ガス室へ向かう途中 ナチスを撃ったバレリーナ

死を目前にした状況で、人間は何ができるだろう。運命を受け入れるか、それとも最期の瞬間まで闘い続けるのか。アウシュヴィッツ収容所のガス室に向かうポーランド系ユダヤ人ダンサー、フランセスカ・マンの答えは、すでに決まっていた。

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29 januari 2018, 2:56pm

(左)フランセスカ Wikimedia Commons (右)ナチ党の有力者たち courtesy of the US National Archives and Records Administration

死を目前にした状況で、人間は何ができるだろう。運命を受け入れるか、それとも最期の瞬間まで闘い続けるのか。アウシュヴィッツ収容所のガス室に向かうポーランド系ユダヤ人ダンサー、フランセスカ・マン(Franceska Mann)、もしくは、フランシスカ・マノナ(Franciszka Mannówna)の答えは、すでに決まっていた。

フランセスカ・マンは、稀有な才能に恵まれた美しいダンサーだった。数々の名高い公演やコンクールに参加し、1939年5月の〈The Brussels International Dance Competition〉では、第4位に輝いた。ワルシャワのナイトクラブ〈Melody Palace〉で定期的に踊っていたフランセスカは、第二次世界大戦勃発後、ワルシャワ・ゲットーに隔離され、キャリアを絶たれた。1943年、彼女は、ポーランド国外へ移送される。この出来事は、外国のパスポートで南米へ逃れようとしたユダヤ人が罠に嵌められ、アウシュヴィッツ収容所に移送された〈ホテル・ポルスキー事件〉とも関連していたという。

ある報告によると、ユダヤ人たちは、スイスとの国境を越える前にブルガウで消毒が必要だ、と告げられ、ガス室の隣の脱衣室に通された。その後の彼女の行動については諸説あるが、最もセンセーショナルな説は、ホロコーストの歴史学者、シンシア・サザン(Cynthia Southern)の主張だろう。サザンによると、フランセスカはストリップショーのように服を脱ぎ、いやらしい目つきで眺めていた監視員、ヨセフ・シリンガー(Josef Schillinger)とウィルヘルム・エメリッヒ(Wilhelm Emmerich)を挑発したという。彼女は、ふたりの前でスカートを捲り上げ、誘惑するようにブラウスを脱いだ。

その後、フランセスカは、片方の靴でシリンガーの額を殴りつけ、彼のポケットから銃を引き抜くと、腹を2発撃って殺害し、エメリッヒの片足にも1発撃ち込んだ。誰も逃げられなかったものの、脱衣室にいた他の女性たちも暴動に加わったようだ。

2017年11月、Twitterユーザー、@xnulzが「テイラー・スウィフト(Taylor Swift)以上に大胆なビッチは?」という質問への、@moviehistoriesによるフランセスカ・マンについてのツイートは、3万5000回以上もリツイートされ、あらゆる歴史上のヒロインを賞賛するおびただしいレスポンスのなかでも飛び抜けた人気を博した。しかし、このアカウントが提供したのは、果たして、客観的かつ信頼に足る情報なのだろうか。物語の全貌を把握するため、アウシュヴィッツ研究の権威、著作家、教授、歴史学者のロバート・ヤン・ヴァン・ペルト(Robert Jan van Pelt)博士に確認した。

「1943年10月のある日、脱衣室で何が起きたのか、真実を解き明かすのは非常に困難です」と博士。「移送された収容者たちが暴動を起こしたのはわかっています。1943年12月のドイツの文書によると、暴動の鎮圧に貢献した2名のナチス親衛隊員、ルドルフ・グリム(Rudolf Grimm)とフリッツ・ラックナー(Fritz Lackner)が勲章を授与されたそうです。しかし、その文書は、暴動の内容には触れていません」

ヴァン・ペルト博士によると、鍵を握る記録は3つある。イェジ・ウェソロスキー(Jerzy Wesoloski、別名タボ:Tabeau)は、アウシュヴィッツから脱走したあとに作成した報告書のなかで、事件に言及している。この報告書は、1944年末、〈War Refugee Board〉が作成した「アウシュヴィッツ議定書」(The Auschwitz Protocols)のいち部として公開された。彼の報告書の要点は、女性たちが自ら身を守ったこと、〈シラー〉(Schiller)という親衛隊員が亡くなったことだ。リボルバーを奪った女性の身元は明かされていない。

「アウシュヴィッツ収容所所長だったルドルフ・ヘス(Rudolf Höss)は、暴動を起こしたのは女性だ、と英兵に捕えられた直後の1946年3月14日に話しています。しかし、詳細は明かしていません。1945年4月にポーランドで作成された宣誓供述書には、ある女性が遺体焼却を担当していた監視員ウォルター・クァケルナック(Walter Quackernack)のリボルバーを奪ってシリンガーを撃った、とスタニスラフ・ヤンコウスキー(Stanislaw Jankowski)による証言が残っています」

アウシュヴィッツで生き残った子どもたち Photo via Wikimedia Commons

問題の女性がフランセスカ・マンだったとは断言できないが、彼女がダンサーだったかもしれない、という説を考えれば、先の証言の信憑性は増す。「その女性がダンサーだったかもしれない、と指摘したのは、私が知る限り、1946年、ホロコーストの生存者で歴史学者のオイゲン・コーゴン(Eugen Kogon)が最初です。彼がいたのはアウシュヴィッツではなく、ブーヘンヴァルト収容所でしたが」と博士。

真実の解明は困難だが、その日、勇気あるひとりの女性が抵抗の口火を切ったのに間違いはない。アウシュヴィッツの生存者、ヴィエスロフ・キーラー(Wiesław Kielar)は、手記『Anus Mundi: Five Years in Auschwitz』に記している。「この出来事は、口づてで広まり様々に脚色され、伝説となった。逃れようのない死に直面した、か弱い女性の勇敢な行動が全収容者の心の支えになったのは、間違いない。私たちは、この出来事をきっかけに、連中に思い切って手を上げたら殺すこともできる、と気づいたのだ。連中もまた、いずれは死ぬ人間なのだから」

フランセスカの物語は、他の偉大な伝説と同様、フィクションのなかで生きている。1964年、アルノシュト・ルスティク(Arnošt Lustig)による小説で、翌年映画化された『少女カテジナのための祈り』(Modlitba pro Kateřinu Horovitzovou)は、戦時中のイタリアで、ドイツ当局に、身代金目当てに捕らえられた若きダンサーの物語だ。彼女は、自らの死を悟ったあと、ガス室のドアの前でふたりの監視員を撃つ。さらに、アウシュヴィッツの生存者、タデウシュ・ボロフスキ(Tadeusz Borowski)の小説『皆さま、ガス室へどうぞ』(Pożegnanie z Marią)のなかの短編『The Death of Schillinger』には、魅力的な女性に出し抜かれ、自身の銃で腹を撃たれる監視員が登場する。

事実にしろ創作にしろ、これ以上に〈大胆な〉女性はいないだろう。

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