〈ラブホテル〉から〈オカルト〉へ !  虚構とユーモアが融合する写真表現 01

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〈ラブホテル〉から〈オカルト〉へ ! 虚構とユーモアが融合する写真表現 01

写真でユーモアは表現できるのか?写真が持つ虚構性に惹かれ、エンターテイメント性をプラスした写真表現を実現するために、選んだテーマは〈ラブホテル〉、そして〈オカルト〉。TAKAMURADAISUKEの写真表現の根幹は、どこにあるのだろうか。
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『OCCULT』より The Stranger,2017

作品と商業写真との間を自由に行き来する写真家、TAKAMURADAISUKE。2018年3月〈オカルト〉をテーマにした写真展と写真集『OCCULT』をリリースした。その表現は、UFOや宇宙人といった直球のオカルトが描かれているわけではない。淡く滲んだ写真、極々見慣れた風景写真、動物や昆虫などの写真が並んでいる。

それにも関わらず、これらの写真を連続で複数みていくと、なぜか『OCCULT』というタイトルが、妙にしっくりきてしまう。
TAKAMURADAISUKEは、『OCCULT』をテーマに、何を切り取り、みるものが描く不思議な感情に、どうアプローチしようと試みたのか。彼の写真製作における大きなテーマ〈虚構性とエンターテイメント性〉についてから、話を聞いていきたい。

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『OCCULT』より The Mirror of House,2017

まず、〈オカルト〉をテーマにしたきっかけを教えてください。

2015年に『Summer Madness』と題した展覧会をやったときに、企画制作をしてくれた〈亜洲中西屋〉さんが、オカルトをテーマにした作品づくりについて、提案してくれたんです。たしかにオカルトは好きだったので、すぐにやろうと思いました。

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もともとオカルトが好きだったのですね。

小学校、中学校の頃、日本テレビ系列で放送されていた木曜スペシャルの〈矢追純一UFOスペシャル〉が大好きでした。1974年に来日したユリ・ゲラーや、エスパー清田くん以後の流れです。あとは、心霊写真も好きでした。当時は、中岡俊哉の取り上げる心霊写真を本気で信じていて、恐る恐る見ていました。UFOや宇宙人が存在していないなんて、1度も疑ったことはありません。

なるほど。その後もオカルトを掘っていくんですか?

テレビ的な流行が終わってからは、特に掘り下げませんでした。

では、前回の展示でのアドバイスから、再びオカルト熱が再燃したんですね。

そうですね。オカルトをテーマにした作品を提案してもらったときに、写真の虚構性とオカルトがしっくりきました。

オカルトを虚構とは捉えていないんですよね?

そうです。ただ、写真の虚構性とオカルトの線引きがすごく面白いなって。

写真表現は、報道写真をはじめ真実を写すメディアとも捉えられてます。同時に、オカルトは〈嘘〉、として認識している人も多いはずです。TAKAMURAさんは、写真の虚構性に興味があり、オカルトは真実かもしれない、その線引きが面白いと感じているのですか?

たしかに世間一般とは逆の意味でマッチングしました。もともと写真の虚構性、フェイクであるという考え方が、すごく好きでした。また、先ほども話したように、UFOも宇宙人もいないとは思っていません。「オカルトが嘘だ」とは誰にも証明できないですよね。

写真表現での虚構性への興味について、詳しく教えてください。

僕が写真をはじめたときは、荒木経惟さんが本格的にブレイクした頃で、自分のプライベートを写す〈私写真〉をテーマにした写真家が出てきたタイミングでした。僕はその次の世代なので「同じことはしない」という気持ちが、最初からありました。

そもそも、なぜ写真をはじめたのですか?

甘味処をやっていた母の影響もあり、高校卒業後、料理人になろうと上京しました。3年間、色々な飲食店で働いていたのですが、午後2時くらいに出勤して、3時間仕込みをしてから午前0時まで仕事をするルーティンを経験しました。忙しい店だったので、休みもあまりもらえないし、会社の寮に入れてもらっていたので、毎日見る同じ景色が嫌になっちゃって。それで、音楽は多くの人がそうであるように好きだったんですが、もうすでに20歳だし、今更、ピアニストになろうにも年齢的に無理だろうと。ギターならひょっとしてできるかも、と練習したりしましたが、うまく弾けない。そして「写真ならシャッターを押せば写るだろう」と安易な発想で写真を始めました。

例えば、料理人として、好奇心が持てたらやりがいを見出せただろうに、なぜ、音楽、写真などの表現手段を選んだのですか?

それは若者特有の単純な気持ちだったんでしょう。

カッコ良い職業だ、とかですか?

そんなことありませんでしたが、20歳くらいなら、社会に対して思うことはそれなりにあるじゃないですか。カメラマンにも写真家にも憧れはなかったですが、写真ならできるかも、そんな単純な感じでした。

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“All About My Country”(2000)より

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“All About My Country”(2000)より

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“All About My Country”(2000)より

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“All About My Country”(2000)より

すんなり写真表現にハマったんですか?

写真の大学に通いましたが、3年の夏休みを利用して撮った作品にギャル男、オタク、路上ミュージシャン、少年犯罪者のコスプレをセットアップで撮影したものがあります。ハマったというより、自分がやりたいことを写真表現にハメたという感じでした。

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自分自身のプライベートや身の周りの物事を記録したドキュメンタリーではなく、社会性や時代性があるテーマを、コスプレでセットアップという手法を用い、フィクションの作品を制作したのですね。

23歳だったはずですが、感ずるもの、発散したいものがあったんでしょう。ちょうどギャル男が流行ったり、オタクが今のように認知される前で、まだキモイっていわれていて、また、少年犯罪が社会問題になった時期でもあります。完全に虚構の世界で、この写真が作品としてまとめた最初のものになります。

バカにしてる、だと言い過ぎですけど、何かに異常に固執している、あるいは、それが全ての価値観だ、と信じ込んでいる若者に対しての揶揄を表現したのですか?

個人攻撃をしたかったわけではなく、ある種のカルチャーとか、みんな横並びで同じことをやるような現象、それ自体は自分にとって揶揄の対象でした。学校でも1歩も2歩も引いて、斜に見てる奴がいたじゃないですか。ひねくれていて「こいつらあんなので盛り上がってるよ」みたいな。僕は完全にそういう可愛くないタイプでした(笑)。

いましたね(笑)。妙に冷めてるとかいうか…

また、小学校の頃の夢が、お笑い芸人になることでした。お笑いってどうしても揶揄したり、茶化すのが大事な要素じゃないですか。だから、なんでも揶揄してしまうのは、お笑い好きの要素が、大きく影響しているんじゃないですかね。そして、何か表現するときは「面白くないと人様にお見せしてはいけない。エンターテイメント性があるべきだ」と常に考えています。自分の感情の吐露みたいな表現は、自分としては良しとしません。ただ、日本人って結局、私小説好きですよね。未だに太宰治とかいってますからね。

そういう意味でも、私写真とは相入れない部分があったんですね。

そうですね。だから、このコスプレの作品も、ベースは私写真的なものに対するアンチテーゼでしたし、誰も撮ってる側の私生活なんてみたくないでしょう、という気持ちは明らかにありました。

ただ、この作品について、気に入ってはいるが、手応えはなかったんですよね?

特別な手応えはありませんでした(笑)。当時、写真家の瀬戸正人さんのワークショップの1期生もやっていたのですが、この写真を瀬戸さんに見せても、全然響かず…。研究室の教授が、写真家の細江英公さんだったので、細江先生にも見せましたが「ごめん、全然意味がわからないから説明してごらん」といわれて。当時、23、24歳で、言葉で説明したくないから写真をやっているのに、どうして言葉で説明しなきゃいけないのだろう、という気持ちでした。今でも忘れられないですが、2人で向き合って40分間沈黙です。先生はずっと待っていますが、僕は説明しないわけです。そうしたら、先生に「はい、出直しておいで」っていわれて、細江先生にも全く響かなかったようです(笑)。

なるほど。

それでも、この写真のことは信じていました。その当時、付き合っていた恋人から『リトルモア』という雑誌で新人賞を募集していると教えてもらって応募しました。これでダメなら、この写真は諦めよう、と決めていました。ですが幸運にも新人賞に選んでもらいました。やはり、嬉しかったですね。

虚構性とエンターテイメント性をテーマにした写真制作について、手応えがつかめるんですね。

そうですね。賞をもらったときは、スタジオに勤めて1年目だったんですが、大多数はスタジオを卒業して、師匠を探して、アシスタントをしていました。でも僕はせっかちでしたし、賞も貰ったのでいけるだろう、とスタジオマンでありながら自分で営業活動を始めました。
そうしたら『rockin’on JAPAN』とか『H』とか、雑誌の仕事をやらせてもらえることになりました。rockin’onという会社は、スタジオマンだとか、肩書きに関係なく仕事を発注してくれたので、ミュージシャンや役者さんと虚構の世界をつくってました。カルチャー誌がまだ元気だった時代です。

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芸能のみなさんも、そういう遊びを許してくれたんですね。

今は芸能人を被写体に、ユーモアに満ちた写真表現をするのは難しいですが、当時のrockin’onは、今もそうだと願いたいですが、写真の良し悪しをこちらで選定し、タレントチェックはしない方針で誌面をつくっていました。メディアとして立派な態度だと思います。

なるほど。作風が虚構性とエンターテイメント性を武器にしていると、仕事も同じテンションで取り組めますよね。リアルな事柄を、より美しく、カッコ良く、面白く、ある種、虚構性をプラスするのが仕事ですものね。まさに、順風満帆ですね。

最初はそうでしたね。

ということは、そんなにうまくいく時期は続かないと(笑)?

独立した当時は、27、28歳でしたが、良い写真を撮れば仕事がくると信じていて、多分よっぽど生意気な、愛想のない奴だったんでしょう。独立してすぐに仕事がある幸福な状態から、徐々に暇になるわけです(笑)。

調子に乗ってしまったんですね(笑)。

写真が飛び抜けて良かったら、そうはなっていないでしょうけど、写真の良さと態度のバランスが悪かったんでしょうね(笑)。30歳くらいで、写真だけじゃ食えなくなりバイトをしていました。

その当時は、雑誌をメインとしたカメラマンになりたかったんですか?

雑誌は、いずれ無くなるメディアだろうと感じていたので、広告写真というフィールドにいきたかったんです。それは、一貫していて、今でもそうです。

広告の世界も、虚構性を表現したいTAKAMURAさんには、あってますよね。

はい。面白いこと、カッコイイこと、美しいことの割合は、その仕事により変わりますが、広告写真は面白さも大事なので、それが自分にはアプローチの方法も含めて、非常に合っていると感じています。

作品づくりは継続していたんですか?

極端な話、プロフェッショナルのカメラマンとしてやるんだったら作品づくりは、やめようと思っていました。でも、今お話ししたように、暇なときは暇なんです。それで2006年くらいから、暇つぶしも兼ねて風景写真を撮るようになります。

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『半LOVE』より Iizuka,Fukuoka,2008

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『半LOVE』より Koushu,Yamanashi,2012

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『半LOVE』より Miyazaki,Miyazaki,2016

いわゆる風景写真といっても、美しい自然の風景ではなく、スナップというか、世の中にある面白いものを切り取っていく風景写真ですよね?

それをまとめたのが、2013年の『半LOVE』という展覧会です。最初の話に戻りますが、やはり風景写真といっても、昔からいわれている〈鏡〉的な写真か〈窓〉的な写真かというと、僕は〈鏡〉的な写真を良しとしないので。人に見せる以上は「面白くなくてはならない」と信じていますから。

影響を受けた写真家でも、窓的な写真を撮る方々が好きなんですか?

日本人で最も影響を受けた写真家に、中平卓馬と金村修がいます。中平卓馬は、『なぜ植物図鑑か』という本で、内面性を吐露するような過去の自らの写真を振り返りながら、もうこれからは、そのような写真は撮らない、撮れないというようなことをいっています。金村修は、写真とは絵画のような1枚のタブローで語るものではなく、フィルムの大量消費を前提とした表現手段であり、大量の写真をつくることにより、はじめてその作家性が見えてくる、というようなことをいっています。2人の言葉にはすごく同調できるところがあって、自分にとっては、写真の1番大事なところを語ってくれている写真家たちです。

このラブホテルを撮ったシリーズは、〈窓〉的な写真を意識して制作したんですね。

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〈窓〉的、ということばかりを意識していたわけではありませんが、風景写真はそういうものだという気持ちは、その頃から今も変わらずあります。最初はビッグスクーターで房総半島にいったり、東京近郊から始めました。その後は九州や四国に行って1週間とか10日とか車を借りて、1人で1日中走って撮影しました。

いくら暇だとはいえ、それだけ突き動かされるものがあったんですよね。撮りたいって欲求がなかったら、結構キツイ作業じゃないですか? 酒飲んだり、遊びの誘惑に負けちゃいそうですからね。きっと、撮影旅行が、遊びだったんでしょうね(笑)。

1人で車に乗って1日中走って、今日は2枚しか撮ってないとか、よくありますが、それでも楽しいんでしょう(笑)。もう終わりにしようと思ったことはありません。

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『半LOVE』より Hashikami,Aomori,2007

よっぽど楽しんでしょうね(笑)。

この上の写真は、自分の中では最高にカッコ良い造形物を撮った、と表現できる部類のものです。出会ったときは、きっと、独りほくそ笑んでいたはずです。何が気に入ったかというと、これって制作者が最初に意図したことと、実際に風景の一部になった時の落差がすごいと思うんですよね。ラブホテルのオーナーが「じゃあ、花火が目立っていいんじゃない?」とかいって、業者も「じゃあ、ネオン管にしましょう」とかいってつくっていた光景が頭に浮かびます。そして現実の世界に設置されたときに風景として立ち現れる 〈無作為の作為〉が最高に愉快で面白いんです。

なん度もすみません。楽しそうですね(笑)。

ほんとですよね。アホな遊びです。時間の割合でいうと、ほとんどドライブですからね。

バブルは経験してない世代でしょうけれど、バブルの遺産が、そのまま残ってるのも興味深いですよね。

揶揄と同時に敬意もあります。要するに、よくこんなくだらなく面白いものを、金と手間をかけてつくるなと。ある種の偉業ですよね。

もう完全にTAKAMURAさんのライフワークですね。ちなみに訪ねていない県はあるんですか?

ピンポイントですけど、4×5のカメラを持って新潟は通過してないです。あと、沖縄もいってないです。

新潟と沖縄以外の都道府県は全部制覇してるんですね(笑)。どこに撮影にいくか、どうやって、あたりをつけるのですか?

ある程度、人口が多い都市の周辺を走るのと、インターチェンジの近くって、やっぱりたくさんあります。それとは異なる傾向で、山の中にも結構あります。走ってたら急に出てくるみたいな。それで近くにいってみたら、これが、また面白いという…。

今だと、インターネットで調べられるじゃないですか。iPhoneでラブホを検索しながらいくんですか?

一昨年あたりから、面白いラブホテルに出会う機会が、ものすごく減っています。今までの経験でいうとあるはずのところにもない、という状況です。そうなると寂しい気分になって地図上で検索したりもします。

一方で、TAKAMURAさんが撮影する姿を想像すると、iPhoneを片手に、車でバーって走っていって、何もないところに、ラブホテルが見えて、「やべぇ、あれ面白そう」と、とりあえずラブホテルの周りを1周してみて「ああ、この角度かな、この角度かな」って、なんとなくあたりをつけて、そこから車を降りて、4×5のカメラをセットして、暗幕を被って「うーん少しこっちかな」ってやってるんですよね(笑)。

1人でラブホテル相手に(笑)。

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『半LOVE』より Sakai,Fukui,2015

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『半LOVE』より Kirishima,Kagoshima,2012

東京だと撮れないですか?

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東京だと、ラブホテルの利用客が多く、それなりに儲かっているのではないでしょうか。そうなると、改装できるので、あまり面白くありません。地方だと、稼働率も低くく、きっとあまり儲かってないのでしょう。改装できても、先に内装なんじゃないでしょうか。一時期、撮影した後、そのままラブホテルに泊まっていました。
そうすると内装はブティックホテルみたいに綺麗で画一的なんですよね。でも、外観はそこまで変えられないから古いまま残ってる。また、面白いのが、ある程度人口が多い地域でないとラブホテルがありません。北海道は、見事に途中から、全くなくなるんですよね。

今も撮影にいってるんですか?

去年はいけませんでしたが、今年はいきます。もしこのままラブホテルに限らず、興味深い人工物に出会う機会がなくなれば、このアプローチの写真制作は終わりを迎えるかもしれません。

しかし、膨大な時間がかかってますね。

そうですね(笑)。

このシリーズは、どうやって発表したんですか?

2006年に撮り始めて、2013年に新宿のBEAMS(ビームス)にある〈B GALLERY〉で写真展をやらせてもらいました。2012年くらいまでは、誰にもみせていませんでした。撮影が楽しくて、それで満たされていたのですが、大学の同級生であり、写真家の大和田良が、このシリーズをピックアップしてくれました。彼の師匠の五味彬さんが『ShINC. MAGAZINE』っていう写真雑誌を出していて、それを彼が1号だけ引き継いで、僕の写真を掲載してくれました。その流れで、写真展もやらせてもらいました。それがひとつの転機でした。人にみせる、別の楽しみを教えてもらいました。

TAKAMURAさんの写真をみた人の反応が面白いのですか?

それまでの僕にとっての写真制作は、ひとり車で走ってラブホテルを見つけて、陽を浴びて風に当たって、シャッターを切り、帰ってきて現像したものをみる、というものでした。しかし、展覧会をおこなうということは、その写真の中から選び、プリントして、人にみせるという行為です。その過程で自分ではない人に自分の写真を委ねる、変な表現かもしれませんが〈写真を任せる〉というようなことを実感しました。

みた人の想像によって膨らみ方が様々で面白いってことですね。

例えば、こういうことがありました。いつも一緒に仕事をするアートディレクターがいて、その彼が13年くらい前にやった僕の展覧会の写真の1枚を12年後に、「あの時の写真が欲しい」と購入してくれました。そのとき思ったのは、たしかに、その写真は、僕が撮ったもので、僕の写真ではあるけれど、一方で、それをみてくれた人がいて、ある意味でその人の記憶にもなっている。撮影したのは僕だけれど、みる人にとって何か感ずるものがあれば、その写真はその人のものになる。それが写真の面白いところのひとつです。

プリントは1枚しかないですが、立場によって、それぞれ違う写真になるってことですよね。

この話が、今回の『OCCULT』の写真にも通ずるものがあります。

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『OCCULT』より Interzone,2017

次回は、『OCCULT』について、より深く掘り下げたインタビューをお送りします。

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