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中国政府からの脅迫に立ち向かう風刺画家、巴丢草

中国政府がメルボルン在住のアーティスト、巴丢草の素性を特定して1年が経つ。以来、彼は尾行やサイバー攻撃の被害を受けてきた。自宅に侵入された可能性もあるという。

by Gavin Butler
18 November 2019, 5:16am

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4人の男がいた。他のひとなら、ただのアジア系ビジネスマンの集団だと思うだろうが、巴丢草(バディオツァオ)は彼らがスパイだと確信した。4人とも同じ企業の制服を着て、同じBluetoothのイヤホンを装着している。彼らはメルボルンの郊外を走るバスに乗り込むと、事前に打ち合わせていたかのようなフォーメーションで座席に座り、巴丢草を取り囲んだ。ひとりは彼の前、ひとりは彼の後ろ、そして残りのふたりは彼と反対側。当時を回想し、巴丢草は「完全に囲まれてました」と語る。

「もともとの目的地よりも前のバス停で降りようと決めました。あとをついてくるかどうかを確認したかったからです。僕が降りると4人のうちふたりが降りて、ウールワース(訳注:オーストラリアのスーパーマーケット)の店内までつけられました」

巴丢草は、ふたりが去ったことが確認できるまで、45分ほど店内に留まった。「恐かったです」と彼は吐露する。「でも恐怖はみせないようにして、カメラを構えて彼らのほうへ向かっていきました。そしたらそのあと、ふたりはいなくなりましたね」

「彼らの姿を記録するためには写真を撮らないと」と彼は付け加える。「正体を知りたいですから」

Badiucao

彼にはそれほど神経質になる理由があった。中国で生まれ、現在はメルボルンを拠点に活動する33歳の巴丢草は、反体制アーティストとして名を知られている。もともと覆面アーティストとして活動していたが、2018年11月に素性がリークされて以来、彼は覆面を着けるのをやめた。彼が生やしている〈変なヒゲ〉のせいで、街なかでも正体がバレやすくなっているかもしれない、と考えている。それは彼にとって問題だ。彼は日常的に殺害予告を受け、この8年で少しずつ、しかし確実に、中国共産党の敵としてのレッテルが貼られてきたからだ。

実際、彼のU字型のヒゲは〈変〉なんかではなく、むしろカストロを思わせる。レザーのコートにカーキの開襟シャツを合わせた彼は、まさに革命家然としており、待ち合わせは彼の希望で人通りの多いメルボルンの中心地だったが、そんな場所でも彼は確かに目立った。

私たちと彼との約束は、暗号化されたメッセージアプリを利用して密かに計画された。インタビューの場として選んだのは、人が多く騒がしいカフェだった。

彼は静かに喋った。もともと口調が穏やかなのか、それとも誰かが聞き耳を立ててはいないか、と神経質になっているだけなのかはわからない。

「彼らは僕の私生活も覗いてきます」と巴丢草は訴える。「特に、僕のドキュメンタリー映像や僕の作品に関する重大な発表の前後が多いです」

アートを武器に戦う中国の反体制派

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中国を代表するアーティスト、艾未未(アイ・ウェイウェイ)と同様、巴丢草は中国政府を公然と批判し有名になった。彼の作品は絵画、彫刻、パフォーマンスアートと多岐にわたるが、彼の評判が築かれるようになったのは、政府による監視、検閲、中国警察を痛烈に批判する風刺画がきっかけだった。

ある作品では、毛沢東がカンガルーの肛門を犯し、別の作品では香港の林鄭行政長官が頭にピストルを当てている。中国の習近平国家主席と、似ているとされるくまのプーさんをともに描いた作品は、少なくとも6枚。過激な作品ばかりだ。

世界への中国の影響力が無視できないレベルに達しているここ数年、これらの作品をきっかけに巴丢草は〈中国のバンクシー〉ともてはやされるようになった。ブラックユーモアと研ぎ澄まされたウィットを武器に、権力を糾弾し、カウンターカルチャーのなかで反体制活動を行う匿名アーティストだ。しかしその〈有名税〉はあまりに重かった。神経質でやわらかな口調の巴丢草は、図らずもヒーローになってしまったかのような雰囲気を漂わせながらも、時折、半匿名の有名人としてスポットライトを当てられている今の状況を楽しんでいるような様子もみせた。特に、リーダーと自認する香港の抗議運動の話になると、彼はこう述べた。

「僕の作品は、香港のひとびとにも広く知られてます。僕のSNSをみてもらえればわかりますが、僕の描く風刺画には数千のいいねやリツイートがつくんです。反応してくれるユーザーの多くが香港人です」

彼は、香港に特別な心のつながりを感じるという。2018年、反政権のアート作品が原因で中国からはほとんど追放状態になった彼だが、中国政府の独裁政治への抗議、という香港デモの核にある主張は、彼が長年掲げ続けてきた目的と一致する。

1986年、上海で生まれた巴丢草は、華東政法大学の学生だった21歳のとき、寮の友人と台湾のラブコメの海賊版を観ていた。しかし視聴中、突然別の映像が流れ出した。作品の中盤に、『The Gate of Heavenly Peace(天安門)』という、1989年の天安門事件を記録した、3時間にわたるドキュメンタリー映画が差し挟まれていたのだ。

自分と同い年の学生たちが自国の軍隊に撃たれている映像を目にした巴丢草のなかで、何かが目覚めた。自らが育った中国に幻滅した彼は、2009年にオーストラリアに移住。弁護士の夢を捨て、アートの道を進み始めた。

彼が絵画での政治風刺に乗り出したのは2011年のことだった。まず、オンラインキャンペーンをローンチし、数百人に及ぶ世界中のアーティストからペニスの画を募った。

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巴丢草によると、当時の北京ではルネサンス期の美術展を開催しており、その展示物のなかには、ミケランジェロのダビデ像のレプリカも含まれていた。しかしその地元の新聞に掲載された写真では、像の局部が塗り潰されていたという。

「あまりに保守的だと思いました。500年前には局部はNGではなかったのに、今の時代にダビデ像のペニスを隠すなんて。だからネット上で、ペニスの画を描いてもらうキャンペーンを始めたんです。そこからすべてが始まりました」

巴丢草自身、このキャンペーンは最初から辛辣な反体制活動だったわけではなく、むしろ政治への一意見だったと認めているが、これをきっかけに活動が前進しだし、いろんな出来事へ発展していった。

まず、政治的な意識の高い風刺画家やアーティストたちのコレクティブがコラボレーション活動をスタートし、中国のSNS、Weiboで作品を公開し始めた。巴丢草は彼らを「ひとつの団体、仲間意識で結ばれたグループ」と表現する。メンバーの大半が、報復を恐れ匿名で活動していた。中国政府による監視、検閲は徐々に厳しくなっていった。わずか数年のあいだに、中国共産党を批判することは、実に危険な行動になった。

「僕は、政治的な発言をするアーティストたちが姿を消していることを知りました。たとえば艾未未は、空港で拉致され、81日間も失踪していました」と巴丢草。「僕は当時、中国で反体制活動などを行なっていて、オーストラリアへの亡命を計画していたひとたちと知り合いだったんですが、彼らによれば、警察が彼らの家や職場まで来て、生活に必要な最低限のライフラインを脅かしたらしいんです。アーティストだけじゃなく、中国政府に批判的な反体制派もです。そもそもアーティストは少ないですから」

そして2015年、巴丢草はネット上で誹謗中傷の嵐に見舞われた。それは、政府に反対して逮捕された5名のフェミニストを支援するためのポートレートを公開したあとのことだった。Twitterでのメンションの通知は鳴り止まなかった。みんなが彼の名前をタグ付け、うわさを広め、ひどい作り話を吹聴した。巴丢草にはそのすべてが、周到に準備された脅迫に思えた。

「いつも『狼が来るぞ』といううわさを耳にしてはいましたが、実際に〈狼〉による被害を受けたのはそのときが初めてでした」と彼は回想する。「でもそれでもまだ、物理的な接触はなく、ネットでの攻撃に留まっていました。それは単に、私の正体がまだ知られていなかったからです」

知られすぎた男

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2018年11月、ついに〈狼〉が直接的な接触を試みてきた。巴丢草にとって中国本土外で初となる個展が香港で開かれる予定で、その2日前のことだった(オープニングイベントでは、CNN、BBC、『TIME』といったメディアからの覆面インタビューに答えることになっていた)。その日、彼は電話で、中国本土に住む家族のもとに警察が訪ねてきた、と知らされた。

「私の情報が漏れたんです」と彼はいう。「中国警察が私の家族を特定し、脅迫しました。私本人にもです。警察からの要求は、個展を中止せよ、というシンプルなものでした」

中国当局は、もし巴丢草が個展の中止を拒んだら、会場に警官をふたり送り込む、と警告した。本来、本土の警察は香港での公権力の行使は認められていない。しかし、巴丢草はこう証言する。「彼らが会場に来るというなら、僕の仲間たち全員に脅威を及ぼすはずです」。結果、仲間たちの安全を考慮し、彼は個展を中止した。

その6ヶ月後、彼はオーストラリアのテレビ局で放映されたドキュメンタリー番組で、覆面を使用せず、初めて公に顔をさらした。番組のタイトルは『China's Artful Dissident(訳:アートを武器に戦う中国の反体制派)』。映像作家のダニー・ベン・モシェ(Danny Ben-Moshe)が監督を務めた本作では、巴丢草が断念するに至った香港での個展までの数ヶ月を追っている。もともとは彼の匿名アーティストとしての活動にフォーカスする予定だったが、彼の家族が脅迫を受けたことで、これ以上隠しても無駄だと判断した彼は、約10年続いた匿名での活動に終止符を打ち、ついに素性を明かすことを決めた。

「ずっと匿名アーティストとして活動していて、今回のようなインタビューでもマスクを被ってましたね」と彼はいう。「今や僕の顔はみんなに知られていますが」

巴丢草は、香港での個展が中止に追い込まれたことは、中央政府の権威主義体制の伸長、そして、その後の出来事を暗示する兆候だったと考えている。本土の警察が彼の家族を脅迫してから4ヶ月後、香港政府は、中国本土からの犯罪人や逃亡者を中国共産党が起訴できるようにするため、逃亡犯条例改正を進めることを決めたのだ。

香港人にとって、この条例改正は半自治権を有するはずの香港が、権威主義を拡大する中央政府に飲み込まれてしまうのでは、という恐れや、〈一国二制度〉は単なる神話だったのだ、という想いをいよいよ固めるきっかけとなった。それはまるで火薬庫に散った火花だった。改正案が発表されてから数日、数週間、数ヶ月経つと、香港全土で抗議運動が激化していった。

反プロパガンダグループ

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香港の民主主義を求める抗議運動はすでに4ヶ月以上続き、デモの要求が拡大していくいっぽう、警察の弾圧も激化。レンガ、催涙ガス、火炎瓶、ゴム弾、鈍器、そして実弾が使用されるような武力衝突は毎日のように勃発している。参加者は殴打、逮捕、銃撃を受け、これまでで死者は10名(※記事執筆時)。そのうち9名が自殺で亡くなっている。

この混沌たる状況のなかで、政治的活動を行うアーティストたちは地道な努力を続けている。巴丢草は彼らのことを「反プロパガンダグループ」と呼ぶ。この地下グループに所属しているのは、匿名で活動する画家や風刺画家、計数百名。TelegramのチャットグループやAirDropを使用して大衆に自らのアートを拡散し、火を絶やさないよう活動している。巴丢草は、彼らの作品が香港デモに力を与えていると断言する。

「アートはとても大事です」と巴丢草。「何ヶ月もデモが続いて、みんな疲れている。それでも明確な解決策は見えないので、デモを続けていくしかない。ここでやめてしまったら何にもなりませんから」

巴丢草によると、アートは香港の民主化運動にふたつのかたちで寄与している。「まず、ひとびとの慰めになっていること」と彼はいう。「アートとして政治を描けば、林鄭の風刺画だって描けます。それが面白いですよね。体制を脱構築し、ひとびとに力や勇気を与える。デモ参加者たちが抗議を続けるエネルギーになります」

ふたつめは、世間からの注目を集めること。アートは、現場近くだけではなく、世界のメディアやコミュニティの注目を集めるきっかけにもなっている。抗議活動、武力衝突、混乱が4ヶ月以上続くなかで、アートは、報道すべき新情報をメディアに継続的に与えてきた。「それは重要なことです」と巴丢草はいう。「世界からの支援を多く得ることが大事ですから」。革命は、記録がされない限りテレビに映ることはない。しかし、ガイ・フォークスの仮面を被ったり、ポストイットを身体中に貼ったり、血が飛び散った旗やカエルのペペのポスターを掲げたりする大勢のひとの姿は、抗議運動の主張に物語を与え、さらに話題も提供している。

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また、アートは巴丢草にとって、オーストラリアという遠い場所からでも、抗議運動に「擬似的に参加する」手段となっているという。彼はTelegramのグループに自分の作品を定期的にアップロードしていて、現地にいる香港人はそれをプリントして街中に貼ったり、デモの最中に掲げたりしている。彼自身が特に誇りに思っている作品は、さまざまな色を使って描いた〈レノン・ウォールの旗(Lennon Wall flag)〉だという。これは、世界中の香港人に使用され、世界各地での香港デモ支援イベントで、ほぼ毎回掲げられているそうだ。

「僕の作品は日々の抗議運動からインスパイアされています。現地で起きている出来事に即した題材を描いてるんです」と彼は説明する。「そうして描いた作品が、闘いを続けるデモ参加者の武器になる。そういうサイクルが自然発生的に生まれています。お互いがお互いのインスピレーション源になっているんです」

巴丢草は、自分の運命は自由を求める香港の闘いと絡み合っていると感じており、彼にとって自分のアートは、恩返し、そして支援の手段だ。もしかすると〈唯一の〉手段かもしれない。彼自身はもう、あの国には戻れない。

後戻りはできない

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巴丢草は最近まで、中国と物理的に離れていることは、アート活動をするうえでの自分の強みだと感じていた。中国に住む風刺画家や反体制派は、権威主義的な自国の政府に大声で抗議することを恐れ、作品を自己検閲したり、政府の逆鱗に触れそうなテーマは避けていた。いっぽう彼は、好きなことを発言でき、直ちに罰を受けることを恐れる必要はなかった。しかしこの1年で、彼の認識は変化した。

「今は、自分がどこにいるかなんてまったく関係ないと知りました」と巴丢草は語る。「オーストラリアにいたって、向こうからの接触はあります」

ウールワースで経験したような中国側からの接触をきっかけに、巴丢草はそんな恐ろしい結論を導き出すに至った。

実は、接触はいちどだけではなかった。彼は静かに、もうひとつの体験について語り始めた。彼は電車に乗っていた。『China's Artful Dissident』の非公開試写会のためにベン・モシェ監督に会いに行くところだった。ガラ空きの車両の座席に座ると、ふたりのアジア人男性が彼の目の前の座席に座った。今度の男たちは、ギャングのような見た目だったという。「僕をじろじろ見てきたので、僕も見つめ返しました。僕が携帯を出し、彼らの写真を撮り始めた途端、目を逸らしました」

彼はこのときも、目的地に着く前に席を離れて電車を降りたそうだが、前回と違い、あとをつけられることはなかった。とはいえ、この出来事は「あまりに不可解」だった、と彼は回想する。

不可解といえば、その出来事と同じ頃、彼とベン・モシェ監督の携帯電話が同時に圏外となったこともあった。彼はこれについて、ベン・モシェ監督のインターネット業者が、サイバー攻撃だと確認した、と述べた。

また、自宅に侵入された可能性もあるという。

ウールワースで尾行された日の夜、メルボルンの自宅で眠る巴丢草は、物音で目を覚ました。ベッドから出て電気をつけ、外を見て何か変わったことがないかを確認してから再び眠りについた。

そして翌朝、ガレージのシャッターが開いていることに気づいた。「地面から30センチ程度開いてました」

「開けたのは絶対に僕じゃない。ガレージのなかには作品を保管してあるから、毎晩カギをかけてるんです」と彼は証言する。「誰が開けたのかわかりませんが、あの出来事のあとですし、時期も時期なので疑っています」

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現在彼は、できるかぎりの警戒をしている。暗号化されたメッセージアプリとVPNを使用し、誰かと会うときは必ず、通行量の多い公共の場で、と決めている。車は持っているが、運転はしない。ナンバープレートから住所を特定される可能性を恐れているのだ。また、チャイナタウンにもできるだけ近づかないようにしているという。

「チャイナタウンには中国の工作員が多く、人の目も多い」と彼は説明する。「僕にとっては、危険であると同時に守られているような感覚になる場所です」

彼の用心深さを、「やりすぎ」「被害妄想だ」と指摘するひともいる。それは、彼が公然と中国政府を批判することの代償だ。「何が、どのように、いつ起こるか、ということを常に心配しています」と彼は吐露する。しかし、日常に不安を抱えつつも、政府には絶対にアーティストとしての自由に干渉させない、という強い意志は失っていない。

「僕が何を不安に思っていても、作品には影響させない。それは最低限の決まりとして自分に課してます。作品のなかで、僕は強力なんです。たとえ日常では何かを恐れているとしても、作品において自己検閲はしないし、禁忌もつくらない。それが僕の、越えてはならない一線。絶対にそれは破りません」

彼という人間の核には、そういう二面性がある。ヒーローになることに乗り気じゃないながらも、英雄的行為を楽しんでいるところ。車の運転をやめたり、目的地の一駅前で降りたりするくらい用心深いのに、スズメバチの巣を叩き続けること。彼は背景に溶け込みながら日常を送っているが、アーティストとして、あるいは革命家として、そして〈強力〉な扇動者としての成功は、彼の姿が目撃されなくては達成できない。そして彼は、危険が身に迫っていようとも、自らの主義に命をかけている。

あとをつけられているかどうかを気にすることなく普通に街を歩いたり、バスに乗ったり、コーヒーを買ったり、という日常生活を送れる日がいつか来ると思うか、と質問すると、彼は率直に「不可能」だと答えた。

「僕がアーティストでありたいと思うかぎり、人権に関するテーマを扱い続けます」と彼は断言する。「正体がバレることで、もし僕に何かが起こったときに、きっと世界中からたくさんのサポートが得られるというメリットがありますしね。ただ、有名になったからといって安全に暮らせるわけじゃありません」

「いちどリストに載れば、一生名前は消えない。後戻りはできないんです」

This article originally appeared on VICE AU.