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なぜ人はデジャヴュを体験するのか

日常生活のなかで、ふとした瞬間に感じる既視感、デジャヴュ。あの奇妙な感覚を引き起こしているのは、脳のある部位だった。
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translated by Nozomi Otaki

1999年、42歳の女性が、両耳で何かが弾けるような音がする、と医師に訴えた。音が大きすぎて、夜も眠れなくなったという。彼女は、喉の奥の筋肉が収縮してクリック音を引き起こす運動性疾患、口蓋振戦と診断された。

彼女はジアゼパムなどの筋弛緩薬を処方されたが、効果はなかった。2004年、効果的な治療法を探し続けていた彼女は、ある神経科医に出会い、中枢神経に作用する自然由来のアミノ酸、5-HTP(5ヒドロキシトリプトファン)を処方された。この薬によってクリック音は消えたが、奇妙な副作用が生じた。

「テレビを観ていたら、ふと再放送を観ているような気がした。ニュース番組だから、そんなはずはないのに」と彼女は当時記していた(彼女の記録は2007年の症例報告に掲載された)。「その後、妹から、学校が停電して子どもたちが帰宅することになった、と電話がかかってきた。その話は数日前にも聞いたのに、どうしてまた同じことをいうのか、と妹に訊いた」

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しかし実際には、彼女の妹が同じことを伝えたわけでも、数日前に学校で停電が起こったわけでもなかった。この女性は、デジャヴュ(既視感)を非常に強く、しかも長期的に体験していたのだ。

「先生曰く薬の副作用ではないそうなので、もういち度服用してみることにした」と彼女は綴っている。「すると、また同じような既視感や、やったことがあるという感覚が生じた。あんな奇妙な感覚は初めてだった。知っているはずがないとわかっているのに、知っているように感じた」

デジャヴュは、〈既に見た〉という意味のフランス語だ。誰にでも起こり得る現象とされており、30〜96%の人が体験する。たいていは数秒で終わる。デジャヴュは疲労や感情的なストレスによって引き起こされ、30代でもっとも起こりやすく、それ以降は徐々に減っていく。教育を受けている期間が長いほど、デジャヴュが起こりやすい。朝より夜に起こりやすく、よく旅行に出かけたり、夢の内容を覚えている人ほど、デジャヴュを体験しやすい。

デジャヴュは、一瞬で過ぎ去る不思議な瞬間だ。いったん動きを止め、その奇妙な感覚に身を任せ、次の行動に移る。それから数ヶ月、もしくは数年間は起こらないかもしれない。私たちは日常生活では気にも留めないが、英国エクセター大学(University of Exeter)の臨床神経科学者、アダム・ジーマン(Adam Zeman)教授によると、デジャヴュは、記憶、既知感、それらに関連する他のプロセスを脳がどう制御しているかを知る手がかりになり得るという。前述の患者の症例から、セロトニンがデジャヴュの発生に関わっている可能性があるとわかった、と同教授は説明する。彼女が服用した薬はセロトニン作動性で、この薬がデジャヴュを引き起こした。

私たちはデジャヴュに似た体験をひと括りにしがちだが、研究者は現在、デジャヴュの分類を進めている、とジーマン教授。デジャヴュを何度も体験している人も体験したことがないような、非常に強烈な感覚もある。

ジーマン教授によれば、私たちはデジャヴュによって、周囲の環境や現在の体験を〈知っている〉という不思議な感覚を抱くと同時に、その感覚がどこか「偽物めいている」ようにも感じるという。

しかしデジャヴュは、長年、側頭葉てんかんの前兆、もしくは発作の始まりとされてきた。てんかん患者にとって、デジャヴュは、発作や失神の前触れになり得る。数年前、ジーマン教授は共同研究で、てんかん患者のデジャヴュと健常者の脳で生じるデジャヴュに違いがあるのかを問うたが、答えは〈ノー〉らしい。てんかん患者のデジャヴュのほうが持続時間がわずかに長く発生率も高いが、他に違いはなかった。

ジーマン教授によれば、てんかん患者は脳神経外科手術を受ける確率が高く、科学者が彼らの脳の動きを直接記録する機会があり、デジャヴュにどの脳部位が関与しているかが解明されたという。1950年代後半、研究者たちは、電気刺激や発作の記録を通して、主に大脳新皮質の側頭葉が関わっていること発見した。1970年代後半の研究では、内側側頭葉に電気刺激を与えるとデジャヴュが生じる可能性があるとわかった。さらに近年の研究では、内側側頭葉のどの部位がデジャヴュに関与しているのか、より具体的な箇所が明らかになった。

内側側頭葉の内部には、記憶形成をつかさどる海馬と海馬傍回がある。有名なてんかん患者、H.Mことヘンリー・モレゾン(Henry Molaison)は、側頭葉てんかんの発作を抑えるために、右脳と左脳両方の内側側頭葉を摘出された。当時はこの脳部位の重要性が知られておらず、H.Mの人生は実質止まってしまった。彼は手術後、新たに顕在記憶を形成できなくなり、医師や治療担当者、見舞客の顔を覚えられなくなった。

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筆者はずっと、デジャヴュが私たちの記憶中枢である海馬で生じる現象だと考えていた。しかしジーマン教授は、私たちが物事を〈知っている〉と認識させる、海馬に隣接する嗅周野という脳部位が関わっている可能性が高いとしている。

「例えば、上司が部屋に入ってきてあなたが顔を上げたとします。そのとき、この状況を〈知っている〉と感じるのがデジャヴュです」とジーマン教授。「回想とは少し違います。最後に上司に会ったのはいつだったかな、と自問するのが回想です」

現在の通説において、てんかん患者のデジャヴュは、この既知感を発生させる部位における異常放電が原因とされている。その部位が異常に活発化すると既知感が生じるが、回想は伴わない。だからこそ、違和感が生じるのだ。

「初めて行ったカフェに座っているとき、既知感を発生させる部位が活発化すると、突然、その場所に座っているという体験に、強い既知感を抱くようになります。でも、それを証明する手立てはありません。証明できないからです」とジーマン教授。「実際には初めて行った場所なのですから。記憶を引き出すことはできません。だからこそ、この〈知っている気がするのにそれを証明できない〉という奇妙な状況が、既知感は偽物だという感覚に繋がるんです」

まるでカプグラ症候群、もしくはインポスター症候群とは真逆ですね、と私は教授に伝えた。カプグラ症候群の患者は、配偶者や親友など自分の知人が赤の他人と入れ替わったと思いこむ。しかし、教授は、再び私の言葉を訂正し、脳内における行為の微妙な違いを明かした。視ることや人物の識別など、一見単純な行為にも違いがあるという。

カプグラ症候群によって正常に機能しなくなるのは、情動認知に関わる扁桃体だ、とジーマン教授は説明する。知人だとはわかるものの、普段夫、妻、友人を見ると感じるはずの情動が生じず、その認知を裏付けることができないのだ。「すると、知人が別人にすり替えられたに違いない、という結論に行き着く可能性があります」と教授。「見た目は同じなのに、どこか違和感があるんです」

私個人は、デジャヴュを楽しむほうだ。デジャヴュは日常の些細な出来事に魔法をかけてくれる。しかし、デジャヴュに苦しむてんかん患者もいる、とジーマン教授はいう。彼らのデジャヴュ体験は、より強烈で長引く傾向にあるだけでなく、本格的な発作の前兆であるため、恐怖や不安を伴う場合もある。

では、てんかんの発作を知らせる警鐘となるこの症状が、てんかん患者以外にも現れるのはなぜか。ジーマン教授は、原因はまだ完全にはわかっていないという。デジャヴュは、健常者が体験する発作の一種とする説もある。カナダの著名な神経外科医、ワイルダー・ペンフィールド(Wilder Penfield)は、デジャヴュを「軽微な発作」と呼んだ。

しかし、この説を受け入れている神経学者は、あまり多くはない。ほとんどの健常者は頭蓋内記録を取らないため、実証も難しい。ジーマン教授の共同研究で、健康なデジャヴュ体験者の内側側頭葉の体積が、デジャヴュ未経験者に比べてわずかに小さい可能性があるとわかった。てんかんに罹患していない健常者がデジャヴュを体験する理由は、脳の構造の変化によって説明できるとする説もある。

「ですが、正直なところ、正常な生理状態におけるデジャヴュの根本的なメカニズムはわかっていません」

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認知神経心理学者、クリス・ムーラン(Chris Moulin)教授の80代の男性患者は、アルツハイマーと診断されたが、典型的な症状は現れなかった。

彼の記憶力は衰えていなかった。むしろ、彼は全てに既知感があると主張した。全部観たことがあるから、とテレビを観ようとしなかった。彼は「ニュースも全部同じだ」と新聞を読むのも拒んだ、とムーラン教授は当時を振り返る。この患者は、ムーラン教授にも以前会ったことがある、と言い張った。さらに、教授が実施した検査も全て経験済みで、質問にも全て答えたことがあるという。彼はまるで、タイムループに巻き込まれてしまったようだった。

グルノーブル・アルプ大学(Université Grenoble Alpes)の認知神経心理学者であるムーラン教授は、現代のデジャヴュ研究の第一人者だ。教授は前述の患者に会った後、記憶障害の手引書を確認した。そこには、内側側頭葉への言及が少しあるだけで、詳細は載っていなかった。この出来事がきっかけで、教授はデジャヴュに興味を抱いた。

「デジャヴュの研究者になったのは偶然でした」と教授。「私は記憶の研究者で、他の活動もしています。以前はそれが私の本職で、デジャヴュは趣味だと公言していましたが、今ではデジャヴュがメインになりつつあります」

ムーラン教授によると、この患者は極端な例だという。デジャヴュ研究を始めてしばらく経った今、教授は、既知感が偽物だと自覚している患者と、本当に体験したと信じている患者を区別している。

「通常、私たちはデジャヴュを体験すると、何かがおかしいとわかります」とムーラン教授。「既知感を抱いても、すぐにその感覚は消え、『今のは変だな』と感じます。私たちの解釈のなかで齟齬が生じるんです。でも既知感に惑わされ、前にこの会話をしたことがある、と思いこんでしまう人もいます。その後、前にも同じ会話をした、同じ新聞を読んだ、という根拠を示そうとしたり、自分の強い思いこみを正当化しようと、作り話をする場合もあります。これは作話と呼ばれる記憶障害です」

前述のアルツハイマー病の男性の作話は、次のような内容だった。ある朝、妻が新聞を取ってくると、彼は読まずにこう告げた。「君が寝てるあいだに起きて売店に行き、ちょうど新聞が届いたので、そこで読んだ。その後こっそり家に帰り、ベッドに戻ってもういちど寝た」。もちろん、これは全て作り話だ。そうすることで、彼は自分なりに、自分が新聞に強烈な既知感を抱いた理由を説明しようとしたのだ。

ムーラン教授は、体験の強烈さや、体験者がそれを偽物だと認識している度合いなど、デジャヴュ体験には個人差があるかもしれないと考えている。健常者がデジャヴュを認識できるのは、彼らが健康なしるしだと教授はみなしている。何かに異常なまでの既知感を抱いても、それが間違っているとわかるのは、脳内で起こっていることをしっかり認識できている証しなのだ。

教授は、デジャヴュには既知感を発生させる箇所以外の脳部位も関わっているとする、最新の学説を紹介してくれた。側頭葉の仮説が主流になったのは、この部位を刺激すれば人為的にデジャヴュを起こせるからだという。しかし教授は、それだけでは充分でないと考えている。既知感を発生させる部位のみにおける過活動は、街で誰かを知っていると感じるような既知感しか生まない。しかし、デジャヴュはたいてい既知感だけでなく、それが偽物であるという自覚を伴う。

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そのわずかな自覚をきっかけに、ムーラン教授を始めとする研究者たちは、記憶システム全体の監視や統制を支える制御メカニズムとして、前頭前野も関係しているという仮説に至った。デジャヴュが発生するさい、前頭前野は、記憶をつかさどる脳部位の動きを監視し、論理上可能な事象と、記憶システムが〈知っている〉と主張する事象の不一致を検出する。「これもまた、通常のデジャヴュは健全な現象だとする説に一致します」と教授は断言する。つまり、記憶システム内の過活動は正常ではない、と感知できるほど、前頭前野が機敏だということだ。

「年配者より若者のほうが、デジャヴュを多く体験します」と教授。「年をとるにつれ、記憶システムの正確さと、システム内の働きの緻密なコントロールは失われていきます。以前私が取材を受けたある記者は、これを〈ファクトチェック・システム〉と呼んでいました。なかなか良いアイデアと思います。デジャヴュとはつまり、既知感に惑わされないようにするための、何らかの機能を示すサインに過ぎないのです」

ムーラン教授は、他のデジャヴュ研究者にも認められているという、2種類のデジャヴュについて説明した。ひとつは従来のデジャヴュ。現在の体験に抱く既知感で、体験者はそれが偽物だとわかっている。

もうひとつは、ムーラン教授が呼ぶところの〈デジャヴェキュ(déjà vécu:既に生きた)〉。デジャヴェキュを体験すると、何かに既知感を覚えるだけでなく、かつてその瞬間を生きたことがあり、次に何が起きるか知っているように感じる。ただし、この最中ずっと、この記憶が本物でないことはわかっている。デジャヴェキュも、頭に浮かんだ体験が実際には起こっていないと自覚している点で、作話とは異なる。ただ、デジャヴェキュでは、断片的な記憶が呼び起こされる場合もある。教授によれば、これは「今からまさにデジャヴュが起きるという感覚で、同時に未来を予知できると感じる場合もある」という。

デジャヴュとデジャヴェキュには、それぞれ別の脳部位が関与している可能性がある。前者を引き起こすのは嗅周野、つまり既知感を発生させる部位だが、後者は誤った回想に近いため、海馬が関わっているとされている。

ジーマン教授が目にしてきたなかには、体験が非常に強烈で、デジャヴュよりもデジャヴェキュに近い例もいくつかあるという。20代半ばの女性、ショナ(Shona)は、ある朝起床して朝食を食べ、仕事に行く準備をしていたとき、「昔観た映画に出演している」ように感じたそうだ。

「彼女は以前に、全く同じ時間、全く同じ1日を過ごしたように感じた」とジーマン教授は、自著『Portrait of the Brain』(2009)のなかで説明している。「不思議なことに、彼女は1分1秒がそのまま繰り返される状況にとらわれていた。1日じゅう、次に何が起きるか全てわかっていた」

数日間デジャヴュが続いた後、ショナはまず精神科で治療を受けた。彼女はそれ以前からも、「顔の左側の疼き、宙に浮かんで自分の身体を見下ろしているような感覚、何かしなければという衝動」など、「奇妙な身体感覚」を体験していた。。

検査の結果、ショナは幼い頃にてんかん発作を起こしていたことがわかった。脳波図によって、彼女の右脳に異常が認められ、非けいれん性てんかん重積状態と診断された。そして彼女はてんかん治療を受け、デジャヴュは消えた。「ショナは、どこか懐かしい、彼女が待ち望んでいた予測不可能なかつての自分がこの世界に戻ってきたことに大喜びした」とジーマン教授は記している。

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しかし、デジャヴュから回復したショナは、他人の顔を認知できなくなっていた。相貌失認と呼ばれる症状だ。ジーマン教授によれば、顔を認識する脳部位に血管異常が認められたという。この異常が、当初はデジャヴュとして、のちに相貌失認として発現したのだ。2000年、教授がショナに出会ったとき、彼女はテレビの有名人の顔が見分けられず、彼女の近親者は、ショナに会うたびに自己紹介をしなければならなかった。

デジャヴェキュという言葉は、ムーラン教授が担当したアルツハイマー患者のように、全てが繰り返されているという空想作話をする人びとを示すさいに使われることある、と教授は指摘する。しかし、デジャヴェキュにおいてカギとなるのは自己認識だ。たとえば、大きなクリック音に悩まされていた、ジーマン教授の最初の患者。彼女の体験はデジャヴュより強烈で、長期にわたった。しかし、彼女は実際に自分の人生が繰り返されているとか、本物の記憶を回想していると信じていたわけではなかった。彼女は、状況を説明するために作り話をしたりはしなかった。「本人にとっては錯覚のような奇妙な感覚でした」とムーラン教授はいう。

根底にあるメカニズムが違うとなると、デジャヴュに似た様々な体験をより細かく分類するには、さらに詳細な分析が必要だ。既に別の たとえば、〈デジャレヴェ(déjà-rêvé:夢を鮮明に回想すること)〉と呼ばれる現象。これもまた、てんかん患者の脳に電気刺激を与えると引き起こされることがわかっており、患者が発作中に体験した例も報告されている。

私自身もよくデジャヴュを体験する。私の体験は持続するとはいえないが、比較的長いほうだと思う。ムーラン教授に、この体験について訊いてみた。私の脳内のファクトチェッカーは、カフェインを摂取しすぎているのか? 私の脳は、強烈な既知感が生じるさいの些末なエラーを察知するのに長けているのだろうか?

デジャヴュの体験者は、認知機能から発せられる信号を受信しやすい、もしくは既知感のシステムの働きに特に敏感なのかもしれない、とムーラン教授は指摘する。しかし、体験の頻度に個人差がある理由はわかっていないという。教授が会ったなかには、デジャヴュ未経験で頭脳明晰な人もいたそうなので、残念ながら、デジャヴュは必ずしも知性や並外れた頭脳の証しにはならないようだ。

ただ、教授は、デジャヴュを繰り返し体験する人とデジャヴュ未経験者の記憶との関わりかたが、全く同じだとは考えていない。「デジャヴュ体験者は、内省する力を未経験者以上に駆使して、記憶システムの仕組みについて考えているのかもしれません」と教授。「おそらく彼らは、自分の記憶を常に信じているわけではないんでしょう。一方、デジャヴュ未経験者は、何かに既知感を抱いても、無理につじつまを合わせようとするだけです。既知感を抱いた理由を説明するだけで、自分の記憶との謎に満ちた関わりを楽しもうとはしません」

教授自身も、かつては比較的頻繁にデジャヴュを体験していたという。研究を始める以前からだ。「おそらく、デジャヴュの仕組みにずっと興味があったからでしょう」と教授。「デジャヴュをつくりだすことは不可能ですが、自分の考えかたを改善することはできます。そうすれば、他の人よりデジャヴュに敏感になるのかもしれません」

教授に、初めてのデジャヴュ体験を覚えているかと訊かれた。デジャヴュはたいてい10歳頃に始まり、それ以前は起こらないという。「私は初めて体験したときのことを覚えています。あなたはどうですか?」

私も覚えている。9歳か10歳頃、小学校の運動場で遊んでいたときのことだった。とても強烈で不思議な体験だったので、ずっと忘れられなかった。偽物の既知感のリアルな記憶。今思い出しても不思議だ。

「そうですか。映画の『ドニー・ダーコ』(Donnie Darko, 2001)みたいなタイムループを体験したんですね」と教授は笑った。デジャヴュが幼い頃にはほぼ起こらないという事実は、教授が掲げる〈ファクトチェッカー〉理論を裏付けている。「10歳以下の子どもには、内省する能力はありません」と教授は断言する。「彼らはまだ、自分の記憶システムを疑ったり評価することを知りません。大人と同じように記憶を整理したり思考を巡らせることができないんです」

未経験者にデジャヴュを説明するのは厄介だ。デジャヴュは強烈な体験だが、主観的でもある。デジャヴュは、記憶、回想、既知感の複雑さやメカニズムを、新たな手法によって解明する可能性を秘めているが、その主観性こそが、デジャヴュ研究における数ある障壁のひとつになっている。ムーラン教授がこれまで出会ったなかにも、デジャヴュ未経験で、その存在に確信を持てない研究者や学者が大勢いたという。

「彼らにとっては、私は幽霊を研究しているようなものです。