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チェルノブイリ、放射能汚染区域で暮らす人々

1986年、チェルノブイリ原子力発電所で、電力サージによる原子炉爆発が起きた。30年経った今でも、この周辺は立ち入り禁止区域となっている。しかし、かつて、暮らしていた140名ほどの住民が、政府の勧告を無視し、この地で再び暮らしている。原子力発電所で働く労働者も含めて、写真家、エステル・ヘッセンが捉えたものとは?

by Joseph Marczynski
05 April 2017, 8:00am

1986年4月26日の朝、当時のソビエト連邦ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所で、電力サージによる原子炉爆発が起きた。爆発により放出された放射線量は広島・長崎原爆の100倍に達し、もくもくと発達する汚染された雲は、遠くアイルランドからも観測された。

放射線は瘴気のごとく空気と土壌に降り注ぎ、先天異常や乳幼児の甲状腺がん、家畜の奇形が住民たちを苦しめた。30年が経ったいま、チェルノブイリは〈ダークツーリズム〉の名所となり、傲慢な政府が数多の犠牲者をもたらしたという教訓を観光客に示す。だが、それだけではない。この場所を故郷として暮らす、140人ほどの人々がいるのだ。

写真家のエステル・ヘッセン(Esther Hessing)と作家のソフィーク・サーマー(Sophieke Thurmer)は、放射能汚染がもっとも深刻なチェルノブイリ立入禁止区域を訪れ、〈サマショール〉と呼ばれる、かつて賑やかだったコミュニティの最後の世代と対面した。住民の多くは高齢者で、かれらはウクライナ政府の勧告を無視して、こっそりともとの家に戻った。困窮の末に再移住を選び、無数にある廃墟を不法占拠して、汚染土壌で栽培された作物を食べて生きる人々もいる。

(Photo: Esther Hessing)

エステルとソフィークの写真集『Bound to the Ground』には、立入禁止区域の住民たちの日常生活の記録や実体験の回想、それにチェルノブイリ原子力発電所の現役職員たちの物語が綴られている。このプロジェクトについて尋ねたわたしに、エステルは、なぜこの危険区域に、これほど多くの人々が戻ってきたのか説明した。「そもそも、ここは悲劇が繰り返されてきた場所なのです。1930年代のスターリン体制下で飢饉に襲われ、そのあと第二次世界大戦でも飢饉が再来しました。この地の人々は過酷な生活に慣れているのです」

「人々は貧しく、みずからの土地での収穫が頼りでした。原発事故後、ウクライナ政府はここの農民たちをキエフの特別アパートに移住させました。しかし、キエフで惨めに老いさらばえていくよりも、汚染区域で暮らす方がましだと彼らが判断するのに、長くはかかりませんでした。同じ土地に埋葬されなければ、亡くなった愛する人と死後に再会を果たせないと、かれらが信じているせいでもあります」

チェルノブイリの被災者は、事故のあと世間から過酷な差別を受けた。立入禁止区域に自主的に帰った人々の多くは、キエフから130kmの道のりを徒歩で戻った。当然、旅の途中に休憩を必要としたが、〈放射能がうつる〉のを恐れる人々に、宿泊場所の提供を拒まれるのも珍しくなかった。

(Photo: Esther Hessing)

子供たちも差別の対象になった、とエステルは言う。「プリピャチの子供たちは<チェルノブイリの豚>と呼ばれました。放射線被害を受けた子供たちが、事故のあと何年も、このような差別的な言葉で罵られたのです。かれらは他の子供たちと遊ばせてもらえませんでした。1988年にスラブチッチの街が完成し、原発で働く親をもつ子供たちの多くが、この新しい街に移住して、ようやく差別が解消されたのです」

現地に到着したエステルとソフィークは、現在も2000人以上の職員がチェルノブイリ原子力発電所で働いていると知って驚いた。プリピャチ郊外の廃村に暮らすサマショールとは違い、原発職員たちは専用に建設された都市、スラブチッチで生活している。

「現在の職員には、事故当時に原発で働いていた人々の子供たちが多くいます」と、エステルは言う。「プリピャチ育ちの当時の職員の子供たちが、スラブチッチで育ち、いまや原発で働いているのです」

Esther Hessing

かれらが原発で働くのは、就業機会が他にないためだ。「ウクライナには職が不足しています。失業率は高く、医療機関や教育機関の質は劣悪です」と、エステルは言う。「チェルノブイリ原発には、今でも給料の良い仕事があり、スラブチッチにはいい学校や保育園があります。ここは安心して子育てできる街です。特別ケア施設があり、放射線被曝の影響について、第1世代、第2世代、第3世代の被災者が診断を受けられます」

サマショールや原発職員に話を聞くかたわら、2人はプリピャチの廃墟の街を探索した。ここは当初チェルノブイリ原発職員の居住用に建設された街だ。現在のプリピャチは荒廃したゴーストタウンだが、かつてウクライナ政府は、原子力技術に未来を託して、ここを〈希望の街〉として建設した。

人間の介入によるダメージがなくなり、プリピャチでは広範囲にわたって自然が蘇り、灰色の建造物や郊外の道路は、緑と野生動物であふれている。「わたしたちが出会ったのは、恐怖、悪夢、死、失われた土地ではなく、花と緑にあふれ、豊かな土壌に恵まれた場所でした。そこに暮らす人々は愛情深く親切で、突然の訪問を、いつもあたたかく迎えてくれました」と、エステルは言う。

(Photo: Esther Hessing)

「わたしたちは、未来を強く信じ、役目を終えた原発で、今も働き続けるコミュニティに出会いました。世界が今よりほんの少し安全になるように、この危険な場所で働く勇敢な人々と出会いました。かれらは、わたしたちに人間と自然の驚くべき強靭さを教えてくれました」

政府の方針により、現在、新たなサマショールの移住は厳しく禁じられている。現在の住民全員が最期を迎え次第、今後1000年にわたり新規入植が禁止される。

この知られざる一時的コミュニティの存在を記録し伝えることが、エステルのプロジェクトの根底にある動機だ。「自主的移住者たちの多くが高齢者となった今、この物語を世に知らしめるのは重要です」と、エステルは言う。「立入禁止区域のバブーシュカ、つまり、おばあさんたちは年を重ね、新たな移住は禁止されているので、10年後にはかれらの経験や記憶は忘れ去られてしまうでしょう。わたしたちはサマショールの物語や、人々の顔を知ってほしかったのです。かれらがいなくなる前に」

Esther Hessing

『Bound to the Ground』は、Eriskay Connectionより現在発売中。