立ち技世界最強 タイの国技「ムエタイ」の伝統と現在

FYI.

This story is over 5 years old.

立ち技世界最強 タイの国技「ムエタイ」の伝統と現在

写真家のスティーヴン・カウンツは、タイの伝統的スポーツ「ムエタイ」のルーツを撮るために、カメラと防水バッグふたつだけを抱えてタイへ旅立った。5か月もの間、東北部のイーサーン地域を中心に、村から村へとバイクで移動しては写真を撮り続けた。

2年前、写真家のスティーヴン・カウンツ(Steven Counts)は、タイの伝統的スポーツ「ムエタイ」のルーツを撮るために、カメラと防水バッグふたつだけを抱えてタイへ旅立った。5か月もの間、東北部のイーサーン地域を中心に、村から村へとバイクで移動しては写真を撮り続けた。

カウンツは現地の言葉を話せないのに通訳もコーディネーターも雇わず、ジェスチャー、頷き、そして必殺の二単語だけを駆使し、最高のムエタイファイターたちを輩出するトレーニング・ジムに辿り着いた。長年、広告や企業ブランディングから離れたムエタイとその起源を撮影したい、と願っていた彼がそこで目にしたのは、今までメディアでは見たこともないような新鮮な光景だった。

努力は、上質なマット紙に『ムエタイ (MUAY THAI) 』というシンプルなタイトルを冠した196ページの「コーヒーテーブルフォトブック」* として結実した。この写真集は、キックスターターで資金集め、ブルックリンを拠点に活動する最強のディープ・スポーツメディア『ヴィクトリー・ジャーナル』のヴィクトリー・エディションからまもなく出版される。

Advertisement

ブルックリンのアパートでカウンツとともに、写真集の撮影内容について会話した。タイを巡った5か月の旅には、この写真同様、たくさんのストーリーが隠されているようだった。

イーサーンのトレーニング・ジムは、予想通りの質素な施設だった。選手たちは、大き過ぎるパンツ、ボクシング・グローブなど、先輩のお下がりを着用していた。ボロボロの古いサンドバッグは、数万回打たれた重荷を背負っているかのようだった。

しかし、これこそが世代を超えて受け継がれるスポーツであり、これこそがカウンツを惹きつける要因なのだ。

センチャイ・PKセンチャイムエタイジム(35歳)。最高のムエタイファイター。

「私は、カルチャーそのものに焦点を当てたかった」とカウンツは話す。「スポーツと一緒に生まれ、成長するカルチャーに焦点を絞りたかった。ゴージャスな面、荒々しい面だけでなく、ライフスタイルを見せたかったんだ」

カウンツの写真には大きな親近感が漂う。レンズを通した観察ではなく、場所を同じくする住民の目線のようだ。これは、ムエタイ・コミュニティ全般に、彼のようなアウトサイダーを暖かく迎える気質がなければ達成できなかっただろう、とカウンツは語る。

最初にカウンツは、イーサーン地方ブリーラム県のタコタピ地区に位置するジム「Kiatmoo9」に訪れた。そこでも彼は暖かく迎えられた。

町に着いた日、カウンツはすぐにファイターたちから好奇の視線を集めた。彼がカメラを見せると、早速ファイターたちはカウンツが撮りたいものを理解したようだったが、ジムはまもなく閉まるところだった。

カウンツは、ファイターたちに、明日の午後4時にもう一度来るよう誘われた。だがその夜、カウンツは食あたりに見舞われ、翌日、病院で診察を受けた後、ホテルで大事をとっていると、午後4時半、ドアがノックされた。

「酷い状態だったけれど、ドアを開けたら小さな子供がいてね。半マイル先のトレーニング・ジムの方を指したんだ。タイ語でなにかいって、付いてくるように、と身ぶりをしていたから、顔を洗って、力を振り絞ってジムに向かったんだ」

「ファイターたちは試合用の短パン姿で、バンテージを巻いて、チャンピオンベルトを腰につけ、さらにトロフィーも並べていた。体調不良なんてすぐに治ったよ。彼らを見た瞬間、痛みはすべてどこかに消えてしまった。そして、彼らと私はユナイトしたんだ。最初はまったく知らなかったけど、そのなかにはナショナル・チャンピオンも数人いたんだ」

チーム「Kiatmoo9」。イーサーン地方ブリーラム県、タコタピ地区で。

カウンツによると、ムエタイというスポーツの存在感は、古き良きアメリカのそれと似ているそうだ。毎週末に行われるテキサスの高校のアメリカンフットボール、インディアナのバスケットボールの試合をみんなが楽しみにしていた時代の、スポーツの存在感だ。ただし、ムエタイはもっと大きな存在感があり、タイ国民の心に深く刻まれている。

スポーツは文化的な意義を持ちつつも、元来、生死を巡る戦いの歴史に大きく紐付いている。その中でもムエタイは、何世紀にも渡って侵略者たちを撃退するための戦闘武術として国家から認められていた。それは古代タイからの伝統であり、偉大な誇りでもあるのだ。

「ムエタイこそがタイ、タイこそがムエタイ。二人三脚でここまできたんだ」とカウンツは断言する。

ムエタイ最高のファイターたちの大勢は、現在も生まれ育った村で生活している。その事実にカウンツは驚いたが、瞬時に納得する答えがそこにはあった。ファイターたちは、ムエタイで大金を稼ごうとしていない。そして、大金を求めているわけでもない。

Advertisement

「タイの人々の暮らしは、とてもシンプルだ。ひとまとめにするのは嫌だけれど、特にファイターたちは、物質的な豊かさを望まない。みんな、その村に住んでいるだけで幸せなんだ」

トップファイターの賞金は、アメリカで活躍するファイターたちよりも、もちろん少ない。だが、彼らのホームタウンで生活するには十分な金額であるから、村を離れる必要はない。そして、チャンピオンたちは、初心者の頃から同じ施設で、次世代ファイターたちと並んでトレーニングしている。

これは、レブロン・ジェームス(Lebron James)* が地元のYMCAで、近所の子供たちと一緒にシュート練習をするようなものだ。しかしここには、セレブのゴシップ文化なんてものはない。子供たちも一般人も、ファイターたちにあれこれ話しかけたりせず、チャンピオンたちは、ファンに邪魔されずに普通に生活を続けているのだ。

「ブアカーオ・ポー・プラムック(Buakaw Por.Pramuk)以外は、ファンを気にせず移動できる」とカウンツは教えてくれた。ブアカーオは、元K-1チャンピオンで、国際的な成功を収めた伝説のムエタイファイターで、彼だけは例外だ。

タイのプロ・スポーツ界は、未だに欧米のような収益モデルが確立されていない。しかしカウンツにとっては、そんな環境も新鮮で純粋なイメージと結びついた。もちろん、セレブ選手を起用したナイキやジョーダンブランド、レッドブル、そしてESPNマガジンなどの仕事の方が、写真家にとっては相当のキャリアになる。しかしカウンツは、ナチュラルで慎ましさに溢れたタイに惹かれたのだ。

カウンツの経験そのものが映し出されたこの写真集には、気取っている写真も、必要以上に恣意的なアングルもない。偽りは全くない。被写体になったファイターたちは、富や名声のためでも、ただ試合を楽しんでいるのでもない。彼らは自らのためだけに闘う。それがタイのムエタイなのだ。

しかし、インタビューの最後になって、カウンツは物悲しそうに口を開いた。「ムエタイの美しい光景は、こうやって私たちが話している間にも変わり始めている」

「今はサッカーが人気だし、他のスポーツも簡単に選択できるようになった。それに、大学の数も増え、地方の若者が教育を受ける機会も増えてきたんだ。もちろん、それはそれで素晴らしいけれど、ムエタイの伝統は衰退している。それが事実だ」

各種プロ・スポーツが国際的な注目を集め、そのエリート選手たちを取り巻く環境も変化し続けるなか、タイのムエタイにもその影響が及んでいる。実際、カウンツの訪れたいくつかのジムにも、海外のスポンサー企業が広告を掲げている。

写真集出版後、カウンツはニューヨーク市のギャラリーで展覧会を開き、そのあとはタイに戻ることを計画している。協力してくれたファイターたちが、カウンツの撮影意図を理解していたのか、確信が持てなくなったからだ。

カウンツは、何冊もの写真集をファイターたちに贈るつもりでいる。彼らこそ、ムエタイの歴史であり記録だ。それは時とともに状況がどう変わろうとも、真実なのだ。