VOID 初期D.C.シーンの異端悪ガキ最強短パンコア

初期ワシントンD.C.のハードコア・シーンにおいて、超異端の存在であったVOID。まわりが眉間にシワを寄せ、熱い拳を握りしめていたときに、ギリギリ短パンで飛び跳ね、VAN HALENを愛し、そしてビールを美味しそうにゴクゴク。

|
07 september 2015, 2:43am

初期ワシントンD.C.のハードコア・シーンにおいて、超異端の存在であったVOID。だってまわりが眉間にシワを寄せ、熱い拳を握りしめていたときに、ギリギリ短パンで飛び跳ね、VAN HALENを愛し、そしてビールを美味しそうにゴクゴク(もちストレートエッジではなーい)…そんなバンドだったんですからね。でも誰からも憎まれず、愛されていたのがVOID。勉強が出来るわけじゃない。スポーツもそれほど得意ではない。だからといって不良になるワケでもない。でも喋りとかセンスとか鋭くて面白いヤツって必ずいるじゃないすか、イタズラ好きで。それがVOID。自分たちの欲求のまま、やりたいことやって、やり終えたらサッサとやめちゃう永遠の中学生。そこにはシーンの流れだとか、成功だとか、そんなのまったく関係無い、己のためのハードコアがありました。それって最強の基本ですよね。

このインタビュー中にもありますが、ネット上にゴロゴロ転がっている彼らの未発表アルバム『Potion for Bad Dreams』をぜひ聴いてください。やりたいことはあるんだけど、まだそこまで消化できておらず、じゃあこのアイデア入れよう…ってやったらもっとおかしくなって、更に上塗りまでキメちゃうことによりとんでもない次元に突入しちゃったアルバム。現役バリバリのガキ・エキスが詰まった最強の中途半端アルバムなんです。聴いたらアナタも愛しちゃうよ、VOIDのことを!

ワシントンD.C.のハードコアバンドVOIDは、メタル界におけるMOTÖRHEADのようなものだ。誰もが彼らのTシャツを着て、ジャケットの背中にパッチを縫い付け、「昔っからこのバンドが一番好きだったんだよね」と、高らかに宣言する。ところが、バンドの曲をひとつ挙げてくれと頼むと、たいていの人間は、「グーグー…」と唸るだけ。でもそんな人間を責めることが出来るだろうか?

1980年に結成したVOIDは、ハードコアがきちんと統制され始めた頃に、その調和に対して堂々と中指を突き立てた変わり者バンドだった。ディスコード・レコードからリリースした15曲を聴けば、それらが自らのカタルシスの苦しみから生まれたのは明らか。あらゆる意味で、彼らはハードコアの真のエッセンスである。才能と腕があるとは言えない4人の悪ガキたちが、最もストレートな方法で自己表現をしていたのだから。

VOIDは1983年に解散してしまったが、伝説的なエピソードの数々と、『Potion for Bad Dreams』という、とんでもない未発表のアルバムを残してくれた。何年もの間この作品は違法コピーされ続け、未だ正式にリリースされていない。私は、この謎についてずっと知りたいと思っていたので、現在は北カリフォルニアに住むVOIDのベーシスト、クリス・ストーヴァーを捕まえて訊いてみた。彼はとても親切に答えてくれた。

あなたはどのようにパンクロックや、ワシントンD.C.のシーンに入って行ったのですか?

きっかけはメリーランドのBOLLOCKSというバンドが作ってくれた。彼らはボルチモアのオド・フェローズというところで演奏していたんだけど、どういうわけかTEEN IDLESに前座をやらせていた。あれは本当に衝撃だったよ。TEEN IDLESは、まるでバイクに乗ったギャングのようにすごい勢いで演奏を始めた。確かカリフォルニア・ツアーから戻ってきたばかりだったので、ブーツにバンダナを巻きつけたり、ハンティントン・ビーチっぽい服装をしていたっけ。彼らの演奏にその場は大混乱になった。パンクロックのことは分かっているつもりだったけど、一瞬にして、「いったいこれは何なんだ?」って思ったものさ。

そのショーの後、僕らは友達になり、ワシントンD.C.までいろいろなショーを見に出かけるようになった。そこでは新しくてクレイジーなことが起こっていて、僕もそこに入りたいって思ったんだ。それまでスケートボード雑誌などを読んで、こういうことはカリフォルニアで起こっているものだと思っていた。こんなに近いところで、こんな事件が起こっているとは知らなかったんだよ。

BOLLOCKSの名前が出てビックリしました。私は、1983年に近所のショッピングモールで、彼らのシングルレコードを買ったんですよ。私は12歳でした。彼らのことは、あまり知らないままなんですが、彼らはTEEN IDLESと同時期に活動していたということでしょうか?

ああ、そうだよ。

となると、彼らがアメリカのハードコアの歴史において、まったく語られていないことが余計に謎ですね。あの時期にD.C.シーンにいて、レコードまで出していたのに。彼らがどうしてディスコードの一部としてもっと語られないのか、いつも不思議に思っていたんです。

分からないね。彼らはみんな兄弟で、最終的にLAW & ORDERという別のバンドに派生していった。そこまでは知っている。彼らは自分の道を歩んだということなんじゃないかな。

どのようにして当時のバンドを知ったのですか?

メリーランド州コロンビアに住んでいたんだけど、雑誌を読んでいたからね、ある程度のパンク・バンドは知っていた。999、THE DAMNED、DEVOとかね。でもそのあとイアン・マッケイ、ヘンリー・ロリンズ、バート・クエイロス(UNTOUCHABLES、YOUTH BRIGADE、DOUBLE O、SECOND WIND、MEATMEN、RAIN)らと交流を持つようになって、もっと色々知るようになる。とりわけバートは、僕を音楽漬けにしてくれたよ。彼の家で何時間も過ごして、テープを作ってもらったりね。SHAM 69とか。すごく速いスピードで、バンドを知っていったんだ。

VOID結成のきっかけはなんだったのでしょうか?

最初にさっき言ったTEEN IDLESがあって、そのあと本当に目を開かせてくれたのは、D.C.スペースでのショーだったね。確かMINOR THREATの最初のライヴで、さらにS.O.A.も最初のライヴ、同時にUNTOUCHABLESの最後のライヴだったと思う。「Unheard Music Festival」というイベントだったよ。それを観て、ショーン(・フィネガン。VOIDのドラマー)と「俺たちもバンドを結成しなきゃ」と思ったんだ。

でもそれ以前…1979年頃かな、僕はブッバ(・デュプリー。VOIDのギタリスト)とジャムをするようになっていたんだ。そのときのドラマーが練習をすっぽかすんで、それでショーンを試してみた。あとジョン(・ウェイフェンバック。VOIDのヴォーカリスト)も、僕らの友人だったんだけど、ある日、帰宅中のバスで、彼がいつものようにうるさく騒いでいるので、「お前はうるさくて狂っている。歌手にでもなったらどーだい」なんて言ってたんだよ。でも、僕らが真剣に音楽に取り組むようになったのは、「Unheard Music Festival」の後さ。

D.C.のバンドなので、あなたたちはストレートエッジ・バンドだと思われていたのではないですか?そんな状況に怒りを感じていたとか。

いや、それはなかったね。ツアーを始める頃までに、僕らはストレートエッジから離れていたから。CBCB’sで初めて演奏したときは、まだストレートエッジだったんだけど、ニューヨークのロック・ホテルで演奏する頃になると、僕らはビールを煽っていたよ。ブッバだけは、バンドの歴史のほとんどをストレートエッジで貫いたけれど、ショーンと僕は1年だけ、ジョンは決してストレートエッジにはならなかったね。

初期のニューヨークのハードコアに関わった人たちは、VOIDだけがD.C.のバンドで偉そうにしていなかったと言っています。あなたたちは、地に足が着いていて、落ち着いていたということでしたが。

そんなことないよ(笑)。初めてCBCB’sで演奏したとき、僕らはニューヨークまで電車に乗って行ったんだ。でもCBCB’sがどこにあるのかも知らなかった。グランド・セントラル駅で降りて、「さて、ここはどこだ?」って感じだったんだ(笑)。そしたら駅の外にハードコアっぽい男が立っていた。お互いをチラチラ見ていたんだけど、やがて僕らは彼に歩み寄って、「僕らは演奏をするんだけど、CBCB’sはどこか知ってる?」って尋ねたんだ。するとその男は、「俺もそのショーに行くんだ。一緒に行こう」って、案内してくれた。彼はANTIDOTEのシンガーの友だちで、僕らは一緒に時間を過ごしたよ。楽しかったな。あそこにいる人たちは、みんな最高にクールだったね。

あなたたちの伝説を聞きました。あるニューヨークでのショーのとき、最初の曲を30秒ほど演奏した後に、ジョンがステージからダイヴしたら、誰も彼を受け止めなかったので、彼は脚の骨を折り、そのままライヴは終了になったって話です。本当ですか?

30秒ではないね(笑)。彼がケガするまでに2曲と半分くらい歌ったと思う。いつものように、彼はちゃんと動きをコントロールしていたんだけど、ある瞬間、身体があっちの方向だったのに対し、右膝より下は反対の方向に行っちゃったんだ。僕はずっと見ていたんだけど、すごく不自然な形だったよ(笑)。で、ジョンは倒れ、僕はブッバに「受け止めろ!」って言ったんだけど間に合わなかった。救急車と警察が来たんだけど、彼らは冷たかったね。僕らはまだガキだったから、家出してきたと思ったみたいで、変な質問をたくさんしてきた。なんとかして僕らを捕まえたかったみたい。とにかく、僕らしっかり2曲演奏したことだけは間違いないよ。

ジョンがケガをしたとき、あなたたちは、VAN HALENの「Unchained」を演奏をしていたと聞きました。

いや、それも嘘だ(笑)。僕らは断じて「Unchained」なんてやっていない。僕らがVAN HALENで好き好きなのは「D.O.A.」だ!あれは2度ほど演奏したことがあるね。

初期のハードコア・シーンにおいて、VOIDが最もユニークなバンドであったことは、言うまでもありません。あなたたちは、意識してアプローチしていたのでしょうか?それとも偶然?

意図したことではなかったよ。あれが僕らのスタイルだったんだ。コンピレーション『Flex Your Head』や、FAITHとのスプリットアルバムを聴けば、僕らが変革の途中であり、ブッバが殻を破ろうとしていたのがわかると思うよ。それより2011年に出た『Sessions』のようなデモ・コンピレーションでは、ブッバもまだ狂ったギターを弾いていないし、音ももっとストレートだった。僕らは変わっていったんだ。

同感です!私も、初めて初期VOIDのデモを聴いたときは、あまりにストレートだたので、ショックを受けたんです。まるでCIRCLE JERKSみたいでしたよ。

そのとおり!その後、イアン・マッケイが僕らをサポートしてくれたから、変わることができたんだ。彼は僕らにクリエイティブなエネルギーを与えてくれた。そしてブッバには、「曲の終わりまでずっとワイルドであり続けろ」と言っていたよ。

FAITHとのスプリットアルバムは、イアンが決めたことだったのですか?あなたたちは、FAITHのメンバーと仲が良かったのですか?

うん。あれは最初からスプリットアルバムになると決まっていたんだ。僕らはアルバム1枚を作れるほどの曲を持っていなかったし。10インチ・シングルにするというアイデアもあったけどね。

FAITH 以外で、アルバムをシェアしたかったと思うD.C.のバンドはいましたか?

ノー。僕たちは、「ただ関わっていられるだけで幸せ」って思ってた。よく考えると稀なバンドだったね。「君たちのショーに出て欲しいって?もちろん!ありがとう!!」って感じだったんだ。僕らは誰とでも仲良くなったし、何も気にしていなかった。来るものはなんでも受けたし、時には出来ないのに、受けてしまったショーもあったよ。D.C.のザ・チャンセリーで開かれたショーのフライヤーに、ばっちり僕らの名前が載っているんだけど、ブッバがパパとママから外出を許されなかったせいで、演奏できなかったんだ(笑)。

Photos courtesy of Chris Stover

VOIDの後期についてもお聞きしたいと思います。ブッバが、MÖTLEY CRÜEのTシャツの上にメッシュのシャツを着て、グラムロック風の格好をしている頃のことです。

ブッバがあれをやるずっと前に、僕はブライアン・ベイカー(MINOR THREAT)からそのアイデアをゲットしていたんだ。初期のMINOR THREATのライヴで、彼がAC/DCのTシャツを着ているのを見て、僕はテッド・ニュージェントのヘソ出しTシャツを着てやろうと決めたんだから(笑)。ま、ブッバに先にやられたんだけど、とにかく中盤から解散までの間、VOIDの音楽に対する興味は、変わり続けていたんだ。ブッバはMÖTLEY CRÜEやHANOI ROCKSみたいなハードロック、グラムロックに傾倒し、ショーンはヒップホップに夢中。で、僕はいつもMOTÖRHEADだった。だから30秒のハードコアに飽きたとき、僕らはそれを始めた。VOIDに限らず、他のD.C.のバンドもメタルに影響を受けるようになっていたと思う。スティーブ・ポルカリ(MARGINAL MANのヴォーカリスト)なんて、RATTの大ファンだという理由で髪を伸ばし始めたんだよ(笑)!!

そんなVOIDの音楽的変化は、当時どのように受け止められましたか?

C.O.C. のドラマーのリード・ムーリンが、わざわざノース・カロライナから車で僕らを迎えに来てくれて、彼の企画したショーに出たことがあったんだけど、そのとき僕らは、FAITHとのスプリットアルバムに収録したハードコアの曲をやったら、次は新しいメタル風の曲、で、次はまたハードコア…って順番でやったんだ。知っている曲になったら、観客は床を転げ回るんだけど、次の曲では混乱して不可解な顔をして、その後はまた暴れ回って…あれはかなり可笑しかったな。

D.C.シーンは、どんどん変化していきました。初期ハードコア・バンドの中でも、ずっと1分くらいの曲を演奏し続けたバンドは、それほど多くありませんでした。レボリューション・サマーもありましたしね。

レボリューション・サマーで、D.C.に2番目の波が起こったとき、あれは80年代初期シーンよりも、もっとお堅くて、ストレート・エッジに対する愛国主義的な気がしたよ。そして僕にはそれが攻撃的に見えた。イデオロギーがより強くなっている気がしたし、何かをストップさせるということの背後に政治があるのを感じたからなんだ。

それは可笑しな現象でもあったよ。なぜならストレート・エッジの2番目の波が出てきた頃、ニューヨークでは、D.C.の音楽に対するストレートな反応が起こっていたからね。YOUTH OF TODAYのようなバンドは、「君たちは自分がどこから来たのか忘れてしまっている!僕らは以前のままでいる!」という視点を打ち出していた。つまりD.C.では、意義ある目的のために前進しようとしている一方で、 ニューヨークでは、それらのヒーローたちの時代へ戻ろうとする動きがあったんだからね。

さて、リリースされることの無かった幻のアルバム『Potion for Bad Dreams』について、深く聞きたいと思います。いったいどういう事情があったのでしょうか?タッチ&ゴーがリリースする予定だったのに、オーナーのコーリー・ラスクが気に入らなくて、お蔵入りにしたと聞きましたが、それは本当ですか?

まず、ディスコードではなく、タッチ&ゴーにしようと決めたのは、ショーンなんだ。君が知っているかどうかは分からないけど、ショーンのドラムはものすごく大きくなってきてね、RUSHのニール・パートと同じくらいだった。だから彼は、24のトラックで作りたいって考えていたんだ。そしたらコーリーが、デトロイトに24トラックを持つスタジオを所有していたので、僕らはすべてのトラックを書いて、そこでレコーディングしたんだ。でもすべてをレコーディングしたらジョンが「歌詞がまったく無い」と言い出してね(笑)。僕らは必死で歌詞を書いた。明け方3時か4時までかけて書いたのを覚えているよ。

で、ここからは僕の憶測なんだけど、コーリーは、BUTTHOLE SURFERSとの契約を狙っていて、そちらに神経を集中していた。だから僕らが解散を伝えたとき、彼はVOIDのレコードをリリースすることを重視しなかった。彼にとってはBUTTHOLE SURFERSの方が重要で、解散しようとしているバンドのレコードをリリースすることに、それほど価値を見出せなかったと思うんだ。

自分たちでリリースすることは考えましたか?この作品は、何年もの間、違法コピーやダウンロードで出回っていますよね。

考えたことは考えたんだけど、今ではインターネットがあるからね。聴きたければタダで全アルバムを聴けるし、僕はそれを気にしていないよ。それに「あのレコードを誇りに思っているか?」と聞かれたら、その答えはNOだし…。あの作品のジョンのヴォーカルは、黒板に爪を立ててるような感じ。うん、耐えられない。他のメンバーも、あのレコードのリリースを望んでいないんだ。

90年代初めに、リリースされていないVOIDのLPがあると知ったとき、私はとても興奮しました。大ファンだったのですから。でも、ようやくテープで入手したとき、ガッカリ…とまでは言いませんが、よく分からない…と思いました。あなたが先ほど、歌詞を大急ぎで書いたとおっしゃいましたが、まさに私は、その点が気になっていたんです。ダンジョンズ&ドラゴンズみたいな歌詞だったので。

ああ、確かに(笑)。あれは剣とか魔術みたいなこと書いたっけ。でも最初に入っている「Blood Lust」は、僕がVOIDで一番気に入っている曲なんだ。あれこそがVOIDの頂点だ。ジョンのヴォーカルが最悪だったんで、その声が聞こえないように僕らは演奏で彼の声を邪魔してやった。あの曲では、僕らはずっとジャムって、それが偶然にもかなりうまくハマったんだ。それまでの曲作りは、大体ショーンがドラムのビートを思いついて、僕らが「ブッバ、これやってみてよ」と言って、それに何かを加える感じだった。でも「Blood Lust」は、ミュージシャンとしての僕らが、ナチュラルにカオスしていったのを見事に表していると思う。まぁ、ジョンの声が最悪だったから生まれたんだけどね(笑)。

バンドが解散した理由を教えてください。

ショーンと僕は学校に行こうとしていたし、ブッバはもっとグラムロックみたいなことをやりたくなった。あまり練習も出来なくなっていったし、関係もうまくいかなくなった。あれは自然な結末だったんだ。

解散後、他のバンドはやりましたか?

いいや。「フルタイムでミュージシャン」という夢を叶えたのはブッバだけだ。彼は今シアトルに住んでいて、KYUSSのメンバーと仕事をしている。彼はあちこちを旅しているし、楽しんでいるようだよ。

毎日起きてネットを立ち上げるたびに、80年代のハードコアバンドが再結成するというニュースばかり見つけます。もはや驚くこともなくなりましたが、VOIDにもそういうオファーはありましたか?

うん、あったよ。でもやるなら、ショーンが2年ほど前に亡くなってしまったから、別のドラマーを雇わなきゃいけないけどね。でも僕らは、昔のまま残しておいた方がいいって思っている。思い出は汚さない方がいいってね。コンピレーション・アルバムの『Sessions』がリリースされたときに、小さなパーティーで、ブッバと僕はVOIDの曲をいくつかジャムったけど、僕は本当に昔のままでいいと思っているんだ。

それは嬉しい答えです。「あれは一体何だったんだろう?」って、考えさせられるバンドがいた方が楽しいですから。今まで見たことなかったバンドが再結成して、「その価値があったのか?」と思わされるより最高です。

そうだね。僕も1ヶ月半ほど前、THE REPLACEMENTSを観に行ったんだけど、ちょっとそんな感じだったんだ。そのせいで、彼らの音楽への愛が損なわれたとは言わないけど、80年代にジョージ・ワシントン大学でのライヴを見ていた友人から「あれは伝説だった!」って聞いていたから、その体験には程遠かったと思う。そのときのTHE REPLACEMENTSは、メンバーが酔っ払って、KISSのカバーもやったって言っていた。すごく楽しそうだろ!?でも僕が観たライヴでは、彼らはスタジオ・ミュージシャンやら、いろんなものに支えられていたよ。彼らはたっぷりとお金を儲けたんだろうけど、ファンの心のことは考えなかったのかもしれない。君と同じ意見だよ。もちろん僕はVOIDでそれをやりたくない。むしろ地味に行きたいって思っているよ(笑)。

More VICE
Vice Channels