お姉さんがいて。「面接はこちらです。担当者が来ます」みたいな。面接の部屋があるのかと思ったら、そのまま裏口を抜けて、外階段に出されたんですよ。そしたら外階段に丸い椅子が置いてあって、「え?」っと。そこに座らせられて、待っていたんです。

もう怖いですね(笑)。

そしたら担当者が上から来たんですけど、上の階段の踊り場に座るんですよ。「何だ、これ?」ですよ(笑)。階段の上と下とで面接するわけです。

もう嫌ですね(笑)。

ビルとビルの間の外階段なので、ビル風がすごくて、何をいってるのかもわからない(笑)。でも俺は働かないといけないので、「頑張ります!」とか、「大丈夫です!」とか、「うちはこの近くです!」「朝早いのも大丈夫です!」「夜遅いのも大丈夫です!」とか、叫んでいたんですけど、そこで「終わりです」みたいな。お辞儀されて、カンカンカンカンって、担当はいなくなったんですけど、今度は部屋に戻れない。内鍵が掛かっていて、事務所に戻れない。

もう帰ることもできない(笑)。

結局そのまま外階段で降りて帰りましたが、後日〈不採用〉の通知が来ました(笑)。

すごい綿菓子屋ですね(笑)。

「綿菓子屋のバイト落ちました」って千葉さんに報告したら、自分の問題かのように親身になってくれて、それでモザイク入れの仕事を与えてもらいました。

ゆうばり映画祭でもらった200万円は?

これまでの映画で、不良の子たちはノーギャラだったので、そこからギャラを払いました。ですから、手元にはほとんど残りませんでしたね。

監督のご出身はどちらですか?

『ヘドローバ』の舞台になっている静岡県の富士宮です。

すいません。〈富士宮焼きそば〉しか浮かびませんでした。

あとは伊丹十三をナイフで切り刻んだヤクザがいるところです。

ああ! そんな事件ありましたよね(笑)。どんなんでしたっけ?

伊丹十三監督が『ミンボーの女』で、「ヤクザなんて本当は怖くないんだってことを映画を通じて伝えたかった」と発言したんですね。そしたら、うちの地元のヤクザが切りに行っちゃいました(笑)。そんなところです。

子供の頃は、そんなところで何をして遊んでましたか?

トンボの分解かな(笑)。トンボとかカナブンをむしっていました。することがないので(笑)。俺は神経質なので、すごくキレイに並べるんですよ。

分解したトンボを?

はい。パーツ順に並べて。他の皆はバラして終わるんですけど、俺はすごくちゃんとしていました。

ちゃんと(笑)。分解したパーツがピクピク動いているのを眺めていたんですか(笑)?

どうだったのかなぁ(笑)。多分、筋肉の収縮はありましたね。

『全員死刑』でも、ギュッ! て、殺したあとに、ビクビクッ! って動くシーンあるじゃないですか。死んだ後の人間って、こんなに動くんだって怖くなりました。

ずっとYouTubeで、人が痙攣する動画ばっかり観ていたんですよ(笑)。サッカー選手とかボクサーとかが、失神してバタバタなるヤツ。「失神ってどうすればいいんですか?」って、痙攣役の藤原季節くんから訊かれたとき、俺が見せてやりました(笑)。そしたらアクションチームの人たちが「すげえ上手い! 監督失神すげえ上手い!」って。すごく盛り上がりましたね(笑)。

じゃあ、あの痙攣は監督直伝(笑)?

はい(笑)。俺が参考にしたのは脳しんとうですね。脳の電気信号じゃないですか。動画を見ててすごく感じたのは、「何で足から動くんだろう?」ってことですね。ピン!って、足が上がるんですよ。それが怖くて、怖くて。それを藤原季節くんは本当に完璧にやってくれました。なんて話のわかる人なんだろうと思いました(笑)。

痙攣のご説明、ありがとうございました! では話を戻らせていただきますが、小学生時代、不良の子とかいましたか?

普通にいましたよ。

監督も不良だったんですか?

いえいえ、全然違います。

富士宮の不良小学生って、どんな不良なんですか?

襟足が長いです(笑)。

はい(笑)。

まぁ、今、振り返ると不良だったなっていうのはあるんですけど、当時は普通に友達ですよね。不良という風には捉えていなかったです。

でも中学生になると、襟足の長い子たちも本物の不良になっていく?

そうですね。

私の頃は、校内暴力みたいなのがあったんですけど、監督の中学はどうでしたか?

授業中に近くの席のやつが、安全ピンを耳にバチバチってやってました(笑)。先生を睨みながら、安全ピンをどんどん刺して、白いB-BOY系の服を着てるのに、血でダバダバになって(笑)。

そんなの見たことも聞いたこともありません。

先生が、「お前外に出ろ!」って。でも「何で俺が出て行かなきゃいけないんだよ!」と。出て行くの当たり前ですよね、そんな安全ピンだらけのやつ(笑)。


じゃあ、不良でもなかった監督は、中学校でなにをしていたんですか? 部活とかは?

部活もやっていませんでした。絶対入らなきゃいけなかったんですけど、俺は絶対にやりたくなくて、逃げ回ってました。

どうしてやりたくなかったんですか?

『スーパーマリオサンシャイン』っていうゲームにめちゃくちゃハマってたんです。マリオがポンプで水をかけて、汚れを消すみたいな。

誰の汚れを消すんですか?

社会の汚れです(笑)。

じゃあ、そのゲームがやりたいから、部活に入らなかったと。

もちろん『スーパーマリオサンシャイン』だけではありません。映画もたくさん観たいし、漫画もめっちゃ読みたいし、とにかくそういうことですよ。あとハマってたのは、ファイル共有ソフトです。

あらまー。

もちろん今は、つくった人たちにお金が入って欲しいという意識はあります。でも、中学とか高校のときって、俺のところみたいな田舎には、まず欲しいものが売ってないんですよ。通販のシステムとかも発達していませんでしたし、欲しいものが何もない、欲しいものが手に入らないってなると、だんだん欲しいと思わなくなるんですよ。どうせ手に入らない、どうせ買えない、〈どうせ〉が強くなってくるんです。これはキ●ガイの始まりです。でもファイル共有ソフトなら、欲しいものが物凄く手に入る。俺は欲しいものがたくさんあったから、そこにハマったんです。そのときはラップをすごく聴いていたんですけど、地元CDショップにはDragon Ashすら置かれてなかった。Dragon Ashかと思うと、Do As何とかだったり。

Do As Infinityですね(笑)。

それに、うちは貧乏だったので、電話回線で、とてものろまだったんですよ。だから1曲のダウンロードに2時間とかかかって。俺はそのメーターをずっと見てました(笑)。

ダウンロード中は、こっち側で映画を観たり?

はい。パソコンでダウンロードして、映画を流して、漫画もあって、お菓子もあって。

超楽しい時間じゃないですか!

超楽しかったですよ。

それじゃあ、部活なんてやってる時間ないですよね。

その通りです。そんな暇じゃねえんだーって。学校にいるときも「今、ダウンロード何パー進んだかな?」って考えてました(笑)。AVもめっちゃダウンロードしてましたよ。

AVとなると、相当時間がかかったんじゃないですか?

はい。映画だったり、AVになると、10何時間とか、38時間とか。

辛抱強いお方ですね! 周りにそんなお友達もいらっしゃったんですか?

いました。ファイル共有友達がいました。ヤバイものを一緒に観ていました。AVをダウンロードしていたのに、スナッフフィルムみたいなものも混ざってたりするんですよ。〈紋舞らん 無修正〉とか書いてるのに、人殺してるのとか、人をしこたま殴ってるのとか。俺はAVをダウンロードしてるのに、何でこんなのが手に入るんだ?って。

そのときは、チンチンも用意してるわけですよね?

そうなんですよ。こっちはオナニー準備してるのに、チンパンジーの子供をミキサーにかけてる映像とか(笑)。そんなのを根暗チームで共有してました(笑)。

その根暗チームは、みんな顔見知りですか?

はい、同じ町内に住んでるヤツらです。「ヤバイの見つけた!」って、猿ミキサーの写真を送って(笑)。「今からお前ん家行く!」ってチャリで来て、「本当にダウンロードできたのか?」「本当だ!」「ギャー!!」「ウオオオー!!」って、最強の中二病でした(笑)。

天国ですね!!

更に明かしますと、AVだったり、手に入らないラップの曲とかを売ってたんですよ。

CD-Rに焼いて(笑)?

そうです。ファイル共有ソフトの存在なんて、オタクチームくらいしか知らないわけです。「俺らのルートを使えば、なんでも手に入るんだよ」なんていいながら売ってました。

いくらで売ってたんですか?

500円とかですね。…いや違う、当時俺は既に老けてる感じだったので、AVショップとかに出入りが可能だったんです。だからそこでオナホールも買って、ダウンロードしたAVとセットで売ってました、オナホールが980円くらいだったから、合わせて2000円にして、それがバカ売れ(笑)。スナッフフィルムは、全然買い手が付きませんでしたが(笑)。

最強ですね(笑)。ジャケとかもつくったり?

ジャケはつくらなかったですね。でも〈教育1〉とか書いてました。〈公文式〉とか。〈公文式〉とオナホールを一緒に渡してました(笑)。

アハハ! 高橋さんもびっくりの中学生ビジネスですね!! 儲けたお金でなにを買っていたんですか?

そのときは、漫画をしこたま買っていましたね。あとはゲームとか。

映画のDVDとかも?

その頃はそうでもありませんでした。でも千葉さんがつくった映画はしこたま観てましたね。『隣人13号』っていう映画があって、それを千葉さんがプロデュースされていて。

あれって中学生が観ちゃいけないやつですよね(笑)?

でも観ました(笑)。井上三太先生の原作漫画も大好きだったので。映画でウンコを見たのは『隣人13号』が初めてでした。当時、俺の周りの映画っていうのは、『世界の中心で愛を叫ぶ』とか、ああいう胸糞悪いものばっかりだったんですよ。

まあ、そうですよね(笑)。

本当に胸糞悪いなと思ってたんですよ。そしたら『隣人13号』でウンコが出てきて、「ウンコって映していいんだ!」「すげえー!」「わー!カッコいい!」って(笑)。

じゃあ、クラスに長澤まさみみたいなのがいても、「クソ女!」みたいな感じだったんですか? 好きな子とかは?

普通にいましたよ。デートもしましたし。でも、デートで俺が話せることって「サルがミキサーにかけられる動画、知ってる?」とかそういうことくらいですから。速攻でフラれるんです(笑)。

アハハ!!

女の子は「BUMP OF CHICKEN聴く?」なんて話をするじゃないですか。それと同じ気持ちで、こっちは話してるんですけど。虐待動画とか、心霊動画とか、「こういう都市伝説知ってる?」とか(笑)。最初は面白がってくれますけど、だんだん「あなたは疲れる」みたいな。本当に熟年離婚みたいな理由でフラれていました(笑)。

じゃあ、エッチなこともせず。

いえ、初体験は中学2年生のときで。

おお! 早いじゃないですか!

田舎の中学生とかは本当におサルだから、すごく性の壁が低いんです。

詳しくおせーてください!!

畑に囲まれた別の中学がありまして、そこが市内で1番タチの悪い中学なんですけど、そこの女の子とメールをしていたんです。そこの子が「ウチが今、読んでる雑誌に初体験のアンケートがあって、そこで1番カッコいい初体験の時期が中2の春って書いてあるんだけど」って。中2の春…中3を待つ春休みのことですね。「中3が始まったら、私ヤバいんだけど。もう始めるしかないんだけど」って来まして。「じゃあ俺とエッチしない?」って返事したら、「さっきから私はそれをいってんだよ!」みたいな(笑)。「お前は本当に鈍感なバカだな!」とかいわれて(笑)。それでいそいそ出向いて、公園に行きまして。そしたら「おい、公園でするのか?」って。

いきなり青姦ですか。

「公園でしようと思っているのか? 本当にそう思っているのか?」っていわれて、「俺の家に誘おうと思う」っていったら「だから私はそれを待ってんの!」みたいにまた怒られて(笑)。「お前はちゃんとリードしろ!」って怒られながら、自分の家に戻りまして。うちは母子家庭なので、親が全然いないんですよ。だから全然余裕でして、一応ゴムとかも買っていたんです。

はい、はい(笑)。

でも、よく読んでた漫画とかに、童貞がゴムを着ける練習をしてるんだけど、本番はカッコ悪く失敗するみたいなのがあったので、俺はゴムの練習自体が怖かった。その漫画みたいになりたくなかったから、ゴムの練習をしていなかったんです。そもそもその女の子が怖くて全然チンチン勃たなかったんですけど。

その子は外見も怖かったんですか(笑)?

いや、すごく可愛いんです。ヤンキー女って可愛いじゃないですか。でもすぐ怒るから怖くなっちゃって、時間がかかったんですけど、そこは頑張り屋さんのところがあるので、ちゃんとできました。それが初体験でしたね。

そのヤンキーの子とはそれ以来なにかありましたか?

何もありません。でも最近インスタグラムで発見しました。結婚式の画像がありました(笑)。

高校生活はいかがでしたか? また部活にも入らずに?

入ってないですね。まんま同じような生活です(笑)。でもWi-Fiも出始めたので、ネット環境は良くなりました。奇形児をチェックしたりしていました。

町内のスナッフチームは?

はい、同じように行動していました。ちなみにそのうちのひとりは、いまだに密に交流していまして、映画を撮り始めたときも、一緒に脚本を書いていました。『ヘドローバ』のアイデアも、そいつと話して生まれたんですよ。そのカス友達とはずっと一緒です(笑)。

そんなお友達とか奇形児とかに囲まれて、そろそろ映像の世界に入りたいと思うようになったのですか?

いや、全然思わなかったですね。

撮影もしていなかった?

はい。ケータイで衝撃的な映像を撮りたいとかはありましたけど、映像作品とは全然違います。〈インスタ映えするネコの死体〉とかそういう感じのやつです(笑)。道端で撮ったりはしていましたけど、作品をつくろうって意識は全然ありませんでした。本当にファンだけ、消費者の生活です。西村監督の映画とか、千葉さんプロデュースの映画とかを観て、喜んでいました。本当にそれだけだったんです。

高校を卒業後はどうされたんですか?

高校の担任の先生に「将来の潰しが効くから、経済学部に入れ」っていわれて、意味がわからなかったんですけど、トンチンカンな大学に入学が決まったんです。

トンチンカン大学って興味ありますね!!

でも母子家庭じゃないですか。大学ってかなりお金を使いますよね。潰しが効くから経済学部っていうのが理由で、それをお母ちゃんにお願いするっていうのも、さすがの俺もそこまでキ●ガイじゃないよと。それで入学しなかったんです。その後は1年間フリーターを。イタリア料理のお店でアルバイトしてました。

地元のイタリアンですか?

はい。結構お洒落なところで、ずっとタルトを焼いてたんですよ。デザート担当です。そのときに専門学校に行こうと思って。

タルトの専門学校ですか? お菓子の?

いえいえ違います(笑)。デザインの専門学校です。最初は生活のためにバイトをしていたんですけど、やっぱり上京はしたかったんですね。ここにずっといると、本当に欲しいものは手に入らないし、どんどん圧がかかって、興味を持つこと自体も、バカらしいと考えるようになるんじゃないかって。富士宮の町をウーウーっていいながら歩いてるアル中のキ●ガイになってしまう。

「5年後の俺だ」みたいな(笑)。

そうです、そうです(笑)。それで何の勉強がしたいんだ? と考えたら、よくケータイの簡易ツールでお洒落な壁紙をつくっていたんですよ。超機能が少ないイラレみたいので。それを友達にあげたりしてたんですけど、結構評判が良くて。そうだ、俺は元からこういうのが好きだよな、絵を描いたり、文化祭の構成を任されたり。Tシャツとか、CDジャケットとかも、めっちゃ憧れるじゃないですか。そんな仕事、地元にはないですからね。そういう仕事が世に存在していて、それになれる可能性があるんだったら、それを勉強したいと思ったんです。それでデザイン学校を探して、そこに行くことを決めて、イタリア料理屋でお金貯めました。

それで1年後に上京したんですか?

はい。

東京の生活はどうでしたか?

もう、最高でしたね。本当に面白ぇ!! って。イベントもすごく多いし、欲しい本も売ってるし、欲しい漫画もあるし。専門学校も最高に楽しかった。イタリア料理屋で働いてるときは、かなり地獄に近くて、若者が上京するって聞きつけると、すぐに見ず知らずのおっさんが寄って来て、「東京に行って痛い目を見ればいいじゃん」みたいな。「俺は応援してるよ。応援してるけど、痛い目を見ればいいとも思ってるんだよ」とかいってくるんです。「誰、お前?」っていうおっさんが(笑)。「何をやりたいんだっけ?」「グラフィックデザイナーです」「それ何? そんな仕事本当にあるの?」って。まず、広告のデザインっていっても、電車の中に中吊り広告なんてないですからね。

なるほどー。

何にもないところなんですよ。地元は製紙工場と車の工場の場所なんです。工業地帯なんです。地元のルールでいえば、そういう工場に就職するんですよ。地元の大人たちからすると、地元に存在しない職業は、この世に存在しないんですよね。だから上京して、専門学校に行ったら、丸尾末広の漫画を持って来てるヤツとか、デザイン集とかをわけ知り顔で「ふむふむ」みたいなこといってるヤツを目の当たりにして、「都会すげえ!」と思って(笑)。意識高いアピールみたいなのを皆がしていて、「やっぱり、グラフィックデザイナーという職業はこの世に実在する! これは発見である!」って思いました(笑)。

じゃあ、専門学校卒業後は、グラフィックデザインの会社に就職されたんですか?

はい。しかもかなり成績優秀者だったんです、俺(笑)。すごく評判がよくて、それで学校からの推薦で、いいデザイン会社を紹介してもらいまして。学校は2年制だったんですけど、就活シーズンに入るほぼ半年近く前からそこでバイトとして働き出しまして、その1週間後には「うちに入って欲しい」っていわれたんです。「就職、うちでどう?」って。

超エリートじゃないですか!

そうだったんですよ(笑)。それで入って、真面目に働いて。

それでも映画とか考えてなかったんですか?

はい。何も考えてなかったですね。21、22歳とかですよね。

現在27歳ですから、本当にちょっと前のことですよね。何があったんですか?

2年目くらいのことなんですけど、デザイナーって深夜帯まで働くじゃないですか? 深夜働いてると、上司と映画の話をよくしていたんです。俺は映画が大好き、そして、その上司は町山智浩さんとライムスターの宇多丸さんのラジオが大好きで、あのふたりの映画批評をよく話していたんです。俺はそのふたりをすごい人だとは思っていたんですけど、ふたりとは違う感想が出てくる。それをいうと上司は、「それは違う」と(笑)。ふたりで盛り上がって話をして、結構俺の話は悪口が多かったので、「そんなにいうなら、お前が撮ってみれば? そんなに映画を考えているお前が撮るものを、俺は観てみたい」っていってくれたんですね。「いやいや撮るなんて一体…。どんな手順があるのかもわからない。無理っすよ」って返していたんですけど、自問自答みたいな感じになりまして。「録音のやり方もわからないし→ いやいや、同録で気にしなければいいじゃん」「脚本も書かないといけないし→ ちょっと2、3文の文章をメモ書きすればいいじゃん」「カメラ持ってないし→ あ、デザイン学校から、成績優秀者の支援金が出てたなー。キャノンの一眼レフを買える。あれは動画機能があるし、それで撮れるじゃん」。そんな感じで、どんどん頭の中で代案が浮かんだんですよ。

撮るための問題が全部クリアできちゃった?

そうなんです。否定しながらクリアができちゃいまして。「絶対に撮れません」っていった途端に、「もう来週から撮りたい」って気持ちになってました(笑)。それで1週間後に撮り始めたんです。

それが最初の作品ですか?

はい。『toga』っていうやつです。

それは上司に見せたんですか?

はい。上司と社長に。

上司の方は何ておっしゃっていましたか?

「いってる通りの内容で、なるほどとは思うけど、でもここがわからなかったよ、ここはこうじゃないのか?」みたいな意見をもらったりしました。それで、なるほど、悔しい、もっと撮ろう、みたいな。ここからは中毒ですね。そこから今に至るまで毎年2、3作撮っています。ずっと映画のことを考えて。

そして2014年には『Super Tandem』で、PFFアワードに入選。

はい。初めて応募した作品が初入選しました。俺やスナッフの友達とやったものが、皆も面白がってくれるんだったら、もっと俺は楽しませたいみたいな気持ちが生まれました。

スナッフの友達ですか(笑)。

はい(笑)。ちょうどその頃、デザイン会社から転勤の話があったので、そこで会社は辞めました。2014年頃ですね。

そして綿菓子屋のバイト面接を経て、今に至る、と。

はい(笑)。

『ヘドローバ』は、地元の富士宮が舞台です。「あのまま、あそこにいたら、5年後の俺はアル中だ」とおっしゃっていましたが、敢えて、富士宮を舞台にされたのはどうしてですか? 上京したことによって、なにか地元の見え方とか、変わったんですか?

まさに、あのまま富士宮にいたら、地元の圧力に無気力にさせられるとは思っていましたが、地元で生活しているときは、そういう言語化はできていなかったし、客観的に見れていなかったんです。ただ単に「嫌だなぁー」とか、「おっさん、何でそういうこというの?」みたいな。東京に出てきてから、自分のいた場所の言語化が可能になったので、それがきっかけになっているとは思います。それに、1作目とか2作目の脚本を書いてるときに、浮かぶ顔は地元の友達でした。スナッフチームですね。だから、やりやすいだろうというのはありました。だいたいロケーションもわかっている。ロケハンの必要も全くない。それは大きかったと思います。

『ヘドローバ』にしても『全員死刑』にしても、あまり東京感はありませんよね?

そこは、あんまり考えていないですね。大切にしているのは、どこの誰でもこれはわかる話にしたいと。全然共感できない殺人鬼だったり、全然共感できない団地の犯罪も、嫌な感じとか、優しい感じとか、「これはわかるでしょ」みたいなのは絶対に入れよう、誰にでも当てはまるようにしようとは、想像しながらやっています。それが〈楽しい〉に繋がると思うんですよ。〈違い〉を出そうじゃなくて、〈同じ〉を出そうと。異常な舞台のなかに、「同じだよ」っていうのを入れて、「うわ~」と笑えるようにしたいというのはありますね。

今後の作品予定も決まっているんですか?

まだ詳しくはいえませんが、答えは「はい」です。幸せな状態が続きます。

すごいですね。

本当におかげ様で。『全員死刑』のあとに『ヘドローバ』ですから(笑)。同じ年の1ヶ月のあいだに2本なんてありえませんから。それに自分のなかで、『全員死刑』と『ヘドローバ』は、矛先を変えた全く違う二刀流なんです。こんな風に暴れられるのは、なかなかありません。それは本当にありがたくて、すごく幸せなことだと思っています。

最後に監督の目標を教えてください。

映画監督は職人仕事だと思うんです。それを履き違えた監督はたくさんいます。「俺はこんなのはやらない」とか、訳わからないですよ。職人っていうのは「う〜ん、これは…」と思ったとしても、その職人を通過したら面白くなる、こういうものになるという信頼を獲得して、実際にそれができる人だと思うんです。あと、無茶をいったりして、スタッフとか、協力してくれる人を困らせずに、迷惑をかけずに、まとめる方向にディレクトするのがディレクターだと思います。だから職人なんですよ。そうなれるようにっていうのはすごくありますね。ちゃんと職人になるのが夢です。

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