セラピストが語る、セラピーとしてのジョン・メイヤー
Illustration by Xavier Lalanne-Tauzia 

セラピストが語る、セラピーとしてのジョン・メイヤー

セラピーでジョン・メイヤーの歌詞を借りるなんて、薄っぺらい治療だと思われるかもしれないが、実際、このアプローチは科学的に説明されている。〈表現アートセラピー〉と呼ばれるこの療法は、文章、詩、音楽などクリエイティブな表現を用いることで、患者は自らの感情に入り込むことができ、彼らの内面に変化が生まれる。
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translated by Ai Nakayama
Tokyo, JP

「不安になるのがいやなんです。不安を感じるたびに逃げ出したくなる」と私の患者である女性はいう。セラピストとして、厳しい経済状況や仕事上の不満、孤独をはじめとするストレス要因によって引き起こされる気分障害に苦しむミレニアル世代たちの一助となるべく仕事をしている私は、彼女のジレンマを理解できる。同時に、問題を知らないこと自体が彼女の不安を高めていることもわかる。

不安障害は今や珍しいものではなく、治療も困難なわけではないが、この患者に役立つための適切なツールを見つけるのは少々厄介だった。薬はイライラするし、日記療法は無理だ、という。「自分の考えを書き留めることで、むしろ全てが悪化する」と彼女は訴えた。不安障害と闘う多くの患者と同様、彼女の心配性的な思考は根強く、人付き合いや仕事など、日常生活を送ることさえほぼ不可能に思えた。

「恐れを敵だと思わずに、誤解された友人と考えてみたらどうですか」と私は提案した。

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彼女の表情のこわばりは幾分和らいだようにみえた。「うーん、それは面白いですね。そんなふうに考えたことなかったな。頭に入れておきます」

この含蓄ある言葉は私のものではないことは彼女に伝えた。そもそもこのアドバイスは、ジークムント・フロイトやアブラハム・マズローなど、有名な心理学者の言葉でもない。〈恐れは敵ではなく 誤解された友人だ〉。私はこの言葉を、2006年のアルバム『Continuum』に収録された大好きなジョン・メイヤーの「The Heart of Life」という曲の歌詞から拝借した。

心理学理論に依拠して患者の理解や彼らの問題の解決に努めるセラピストは多いが、私は患者の意識に変化を与えるさい、ジョン・メイヤーなどアーティストの言葉を借りている。セラピーで歌詞を使うなんて、薄っぺらい治療だと思われるかもしれないが、実際、このアプローチは科学的根拠に基づいている。〈表現アートセラピー(expressive arts therapy)〉と呼ばれるこの療法は、文章、詩、音楽などクリエイティブな表現を用いることで、患者は自らの感情に入り込むことができ、彼らの内面に変化が生まれる。

表現アートセラピストたちは、音楽が、従来の対話療法では表現できない自らの感情に触れるための患者の手助けになると考えており、特に歌詞は、患者たちに自分はひとりじゃない、他のひとたちも同じような不安や悲しみに直面しているんだ、と気づかせるのに有益だという。表現アートセラピーは、不安障害、うつ、PTSDから回復する一助になる、と証明した研究もある。

いち音楽ファンとして、私は独自のセラピー法として長らく歌詞に頼ってきた。1990年代、荒れていた10代の私は、R.E.M.の「Everybody Hurts」を聴いて、この苦悩は普遍的なものだと安心した。大学時代、初めて手痛い失恋を経験したときには、フォークシンガーのパティ・グリフィンによる「Let Him Fly」の「どれくらいここに留まるか いつ足を踏み出すか 常にわかっていないと」という歌詞から、次に進むことを学んだ。ジョン・メイヤーに関しては、「Your Body Is a Wonderland」「No Such Thing」などのポップなヒットソングではなく、「Great Indoors」に惹かれた。「外の世界が怖いなら 外に出て探検しよう/陰を全てはらって雄大な内面を歩くんだ」。この曲は、まさに内気な性格に苦しむ私の心情を歌っていた。

私にとって、歌詞は呪文だ。人間が体験する感情を要約し、聴く者に内省を促す知恵の断片。どんなにつらいときも、自分の心情を誰かの言葉のなかに見出すことで、苦しむ私に希望が降り注ぐ。

セラピストになる前は、歌詞への愛はただの趣味、あるいは日記のようなものだと思っていた。患者の治療として歌詞が使えるとは考えてもみなかった。

それに気づいたのは、とあるスーパーバイザーの指導を受けたときだった。アーティストでもあるそのひとから、歌詞や執筆など、クリエイティブな表現ツールを、カウンセリングに織り交ぜる方法を教わった。「君はクリエイティブなひとなんだから、その一面を仕事に取り入れるべきだ。患者が君と関係を築くうえでも役立つはず」とそのひとにアドバイスされた。

歌詞をセラピーのテクニックとして用いるには、ただ歌詞に共感していればいいというものではない。セラピストとして、患者の言葉にしっかり耳を傾けて、その苦しみに寄り添う適切な言葉を探さなければならない。引用する歌詞は、自分のSpotifyのプレイリストでいちばん再生回数が多い曲の歌詞である必要も、患者がよく知っている曲である必要もない。そうでなくても彼らにとって意味のある言葉となる。曲よりも言葉が大事なのだ。

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家族や友人は、私がジョン・メイヤーの大ファンであることを知っている。私の娘には、私がInstagramをスクロールしているときにも「ジョン・メイヤーの映像観てるの?」と訊かれるくらいだ。私が彼の音楽を大好きなのは間違いない。ただ、彼の音楽が好きだ、という理由で彼の歌詞を引用することはない。私がジョン・メイヤーの歌詞を患者に伝えるのは、それが含蓄ある言葉だからだ。

私は、前述の不安障害を抱える患者にメイヤーの歌詞を教えることで、自分の恐れを理解しようとすれば、恐れから逃げるより、もっと多くの気づきを得られると伝えたかった。もちろん、この言葉で彼女の疑いをすっかり消し去れたわけではない。でもその歌詞は、不安は触れてはいけない恐ろしい問題ではなく、混乱した友人なのだ、と彼女が気づくための一助に、確かになった。

ジョン・メイヤーの2017年のアルバム『The Search for Everything』収録曲の「In the Blood」は、彼の曲のなかでももっとも内省的な歌詞だ。この曲を聴いていると、メイヤーのカウンセリングを覗き見しているかのような気になってくる。歌い出しで彼はこう尋ねる。「僕のなかに 僕の母はどれだけ残っているだろう/僕の愛はどこまで道を踏み外してしまうだろう/自分が欠陥品であるという感覚は?/水に流されるのか それとも常にこの血を巡るのか」。古典的な〈遺伝か環境か〉問題に言及するこの曲は、全ての患者が口にする疑問に光を当てている。「今の私は、育った環境にどれくらい影響を受けてるんですか?」

メイヤーの音楽に詳しい患者は、「In the Blood」に言及し、この答えの出ない問いについて思案する。たとえば「私が誰も信頼できないのは、両親の離婚が原因なのか、それとも家系的な問題なのか?」「私がうつ病を抱えているのは、うつになりやすい家系だから? それとも私が幼い頃、父親がうつ病で、父親という存在と触れ合ってこなかったから?」

セラピーに来る全ての患者が、自らの苦しみについて話す気が満々なわけではない。より緊張している患者には、歌詞が場の空気を和ませ、信頼関係を築く第一歩になりうる。

うつ病を抱え、自信を喪失し、希望を抱けない若い男性のカウンセリングでは、2009年のアルバム『Battle Studies』に収録されたジョン・メイヤーの「Who Says」の歌詞を伝えた。「かつての自分全てから 自由になることはできないなんて誰が言った?」。この歌詞を彼に伝えることで、彼の不安感を払拭しようとしたわけではない。もちろんそんなの不可能だ。この歌詞を引用したのは、単純に疑問を呈するためであり、どうして自分の人生は変わらないと感じているのかを語ってもらうためだった。

表現アートセラピーにより、患者はカウンセラーに〈無〉の感情ではなくより親しみを感じ、良い関係を築くことができるという研究もある。自分の苦しみを反映する第三者の言葉を聞くことで、自分の至らない点への恥の意識を軽くすることもできる。また別の研究では、患者に歌詞を解釈させることで、これまでみえてこなかった考えや感情が明らかになり、それがセラピーにおける突破口にもなる場合があるとされている。

私は患者の治療において、歌詞だけを使っているわけではないが、歌詞を引用することで、多くの患者に良い影響を及ぼしている。たとえばジョン・メイヤー「The Age of Worry」の「今の自分と仲良くなろう」という歌詞や、「Born and Raised」の「自分がなれないものを捏造するのは難しい」という歌詞は、自己受容について考えさせてくれる。また、それらの言葉は「自分は劣っているから理想の職業に就くことはできない」とか、「友人に私の問題を打ち明けても彼らの重荷になるだけだろう」みたいな、自分に厳しい考えかたをなだめてもくれる。そういう自分自身へのネガティブな言葉が消えていけば、患者たちの防御態勢は緩み、自分を、そして自分の問題を〈新たな光(New Light)〉のもとで見つめることができるようになる。