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ATCQのファイフ・ドーグ追悼で涙に濡れたアポロシアター

ヒップホップ界がいまだにA Tribe Called Quest(以下、ATCQ)のファイフ・ドーグ(Phife Dawg)の喪に服すなか、彼とグループがカルチャーに与えた影響の大きさが日ごと明らかになる。音楽はもちろん、あらゆる面で際立っていた彼らのセンスは、後進アーティストの手本でもあった。

ヒップホップ界がいまだにA Tribe Called Quest(以下、ATCQ)のファイフ・ドーグ(Phife Dawg)の喪に服すなか、彼とグループがカルチャーに与えた影響の大きさが日ごと明らかになる。音楽はもちろん、あらゆる面で際立っていたセンスは、後進アーティストの手本でもあった。週末、ATCQは、彼のホームであるクイーンズのジャマイカにあるセント・アルバンズパークで、4月4日、月曜日の朝、ファイフの追悼式を催し、先着200名のファンには特別なサプライズを用意している、と発表した。冷たい雨が降りしきるなか、『ビデオ・ミュージック・ボックス(Video Music Box)』のラルフ・マクダニエルズ、Black Sheep(ブラック・シープ)のドレス(Dres)、ATCQのジェロビ・ホワイト(Jarobi White)ら、ヒップホップ界の先駆者たちとともに、開催直前の発表だったにもかかわらず、多くのファンがファイフの冥福を祈った。先着200名のファンには、ファイフ・ドーグのシャツと火曜の午後にハーレムのアポロシアターで予定されているシークレットイ・ベントのチケットが配られた。

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4月5日、同じファンが再度列をなしたのは、もうひとつのファイフへのトリビュートだったが、その内容は夕方になるまで隠されていた。最初はコンサートでは、と噂されていたが、数々の伝説に彩られたマンハッタンの劇場に足を踏み入れた参加者たちには、追悼の意を損なわぬようデザインされたパンフレットが手渡された。このイベントが『レヴォルト』* でストリーム配信される、との噂が広まったのは、何かが起きる前触れだった。イベントは、ATCQの仲間であり牧師、ブレイクダンサーでもあるカリスマ、クエスト・グリーン(Quest Green)の司会で厳粛に始まった。しばらくは通常の葬儀と同様に進行したが、プログラムが進むにつれ、一階席の様子を把握していなかった、バルコニー席に案内されたファンにもイベントのスケールが見えてきた。

まず、歌手のケリー・プライス(Kelly Price)が霊的な悦びに溢れるゴスペル「イエスがいるから(Because He Lives)」を披露し、アポロシアターを埋め尽くした参列者に感動を与えた。そして、The Roots(ルーツ)を従えたR&Bの大御所アンジェラ・ウィンブッシュ(Angela Winbush)が1987年の大ヒット曲「Angel」をファイフ追悼アレンジで歌い、ステージ3の卵巣ガンからの奇跡的な復活を印象づけた。The RootsのMC、Black Thought(ブラック・ソート)は、ファイフの言葉を引用し、弔辞をちりばめたバースで、病に倒れたMCへの敬意を、バンドをバックにラップした。Public Enemy(パブリック・エネミー)のチャック・D(Chuck D)も追悼の意を表し、Busta Rhymes(バスタ・ライムス)は、ATCQなしでは今の自分は有り得ない、と涙ながらに両者の関係をたどり、メンバーたちの兄のような細かな気遣いを語った。

The Rootsをバックに歌うD’angelo.

『Beats, Rhymes, and Life: The Travels of A Tribe Called Quest』の監督マイケル・ラパポート(Michael Rapaport)は、自らのラップ・ヒーローと出会えた悦びを参列者に伝え、長年にわたって撮りためた動画を編集し、ファイフ、という規格外の個性を象徴する追悼コラージュとしてまとめ、発表した。スポーツ界からも弔辞があり、何名ものNBAプレイヤーが弔意をあらわした。ピーター・ローゼンバーグ* (彼はATCQをレッド・ツェッペリンに例える)がスコット・ヴァン・ペルト** を紹介した。ペルトは、ファイフが始めて解説者の席に座ったさいの興奮を、愛すべきエピソードとして披露した。ファイフは、あまり評価されなかったにもかかわらず、バスケットボールと野球に関して極めて深い知見を有していた。

クエスト・グリーンの厳かな紹介で、シャープないでたちのD’angelo(ディアンジェロ)がThe Rootsと共にジェームズ・テイラーの名曲「You’ve Got a Friend」のファンキーなカバーを披露すると、感傷的な夕べは興奮の夜に一転した。D’angeloがステージを降りてすぐに、グリーンがカニエ・ウエスト(Kanye West)を手を振って招き上げた。全身を黒に包んだカニエは、ATCQの音楽の偉大さと、1991年のヒットアルバム『Low End Theory』が彼に与えた影響の大きさを語った。(「オレが今までやらかしたことは、全部ティップとファイフのせいさ。何たってあんたらがオレを育てたんだからな」)。ウェストはローゼンバーグがATCQをレッド・ツェッペリンに例えたのを公然と非難し、「ファイフの葬式でレッド・ツェッペリンの名前なんて聞きたかなぇよ」と吐き捨て、ツェッペリンのアルバムを最後まで聴いたためしがない、と毒づいた。カニエは、ヒップホップの先駆者たちに対する敬意を要求し、ヒーローや先駆者の生き様をネタに、ブラック・カルチャーが商品化されるのに嫌悪感を露にした。

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Kanye West, photo by Joseph Swide

カニエが涙ながらの情熱的なスピーチを終えると、Outkast(アウトキャスト)のアンドレ・3000(Andre 3000)がステージに上がり、自らのグループがATCQを真似て始まり、ティップとファイフの「考える男/普通の男」という間柄をモデルに、彼とビッグ・ボーイ(Big Boi)を「詩人とプレイヤー」に位置づけて売り出したのを告白した。彼は、客席にいる幅広い年代の才能あふれるアーティストたちの名をあげ、インスピレーションをつないでいくこと、新世代のラッパーを排除しないことの重要性を訴え、DJクール・ハークをはじめ、客席を埋め尽くした先駆者たちに向けて「ヤング・サグ」の名を叫んだ。(また、アンドレはこの夜いちばんの興味深い話を聴かせてくれた。最近、ビッグ・ボーイと彼は、実現しなかったが、OutkastとATCQがコラボレーションするアルバムを構想していたらしい。)

KRS-One, 後ろに並ぶのはGrandmaster Flash, Teddy Ted, Special K, and Kid Capri

A Tribe Called Quest

KRSワン(KRS ONE)とキッド・カプリ(Kid Capri)が大音量で、Boogie Down Productionsの名曲「I’m Still #1」をプレイすると、バルコニー席の土台が実際に揺れた。その後も、グランドマスター・フラッシュ、クール・ハークなどが次々に登場し、最後にファイフを失ったATCQのメンバーがステージにあがった。明らかに、まだ、メンバー全員がショック状態にあり、細やかな思い出を早口で交わしたり、支えあってつらい時期を乗り越えよう、とファイフの家族に直接、言葉を投げかけたりしていた。牧師の挨拶、ファイフが果たせなかった音楽を悲しいほど暗示している、彼とJ・ディラと組んだ「Nutshell」のビデオで、この夜のイベントは幕を閉じた。そして、泣きはらした目で、疲れ切った身体を引き摺り、参列者たちは夜のとばりの中に消えていった。

クイーンズでファンに手をふるATCQのジェロビ・ホワイト(Jarobi White)