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アイヌの人々との10年!! 無知(純粋さ)という名の狂気でコミュニティーへ。ー池田宏『AINU』ー

アイヌには和人から差別を受けてきた歴史がある。そんな社会に和人として入り込むのは、想像を絶する難しさがあるはずだ。ただ、池田宏は、無知のまま飛び込み、その純粋さという名の狂気によって、和人でありながら、アイヌとの壁を強引とも思えるような勢いでこじ開け、仲良くなってしまう。10年以上かけてまとめあげた写真集『AINU』には、池田宏の目を通したアイヌの人々の今がおさめられている。

by Yuichi Abiko
21 October 2019, 7:00am

池田宏の写真集『AINU』を手にし、ページをめくると、やはりというか、目を背けたくなる気持ちにさせられた。寄りの写真が多く、しかも人物を真っ正面に捉えたポートレートが中心。あまりにも堂々と純粋に迫ってくる力強い写真の連続。アイヌについて、差別があることは、ぼんやりとは知っていたものの、ほぼ、まともに考えたことも触れたこともない自分を戒めるだけの充分すぎるパワーが写真から伝わってくる。

無知/無関心は、差別を産み出し、解決できないひとつの原因でもあるだろう。

池田宏も、アイヌについて無知のまま進入し、悪気がなくとも、知らず知らず傷つけたり、結果として差別だと感じられたこともあったかもしれない。それでも、怒られ、しがみつき、コミュニティーに受け入れられていく。その痕跡によって得た考え方によって、写真表現も、恐ろしく変化していく。

池田宏がアイヌを求め北海道に通い出した2008年から、今年写真集を出版するまでの11年間について話を聞いた。

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改めて、アイヌの人々を撮ろうと思ったきっかけを教えてください。

当時、スタジオマンとして働いていたときに、休みをとって台湾に撮影にいったんですけど、結果として、何も撮れてなかったんです。言語ができないからコミュニケーションがとれなくて、こっちの思い込みで撮ってるだけで「ひとを撮れてねえな」ってはじめて気づいたんです。それならばと、国内で、なおかつ自分が見たことのない、全く知らない世界を撮りたくて、それでアイヌにいきつきました。

では、台湾から帰国後、アイヌの人々を撮影するまでに、どのようなテーマの物事を撮っていたのですか?

例えば、新大久保の外国人を撮っていた時期もあります。でも「なんか違う」みたいな感じで、続けられなくて。

言語は通じますよね?他に満足できない理由があったのですか?

大した苦労をしなくても撮影はできるんですけど、結局、表面的なものしか撮れない、みたいな感じになっちゃって。ちょっと物珍しさで撮ってるだけっていうか。

台湾で撮影した写真と大差がなかったんですね。

そうですね。そっから、もう少し考えるようになり、大学のころに興味があった民族を掘ってみようと。日本には、どういう民族や文化があるのか調べ始めたら、アイヌを思い出して。

アイヌを撮影しにいったときは、アイヌに対しての知識は、どのくらいあったんですか?

ほぼ、なかったですね。

アイヌの人々が、差別されてきた歴史があるのは知ってたんですか?

それも知らなかったです。北海道に先住している民族ってことしかわかってなかったです。

それで、いきなり写真を撮りにいったんですね(笑)。

高校のときに、修学旅行で白老(しらおい)のアイヌ民族博物館にいったので、そこにいけば撮れるだろうと思ったんです。夜行バスで向かう直前に友達に「北海道にアイヌのひとを撮影しにいくわ」ってメールしたら「二風谷(にぶたに)に山道康子さんというアイヌのひとがいるから、訪ねてみたら?」って返事がきて。急遽、二風谷にいきました。

なるほど。では、二風谷に着いてから山道さんやアイヌのひとを、どのように探したのですか?

チセっていうアイヌの伝統家屋が何個かあって、そこにいけば、アイヌのひとに出会えるだろうと。今考えると完全に僕が悪いんですけど、そこで働いている女のひとに話しかけられて、一言二言会話をして、それで「純粋なアイヌのひとっているんですか?」みたいなことを僕が聞いたら、すごい嫌そうな顔をされて、突然、観光客を受け入れるムードじゃなくなったんです。

そうなることもあるでしょうね(笑)。

そもそも、アイヌのひとのイメージすらなかったわけですよ。高校の修学旅行で、シヌイェっていう刺青をしたひとだったか、でかい肖像画みたいな写真があったのは覚えてたんです。明らかに異質だっていう記憶だけはあったんですけど、アイヌのひとの顔の特徴すら、わかってなかったです。

じゃあ、刺青を入れてるひとが、純粋なアイヌだと思ってたんですか?

さすがにそこまで思ってませんが、昔ながらの暮らしをしている集落があるのでは、と勝手な先入観はありました。それくらい無知だったんです。その会話の返答で言われたのが「じゃあ、純粋な日本人って、なんですか?」って。

ネイティブアメリカンとかアボリジニを想像していたんですね。

それに近かったかもしれません。

では、1回目の撮影では、山道さんには辿り着けなかったのですか?

その後、山道さんを探してたら、旅人っぽいひとが、何をするでもなくブラブラいて、話しかけたら、山道さんのところに泊まってたひとで連れていってもらったんです。それで、怒られた数時間後ですが、山道さんにも同じ質問をするわけです。「純粋なアイヌのひとっていますか?」と。そしたら「私がそうですよ」って言われて。

懲りないですね(笑)。山道さんとは、他にどのような会話をするのですか。

自分の目的を伝えると、アイヌの昔話や、カムイ(神様)、宗教観、現代にいたるアイヌの歴史的な背景を丁寧に教えてくれました。

しかし、いきなり、ずいぶん踏み込んだ質問をしましたね(笑)。

無知だった僕を、ここまで受け入れてくれてありがたかったです。山道さんは、家にいったら「とりあえず腹減ってるだろうから飯食え」みたいな、つくったものがテーブルに置いてあって、宿泊しているひとが各々勝手に晩御飯を食べれるようになってるんです。「とりあえず、腹一杯になれば、イライラせんから」みたいなことを言う肝っ玉母ちゃんなんです。

では、山道さんのところには、多くの旅人が集まっていたんですね。

ナチュラル思考の強いひとたちが多く来ていた印象です。都会の生活に疲れて、ちょっと心を病んでしまったひとや、何年もそこで暮らして仕事をしているひともいました。山道さんが毎年夏におこなっている〈アイヌモシリ一万年祭〉というお祭りがあるんですけど、「1万年前は平和な時代があった」みたいなコンセプトで、それがフェス化してるんです。そのお祭りには、全国各地からいろんな人が集まってくるようです。

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山道さんと出会ったときは、どのくらい滞在したんですか?

そのときは山道さんのところのチセに1泊させてもらって帰りました。

写真は撮れたんですか?

撮れました。上の写真がそうなのですが、彼女は撮られ慣れてるっていうのもあったんですけど、こっちもひとを撮る経験が少なかったので、撮りたいっていう目的に対して、初めて受け入れてもらえたっていう関係性みたいなものができて。だから、思い出に残ってますね。

山道さん以外も撮ったんですよね?

時間がなさすぎて、撮れなかったです。

では、東京に戻って、再びアイヌを撮りたいと思ったのは、山道さんを撮った写真が大きかったのですね。

そうですね。また、1日のうちに、拒絶するひともいれば、受け入れてくれるひともいる、という両極端な体験をしたので、東京に戻ってからも、そのことがずっと気になっていたんです。それで、もう1回いってみたんです。

では、2回目はどこにいったんですか?

1度受け入れてくれ、居場所ができたと思ったんで、同じ場所にいきます。当時mixiで、山道さんがチセを自分たちで建て替えようとしていて、その手伝いを募集してたんです。それをみて、他のアイヌのひとたちとも出会えるだろうと期待していきました。実際、アイヌのひとが敷地の奥の方に住んでいたから、チセの建て替えを手伝いながら、その人の写真を撮りました。

1年に1回の撮影で、1、2枚しか撮れないわけですよね。焦りはなかったんですか?

まだ、なかったですね。コミュニティーに溶け込もうって意識でいったのが2回目です。

3回目は?

3回目はもっと広げたかったんですが、何人かしか広がらなかったんですよね。3人紹介してもらったんですが、全員の写真を撮ったわけではないです。

池田さんのなかに芽生えたアイヌのイメージと違ったからですか?

そういうところもあったのかもしれません。だから、最初は、もっと凝り固まった絵になりやすいアイヌのひとを追いかけていたんです。

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4回目は?

2011年なんですが、東京の八重洲にアイヌの交流センターがあって、そこで「この新聞で取材されているひとに会いたいんです」と手紙と連絡先を置いて帰ったら、すぐ連絡がきて会いにいったんです。神奈川に住んでいるアイヌの女性だったんですが、その翌月に札幌でイベントがあり、そのあと静内(しずない)に里帰りもするからってことで、一緒についていくことになったんです。

札幌では、どのようなひとと知り合うのですか?

はじめていろんな地域のアイヌのひとに出会えました。それで札幌でのイベントが終わったあとに、その女性の里帰りに同行させてもらい静内にいったんです。そこで地元のひとたちが先祖供養の儀式をやってて。

写真は当然撮れたんですよね?

いや撮れてないです。

なんで撮れなかったんですか?

最初はカメラマンっていう感じでしか見られないじゃないですか。例えば新聞記者が出入りするのは、よくある話だと思うんですけど、東京のカメラマンが、わざわざ来るってなったら「何者だべ、あいつ」って感じになるんですよね。そんなに簡単に受け入れてくれないって、すごく感じますから。仮に、写真を撮らせてもらったとしても「何に使うんだ」ってなって、写真集にまとめたいって気持ちはあっても、その時点では出せるかわからないし、ウヤムヤにするしかない。だから、最初は撮れなかったですね。

なるほど。5回目は?

その年の秋に、もう1回、神奈川のアイヌの女性と一緒に大きな催事にいきました。〈シャクシャイン法要祭〉っていう静内でやってる催事で、それは北海道の各地域のアイヌのひとたちが集まって、踊りを披露したり供養するっていう儀式が1日あるんです。そこにいったときに、自分と年の近い連中と一気に出会うんです。それで連絡先を聞いて、仲良くなっていったんです。

ようやく光が見えてきた感じですね。

その催事で、釧路でスナックをやってるひとを紹介してもらって、そのときはもう出会いが欲しくて仕方がなかったんで「遊びにおいで」って言われたら全部いってたわけです。釧路に遊びにいき、お店でちょっと飲んで、そこの娘さんが「来月は、別の場所で儀式があるから」と誘ってくれて、そしたらもう無理してでもいくしかない。

ペースが早くなってきましたね。

実際に上手くいってる感覚だったんです。それで次いった場所が、釧路の隣町の白糠(しらぬか)の〈ししゃも祭〉です。そこで、また怒られました。

上手くいってたから調子に乗ってしまったんですか?

そうなんです。知ってるひとがいると思ってるんで、おそらく客人扱いされるだろうと勝手な思い込みでいくじゃないですか。お土産と、静内の〈シャクシャイン法要祭〉で撮影させていただいた白糠のひとを撮った写真も持って会場にいって、「東京から来たカメラマンが、今回来てるよ」みたいに受け入れられたんです。前夜祭から入って、その日の夜は、スナックにいって飲みながらカラオケしてるところを写真に撮って帰ったら、カラオケにはいかず、残ってたおばちゃんから、どん叱られたんすよ。「お前会長にも挨拶してねーべや」みたいな。

またまた、やっちゃいましたね(笑)。

挨拶したつもりだったんですけど、厳しく注意をされて。実は会長が2人いたんです。片方は踊りの、もう片方は地域の会長。それで踊りの会長は僕を誘ってくれたひとで、もう片方の会長はスーツ着てたから、役場のひとかなと思ってて。紹介もされかったから、大丈夫でしょって。今だったら、とにかく全員に挨拶を必ずするんですけどね。それが、わけのわかんないヤツが、飯だけタダ食いしやがってってなっちゃって、一気に酔いが冷めて。

その噂が広まるんですか?

ダメなヤツの印象になってしまったと思います。

でもカラオケにいった人々とは仲が良いんですよね?

仲は良いですけど、そのときはまだ、助け舟を出してくれるほどの関係ではなかったので。翌日に会長に改めて挨拶にいって、平謝りして、一通りまわったんですけど、取り返しのつかないことになったひともいます。今はもう仲良くなったんですけどね。

難しい問題ですよね。これは、和人がアイヌを差別してきた歴史がそうさせるのか、土地柄によるものなのか、はたまた池田さんが悪いのか(笑)、ぶっちゃけ、わかりきれない部分はありますよね。

他と比較したわけではないので、断言はできないですけど、差別の歴史があったっていうのも多分に影響していると思います。例えば、話したこともないアイヌのひとが、僕をよく思ってない、とか聞いたことがあります。要するに、アイヌのコミュニティーには、人間関係も含めて、自分じゃわからない複雑なことがあるっていうのが、このあたりで、なんとなくわかってくるんです。仲良くなったとしても、僕はどうしてもずっと和人なわけです。

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やはり、和人とアイヌのあいだに壁を感じるのですね?

例えば、和人のことをアイヌ語で〈シサム〉って言うんですが、〈シャモ〉と言うこともあるんです。アイヌのひとたちと一緒にいるときに「シャモ」と聞こえると、あんまり良い話ではないだろうな、と少し気まずくなります。決して、シャモという言葉自体が悪い言葉ではないんですが、叱られたときに「シャモ」と言われたこともあり、強い言葉だなと。ただ、友人たちは、僕の前では、その言葉を意識して避けてくれたり、気遣ってくれるひとも、今では多いです。歴史的に差別があったというのは事実で、僕がアイヌのひとたちを差別したことはないけど、だからといって「お前はOK」とはならないって感覚があるんです。

根深い問題ですよね。

要は他人事ではないっていうか、僕ではないシャモの話になったとしても、どっかで僕も加害者側の意識になってしまって。

アイヌのひとたちには、和人に対しての複雑な感情が、残ってるってことですか?

ゼロではないと思います。いや、結局僕が会ったアイヌのひとたちは、アイヌの血を引いてるひとたちのなかの、ごく僅かで、出自を公言せず、アイヌの活動に関わらないひともたくさんいるんです。その全体図のなかでいうと、ほとんどのアイヌのひとが、どう考えているのかはわからないですね。

なるほど。

ただ、やっぱり、アイヌの儀式や木彫、刺繍、踊りをやるとか、アイヌのことに関わって生きていくと決めたひとたちは、自分がアイヌだってことをオープンにする覚悟があって。なおかつ、自分がオープンにすることで、親兄弟、親戚まで、血の繋がってるひとたちまでが、アイヌだとわかってしまう。だから、背負ってるものの重さが違う印象があるんです。受けてきたいろんな辛いことも、跳ね返してでも自分たちでやっていこうって強い意志があるので、和人に対する感情もあって当然だと思います。でも、それも言えない、言わないひともいるんで、そのひとたちが和人に対してどう思ってるかは聞けないんでわからないです。

ちなみに、今でも和人がアイヌに対して差別している話(アイヌとわかったら連絡がつかなくなった、結婚を反対された)が、写真集の巻末のインタビューにもあります。そういうのは、北海道にいると目の当たりにするのでしょうか? 東京にいると、しかも、多様性を受け入れようとする現代社会の流れのなかで、いまいちリアリティーが持てない部分もあります。

アイヌを理由にしていると、はっきりとはわからない形で差別や嫌がらせは残っていると思います。

池田さん自身、アイヌのひとたちといて、差別されている現場に立ち会ったこともあるんですか?

土地柄みたいなものかもしれないけど、僕がアイヌの友人とチェーンの居酒屋に5、6人で飲みにいって、飲み放題コースを頼んだんです。店員さんを呼んで注文してるときに、露骨にめちゃめちゃ嫌な顔をされたことがあって。ただ、はっきりと言葉に出すわけではないし、注文しすぎたから怒ってる可能性もあるわけです。だから、それが差別かどうかはわかんないです。ただ、これが日常的に続いたら、相当なストレスで嫌な気分になるよなって。

一緒にいると、差別体験の話にも、当然なるかと思います。

ある日、いつから差別されてきたかって話題になって、幼稚園のときからって言ったアイヌの友人がいて、それって異常じゃないですか。やっぱり、幼稚園児が、自発的に、アイヌだからとは、ならないと思うんです。つまり、差別する子の親の影響が大きいってことですよね。

一般的には、アイヌへの差別や搾取は明治時代から始まるのですよね?

もちろん、江戸時代から搾取されてきましたが、アイヌの人たちの生活を一変させてしまった〈北海道旧土人保護法〉というのが、明治に制定されたんですが、その法律にはアイヌの文化・風習を禁じてしまう内容が多く含まれていました。アイヌの子供が通う、旧土人小学校の設立など、いわゆる同化政策が本格化していきました。

また〈土人〉って言葉もすごいですよね。

北海道旧土人保護法も1997年まで、その法律は残ったままでしたから、古い話ではありません。一方で、北海道に住んでいても、アイヌの存在自体を知らないひとも結構いるんです。だから北海道に単純に旅行にいっても、意識しない限り、アイヌに触れる機会って少ないと思います。

なるほど。池田さんもアイヌの人々と触れ合うようになって、アイヌの問題を理解していくんですね。写真を撮るうえで、まずコミュニティーに入り込むのが難しい。それは、アイヌのひとたちが、和人から受けてきた差別が潜在的にある、という原因も関係しているのですね。

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実はこのインタビューは「アイヌを撮ろうと思ったきっかけを教えてください」と池田宏に投げかけると、大学のときにスワヒリ語やヨルバ語を勉強していたから、民族に興味があった。沢木耕太郎を読んで、海外への憧れを抱いた。高校のときにヴィンテージにハマり、高校を辞めてバイヤーとして古着屋になりたかった。だけど、ネイティブアメリカンにはハマらなかったから、その後の民族とは繋がらなく、単純に海外の興味を抱いた最初の趣味だった。大学1年のときに、古着が好きだった影響で、米国西海岸に住んでいる友達のところに遊びにいこうと思ったら、とったチケットがトランジットで韓国を経由し、はじめていった外国がアメリカでなかったことにショックを受ける。戦争カメラマンの一ノ瀬泰造さんに憧れ、大学4年のときにカメラを持ってバックパックに出る。『アジアンジャパニーズ』をみていた。旅に出て、中国に留学していた彼女のところにいったら、浮気を発見して、相手の男をボコボコにした。その日彼女とセックスしようとしたが、ショックでたたなかった。そのショックを引きずったままタイにいき、1ヶ月以上毎晩ゴーゴーバーで遊びまくる。トルコのイスタンブールで、革ジャンを着たモヒカン野郎に、キャッシュカードを取られ40万盗まれる。お金がなくなり西アフリカへいけなくなった。海外から帰ってきたあと、なんとなく写真関係の仕事につきたいと思う。写真関係の企業の就職試験を受けるが落ちる。コーヒー関係の会社の内定をとる。就職直前に嫌になりコーヒー関係の会社の内定を辞退する。やはり、写真関係の仕事につきたく、スタジオに就職する。

とまあ、1時間以上、アイヌとは、ほぼ関係ないように思われる話を聞き続けた。1990年代後半から2000年代前半にかけて、思春期を過ごした若者の王道というか、極々一般的な体験を積み重ね、写真の世界に飛び込んでいく。

ちなみに、池田宏の話とは別だが、この時代、自分探しの旅と題し、バックパックにいったひとから最もよく聞いた話が、インドは最初絶対嫌になる。体を壊し2週間くらい寝込むが、そこを乗り越え、1ヶ月以上過ごすと大好きになるといった、根も葉もない自慢話。またハードなものだと、ルーマニアのマンホールチルドレンを撮影しにいったら10歳の子供に足を刺された、といったものまで、話の大小はあれど、この時代の若者の象徴でもある。いわゆる一人旅はトレンドでありムーブメントであった。

これまでのインタビューでもわかるように、池田宏もアイヌに通い始めたころは、当時の極々一般的なフワフワした若者のまま、アイヌに飛び込んでいき、怒られまくるのだが、通い続けることによって、外側の事象を追いかけるだけのトレンドから、彼だからこそ見れた世界を導き出していく。

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アイヌの人々と接することで、差別の問題やアイヌないでの人間関係の複雑さを理解しながら、彼らとの距離感を徐々に縮め、コミュニティーに入り込んだことで、写真はどう変わっていったんですか?

写真が撮れたってはじめて思ったのが、この写真です。この男のひとは神奈川の女性の弟さんなんです。元々ジョッキーだったのかな。一緒にいったときに、目鼻立ちもくっきりしてて、目もきりっとした感じで絵になるって思って、すごく撮りたいって思ったんです。牧場で普通に仕事してる、そういう日常がいいなって。

民族に興味を持ったことが、アイヌを撮影するきっかけだった、と先ほど伺いました。なぜ、民族衣装を着るような場面よりも、日常を撮りたいって思ったのですか?

最初に紹介してもらった昔話を聞かせてくれたひとは、撮影をするのに着物を着てくれたり、僕もそこで着物着てもらったり、なんかお互いに、そういう関係だったんですよ。

要するに、この写真が撮れるまでは、過剰にセットアップした写真ばかりだったんですね。

そうなんです。いろんなアイヌの人たちと出会うようになって、そのまま撮りたいって思うようになったんです。アイヌの民族衣装を着て撮ったら、和人がイメージするステレオタイプのアイヌを表現してるだけっていうか。そうやって出来レースというか、合意のもとで撮れる写真って、奥の方までいけないですよね。そういうことにも気付けるようになっていくんです。

なるほど。

ただ、この撮影のときは、そこまで論理的に整理できてなかったです。やっぱり怒られてますから。スナックに飲みにいって、ママに何を撮りにきたのか聞かれて「アイヌのひとたちです」って答えて。それは、ママがどういう返答をするのか知りたくて、そしたら、言葉を濁されるっていうか。その後もアイヌのひとを撮りたくてみたいなことを話し続けたら、横で飲んでいた牧場で働いている彼が「アイヌ、アイヌって言うな。俺はアイヌって言葉が嫌いだから」って怒鳴ったんです。

でも、最初のころとは、コミュニケーションのとり方に変化がありますよね。

弟さんを撮影したときも、彼は半信半疑だったのかもしれないですね。「こんな、ほうきなんか持ってさ、レレレのおじさんじゃねぇんだから」って言ってましたから。ただ、後日、写真を渡しにいって、このあいだ久々に会って家に泊まったら、そのときの写真が、飾られてたんです。それは嬉しかったですね。

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また、最初は、アイヌの人々の彫りの深さや目の鋭さにも惹かれていましたよね。しかし、アイヌの人々は、それがコンプレックスだったり、差別されてきた歴史がありました。つまり、池田さんとの信頼関係が築けていないと、なかなか写真を撮らせてもらえないとも思います。

白糠で叱られたあとに、帯広に通うようになるんですが、年が近いひとたちが多くて、東京でのイベントで踊りに来るひともいて、そのイベントを見にいき、打ち上げにまで参加させてもらったんです。そうやって帯広のひとたちと飲んで、カラオケにいって、連絡先を交換して、帯広にも遊びにいくようになって。僕が東京にいながらも、日々、彼らと連絡をとるようになっていったんです。そうやって、徐々にコミュニティーに溶け込んでいくようになってから、写真が撮れるようになっていきました。山道さんを撮ったのが2008年、神奈川の弟さんを撮ったのが2012年です。自分の写真が撮れるようになるのは、その後通い続けて、アイヌを撮影しはじめてから、5年経ったあとくらいからですね。ただ、コンプレックスの件は、あまり気にしてなかったんです。もちろん、体の悩みとか聞いたこともありました。ただ、僕がヒゲが全然なくて、それがコンプレックスだったから、逆に濃くてカッコいいなって思ったんで。

写真だと、表面的な特徴が自然と写りますからね。

やっぱり撮られたくないと思うひとが多いと感じます。カメラマンは僕だけでないので「またか」と思うひともいると思います。写真が嫌いで、なんで嫌いか聞くと、自分の顔が好きじゃないからってひともいて。だけど、僕はそのひとがカッコいいと思ったんです。それに、写真を撮って絵にする自信がなんとなく何故かあったんです。カッコいいと思ってるから、カッコよく写るに決まってるだろ、みたいな。

なるほど。

ただ、最初は表面的な部分に興味があり、そこに捉われていたんですけど、それがドンドン離れていったというか。全然見た目が和人と区別がつかなくても、アイヌのひともいるわけです。そのギャップもまた重要っていうか、撮りたいって思うようになりました。

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写真集にも、一見アイヌのひとかどうか、わからないひとも登場します。

そうですね。アイヌのことを全く知らないひとが写真を見たときに「すごくアイヌっぽいね」って言うひともいるんです。実際に会ったことがないのに、それを言えるのは変だなって。おそらく何かしらの思い込みがあると思うんです。逆に見た目が和人っぽいひとの写真を見た途端「このひともアイヌなの?」みたいな感じになる。それを表現することも、すごく重要じゃないかって。

それは何がきっかけで気づくのですか?

やっぱり、アイヌのひとがアイヌとして生きていく覚悟を聞いたり、友達が涙流しながら話してくれた差別の話だったり、そういう話を聞くと、精神的なことに入っていくっていうか。見た目だけでアイヌって言われて、嫌な思いをしてきたひともいれば、見た目がアイヌっぽくないから、そういう体験をしてないひともいるわけです。でも同じアイヌとして活動していて、いろんな個人体験がバラバラにあるわけで、そういうのも全部表現したくなったんです。

では、最初は一般的なイメージの民族を撮りたくてアイヌを撮り始めて、そしたら、最初に考えていた民族としての写真は違うと気づき、そこにいるアイヌのひとりひとりに寄りそった体験を積み重ね撮影していったら、個人だけでなく集団としてのアイヌ、今のありのままの民族としてのアイヌも写したいって思うようになったってことですね。

そうですね。また、2016年に、八谷麻衣さんとの出会いも大きかったです。八谷さんは写真がすごく好きで、アイヌの〈ウポポ(伝承歌)〉を歌う女性ボーカル四人組のMAREWREW(マレウレウ)のメンバーなんですが「見た目がアイヌってわからないかもしれないけど、アイヌとして生きてるひとも撮りたい」と相談したんです。そしたら何人も紹介してくれて、撮影する機会ができて。この成人式の写真の彼女は、二風谷出身のアイヌのひとなんですが、いわゆる、みんなが想像するアイヌっぽくないひとですよね。この彼女は大学でアイヌの勉強してました。このときは、時間が限られていたので、がっつりコミュニケーションがとれなくて、これまでのルールを、ちょっと破ってはいるんです。

でも、写真を撮るタイミングは、それぞれで良いですよね。

そうなんです。写真を撮るポイントがコミュニケーションのMAXかっていうと、それはちょっと違うことにも気づいていって。例えば、仲良くなりすぎると、逆に写真が撮れなくなったりもするんです。写真集の表紙の写真にしても、徐々に仲良くなったときに、こういうアップの写真を撮りたいと自分の考えをはっきり伝えて、撮らせてもらったんです。一方で、弓の舞で、改めてポージングをとって撮らせてもらった写真があるんですが、それをお願いするのは、最初は失礼だなって思っちゃうから、いきなりは撮れないし。

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そういう意味では、池田さんの写真家としての技量も、ドンドン変化していったんですね。アイヌに見えるひとも見えないひとも同じようにアイヌであることには変わりがない。それが現実ですもんね。だからこそ、いろんなアイヌのひとたちを写したいって話ですよね。

当然、お互いの関係性や繋がりがないひともたくさんいるわけです。ただ、アイヌをこれまで撮ってきたひとたちって、繋がりのある人たちだけを撮っている印象で。自分は、それが嫌だったっていうか。和人がそんなことをするのは失礼かもしれないけど、複雑な人間関係も、ごちゃまぜにしちゃえみたいな感じはありました。

それが、池田さんがみたアイヌですからね。

そうなんです。それは、どうしても表現したかったことなんです。また、面白かったのは、写真集をみたアイヌのひとから、知らないアイヌがいるって言われて。これは、僕のなかでは、結構名誉なことだなって思ってて、そう言ってもらえたのが、本当に良かったって思います。

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