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『TETSUPENDIUM TAWARAPEDIA 』刊行記念!俵谷哲典フェスタ!インタビュー編〈fromハードコアto忍耐力〉

「道端で誰でもいいから声を掛けて肖像画を描き始めたんです。そのうちライヴハウスにも行き始めて、そこで同じように描いていたら、どんどん知り合いも増えて来て」

by VICE Japan
01 April 2015, 3:24am
2014 “Moving” Group Exhibition, Soho, NY, USA

この人の頭ん中はどーなっているのでしょうか?脳みそ何リットル入ってるのでしょうか?背中に手を何本も隠しているに違いない。足も股の間からニョキニョキと出て来るに違いない。チンポも相当な数に違いない。そんなモンスターの如く、モンスターの絵を描き、モンスター級の音楽を放ち、世界中のモンスターを虜にしている男…俵谷哲典。そんな彼のベスト的作品である『TETSUPENDIUM TAWARAPEDIA (BEST OF 2002-2012)』が刊行されました。それを記念して彼のモンスター・ライフをインタビュー。マンガから音楽までたっぷりと。超・超快足!この素晴らしいフットワークにガッチリ触れてください。

俵谷哲典フェスタ!作品展示編はこちら!

『TETSUPENDIUM TAWARAPEDIA (BEST OF 2002-2012)』の発表おめでとうございます。イタリアのホロー・プレスからの刊行になりましたが、まずはこちらのいきさつを教えてください。

ホロー・プレスは年に二回『U.D.W.F.G.(Under Dark Weird Fantasy Grounds)』というアートコミック雑誌を出しているんです。それに参加したのがきっかけなんですけど、まずSWEET DREAMAS PRESSから「俵谷君のこと嗅ぎ回ってる変なイタリア人がいるよ」って聞かされて。SWEET DREAMS PRESSで扱ってもらっている僕の本を買いまくっていると。同時にタコシェの方にも同じようなメールが来て、これまた買い漁っていたと。それで下調べが終わったんでしょうね(笑)。やっと僕の方にメールが来て「U.D.W.F.G.」に参加することになったんです。結果、ホロー・プレスの編集長のミケレ・ニトリさんは特に怪しい人では無く、若く情熱のあるイタリア人紳士でした。(笑)

「U.D.W.F.G.」での反響はいかがでしたか?

プロビデンスにあるフォート・サンダーの創設メンバー、マット・ブリンクマンも参加しているんです。彼はやはりコアなファンが多く、それもあってか僕の作品もたくさんの人の目に触れたみたいで。良い反応をもらいました。

それで『TETSUPENDIUM TAWARAPEDIA』に繋がると。

はい。でもこれがまたすごくて。今年の一月に急に「出さないか?」って言われて(笑)。いくら2002年からのベストだからといって、翻訳もしなくてはならないし、スキャンしなくちゃならないし。更に定型も変えたりで…。400ページもあるので本当に大変でした。

そのちょっと前の1999年から本格的に制作をスタートしたそうですが、絵を書くのは子供の頃から好きだったんですか?

普通の子供と同じように好きでした。幼稚園の時にゲゲゲの鬼太郎を描いたり、小学校の絵日記では、電車の腹の部分の緻密な配線みたいなのを描いたり。

あんまり普通じゃないかと思いますが(笑)。

そうですかー(笑)。授業中もマンガ描いたりして。四コマですね。コロコロ、ボンボン系ですよ。友達と見せ合ったりして。

それからずっと描き続けているんですか?

いえ、音楽を聞き始めたら遠のきましたね。

何を聞いてたんですか?

ビートルズとかも聞いてましたよ。歌詞をカタカナで起こす作業を中学生で。高校はアメリカのオルタナ、ハードコアですね。CLIKATAT IKATOWIとかANTIOCH ARROWとかKARPとか。後に2UPを一緒に結成する事になる中野がミックス・テープを作ってくれて。UNWOUNDも好きでしたねぇ。あんな鬱音楽なのに(笑)。あ、もちろんその前にSKID ROWとかBON JOVIとかEXTREMEとかも通過してますけどね。

(笑)。バンドもやってたんですか?

いえ、ギターは買ったんですけど、家でコピーするくらいでした。鬱音楽を。

では絵の復活はいつ頃から?

浪人時代に。アート系の本とかも見るようになって。フランシス・ベーコンとかバスキア、ポップアートとか。あとやっぱH.R.ギーガーですね。最高です。

それで美大に行ったんですか?

いえ、一般大学です。その頃は映画がめっちゃ好きだったので、美大の映像学科も受けたんです。そしたら二次試験が実技で、四コマ描いて落ちました。

(笑)。どんな内容だったか覚えてます?

主人公が豚の血の中を泳いで、エイリアンに遭遇して、地球が侵略される…四コマでナチュラルに表現したんですが、理解されませんでしたねぇ。

映画はどんなのを観ていたんですが?

デヴィッド・クローネンバーグ、デヴィッド・リンチ…暗いヤツですね。あ、あと最後に登場人物が死ぬ映画。デッドエンドで終わる映画ばかり観てましたね。「ゼイリブ」とか「俺たちに明日はない」とか。「うお~、死んだ~!」って自分の中でも完結させるのが好きでした。

大学時代にサンディエゴに行ったんですよね?そのいきさつを教えてください。

CRIMSON CURSEってサンディエゴのバンドのビデオを観たんです。NATレコードで買ったヤツ。そしたらハロウィンのライヴ映像だったんですが、メンバーが真っ裸でペンキ塗って演奏してるんです。裸なのにカウボーイ・ハット被ってたり、ギターの位置をもうちょっと下にすればチンポ隠れるのに、思いっきり上げてブルンブルン振ってて…そいつは今ALBUM LEAFのジミー・ラヴェルですね。「コレは凄い!ここに行くしか無い!」ってなったんです。それでバイトしてお金を貯めて、大学一年だった99年12月に冬休みを利用して三ヶ月行きました。

でもFUGAZIのワシントンDCだとか、他にもニューヨークとかシアトルとかあると思うのですが…

いや、それはもうチンポの影響がデカ過ぎて。そこは全くブレませんでしたね! あと行く前に、CRIMSON CURSEのジャスティン・ピアソンがTHE LOCUSTで来日したんですね。そのときに「いつかサンディエゴ行くから」って言っちゃってたし。

そんな憧れの地はいかがでしたか?

全く英語も喋れなかったし、ツテも無かったんです。でもシーンを肌で感じなくては…って、まずはタウンページのレコード屋ページを破って、しらみつぶしで行きました。でもコレが一件、一件離れているんですよね。そんな感覚無かったし、免許も持ってなかったから歩いて歩いて。ギンギンに日焼けして着いたら「あちゃー、ジャズ店だったー。ココも!ココも!」ってタウンページに毎日×が増えて行くという作業をしてました。 で、コレではイカン、せっかく来たんだから、もっとコミュニケーションを取らなければと思って、道端で誰でもいいから声を掛けて肖像画を描き始めたんです。そのうちライヴハウスにも行き始めて、そこで同じように描いていたら、どんどん知り合いも増えて来て。あと偶然ジャスティン・ピアソンにも会ったんですね。そしたら僕のことを覚えてくれていて。「おお、本当に来たんだ。これからメシ食いに行くんだけど一緒に来る?」って誘われまして。それで他のLOCUSTのメンバーや、その友達とも知り合いになって、どんどんネットワーク広がって行ったんです。そこから先は年に三回くらい行くようになりましたね。

留学していたと思っていたんですが、違うんですね。

ええ、それも考えて大学とか見学に行ったんですけど、破れたTシャツ着てるヤツとかいないし。つまんなそうだな…ってやめました。

(笑)。じゃあ英語も完全に独学なんですね。ちなみに何回くらいサンディエゴには行ったんですか?

20回以上は行ってますね。

すごいですね!サンディエゴのみ!

はい、のみです(笑)。

結局800枚もの肖像画を描いたとか。

そうですね。最初は喋れなかったからすごく便利でした。みんな喜んでくれるし、貰えるものだから誰も嫌な顔もしない。別に似顔絵を描いてどうにかしようなんて思っていなかったんですが、だんだん自分のスタイルみたいなものが出て来て、もっと追求したいと思い始めました。2002年まで肖像画をやっていたんですが、その間にGOGOGO AIRHEARTの通称ハッシュ(アシッシ・ヴァイヤス)に頼まれて、初めてシルクスクリーンのライヴ・ポスターを描いて、あとS IS FOR SOUNDっていうバンドに参加していたので、そのフライヤーとかも。その後にマンガですね。

マンガを始めた理由を教えてください。

別に大きな理由はなかったんですけど、良く考えてみたら「なんでみんなマンガ描いてないんだろう」って思って。絵とかアートっぽいことしてる人はたくさんいるんだけど、マンガは周りにいないなぁって気付いたんです。じゃあ、やろうかなって。

2UPを結成したのもその頃ですよね。

中野は高校の同級生で、S IS FOR SOUNDも一緒にやってて。もっと激しいのやろうって感じで始まりました。

2up at Pangaea in Sendai (photo by Yuukoanchan)

コンセプトみたいなものはあったんですか?

全く無かったです。二人っていうのも、ただスタジオ代が安くなるし…って感じだけで。ギャーって曲作って、バーって音合わせて「え?もうコレで終わり?」なんて言われて。「そうだよ、これが2UPなんだよ!」って言いながら、たくさん曲を作って行くという。

BLACK DICEの東京公演にも出演しましたよね。

そうですね、あれが日本での初ライヴでした。実はその前にアメリカ・ツアーをしたんです。向こうの友達のバンドでPEPPERMINTSってのがいて、ブッキングしてくれたんですね。でも中野が「あれ本気だったの?いやー、チケット買ってないや」って言い出して。まあ、それはそうですよね、まだ練習も2~3回しか入ってないし、まだ一回もライブをやってなかった時期ですから。 それで結局一人で行く事になり、代わりのドラムを現地調達で探したんです。運良く見つかり、曲も教え、その全く知らないロブってヤツと2UPとして回ったんです。いいヤツでしたけどね、その後の交流は全くありません。

(笑)。同時にこの頃から海外での展覧会に参加されるようになりますが、どのようにオファーされたんですか?

GigPosters.comって言うのがあって、そこにフライヤーとかポスターを載せていたら反応が良かったんです。それで色々連絡が入るようになり、カナダのポップ・モントリオールだとか、全米を展示で回るポスター・ツアーとかに声をかけてもらえるようになったんです。

今もフランスでやってるんですよね?

はい。セテで「HETA-UMA」っていう日本人のアンダーグラウンド作家に焦点を絞った展示です。根本敬さん、蛭子能収さん、丸尾末広さん、田名網敬一さんなど、そうそうたる人たちが参加しています。

響が多い国はどこですか?

最近はヨーロッパが多いですね。フランスとかイタリアとか…。イタリアは、ダリオ・アルジェントとかの影響もあってか、ホラー系好きな人が多いので、そう言った意味でも作品を理解してくれているのかもしれません。

でもポップな感じも強いですよね?その辺は意図しているのですか?

やっぱ四コマ世代なので。

(笑)。CDやレコードのジャケットも描かれていますよね。その際は音もあるわけですから「こんなイメージで」なんて要望もあるのですか?

それはありませんね。そもそも海外の人はアーティストをリスペクトする意識が高いんです。日本みたいに、イラストレーターに仕事を投げるみたいな感覚が無いんですよ。

今度はTHEE OH SEESの新作ジャケットもやるそうですね。

もともと交流はあったんです。MR. MRS. TRIBUTE TO UGLINESSというバンドに一時期参加していたことがあって、そのときにジョン・ドワイヤーがやっていたCOACHWHIPSと対バンしたんですね。その時に知り合いになりました。THEE OH SEESで来日したときも会いましたが、そこでもジャケットの話は出ていなかったんです。そしたら偶然マット・ブリンクマンがジョン・ドワイヤーに「U.D.W.F.G.」を送ったんですね。ジョンはPINK AND BROWNをプロビデンスでやっていたから、マット・ブリンクマンとも古い知り合いで。それで「U.D.W.F.G.」で僕の名前を見て「あれ?テツノリ?」となって。更に作品も気に入ってくれたんです。それでジャケットに使わせて欲しいと。ちなみにこの絵は「U.D.W.F.G.」のマンガの一コマなんですよ。「描き直そうか」って言ったんですけど「構図も最高だし、自分のイメージとピッタリだから」ってそのまま使ってるんです。

Thee Oh Sees “Mutilator Defeated At Last” (Castle Face) 2015 May 18

世界はめちゃくちゃ広いのに繋がってますね。で、このジャケットの絵もそうなんですが、初期からタッチがどんどん細かくなって来てますよね。点描を使ったり。

そうですね。変わって来ています。ゴッホの青の時代が終わったみたいなもんですね。

(笑)!

細かくなったのには経緯があるんです。運転免許を取ってからですね。九ヶ月かかって取ったんですが、そこで忍耐力が養われたわけです。実際に運転するときも忍耐力が必要だし、徐々に忍耐力の数値が上がって来たわけです。 今まではバッバッバッ!って絵が多かったんですけど。もっと考えることが出来るようになり、集中も出来るようになった。脳のキャパも広がったんですね。

(笑)。思い通りに描けないこともあるのですか?

それは考えないようにしています。ダメだったら捨てればいいだけの話なので。作りまくって、良いのを使うって感じですね。

コンセプトをイメージして作品に取りかかるのですか?

いえ、そんなスピリチュアルな人間じゃないんで(笑)。ミケランジェロは、彫る前にもう完成が見えているらしいんですけど、そんな凄いことは出来ません。想像力はあるかもしれませんが、頭の中にキャンパスを置いて「ここの構図がこうで…う~む」なんてことは出来ません。描きながらアドリブを入れて行く感じなんです。

東日本大震災の際は、支援企画「そこから虹は見えるか? -Japan earthquake/ tsunami benefit: Art across the ocean-」をされましたよね?そのいきさつを教えてください。

自分は宮城県出身という事もあり、周りの友人や家族が被災した事で、何か自分にできる事はないかと思った時に、海外のアーティストで協力したいという人が周りに多くいたんです。じゃあ彼らに協力してもらい展示をしたらどうか、と思ったのがきっかけです。

反響はどうでしたか?

口コミでどんどん広がっていって、応募作品は当初の人数から膨れ上がり、150人程になりました。会場の3331も、震災支援であればタダで貸します!と言ってくれて嬉しかったですね。落書きみたいなノートの切れ端の絵から、額装された立派な絵まであって、海外からの生々しい応援メッセージを見れた貴重な経験でした。最終的に経費や中間マージンなどが一切発生しなかったので、収益金を100%災害対策本部に寄付する事ができてよかったです。

2011.5.18-5.30「そこから虹は見えるか? -Japan earthquake/ tsunami benefit: Art across the ocean-」3331 Arts Chiyoda,Tokyo,Japan

作品はDonuts Machineから立体化もされていますね。人形からバッグまで。可愛いって言うのも変ですがとてもステキです。初めて手にしたときはどうでしたか?

嬉しかったです。感動しました。最初に2UPのアルバム・ジャケットに描いたポロンさんっていうのがいるんですけど、それを人形にしたら面白いんじゃないかと思ってスタートしたんです。

Tシャツも多いですよね。

そうですね。最近はエッツィで結構売れるんです。ナスダックに上場したからですかねぇ。

(笑)。

今日もアメリカから二人、オーストラリアから一人注文来てました。日本では全然なんですけど!

最後に音楽の話をもうちょっと聞きたいんですけど、碧衣スイミングさんと始めたHANGAKUについてお願いします。

彼女がやりたいことをやりながら、バックがしっかりした演奏だったら、もっと面白いものが生まれるんじゃないかと思ったんです。それを2UPがやろうと。俺はそう思ってたんですけど、中野はどうやらそう思っていなくて(笑)。じゃあ、俺ひとりで彼女のバックをやってみようと思ったら、なんかイマイチ盛り上がらなくて、それで一緒に何か作って行こうってことになったんです。

VASTIEU RAMENは?

ソロ・プロジェクトです。2006年位からやってますね。最初はドローンだったり、ノイズだったり、ライヴ会場にあるヘンテコなものを使って演奏したり…鍬と瓶とか。最近はもうちょっとタイトな感じになって来て、事前に録ったドラムとベースを流しながら、THE BIRTHDAY PARTYみたいな(笑)。ここでもちょっと動きがあって、フランスのGGアレンと言われる(笑)コステスの曲を作ることになったんです。去年彼が来日した時に一緒に演ったんですけど、それがきっかけになって。彼はパフォーマンス性が強いので、それを考えて作ろうと思っています。

そして最新プロジェクトであるユーロ雑音は?

西池袋のブックギャラリーポポタムにて毎年行われている「妄想ロックフェス」というイベントに参加する事になりまして、イベントの趣旨としては、存在しないバンドのTシャツや、レコードジャケを参加アーティストが妄想して作る、というものですが、せっかくなので妄想バンドを録音した方が面白いんじゃないかと思って、勝手に作ったのがユーロ雑音です。 HANGAKUで一緒にスプリットを出したオーストリアのSE MUSTARD TERRORISTSのドラマーがたまたま日本に来ていたので、ボーカルで参加してもらいました。カタコトの日本語が最高です。

それにしても本当にたくさんやられてますね。楽しいですか?

ええ、とても楽しいですよー。でも時間が本当に足りないので、好きな映画も観られなくなってます。TSUTAYAのカードも期限が切れて二年くらいになっちゃいましたね。

それぞれの活動で共通しているものはありますか?

うーん、どうでしょうか…。ただ、一つのものだけで自分を表現するのは無理なんです。もちろんそういう人もいるわけですけど、自分はとても飽きっぽいんで。一か所にずっと住んでいるのも嫌なんです。制作活動も同じで、一つのことやり遂げるのは重要なことだと思うんですけど、そこではやり切れないものって絶対出て来るんです。だからそれらを違うアウトプットで出していったら、だんだん増えちゃったってだけなんです。

ではそれらが影響し合って、相乗効果を生んでいると。

いやぁ~そこまで影響し合うことはないですねぇ。ただやったことが、糧として反映されることはあります。例えばHANGAKUで僕は初めてドラムをやってるんで、タイミングに会わせてリズムを刻んだりとか意識するようになりました。そういったリズム感とかが他のプロジェクトに反映されていると思います。でも絵が音楽に反映するっていうのは…どうでしょうか…やっぱ忍耐力…忍耐力がどこらかに反映しているとは思います。

(笑)。忍耐力って大事ですね。

俵谷哲典(たわらや てつのり)

1999年より本格的に絵を描き始める。フライヤーアート、コミック、シルクスクリーンなどで作品を発表し、日本はもちろん、アメリカ、イギリス、イタリア、フランス、カナダ、スペインなど世界各国で作品が展示される。同時にミュージシャンとしても活動しており、2UPをはじめ、様々なプロジェクトを遂行中。

俵谷哲典フェスタ!作品展示編はこちら!