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生涯で最悪のイベント 「結婚式」を新婦が語る

結婚式の朝、私はひとりぼっちでした。ベッドの上に座り、ドレスを握りしめながら「マジでクソ」と呟いていました。

「間違いなく人生で最良の日でした」。世界中の新郎新婦は口々にそう振り返る。

でもそれは本当だろうか? 人生最良の日? いちばん? 寝坊できない、リラックスもできない、窮屈なドレスを着なきゃいけない。酔っぱらった友人、感動している親戚のために会場の飾り付けもしなきゃならない。それでいて、自分は最高に輝いていないといけない。

そんな切羽詰った状況には、大惨事やドラマがとても良く似合う。私個人としては、もし今の夫ともう一度結婚式を迎えるならば、スウェット姿で残り物を食べる、そんなスタイルでいい。そんな風に考えている人は、結構多そうだ。

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サラ
親友は欠席、父親のスピーチは「お越しいただきありがとうございます」のひと言。しかも夫のバチェラーパーティーの最低な写真が私に手渡され、それがただの「ジョーク」で済まされる。あれから何年も経ちましたが、私たちの結婚生活が続いているのが不思議なくらいです。

ジョリーン
あの日のすべての瞬間が憎らしい。結婚自体が間違った選択だったのです。70人もの出席者が待つ教会への車のなかで、すでに私は泣いていました。幸せで泣いていたのではありません。自分が犯している過ちに恐ろしくなったのです。花嫁は緊張しているだけだ、と皆んなは考えていたでしょう。それまでにも私は、何度か式をキャンセルしようともしました。でも話を聞いてもらえなかった。夫は自殺までほのめかしてきました。

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式が終わるころ、私の精神は混乱を極めていました。そして、トイレでパニック発作を起こしました。義理の父が、裏から連れ出して車に乗せてくれました。彼には本当に感謝しています。その夜は、夫が眠るまで浴室に閉じこもっていました。10カ月後、私たちは離婚しました。

エイミー
結婚式の朝、私はひとりぼっちでした。ベッドの上に座り、ドレスを握りしめながら「マジでクソ」と呟いていました。会場では、妹の彼氏が私をダンスフロアに誘いました。妹はDJに自分たちの婚約を発表するように頼み、そこでふたりのファーストダンスが始まったのです。

ダンスが終わるころには、私は最高にイライラしていたので、MANIC STREET PREACHERSをかけてくれとDJに頼みました。彼が持っていた唯一の曲が「If You Tolerate This Your Children Will Be Next」(スペイン内戦で使われた、反ファシスト・スローガンから取られた曲)だったんですが、どうしてもそれをかけてほしい、とDJに頼み、私はひとりでその曲に合わせて踊りました。あの曲でどうやって踊ればいいかって? とにかく、クネクネ動けばいいんです。

スザンヌ

ずっと、戦犯にでもなったかのような気持ちでした。私は、注目を浴びたくなかったから、イタリアでのヴァケーション中に式を挙げ、家族には式の前日に「ハッピーニュース」として報告しようと決めていたんです。

しかし、家族に連絡したときの雰囲気といったら、まるでベジタリアンが集まるディナーパーティに、ラムチョップが放り込まれたような…。家族は、私たちがただの休暇でイタリアにいると信じていたんで、あまりのショックに激怒してしまいました。私は、いかに自分のことしか考えていなかったかを思い知りました。旅行先は、ガルダ湖畔のマルチェージネで最高だったんですが、そこで撮った数少ない写真のなかの私は、泣き腫らした赤ら顔です。

メグ
入場曲に合わせて、私よりも先に母のボーイフレンドが登場しました。私は激怒しました。その日の話題は、全部彼がかっさらってしまいました。私たちの結婚式だったのに…。しかも、ビーチウェディングだったんですけど、嵐が来てしまい、海の家で飲むカクテルも、埠頭で捕まえるはずだったカニも、海岸の散歩も、BBQもできなくなったんです。会場はカンファレンスルームになってしまいました。

私は、妊娠13週目だったので、お酒にも慰めてもらえませんでした。今でも、家族と式の話をしたり、写真を見たりしていません。

ローザ
教会に向かう少し前、実家に置いていた私のウエディングドレスを母が試着し、その姿を父が写真に収めたと知りました。

引き出物は盗まれる、新郎の友人スピーチでは長々と彼自身の結婚式について聞かされる。そいつは、新郎、新婦について何も触れませんでした。義理の母は、全身真っ黒の格好で現れ、たったひとりの息子を失うなんて本当に悲しい日だ、と皆に触れ回っていました。

招待客のひとりが遅刻して来たのですが、彼女は汗ダラダラのショーツ姿でした。ウィンブルドンの女子シングルス決勝を観ていたので、そのまま来たそうです。そして、カメラマンはドタキャンしました。私がパニックを起こさないよう、父が秘密にしておいてくれたのですが、代わりにその穴を埋めたのは、普段、地元病院の死体安置所で屍を撮影しているカメラマンでした。

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でも私の写真は、これまでの人生でいち番の出来でした。

ケイティ
式に出席できなかった夫の両親が、勝手に2回目の式を企画しました。義理の母は、ダサいウェディングチャペルを予約し、私にはラインストーンで覆われたドレスを用意していました。

義理の母は、夫にこういっていました。「嫁の希望なんて関係ない。だって私の日なんだから!」。その日彼女は、私にひとことも話しかけてきませんでした。ディナーのときには、夫が赤いバラを手渡すという演出がありました。私ではなく義理の母にです。しかも甘いラブソングまで流れ始めました。(結局夫は、義理の母には1本だけで、残りは私に渡してくれました)

ファーストダンスは、義理の母と夫でした。「私の好きな曲にして!」と彼女は主張していましたが、私たちは、エルヴィス・プレスリーの「Suspicious Minds」に差し替えてことなきを得ました。すると今度は、夫の親戚が、夫のみの写真を回覧し始め、夫へのメッセージを寄せ書きする、というイベントが始まりました。私へのメッセージはありません。私たちふたりは、できるだけ早くにその場を去り、ゴーカートに行き、マルガリータが飲めるバーを探しました。

私たちは、先日、結婚15周年を迎えたばかりです。

レイチェル
私の婚約者は南アフリカ出身なので、南アフリカのダーバンで式を挙げました。私のリクエストは、カントリークラブでは式を挙げたくない、DJを呼んでほしい、のふたつ。しかし義理の父は、カントリークラブを予約し、DJではなくバンドを雇いました。テラスでディナーを食べていると、ゴルファーがひとりやってきて、私たちの目の前でプレーを始めました。友人が「すいません。頭おかしいんですか?」といってくれたのですが、その男はプレーをやめてくれませんでした。「トーナメントのために練習してるんだ。心配するな、熟練ゴルファーだから、誰にもボールを当てたりはしないよ」と男はいってました。

また、私の夫になる男は、バチェラーパーティーでドラッグをやり過ぎ、完全にラリっていました。元に戻るまでに2週間はかかりました。

セイディ
式のDVDは、いち度も観ていません。恐ろし過ぎるので。挙式自体はステキだったんです。でも披露宴が最悪でした。そのとき初めて知ったのですが、父は私の性格や好みなど何も知らなかったようで、スピーチはポンコツでした。アルコール中毒の母が変な行動を起こさないか、ずっとやきもきしていました。

私の友人のような友人でないような微妙な間柄の招待客のひとりは、音響設備があるパブのセラーに入り浸り、私たちが一生懸命考えたプレイリストをめちゃくちゃにしました。しかし私も私でして、何杯か飲んだあとの即興スピーチでは、健在な叔母に、弔辞を送ってしまいました。もちろん、急いで「死んでませんけど」と付け加えました。

食事が半分を過ぎたころ、友人がひとり遅れてきました。その理由は、サッカーの試合を観ていたから。スコットランド対アゼルバイジャン戦がPKにもつれた込んだそうです。