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女性のためのカルト映画『ボーン・イン・フレイムス』が1983年に予言した今

リジー・ボーデン(Lizzie Borden)は、多様なバックグラウンドを持つ女性たちを募り、「人種差別」「性差別」「社会主義革命」を題材にフェミニズムの視点からディストピアを描いた映画『ボーン・イン・フレイムズ』を製作した。この作品の公開以後、社会がどのように変化し、何が変化しないままなのかを彼女に訊いた。
ボーン・イン・フレイムス

2016年3月25日、LAの映画館シネファミリー(Cinefamily)の外に、映画を観れないのに、熱心な映画ファンが長蛇の列をなした。リジー・ボーデン監督による『ボーン・イン・フレイムス』(Born in Flames, 1983)がいち夜限りで再上映されたのだ。ニューヨークに拠点を置くインディペンデント映画の保存、保管、上映を目的としたNPO団体「アンソロジー・フィルム・アーカイヴス(Anthology Film Archives)」が、この作品の再上映を決定した。チケットは、上映前日に完売。上映直前に座席を確保できた幸運な観客も数名いたし、80分の上映時間中ずっと劇場の通路から身を乗り出して鑑賞していた者もいた。この日、劇場を埋め尽くした観客は、この映画のキャスト同様、その大半は女性か同性愛者だった。私は、ある男性に勧められて劇場に足を運んだのだ。この映画の監督、脚本、製作をひとりで務めたリジー・ボーデンにそれを告げると、彼女は驚いていた。その後、「彼の母親はレズビアンなんです」ときちんと説明した。

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ドキュメンタリー・タッチの未来派フィクション作品『ボーン・イン・フレイムス』の舞台は、社会民主主義「自由の革命」が起き、10年が経過したアメリカ合衆国だ。この革命は、社会の構造、観念的な変化をほとんどもたらさず、欠乏感、貧困、競争社会、男性上位、女性への暴力、権力とメディアの共謀はなくならなかった。なじみ深いディストピアのなかで、複数の反体制女性グループが交流、議論を交わし、最終的に 若い黒人女性が留置場で自殺したのを契機に彼女たちは結束する。このプロットは、2015年、テキサス州で実際に起こった、黒人女性サンドラ・ブランド(Sandra Bland)の死亡事件を彷彿させる。実際、ボーデンとシネファミリーに集まった観衆も、『ボーン・イン・フレイムズ』のプロットの大部分は、ムカつくほど今日の社会を予見していた、と指摘している。経済が衰退した社会で、若い白人男性が、彼らの職を奪った「マイノリティ」を咎める一方で、マイノリティは、意味を見いだせない仕事、違法解雇、賃金格差に耐え抜く。人種的動機に左右される政策の残忍さは、今日の社会でもよく耳にする。

リジー・ボーデンの本名はリンダ・ボーテン(Linda Borden)。彼女は11歳で、19世紀に両親を斧で殺害した猟奇的殺人犯リジー・ボーデン(Lizzie Borden)を知り、その名前を引き継ぐことを決意。以後、リジー・ボーデンを名乗る。取材したのは映画の再上映前だが、彼女は『ボーン・イン・フレイムズ』の公開から33年経った現在でも、政治的変化がほとんどないのを嘆いていた。また、それと同時に僅かながらの社会の変化も認識している。「この作品を製作したのが自身だとは認識していない」と彼女はいう。「なら、私は誰だったのか? 自分がとても怒っていたのはわかっている。時に、映画は怒りから生まれなければならない」。彼女の怒りは、フェミニズムと不安定な性的指向によって、政治に携わり始めた20歳から25歳の女性の声を代弁している。製作時、彼女はニューヨークで暮らしており、周囲への抑圧を怖れていた。「何か行動しなければとならないのはわかっていた」

製作には5年かかり、総製作費は40,000ドル(450万円)、多数の製作委員で『ボーン・イン・フレイムス』を創り上げた。作品を急進的に仕上げるために彼女は、ミュージシャンのアデル・ベルティ(Adele Bertei)、コンセプチュアル・アーティストでもある映画監督のキャスリン・ビグロー(Kathryn Bigelow)、人権活動家のフローリンス・ケネディ(Florynce Kennedy)などをキャスティングした。さらに彼女は、現実の出来事、演出された抗議活動を映画に差し込んだ。その結果、鼓動が高まり、論争的で、遊び心たっぷりの共産主義的アジテーション映画が完成した。

『ボーン・イン・フレイムズ』で描写されたトピックは現在進行形でもある。ボーデンは、「今こそ、もういち度怒り、闘うときだ」と信じてやまない。これは、鑑賞後、シネファミリーの観客の前で挨拶した彼女が、彼らに伝えたかったことでもある。ホールの後部出口からテラスへ案内され、そこで議論しつつ呑むはずだった観客が集まると、タイトで煌びやかなドレスに身を包んだ2人の金髪女性に、ここは使えません、と告げられた。HBOのTVシリーズ『シリコンバレー』の第3シーズンのプレミア・パーティーのためにテラスは押さえられていたのだ。

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どうやってこの作品を製作したのですが?

映画には2つの種類があります。帰納的作品、演繹的作品の2種類です。演繹的な作品には台本があり、それを基に制作します。一方、帰納的作品は、まずあらすじや主題があり、それを基に制作します。『ボーン・イン・フレイムズ』は、あるあらすじから始まっています。そのあらすじとは、「もしもアメリカで社会民主主義革命が発生したにも関わらず、女性たちが望むような社会変革がもたらされなかった場合、急進的な女性グループは変革を求めるか?」。しかし、私がこの作品を製作した本当の理由は、もっといろいろな女性と出会いたかったからなんです。どうしてかというと、私が自身の性に疑問を抱いていたからです。自らがゲイなのかストレートなのか、それともバイセクシャルなのかがわかりませんでした。私は、『Ms.』、グロリア・スタイネム(Gloria Steinem)に代表されるような大衆的フェミニズムとは無縁でしたから、それに関わるみんなの服装ですら、典型的な中流階級趣味に観えました。当時、私が暮らしていたニューヨークのダウンタウンは、女性アーティストだらけでした。映像作家、演劇関係者、画家、パフォーマンス・アーティスト、パンクス、もちろん、みんな女性です。それこそ『アート・アンド・ランゲージ(Art & Language)』の世界で、キャサリン・ビグロウ(Kathryn Bigelow)、ベッキー・ジョンストン(Becky Johnston)、そして、私もそのなかにいました。

そのコミュニティは、とてもクリエイティブでしたが、さほど政治的ではあまりませんでしたし、ほぼ全員白人でした。私には、自らのカルチャーと言語しか表現できませんから、望むものを表現する台本は書けない、とわかっていました。なので、私と異なる女性をキャスティングするよう心がけたんです。アデレイド・ノリス(Adelaide Norris)役のジーン・サターフィールド(Jean Satterfield)とは、よく通っていたYMCAで出会いました。売店にいるとき、バスケをしている彼女を見つけたんたんです。ハニー(Honey)とは、レズビアンバーで知り合った彼女のルームメイトに紹介してもらいました。彼女たちには即興で演技してもらい、それを撮影し、それを切り刻んで編集しました。通常とは逆のプロセスです。費用がありませんでしたから、使用済みフィルムの切れ端を買い、それを貼り繋いで利用しました。シーンを撮り溜め、時折、台本に基づいたシーンも撮影しました。徐々に作品としての体を成し、アイデアが独り歩きしたんです。

制作費はどのように調達したのですか?

十分なお金、200ドル(約22,000円)でも手元にあれば、キャストを集めて、街に繰り出し、撮影をしていました。25ドル(約2,800円)払えば、ダウンタウンでカメラをレンタルできました。キャストに25ドル。当時、アパートにスティーンベック(Steenbeck)* があったから、それを順番に貸し出していたんです。ニューヨーク大学の学生には、8時間25ドルで貸していました。それで予算を稼いでいました。ワールド・トレード・センターが爆破されるシーンの特殊効果は、200ドルでなんとかしましたが、それっぽっちの予算であのエフェクトを創り出せる人材を探し出すのは、すごく時間がかかりました。よく友人のロフトと街中で撮影しました。大きなデモ・シーンの1つは、現実のデモで、キャスリン、ベッキー、パット(Pat Murphy)がそこに参加しました。女性秘書たちのストライキは演出でしたが、本物の秘書たちが行進したがったんですよ! 映像を借りたり盗んだりもしました。それなのに作品全体に統一感とペースが生まれたのは、音楽に合わせて編集したからです。女性たちの声もそういった感じで聞かせたかったんです。だから、フローリンス・ケネディの「1頭のライオンか、500匹のネズミか」といったセリフも含め、様々な女性の多岐にわたる意見を違和感なく受け入れられるんです。

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33:02~, フローリンス・ケネディの名演技

フローリンス・ケネディの演技は素晴らしかったです。実際、作品全体を通じて、美しくスタイリングされていました。監督がコスチューム・デザインを担当したんですか?

いいえ。衣装費はなかったから、キャストは普段着のままです。

見ず知らずの女性に出演をお願いするのに、どうやって声をかけていたんですか?

単に、「超ラディカルな女性たちを題材にした映画を創ってる」と誘い、あらすじを説明します。アイデアを気に入ってくれる女性もいたし、イカれてると思った女性もいました。いちばん大変だったのは、ブロンクスやハーレムに住むアップタウンのお母さんたちです。ダウンタウンまでわざわざ来てもらっているのに、撮影にはかなり時間がかかりましたから、出番まで待ち時間を潰してもらわなければならなかった。ギャラは25ドルしかなかったから、彼女たちにとって、出演する価値はほとんどありませんでしたね。

この作品をどうやって公開したんですか? どこで上映して、どんな反応があったか教えてください。

最初に上映されたのは、フランスのクレテイユ(Créteil)で開催された女性映画際(Women’s Film Festival)で、そこで最優秀賞を獲得しました。それから、ベルリン、ニューヨーク、トロントで上映されました。いちばん面白い反応があったのはロンドンです。私が黒人でない、という理由で罵詈雑言を浴びました。私には黒人女性を代弁する権利があるのか? これは面白い議論でした。あの映画を、私いち個人のものにしたくなかったから、キャストと一緒に各地を回りたかったんです。もちろん自身の見解も反映されていますが、あの映画はいろんな女性の立場から生まれました。この作品が、女性を組織するためのツールになれば、と期待していました。私はとてもシャイで、政治制度や政府といった意味での政治性とは無縁でしたから、なんとか対話に参加したかったんです。

そういった姿勢によって、今、この映画はどう捉えられているのでしょうか?

オーディエンスは2パターンに分類できます。まず、公開当初に鑑賞したオーディエンス。そして、最近、この映画を発掘した、「ウォール街を占拠せよ」世代やそれよりも若いオーディエンス。だけど、それを考えると、本当に悲しくなります。当時の問題と今の問題は全く同じ。貧困、賃金の平等、選択の可能性にかんする問題は、未だに問題のままなのには、本当に腹が立ちます。とんでもないですよ。

同感です。作品の世界観と今日の社会との関連性を目の当たりにして、怖くなりました。同時に、『ボーン・イン・フレイムズ』を鑑賞すると、私たちの闘争には歴史がある、ということを再認識させてくれるので、心が浄化され、気持ちが安らぎます。また、出てくるとは思ってもみなかった、「家事労働に賃金を」といったアイディアが散りばめられていたのも素敵でした。(『ボーン・イン・フレイムズ』の重要なシーンで、社会民主主義を信奉する大統領が「家事」を「賃労働」とみなす政策の実施を提案する。) 数年前、「家事労働に賃金を」のアイデアが、フェミニスト、進歩主義者などあらゆる組織で話題になりました。70年代の学術論文が再発掘され、こんにちの資本主義との関連も議論されるようになっています。

作品のアイデアが、循環するのは興味深いことです。思うに、『ボーン・イン・フレイムズ』が取り上げた問題で、ひとまわりしてより深刻になったのは、人種差別、警察の残虐行為、サンドラ・ブランドの怪死、加えて明白なのは、ワールド・ドレード・センターの爆破倒壊。ツインタワーの件は奇妙だけど、みんなが思うほど奇妙ではありません。あの事件には嫌悪感を抱いたけれど、ツインタワーはいつでも標的でした。ニューヨークに高層ビルが立ち並ぶ以前、あの建物は場違いなくらい目立っていました。撮影当時は、ビルのてっぺんまで歩いて登れたんです。しかも、ラストシーンのために、ワイヤー付きの粘土製偽爆弾を仕掛けたけれど、そこには警備員もいなかったんです。9.11も米国愛国者法(Patriot Act)もない、とても無邪気な時代でした。