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時代を超えて私たちを魅了するジャンヌ・ダルク

映画監督と観客を魅了してやまない聖人、ジャンヌ・ダルク。90年前のサイレント映画『裁かるゝジャンヌ』は、当時のジェンダー規範に抗い、信仰心を貫いた彼女の姿をありありと描いている。

by Kristen Yoonsoo Kim
23 October 2019, 8:54am

Photo courtesy of Janus Films

ルネ・ジャンヌ・ファルコネッティ(Renée Jeanne Falconetti; マリア・ファルコネッティ(Maria Falconetti)としても知られる)の泣き顔は、映画史においてもっとも象徴的な表情といえるだろう。ファルコネッティは、カール・テオドール・ドライヤー(Carl Theodor Dreyer)監督のサイレント映画『裁かるゝジャンヌ』( La Passion de Jeanne d’Arc, 1928)で主演を務め、聖人ジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc)に不朽の名声を与えた。涙を浮かべた彼女の瞳は、恐怖によって一瞬大きく見開かれ、そして絶望とともに伏せられる。この表情は、映像制作の手法において、苦難と殉教を表す代名詞となった。ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)監督も、ファルコネッティの泣き顔から着想を得て、『女と男のいる舗道』( Vivre Sa Vie, 1962)のアンナ・カリーナ(Anna Karina)が涙を流すシーンを撮影した。このように、涙を流し、やつれ果てた表情の印象が強いジャンヌ・ダルクだが、彼女は常に女性の強さの象徴であり続けてきた。

また、ジャンヌ・ダルクは、数多の映画監督を魅了してやまないキャラクターでもある。ジャック・リヴェット(Jacques Rivette)監督の『ジャンヌ・ダルク/I 戦闘 II 牢獄』( Jeanne la Pucelle: Les batailles, Les prisons, 1994)、ロベルト・ロッセリーニ(Roberto Rossellini)監督の『火刑台上のジャンヌ・ダルク』( Giovanna d'Arco al rogo, 1954)、ロベール・ブレッソン(Robert Bresson)監督の『ジャンヌ・ダルク裁判』( Procès de Jeanne d'Arc, 1962)、オットー・プレミンジャー(Otto Preminger)監督の『聖女ジャンヌ・ダーク』( Saint Joan, 1957)、リュック・ベッソン(Luc Besson)監督の『ジャンヌ・ダルク』( The Messenger: The Story of Joan of Arc, 1999)。これらの作品と『裁かるゝジャンヌ』、さらに『ビルとテッドの大冒険』( Bill & Ted’s Excellent Adventure, 1989)(もちろん後者にもジャンヌ・ダルクが登場する)は、〈Woman, Warrior, Saint: Joan of Arc Onscreen(女性、戦士、聖人:スクリーン上のジャンヌ・ダルク)〉と題された特集で、2018年4月6日から12日まで、ニューヨークの映画館クアドシネマ(Quad Cinema)で上映された。これは、ジャンヌ・ダルクを題材にしたさらに別の作品『Jeannette: The Childhood of Joan of Arc』( 2017)の公開を記念した特集だった。本作は、ブリュノ・デュモン(Bruno Dumont)監督による、若き日のジャンヌを描いたヘヴィメタ・ミュージカル映画だ(風変わりでありながらシリアスな傑作だった)。

しかし、ジャンヌを描いた最初の映画はドライヤー作品だ。今作は2018年4月21日に、公開90周年を迎えた。ファルコネッティは、台詞をいっさい用いずに、自らの表情だけですべてを物語る。死刑宣告の場面で、彼女の顔の片側の無意識にひきつるような動きは、恐ろしいほど生々しく、鑑賞者がこの歴史上の人物にどんな感情を抱いていようと、心を揺さぶられずにはいられない。『裁かるゝジャンヌ』は、1431年の実際の裁判記録に基づいて制作されたものの、芸術的な自由を行使し、映画という芸術に特有の脆弱性をもってジャンヌ・ダルクを描いている。ジャンヌと同様に極端なクローズアップで、ローアングルから撮られた男性の審問官たちは、傷ついたジャンヌに降りかかる不幸を予感させるキャラクターだ。サイレント映画だが、ファルコネッティのすすり泣きが、今にも聴こえてくるようだ。さらに、登場人物の日に焼けた顔を細部まで映しだすクローズアップショットのように、ドライヤー監督は脚本においても、ジャンヌの人生のほんの一節、つまり火刑直前の最期の瞬間に焦点を当てている。本作で主に描かれるのは裁判と刑の執行で、百年戦争の歴史的背景はほとんど触れられない。

陪審員や集まった民衆は、ジャンヌ・ダルクが神の声を聞いたと主張したため、彼女を魔女だと信じていた。しかし、鑑賞者が彼女の話についてどんな立場を取ろうと、恐るべき、紛れもない事実がひとつある。彼女もまた、世間に自らの言葉を信じてもらえず、それによって権力の座にある男たちに痛めつけられた女性のひとりなのだ。このような物語は、いつになったら当たり前でなくなるのだろう。『裁かるゝジャンヌ』でジャンヌを尋問する男たちは、彼女に繰り返し猥褻な質問を投げかける。一方、ロッセリーニ監督の『火刑台上のジャンヌ・ダルク』では、「私は豚だ!」と何度も叫ぶ豚に扮した男が、ジャンヌの裁判を進んで引き受ける。この演出は、〈#BalanceTonPorc(直訳:あなたの豚を糾弾しなさい)〉と呼びかける、フランス版〈#MeToo〉運動を彷彿させる。

ジャンヌはまた、当時違法行為とされていた、少年のようなショートカットを含む男装によって審理された。しかし、彼女はレイプを防ぐために身なりを変えていた、という記録がある。ジャンヌは、宗教的なアイコンであるだけでなく、15世紀のジェンダー規範に抗ったLGBTQのアイコンとしてのいち面も備えているのだ。

ジャンヌが鑑賞者にとってどんな意味を持っていようと、彼女は確固たる信念と忍耐の象徴だ。そして不思議なことに、この作品自体も、彼女の人生と同じような道をたどっている。本作はカトリック教会の検閲の対象になり、ジャンヌの瀉血シーンなどが削除されただけでなく、ネガも焼失、散逸したとされていたが、公開から50年以上を経て、どういうわけかノルウェーの精神科病院で発見された。

以来、『裁かるゝジャンヌ』は何度も活路を見出し、今再び注目を集めている。2017年11〜12月には、ニューヨークの映画館、フィルム・フォーラム(Film Forum)でデジタル復元版が上映され、2018年3月には、クライテリオン・コレクション(The Criterion Collection)から復元版が発売された。本作の終盤で、ジャンヌは炎に怯え、何とか助かろうと改悛する。しかしその後、彼女は新たに見出した信仰心によって勇気づけられ、自らの信念を貫く。「どうしてお前は神を信じていられる?」と審問官のひとりが尋ねると、彼女は「神のはたらきは不可思議です」と答える。本作の結末で、ジャンヌはあらゆる人間が恐れる運命に直面する。しかし、彼女は永遠の楽園への期待に満たされ、天国を仰ぎみる。

This article originally appeared on VICE US.

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