サッカーシューズから派生した adidas SAMBAの予期せぬ飛躍

1950年、戦後間もない西ドイツで生まれたアディダスのSAMBA。戦後の混乱のなか、このサッカーシューズが西ドイツ社会で果たした役割とは?そして、音楽やファッション、スケートボードなど、サブカルチャーと結びつき、ストリートファッションのクラシックとなった所以を探る。

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jun 15 2018, 7:13am

スポーツシューズは、時に予期せぬ人に受け入れられ、予想だにしない広がりを持つことがある。1960年代までは、皆無だった現象が、70年代から00年代にかけて、様々なスポーツシューズで巻き起こっていった。

そもそも、スポーツ用に開発されたシューズが、そのブランドの意図とは、まるで関係なく派生していく現象は、その受け取り手の育った環境、それを使用する自由な発想によって変化がもたらされていく。

1950年。ある1足のサッカーシューズがリリースされた。のちに、サッカーに加え、様々なサブカルチャーと連動し、ストリートスタイルのクラシックとして、延べ3500万人のライフスタイルを支える1足となった〈SAMBA〉が誕生した。

ナチス崩壊後、政情が混乱するドイツで、〈アディダス(adidas)〉は創設される。1945年に第二次世界大戦が終戦し、敗戦国となったドイツは、経済的な貧しさに加え、ナチスが犯した負の遺産であるアウシュヴィッツ収容所をはじめ、強制収容所で大規模な虐待と計画的殺人が行われていた事実にも向き合わなければならなかった。そして、ドイツ国内は、米国、英国、フランス、ソ連、4つの異なる国による占領地区に分割された。1949年には、西側三国によるドイツ連邦共和国、ソ連占領地区ではドイツ民主共和国、通称、西ドイツと東ドイツが生まれ、40年にも及ぶ分断の歴史を歩むこととなった。

当時の模様を、1937年生まれ、ベルリンで育ったクラウトロックを代表するバンド、CANのイルミン・シュミット(Irmin Schmidt)は、VICEのインタビューに、こう答えている。「街が崩壊しただけでなく、文化もすっかり廃れた。破壊されたドイツで生きる自分たちの経験から、何かを生み出したかった」(UNDER THE INFLUENCE ③ :クラウトロック/Vice.comより)

アディダスの創始者である〈アドルフ(アディ)・ダスラー(Adolf “Adi”Dassler)〉は、1924年、兄とともに〈ダスラー製靴工場〉を設立し、主にランニングとサッカーを中心としたアスリートのためのシューズを製作していた。1928年に開催されたアムステルダム・オリンピックでは〈リナ・ラトケ(Karoline “Lina” Radke-Batschauer)〉、1936年のベルリン・オリンピックでは〈ジェシー・オーエンス(James Cleveland “Jesse” Owens)〉が、ダスラー社のシューズを履き、陸上競技で金メダルを獲得している。順調にスポーツシューズメーカーとしての地位を確立していった。

しかし、第二次世界大戦によって、靴づくりは中断せざるを得なくなるが、戦争が終結すると、アディ・ダスラーはナチスの協力者であった、と疑いをかけられるも、非ナチ化委員会からは、ほぼ無罪に近い判決を勝ち取る。この判決により工場を継続でき、晴れて靴づくりに専念できる環境を得る。

そんな戦後間もない西ドイツで、1949年、兄と別れアディ・ダスラーはアディダスを創設する。同時に、ブランドのアイコンである靴の補強用ストライプをデザインとして昇華させた、スリーストライプスを商標登録している。その翌年、1950年にサッカー用スパイクであるSAMBAをリリースする。

1950年代製SAMBA

このとき、リリースされたSAMBAは、アッパーは牛革、ライニングは羊革、そして、トウーガード、商標を獲得したばかりのスリーストライプスと、現在のSAMBAに繋がるデザインが詰め込まれている。機能としての最大の特徴は、発砲ラバー製のアウトソールに、滑り止め用の穴が3つ施され、のちのSAMBAのキャッチコピーでも度々使用される「硬く凍ったピッチにも対応する」といったフレコミにも通じる挑戦が垣間みられる。

また、SAMBAの開発、そして、アディダスがサッカー用スパイクにおいて長年シーンを牽引する大きな要因のひとつに、サッカー・ドイツ代表監督であった〈ゼップ・ヘルベルガー(Josef “Sepp” Herberger)〉の協力が挙げられる。1954年に開催されたスイスW杯において指揮をとったヘルベルガーは、この大会に向けてアディ・ダスラーにサポートを求めた。アディ・ダスラーは、選手たちのスパイクのケアを担当するとともに、選手の意見を取り入れながらスパイクの開発に勤しんだ。そして迎えたスイスW杯。西ドイツは予想に反して決勝まで勝ち進み、優勝候補であったハンガリーと対戦する。下馬評は圧倒的にハンガリー有利。それを覆し奇跡の勝利を掴めたのは、全天候に対応できるアディダスの取り替え式スタッドのスパイクがあったからだ、といわれている。試合が進むにつれ雨が降り出し、後半にはぬかるみ、滑りやすく重くなったピッチに対し、長いスタッドでグリップできるスパイクに履き替えた西ドイツ選手が躍動し、見事に勝利を手にしている。

ゼップ・ヘルベルガー『Ein Leben,eine Legende 』

この勝利により、アディダスのサッカー用スパイクのクオリティーが、国際的に認知され、現代サッカーにおいて、絶対的な地位を築くきっかけとなった。また、ドイツ国民にとっては、西ドイツの予期せぬ勝利が、戦後のドイツ民主主義の実質的再生、そして自国に対しての誇りを取り戻すきっかけになったとされている。アディダスが果たした役割は、直接的ではないにせよ、戦後ドイツの経済面だけでなく、国民の精神的な復興の一旦を担った、と言っても過言ではないだろう。

そして、1962年チリW杯では、残念ながら〈ペレ(Pelé) 〉は負傷で欠場したが、ブラジル代表がSAMBAを履き、優勝を飾っている。このように、アディダスはサッカーにおいて、特別なシューズメーカーとしての地位を確立していく。

1967年製SAMBA
1976〜83年製SAMBA

SAMBAは、ブルーのアウトソールが特徴の1967年モデルなど、いくつかの変遷を経て、我々が想像する1足へと進化する。ブラックのフルグレインレザーにスウェードのTトウーパネル、ガムソール、ホワイトのスリーストライプスが融合したデザインのモデルは、70年代に完成している。このシューズが、サッカー競技ではなく、付随するサブカルチャーと結びつき、新たな展開をみせる。

英国のマンチェスター、あるいはリバプールに起源があるとされる〈カジュアルズ(Casuals)〉のアイコンのひとつとして、SAMBAが受け入れられる。カジュアルズとは、街中でスポーツウェアをファッションとして楽しむ、70年代後半に起きたサッカーフリークによるムーブメント。米国のヒップホップと同様に、英国のカジュアルズは、今となっては当たり前となった、スポーツウェアをストリートのファッションとして昇華させたルーツである。これにより、他のアディダスのアイコンである〈スタンスミス(Stan Smith)〉、〈スーパースター(SUPERSTAR)〉、〈キャンパス(Campus)〉と同様に、競技用スパイクだけでなく、ストリートカルチャーにも受け入れられ、より多くの人々のライフスタイルに欠かせないものとなっていく。

パンク、スキンズにルーツを持つバンド、eastern youth(イースタンユース)の吉野寿は、カジュアルズではなく、スキンズをきっかけに、SAMBAを愛用するようになったという。

eastern youth 吉野寿
吉野氏所有のSAMBA

「ある時、スキンヘッズが〈ロールアップのジーンズ〉、〈ボタンダウンシャツ〉、〈ハリントンジャケット〉に、足元はSAMBAを履いている写真を発見したんです。SAMBAと言えば、カジュアルズが愛用していた、とされていますが、90年代以降はスキンズで履いている人もいるようで、靴だけは、スキンズとカジュアルズが微妙にクロスオーバーしているようです。それ以降、わたくし、10年間、ほぼ毎日、SAMBAを履いていまして、SAMBA以外の靴を履いている方が少ないのです。ハハハ」と今回の取材で、話してくれた。

このように、日本では、様々な動機で、SAMBAがストリートシーンに浸透していく。90年代のヴィンテージブームに伴い、西ドイツ製やユーゴスラビア製のSAMBAを探し求めるニッチな人々や、〈ボブ・マーレー(Bob Marley)〉が履いていたのではないか、との噂からレゲエスタイルの一旦を担ったり、ガムソールのグリップ力が一部のスケーターに愛されるなど、様々な解釈でストリートシーンに浸透していく。

1998年に設立された〈アディダス スケートボーディング(adidas Skateboarding)〉においても、〈デニス・ブセニッツ(Dennis Busenitz)〉や、〈ロドリゴ・TX(Rodrigo TX)〉などが、SAMBAにインスパイアされたシグネチャーモデル、あるいはシグネチャーカラーウェイのSAMBAモデルのスケートシューズをリリースしている。

また、00年代に入るとニューヨークを中心に起きたピストバイクのムーブメントに、フォルムが細身であることから、ペダルへの装着が容易にできるという理由で受け入れられる。

さらに、〈ケイト・モス(Kate Moss)〉など、女性セレブが、SAMBAを愛用し街を闊歩する写真が、パパラッチによって出回ったりと、サッカーシーンはもちろんのこと、ストリート、セレブなど、様々なシーンで定番となっていった。

1950年に生まれたサッカー選手のためのスパイクが、現代においてもスポーツシーンに根付きながら、さらには、音楽やファッション、スケートボード、ピストバイクなど、いつの間にか、ストリートファッションのアイコンとしても変化していった。おそらく、この現象を1978年に亡くなったアディ・ダスラーも、予期していなかっただろう。ただ、真摯な物づくりは、時に全く異なる角度から、嬉しい誤算を招くこともあるのだろう。図らずして、SAMBAはアディダスにとっても最も歴史があり、重要なクラシックとなった。

オリジナルが時代をつくる。そして、時代はまわり、繰り返される。SAMBAから始まり、SAMBAが型づくり、そして、いつの時代も、SAMBAに立ち返る。アディダスのオリジナルであるSAMBAは、おそらく、この先も永年の定番であり続け、予期せぬ化学反応を繰り返し、様々な人々に愛され続けていくのだろう。

adidas SAMBA OG (B75682)/アディダスグループお客様窓口
adidas SAMBA ROSE W (B28156)/アディダスグループお客様窓口
adidas SAMBA OG (B75682)/アディダスグループお客様窓口
adidas SAMBA OG (B75806)/アディダスグループお客様窓口
adidas SAMBA ROSE W (AQ1134)/アディダスグループお客様窓口
adidas SAMBA OG (B75807)/アディダスグループお客様窓口
adidas SAMBA OG (B42067)/アディダスグループお客様窓口
adidas SAMBA ROSE W (B28156)/アディダスグループお客様窓口

PHOTOGRAPHY Reiko Touyama
MODELS Kana Oya 、Ryuju Kobayashi
STYLING Akira Maruyama、Miki Sayama(LOVABLE)
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