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ミャンマー・メタル短期集中講座

自称〈国内唯一のブルータル・デスメタルバンド〉SENANGA PRIVUTAのヴォーカル、アウン・チャ・ジンが活動するのは、世界で最も歴史の浅いメタルシーンだ。彼によると、ヤンゴンにメタルシーンが誕生してから、ほんの10年足らずだという。ヤンゴンのメタルヘッズの知名度は、パンクスやラッパーほどではなく、まだ、侮辱の対象になるほどではない。

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mar 18 2018, 8:45pm

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ミャンマーは、現在、いろいろな意味で世界中から注目されている。1990年、軍事政権が総選挙の結果を無効とし、民主化勢力を率いるアウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)を長期間の自宅軟禁に処した。2015年の総選挙では、スーチーの国民民主連盟(National League for Democracy, NLD)を含む主要政党が揃ったが、それは1990年以来、初めてのことだった。その後、ミャンマーでは民主化が進み、世界からの広範な投資、表現の自由、国境を越えた文化協力に、門戸が開かれた。

一方、ミャンマー国民として認められていない、イスラム教徒少数民族〈ロヒンギャ〉に対する深刻な人権侵害、いわゆる〈ロヒンギャ問題〉が世界でも大きく報じられている。現在、国家顧問、外務大臣、大統領府大臣を兼務するアウンサンスーチーは、1991年、ノーベル平和賞を受賞したものの、ロヒンギャ問題に関する積極的な対応や発言を控えているために、世間から非難されている。虐殺を逃れたロヒンギャは、現在、ミャンマーを脱出し、目に見えた解決策や救済策も提供されないまま、バングラデシュ難民キャンプで、苦しい生活を強いられている。

そんなミャンマーだが、もちろん、同国にもサブカルチャーはある。他国と同じく、悪化する情勢に大声で抗うのは、アンダーグラウンド・カルチャーの面々だ。しかし、叛意を表するアーティストや活動家に、身の危険が迫ることもある。そんな情勢だからこそ、パンク・スピリットに本来内包されていた、反権威主義的精神が爆発するのだろう。旧英領のミャンマーに民主主義を取り戻すきっかけのひとつになった、2007年のミャンマー反政府デモ(サフラン革命)の頃にバンドを結成したパンクスもヤンゴンにはいる。そんなパンクスも含むヤンゴン・パンクスは、『My Buddha is Punk』などのドキュメンタリーをきっかけに、世界的にも有名になった。

Photo courtesy of Ninety-Six Production

チョウ・チョウ(Kyaw Kyaw)として有名な、この映画の中心人物のひとり、REBEL RIOTのヴォーカル/ギター、チョウ・スー・ウィン(Kyaw Thu Win)は、ヤンゴン・パンクシーンのなかでも物議を醸す存在だ。彼は、僧服に身を包んだ写真を公開するなどして、パンクカルチャーと仏道の融合を目指している。僧服写真には、原理主義的仏教徒から批判が集まったので、チョウ・チョウが謝罪すると、パンクコミュニティから反発の声があがるという、いわゆる〈痛し痒し〉状態に陥っている。

しかし、内輪でどんな問題が起ころうとも、チョウ・チョウや、パンクバンドSIDE EFFECTのヴォーカル、ダーコ・C(Darko C.)を始めとするパンクロッカーたちは、ロヒンギャへの軍事攻撃に対する抗議行動に熱心だ。

ヒップホップシーンも盛り上がっている。ミャンマー・ヒップホップの歴史は80年代後半にさかのぼり、同シーンは、かつてはパンクの宿敵だった。灼けるように暑い土曜日、ヤンゴンのマハバンドゥーラ公園で出会った、エンジニアリングを学ぶ、自称ラッパーのジョナサン(Jonathan)によると、今でもヤンゴンでは、パンクスとラッパーが顔を合わせれば、即ケンカに発展するそうだ。ジョナサンは、レザーやスタッズに身を包んだパンクスについて「不潔だし、下品だ」と吐き捨てる。パンクスのなかには、背中のパッチのバンドについて何も知らない、音楽に興味がないような、ファッション重視のパンクスもいるらしい。「遭遇したら殴り合い」とジョナサンは荒ぶる。

長らくパンクやヒップホップの話をしてきたが、私がヤンゴンに来た理由は、実はミャンマーのメタルシーンについて知るためだ。自称〈国内唯一のブルータル・デスメタルバンド〉SENANGA PRIVUTAのヴォーカル、アウン・チャ・ジン(Aung Kya Zin)は、パンクVSヒップホップ抗争について、異なる見解を持っている。彼によると、国内のインターネット・アクセスが上昇し、ケンカの現場は、ストリートからソーシャルメディアへ移ったという。

Maze of Mara / Photo courtesy of Ninety-Six Production

「今、彼らはネット上でケンカしてる」とアウン・チャ・ジン。

アウンが活動するのは、世界で最も歴史の浅いメタルシーンだ。彼によると、ヤンゴンにメタルシーンが誕生してから、ほんの10年足らずだという。時折、意見の不一致から諍いが起こることはあれど、ヤンゴンのメタルヘッズの知名度は、パンクスやラッパーほどではなく、まだ、侮辱の対象になるほどではない。そもそも、METALLICAはファッションブランドではない、と知っている音楽ファンを見つけるのさえ困難だ。

ヤンゴンの外にまだメタルは広まっていないが、同地に数ヶ所しかないギグができるヴェニューのなかでも、7番ストリートの〈Pirate Bar〉では、パンクスとメタルヘッズが集い、仲良くたのしんでいる。ダーコ・Cがミャンマー代表コーディネーターを務める国際非営利組織〈Turning Tables〉が主催する移動フェス〈Voice of Youth〉は、〈Pirate Bar〉のヴァイブスをミャンマー全土に広げようと奮闘している。〈Voice of Youth〉では、パンク、ヒップホップ、ダンスミュージック、メタル、すべてが同等で、ステージにジャンルの制限はない。

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ミャンマー・メタルは、国外ではまだほとんど知られていない。チャイナタウンの19番ストリートで、バーベキュー串とコオロギ揚げをつまみながら、アウンと、ブラックメタルバンド〈JEKSETRA〉のギター、エル・ミェット・ボム(Yel Myat Bhome)から、彼らが生んだヤンゴン・メタルシーンについての短期集中講座を受けた。

SENANGA PRIVUTA

DISGORGEやGORGASMのようなバンドが産み出したデスメタルのスタイルといえば、高度なテクニックよりも、粗暴なチャグだ。SENANGA PRIVUTAを始め、東南アジアの多くの地域で、たくさんのバンドがこのサウンドを追求し、オリジネイターたちのヴァイブスを完璧に再現している。

ブルータル・デスメタルがこの地域で、これほどの広がりを見せているのはなぜだろうか? 暑さや湿気のせい? あるいは圧政がはびこり、公権力の暴力が罷り通る政治的状況のせい? 台風、噴火、洪水、津波などの自然災害に常に脅かされているから? きっと、これらすべてが、ブルータル・デスメタルの需要につながっているのだろう。私たち人間なんて忘却の彼方に猛スピードで吹き飛ばされていくだけの存在であり、広大な宇宙の時間のなかであくせく動き回る無意味な塵に過ぎない、という事実、そんな、情け容赦ない人生の本質を、ブルータル・デスメタルは反映しているのだ。SENANGA PRIVUTAは、人間の宿命を奏でるサウンドを発見し、ブルータル・デスメタルバンド第1世代として、ミャンマーの肥沃な土壌に種を蒔いている。今や定番でもあるメタルのサブ・ジャンルに新たな文化的解釈を加えるために、SENANGA PRIVUTAは、過去の悪行のために業を背負った〈餓鬼〉を歌詞のテーマに据えたりもする。

JEKSETRA

凍てついた極北の地では、目新しくも何ともないブラックメタルだが、うだるように暑く保守的なミャンマーでは、とてつもなく先駆的だ。ヤンゴンのブラックメタルバンド〈JEKSTRA〉は、スカンジナビアの伝統を、ロウでプリミティブなまま受け継いでいる。メンバーによると、現在、バンドのサウンドは、より暗く、陰鬱に深化しつつあるという。JEKSETRAの中心メンバーは、固定メンバーでの活動を目指しているものの、北欧でのブラックメタル黎明期同様、同ジャンルが陰鬱で孤立したアウトサイダーのための、暗黒怪奇な音楽とみなされている状況では、困難を極めざるを得ない。

LAST DAYS OF BEETHOVEN

LAST DAYS OF BEETHOVEN(以下LDOB)は、メタルコアが盛り上がるミャンマーで、同国の外では鳴りを潜めてしまったジャンルで存在感を示している。メタルコア・ムーブメントのなかでもデスコアの影響が色濃いLDOBは、ヤンゴンのシーンで有数の人気バンドだ。2014年に〈Myanmar Music Award〉の最優秀メタルソング賞を受賞し、2017年の〈Voice of Youth〉では熱狂的な観客を前にプレイした。

楽曲のなかには、テクニカルなリズムチェンジとジェント的アクセントが散りばめられている。異なるスタイルをなんとか融合しようと苦闘するバンドが大多数を占めるシーンのなかで、このバンドは、何事もなかったようにそれをやってのける。ミャンマー・シーンにおいて、LDOBは、突然変異なのかもしれない。

NIGHTMARE

LAST DAYS OF BEETHOVENよりも、よりダイレクトなメタルコア的アプローチのNIGHTMAREは、ヘヴィネスとキャッチーさの融合に挑んでいる。クリーンなヴォーカルからデスヴォイス、クリーン・トーンからディストーションに転開する、王道を踏襲している。2014年の《Phyit Pyat Khae The》は、KILLSWITCH ENGAGEへの遠回しなオマージュだが、〈Parasite〉などの楽曲は、甘さなどいっさいなく、完全にブルータルな仕上がりだ。ミャンマーのメタルキッズたちにとって、ブレイクダウンが全てだ。スラム・ダンスができて、モッシュできるスペースがあれば、万事OKだ。

BLOOD OF CENTURY

ミャンマー・メタルコアシーンのもうひとつの重要バンドである〈BLOOD OF CENTURY〉は、ALL THAT REMAINSやSHADOWS FALLSのような、2000年代初期にシーンを席巻した米国の先駆的バンドと同じようなルートを進んでいるが、同時に、BETWEEN THE BURIED AND MEのテクニカルな面をさらに捻ったような雰囲気もある。この4ピースバンドは、YouTubeに3曲EPをアップし、2017年半ばにはヤンゴンのスタジオで、フルアルバムのリリースに向け、数カ月にわたるレコーディング期間に入った。フェスや、ライブハウスでの演奏の合間をぬって、ベース、ギター、ドラム、ヴォーカルをレコーディングしている。観客数と反応が成功の証とするならば、BLOOD OF CENTURYのこれまでのライブ映像から、彼らが国内のファンに愛されていることがわかる。暗い窮屈なクラブから、高速道路の下まで、彼らはどんな場所でもステージにしてしまう。

MAZE OF MARA

LACUNA COILとTHE AGONISTらが牽引したメタルコアを志向する〈MAZE OF MARA〉は、ヒットチャートにランクインするような欧州バンドのサウンドを意識し、ハードロックをベースとしたキャッチーな楽曲をつくっている。AVENGED SEVENFOLDのアコースティック・バラードのような〈Stay Strong Beautiful〉などの楽曲では、デスヴォイスを完全に封印し、一般のラジオリスナーにもアピールしている。ジー(Zee)のヴォーカルの音域は広く、情熱に溢れている。ステージの大小を問わず、彼女は、バンドの核心を担っている。

SELF BUTCHERED

ヤンゴン周辺でメタルコアが盛り上がり、何らかの逆流が起こるだろう、と予想されていたなかで現れたのが〈SELF BUTCHERED〉のスラミングなブルータルサウンドだ。プロデューサー/バンド・マネージャーのエリック・リン(Eric Lin; ヤンゴンで急速に広がるデスメタルシーンの立役者)のディレクションのもと、GOREPOTやMYOCARDIAL INFARCTIONなど、アジアの同胞たちが得意とするピッグスクイール、重低音ドラム・プログラミングを取り入れたプリミティブなスラム野郎どもは、スラム系ブルデスのオリジネイター、DEVOURMENTの、一度聴いたら耳にこびりついて離れない〈Babykiller〉を、より強固にしたかのような音をならしている。SELF BUTCHEREDのサウンドは、決して革新的ではないが、それでいいのだ。ときに、メタルヘッズは、然るべきスラム感を欲する。多くのミャンマー・メタルバンドと同様、SELF BUTCHEREDは、自ら選択したスタイルを代表する孤高の存在として、燦然と輝いている。

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