デートで失敗するたびにホラー写真を撮る男

1970年代ホラー映画のマナーを踏襲した作品をつくるアーティスト、ロバート・ヒッカーソンは、出会い系アプリでの失敗体験を恐ろしげなイメージに昇華させて提示する。何を隠そう、ヒッカーソンは、出会い系アプリで失敗を繰り返したクチだ。

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jan 1 2018, 7:19pm

1970年代ホラー映画のマナーを踏襲した作品をつくるアーティスト、ロバート・ヒッカーソン(Robert Hickerson)は、出会い系アプリでの失敗体験を恐ろしげなイメージに昇華させて提示する。何を隠そう、ヒッカーソンは、出会い系アプリで失敗を繰り返したクチだ。しかし、彼は、映画監督のダリオ・アルジェント(Dario Argento)、ジョージ・A・ロメロ(George Romero)たちの凄惨な映画技法を発見し、彼の孤独や疎外感を、恐怖とカタルシスに結びつけた。

ヒッカーソンは、日々の記録を、1年の大半を費やし、見栄え良く、よりリアルに、より馬鹿げた、野心的なプロジェクトに進化させた。、最終的に、彼は、登場キャラクターの名〈アダム(Adam)〉に扮した。ホラー作品には、開始30分で絶対に殺される登場人物がいるが、アダムは、そんな登場人物を象徴するかのようなキャラクターだ。しかし、写真のなかのアダムは、恐怖に顔を引きつらせているのではない。自らの恋愛事情に落胆しているのだ。

デートが大失敗に終わっても世界は終わらない。しかし、デート後に「ああ、もう人生終わりだ」と落ち込むことはある。そんな経験について、ヒッカーソンはどう捉えているのだろう。

ホラーは、好き嫌いが極端に分かれるジャンルです。作品に暴力、ゴア的要素を取り入れることについては、どのように考えていますか?

本シリーズを始めるにあたって意識したのは、とにかくうまくやること、リアルな義肢づくり、ホラー映画のようなヴィジュアルにすることです。私は、昔からホラー映画が大好きで、特に初期の悪趣味な、笑えるけれど、嫌な気分にさせてくれる作品が好きです。自分でもそういう雰囲気の作品をつくりたかったんです。ホラーが他のジャンルと違うのは、直接的な例えが可能なところです。ドス黒い内面を、実際の悪魔に見立てて、作品を成立させることができます。

何人かとデートを繰り返した私は、ひどく傷ついていました。その傷を、本気でふざけた手法で表現したかったんです。ホラー映画の手法を利用すると決めましたが、私が見せるのは結果だけで、いったいどうしてこうなったのか、というところは見せていません。義肢は自分でつくりました。材料は紙と発泡素材です。だから、骨や肉はフェイクっぽく見えますよね。目的は、ふざけた感じやユーモアの強調でした。ただ、テーマから、それをどう表現するかまで、細かく調整しています。私たちは、常に暴力的なイメージにさらされているので、正直鈍感になっていると思うんです。なので、失恋や、色恋にまつわるイライラなどといったしょうもないことを、ゴアな表現でかたちにするのは理にかなっているはずです。

最悪のデートと古典的ホラー映画には、どんな共通点があるのでしょう?

デートで、自分が知っている誰かといっしょに、あるシチュエーションにおかれる、という状況がホラー的です。私にとって大事なのは、ホラーは、独自のルールと慣習からなるひとつの〈言語〉として機能する、ということです。デートすれば、楽しくてもフラストレーションが溜まるし、楽しくないときは当然退屈です。他人と会い、時間をともにするというプロセスについて、そして、デート相手が自分と時間を過ごしたくないと気づいたときに生じる、自己嫌悪や自信喪失について語るための言語として、ホラー映画を使いたかったんです。

いちばん恐ろしかったデートについて教えてください。

最悪だったのは、文字どおり無趣味、無関心の相手とのデートです。ネット上で会話しているときも、実際に会ったときも、とにかく興味をもってもらえそうな事柄の提案に時間を費やしました。

本シリーズの制作の際、どの映画作品、映画監督を参照しましたか?

このプロジェクトを始めた当初は、ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』(Suspiria, 1977)に大いに影響を受けていました。この作品をきっかけに、ジャッロ映画に興味をもつようになりました。特にアルジェント監督の全作品、あとはマリオ・バーヴァ(Mario Bava)作品ですね。あとはジョージ・A・ロメロ。特に『クリープショー』(Creepshow, 1982)あたりの作品を参考にしました。ロメロ監督の光の使い方がすばらしいんです。あとは作品だけでなく、ホラー映画のポスターもたくさん参考にしました。ポスターは、最近、また人気が出てきましたよね。『フライトナイト』(Fright Night, 1985)や『顔のない眼』(Les Yeux sans visage, 1960)のポスターは特にすばらしく、ヴィジュアルのクオリティも高いので、今回のシリーズで再現を試みました。

映画以外では、スー・デビアー(Sue de Beer)の作品。彼女は、素晴らしいインスピレーション源です。彼女の初期のゴア写真におけるエフェクトの使い方や、その裏にあるユーモアには衝撃を受けました。ファインアートの文脈においては異端である彼女の視点は、新たな地平を切り拓いています。

あとはマーク・ロスコ(Mark Rothko)の色彩にもインスパイアされました。彼の作品で確立された、乾いたモダニズムを土台にして、ホラー作品をつくったら面白いのでは、と閃きました。

どうして映画ではなく、写真というメディアを選んだのでしょうか?

ホラー映画をつくるのもおもしろいでしょうが、このプロジェクトで、ストーリーを語るつもりはありませんでした。暴力行為のいち部始終を映像で記録する、というよりも、失恋の惨状を切り取ることのほうが重要でしたから。行為者としての〈悪者〉をつくらなかった理由もそこにあります。私が表現したかったのは、落ち込んだり、うんざりしたり、そういう心理状態におかれることについてですから。あと〈血まみれ〉も忘れてはいけません。

良かれ悪しかれ、ホラー映画は70年代から変化したのでしょうか?

70年代のホラー映画では、過激な暴力をとおして、政情不安を描く作品が多かったと思います。しかし、それ以来の作品では、とにかく過剰な暴力のみが目立つ。もちろん、私は、悪趣味なゴアも大好きです。ただ、謂れなき暴力など、あまりに残虐なシーンが多すぎると逆に冷めてしまいますね。ニューフレンチ・エクストリーミティー(New French Extremity)で希望が見えたかと思いきや、その後、米国映画のリメイクと、社会問題とは全く関係ない、ただショッキングなだけの作品が濫造されました。しかし、現在は、社会問題に取り組むホラー作品が増えているようです。いい傾向ですね。

本プロジェクトの今後を教えてください。

作品集や展覧会としてカタチにしたいです。さらに巨大な、精巧なセットを準備して、小道具も精緻につくりたいですね。動画作品にする可能性もあるでしょう。2018年の状況次第ですね。確かなのは、必ず血が流れることくらいですかね。

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