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インドネシアの複雑怪奇な反共産主義博物館

1992年10月1日に開館した博物館〈ムセウム・プンヤナタンPKI〉は、数々の歴史家や目撃者に誤りを指摘された今も、9・30事件にまつわるプロパガンダを垂れ流し続けている。

by Daniel Darmawan
09 April 2019, 8:03am

スハルト(Suharto)元大統領の新体制下で育った子どもたちが、初めて目にした共産主義者は、政府による珠玉のプロパガンダ映画『Pengkhianatan G30 S-PKI』(大まかに訳すと『共産主義者たちの裏切り』。極めて残酷な作品だ)に登場する、タートルネックを着た、神を認めない野蛮人たちだろう。ラッキーなら、この4時間にわたる作品の鑑賞会に加え、テーマパーク〈タマン・ミニ(Taman Mini)〉への遠足がおまけでついてくる。そこで子どもたちは、さらに数時間かけて、陰気で寂れた〈ムセウム・プンヤナタンPKI(Museum Pengkhianatan PKI、直訳:共産党の裏切り博物館)〉を観てまわる。

だが、私自身はその経験がない。私が通っていた中産階級向けの私立学校は、この博物館へ生徒を連れていこうとしなかった。それが果たして良いことだったかはわからない。私の母校は、血塗られた反共産主義的プロパガンダから私を守ってくれたのか? それとも私は、幼年期に重要な文化に触れる機会を逃してしまったのだろうか?

かつての自分が何を見逃したのか知るため、実際にこの博物館を訪ねてみた。

博物館の広大な敷地の中心にあるのは故障した噴水。その周りを敷地内の大きな通りよりも広い円形交差点が囲んでいる。建物は基本的にコンクリート造で、本館と〈パンシャチラ・サクティ・モニュメント(Pancasila Sakti Monument、直訳:聖パンシャチラ像)〉のあいだには芝生が広がっている。私は青い小学校のスクールバス2台の隣に車を停め、ワクワクしながら本館に向かった。

博物館の中庭を横切っていると、退屈そうな中年女性が、屋台の向こう側から私をじっと見つめていた。彼女が売っているのはインドネシア軍のグッズ。そのなかには、特殊部隊のダガーの巨大ロゴが縫い付けられた迷彩柄ベビー服もあった。子どもに熱烈な軍賛美を刷り込むのは、早ければ早いほどいいのだ。

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パビリオンの裏から見たパンシャチラ・サクティ・モニュメント

博物館からわずか100mのところには、反共産主義運動の中心地として有名な〈ルバン・ブアヤ(Lubang Buaya、直訳:クロコダイルの穴)〉がある。かつて、インドネシア軍将軍6名の死体が遺棄された穴だ。1965年9月30日のクーデター未遂事件後、彼らはインドネシア共産党(Indonesian Communist Party: PKI)党員によって拷問、殺害されたといわれている。

このルバン・ブアヤは博物館の目玉のひとつで、現在、この場所は、追悼文を刻んだ大理石とともに、凝った装飾のジャワ島のパビリオンに囲まれている。赤いLEDライトが乾いた穴の中を照らし、真っ赤に塗られた壁の凹凸を不気味に浮かび上がらせる。そんな演出のせいか、この穴は複数の死体が遺棄された現場というより、ただの子どもだましの悪趣味な展示に見えた。

パビリオンの隣の小屋には、拷問の場面を描く原寸大のジオラマが展示されている。共産主義者のろう人形が、額からろうの血を流す将軍たちを残虐に痛めつける。その横では、共産党系フェミニスト団体〈Gerwani〉の女性たちが、赤いバンダナを巻いて銃を構えるアマゾン族のように、拘束されひざまずく5人を囲んで踊っていた。

かつてインドネシア通信情報省は、「暴力的すぎる」として『ドラゴンボール』の戦闘シーンをカットしたこともある。そんな国で、どうしてこれほど残虐なジオラマのある場所が、子どもの遠足先に選ばれるのだろう。

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ライトに照らされるルバン・ブアヤ

拷問シーンをよそに、訪問客のグループが、モニュメントの前で『ハイスクール・ミュージカル』風の写真を撮り始めた。みんなでいっせいにジャンプして浮いているように見せるアレだ。私はしばらく眺めていたが、彼らが3回連続で失敗したのを見て、そろそろ移動しよう、と考えた。

私はモニュメントに近づき、壁からせり出す巨大なレリーフをじっくり眺めた。糸目の労働者や鎌を振りかざす野蛮人として描かれる〈共産党員〉たちが暴虐の限りを尽くし、英雄たちを拷問、殺害する場面を表現した力作だ。

見事な作品だ、と認めざるをえなかった。このプロパガンダの傑作を手がけたアーティストは、制作に取り掛かる前、神を認めない野蛮人たちが繰り広げる地獄について、じっくり構想を練ったに違いない。歴史的に正しいか、と訊かれたら、そうではないだろうが、臨場感に溢れているのは確かだ。

さらに詳しく探るため、私は博物館に入っていった。4万ルピア(約312円)という入館料は決してお手頃とはいえないが、きっと料金に見合った価値があるのだろう、という漠然とした期待はあった。

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パンシャチラ・サクティ・モニュメントのレリーフのアップ. 史実よりもドラマ性を優先した作品

館内は暗く、目が慣れるまでしばらく時間がかかった。半分の電灯が切れており、小ぎれいな外観とは裏腹に、うらびれた雰囲気が漂う。しばらく掃除されていないのか、ひどい臭いが充満していた。館内を観終えるまでに数えてみると、全部で4つの窓、34のジオラマが壊れかけていた。

ただ、どのジオラマも職人技の光る傑作ばかりだった。インドネシア人は、歴史の解説にジオラマを使うのが大好きだ。この博物館のジオラマも、かなり手が込んでいた。泥塗れのゲリラたちも、風になびく小さな横断幕を掲げながら、完璧なポーズをとっていた。まだ灯りが残っている場所では、私の手のひらほどの小さなろう人形が、プラスチックの地面に長い影を落としていた。

しかし、語り手には、ジオラマ職人ほど熱意が感じられなかった。ジョグジャカルタ(Yogyakart)にあるスハルト記念館(Suharto Museum)は、新体制について、かなり偏ってはいるがそれなりに筋の通った解説をしている。もちろん、主張を鵜呑みにするわけにはいかないが、彼らは史実を意図的に捻じ曲げているわけではない。いち部の情報が欠けているだけなのだ。

ムセウム・プンヤナタンPKIにとって、歴史はさほど重要ではない。この場所の狙いはただひとつ。共産主義者は信心深さと正義の対極にある、と伝えることだ。共産主義のイデオロギーがインドネシアの脅威となった理由どころか、共産主義の定義すら説明されていない。だからこそ、これほど多くのインドネシア人が、共産主義の意味を知らずに暮らしているのだろう。PKIは悪であり、将軍たちは犠牲者であり英雄。博物館が提示するのは、そんな物語だ。

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まるで冷戦時代にワープした気分だった。延々と続く軍賛美が途切れたのは、少々場違いな感じのする飲み物や軽食の売店だけだった。

そんなとき、〈博物館図書室〉という看板が私の目に飛び込んできた。ここでなら何か学べるかもしれない、と私は案内に従って薄暗い部屋に入っていった。だが、そこに本やポスターはなく、ペットボトルの入った木箱が積まれていた。果たしてここは図書室なのか、それとも売店の倉庫なのか、よくわからなくなった。

壁際の棚には、埃をかぶったバインダーが並んでいる。私は棚に近づこうとしたが、カウンターの向こう側に立っていた伸びかけの坊主頭のおじいさんに、行く手を遮られた。

「何を探してる?」と彼は叫ぶ。

「9・30事件について知りたいんですが、バインダーを見せていただいてもいいですか?」と私は尋ねた。

「ダメだ」と彼はイライラした様子で答えた。「ここには特別な許可がなきゃ入れない」

なるほど、この図書室は学びの場ではないらしい。私はポカリスウェットの箱のあいだをゆっくりと戻り、彼にお礼をいって立ち去った。

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清潔で窓のない博物館の正面. 裏側も同じように清潔に保たれており, 窓はない.

2時間かけて博物館をまわったが、9・30日事件のWikipediaページを読むほうが、よっぽど得るものは多いだろう。展示内容は偏っていて、史実を伝えようという努力も感じられない。拷問後の出来事についても、何の情報もない。死体解剖を担当した医師たちは、そもそも彼らが本当に拷問を受けたのかすら疑っているくらいだ。拷問中、踊りまわる野蛮な女たちに囲まれた、などというエピソードはいうまでもない。

さらに、クーデター未遂後、共産主義者であるという理由で50〜300万人が虐殺された事実も、ここでは伝えられていない。大虐殺を子ども向けのジオラマにするのは難しいだろうが、これはインドネシアの歴史において非常に重要な、いまだに論争の絶えない出来事だ。

ただ、ジオラマの技術だけは評価したい。館内に灯りが残っていた1990年代には、もう少し見栄えが良かったはずだ。それとも、今よりずっと不気味な雰囲気を漂わせていたのだろうか。私にはわからない。

私が館内をうろついていたとき、カーキ色の制服を着たツアーガイドが、部屋を埋めつくす小学生に向けて、未遂に終わったクーデターについて、拡声器で長々と説明していた。彼らは、優に1時間はガイドの声を聞き続けていたはずだ。もしかしたら、私もあの中にいたかもしれない。母校の歴史教育が新体制のプロパガンダに基づいていなかったことに、私は心の中でお礼をいった。

博物館をあとにしても、自分の肩のあたりに共産主義の亡霊が漂っている気がした。ディズニーランドのホーンテッドマンションから出たときのようだ。ここにあるのはチュロスではなく、プロパガンダだが。