James Chance この年齢にしてエンターテイメントを追求する男

「客はかなり戸惑っていたよ。ディスコとしては速過ぎたんだ。私はパンクロックに影響されていたから、どの曲もとても速かった」

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20 October 2015, 9:32am

残念ながら、ショービジネス界はJames Chanceという人物を理解できていないでしょう。ところがどっこい、彼はショービジネスをきっちり理解しています。ウィスコンシン州で生まれ、70年代後半に、マンハッタン・アベニューの月125ドルの部屋に辿り着いたChanceは、間違いなくロウアーイーストサイドのベストドレッサーでした。というのも、まず音がシャレオツ。当時の音楽シーンにまったく欠けていたジャズやファンクに対する皮肉ではない愛を、茶目っ気たっぷりのユーモアも加えながらシーンに吹き込んだのですから。彼のバンドCONTORTIONSは、ノー・ウェーブのコンピレーションアルバム『No New York』(プロデューサーはBrian Eno。でもChanceに言わせれば「プロデューサーなんかじゃなかったね。ただのフィールドワークってとこだろ」)の参加を経て、TELEVISIONの『Marquee Moon』やPatti Smithの『Horses』同様に、今でもまったく古さを感じさせないアルバム『Buy』を発表。同時にChanceは、類稀なるエンターテイナーっぷりをアピール。James Brownのようにマントを纏い、笑い、泣き、怒り、叫びながら、自らに火を付けてしまうような圧倒的ステージ。当時のシーンのハートをガッチリと掴んだのであります。

しかし、いつまでもそんなこと続けられるわけがありません。過激なライブを繰り返せば、負傷者も出るでしょうし、一番最悪なのは、お決まりのギャグのようになってしまうこと。なのでChanceは、少しずつ落ち着いたステージを心掛けるようになったとのこと。音楽的にはリベラルな姿勢であり続けましたが、よりジャズ色が強くなり、様々なバンドやプロジェクトで、これまでにたくさんの作品をリリースしてきました。その度にダウンタウンの夜は、彼のサックスの音色に涙していたものです。

現在James Chanceは、様々なエンターテイナーやパフォーマーを支援するアクターズ・ファンドが建てたミッドタウンのアパートで、三十年来の恋人であるダンサーJudy Taylor暮らしています。彼は、白の半袖ボタンダウンを着こなし、ヘアスタイルも完璧。そしてティーカップもソーサーも、ノワール・フィルムのポスターも本当にクール。James Chanceはやはりシャレオツでした。

以前あなたは「Richard Hellを聞いて、自分も歌えると思った」とおっしゃっていましたね。

ああ。でもカトリックの小学校に通っていた頃は、ちゃんとした少年合唱団に所属していた。猫が泣き叫んでるような声って言われていたよ。歌のレッスンなんて受けたことがなかった。音楽学校にいた16歳のある日、私はホールでBillie Holidayを歌いながら思いにふけっていると、誰かが教室から出て来てこう言ったんだ。「お願いだから止めて!」って。それくらい酷かったみたいだ。CONTORTIONSを結成したとき、自分では歌うのは数曲にして、女性ヴォーカルに半分歌わせようと思っていた。その前にLydia LunchとTEENAGE JESUS AND THE JERKSを始めたんだけど、その前にはSCABSというどうしようもないバンドもやっていた。メンバーは、私とLydiaにJody Harris(CONTORTIONS、GOLDEN PALOMINOS etc)、そしてレック(TEENAGE JESUS AND THE JERKS、FRICTION)だった。半分は私の曲、もう半分はリディアの曲でやることになっていた。この半分っていうアイデアは、CONTORTIONSのときまで続いたね。

最初、CONTORTIONSは、Alan Vega(SUICIDE)の彼女がメンバーだった。アンとか何とかっていう娘で、2オクターブくらいしか出ない手製のシンセサイザーを持ってたね。彼女がなんとなく辞めた後は、セントマークスのパンク・ブティックで働いてたデビーっていう娘を入れた。確かデビー・リベンジって呼ばれてた。で、リハーサルで歌ってもらったんだけど、あまりやる気が感じられなかったので、「もうクビ!」って追い出した。仕方がないから、自分で歌ってなんとかしようと。Richard Hellは、誰がどう聞いたってヴォーカル・トレーニングを受けたようには聞こえなかっただろ。そんなヤツは他にいくらでもいたんだ。トレーニングを受けていようが、天から与えられた声だろうが、もうそんなの知ったこっちゃ無い。音痴でもいい。大切なのは、自分を表現出来ているかどうかなんだ。

でも、あなたの声はとてもスムーズになりましたよね。特にTERMINAL CITYの作品とか。

そうだな、メロウになって、マシになったかも知れない。でも少しだけだ。年を取ったせいか、声が低くなった気もする。もっとバリトン寄りの音域で歌えるようになったんだ。音程も合うようになった。嬉しいことだ!

つまり意識的にそうしたのではなく、年齢的なことだったのですか。

それもそうだし、練習のおかげでもある。86年にジャズに戻ったときだって、フリージャズじゃなく、Chet BakerやArt Pepperにインスピレーションを受けたスタンダードをやり始めた。エドウィッグというフランス人の友人が、14ストリートにあった在郷軍人会のバーでイベントを始めたんだ。彼女がスタンダードを歌って、Robert Aaron(CONTORTIONS)がピアノを弾いた。DJはシナトラをかけていたね。客の75パーセントがヨーロッパ移民だったな。

スウィングがリバイバルする10年前のことですね。

ああ。でもそれは、どちらかというとウェストコーストの話だ。やってた連中もいたけど、ニューヨークでは広がらなかった。私はほとんどが話にならないと思っていたんだが、これに乗るのも悪くないかもしれないと考えた。それでTERMINAL CITYを結成して曲を創り始めたんだ。ノワール・フィルムに影響を受けたものが多かったね。でも、曲が出来上がってレコーディングした頃には、スウィング・ブームは完全に終わってたんだ(笑)!

私は、ノワールに関して、そんなに詳しくはありませんが、サミュエル・フラー監督が浮かびました。

いいね。

James Chance and Les Contortions

ちょっと拡大解釈かもしれませんが、ファンクやジャズに対するあなたの感覚と、ノワールに関するフラーの感覚は似ているように思えます。様々なジャンルを取り上げつつ、それを変わったスタイルに調理してしまうというか…。

そうだ。そしてセンセーショナルにする。言ってることはわかる。フラーは私の好きな監督ではないけれど、彼は一種の天才だ。奇才ってやつだ。誰の影響も受けず、制作に対して非芸術的な姿勢を取っている。作品をフィルムとか映画って呼ばれるのも嫌がるだろう。私もある意味そうだ。非常に芸術的なムーブメントに関わったが、自分自身をそう思ってはいない。歳を重ねるにつれて、もっとエンターテイナー、それもオールラウンドなエンターテイナー寄りになっていった。そういうやつはもうあまりいないがね。

パフォーマンスを否定する人って理解出来ませんよね。

その通りだ。あいつらは、何をやってるつもりなんだ?そう思うなら、自宅の居間でやればいいじゃないか。人前に出るなら、その点も少しは考えるべきだ。スーパーに行くときみたいな服装でやるんじゃなくてね。あいつらは自惚れている。「自分は天才だから、人前でどう見えるとか、カッコいいのか、なんて気にしなくてもいいんだ。普段着で出てもパフォーマンスがすごいから、どっちみち客は熱狂するんだ」ってな。

短パンにキャップでも、そうですよね。

とんだ怠け者野郎だ。でも今はそれが普通だとよ。

さて、たくさんの人たちが、ノー・ウェーブについてコメントをしています。ノスタルジックに「いい思い出だ。楽しかった」なんてものも多いです。そもそも、本当に楽しかったのですか?

どうだかね。みんなCBGBの汚いトイレを懐かしがってやがる。でもな、それもしようがないんだ。確かにムサ苦しかった。そして、それが素晴らしかったと。CBGBのトイレが、すべてを象徴していたと思うヤツらがいるのは、今は無くなってしまったシーンに対する古き良き思い出だからな。ネットなんてない時代で、娯楽といえばテレビだけ、それも地上波だけだった。コンピューターに向かって指先を少し動かすだけで、どんなものでも出てくる今とはワケが違う。自分で動いて見つけなければならなかったし、もしくは自分で創るかだ。私たちは文字通りクラブで生きていた。毎晩通った。とはいっても、毎晩同じ曲がジュークボックスから流れていた。ジュークボックスに新曲が入るのは一大イベントだったよ!自分と同じ波長のヤツらと会える唯一の場所だった。半数は我慢ならない連中だったとしてもね。

続いて歌詞についてですが、あなたの歌詞はもっと注目されてもいいように思うのですが。

いいぞ、その通りだ!

あなたのおそらく最も有名な曲、「Contort Yourself」の歌詞は、深い哲学が根底にあるか、もしくは本能的に生まれたというか…

その両方だ!ある種の哲学はもちろんあるが、それを大々的に言い立てるつもりはない。基本的に歌詞は、書いてある通りの意味だ。とても明確だろ。今のポップスの歌詞は、とてつもなく陳腐で、コンピューターでも書けるような決まり文句の組み合わせか、ワザと真逆にして理解不能にしたものかのどちらかだ。

更にあなたは歌詞の中で、「ずっと楽しませてくれるなら、どんな武器を使っても構わない」とおっしゃっています。

まぁ、そうだが、そういう歌詞の面白味はすぐ消えるのも事実だ。私にとってはハイカルチャーである必要はないんだ。例えば『人喰いモンスターの島』という、安っぽい60年代のホラー映画があるのを知っているか?あれだってフェリーニと同様の名作だ。私はハイかローかで区別はしない。映画評論家の多くは、決して同レベルで評価しようとはしない。だが私にとっては、どのくらい好きか、それがすべてだ。

ノー・ウェーブは非常に注目されましたが、例えば、あなたご自身はCRAMPSなどとの間に共通点があると思われますか?

もちろんさ!私たちはCRAMPSのファンだった!私はCBGBのCRAMPSオーディションにも行ったし、Lydia LunchはしばらくLux Interiorとやっていたしな。CRAMPSは、ユーモアに溢れていた。彼らの音楽に夢中になったノー・ウェーブの連中のほとんどは、真正面から受けとめていたよ。

あなたは以前、ディスコに関しては複雑な思いを抱いているとおっしゃっていましたが、August Darnell(KID CREOLE AND THE COCONUTS)がリミックスした『Contort Yourself』は、私の好きな作品のひとつです。

いや、あれは別だ。素晴らしい。私は好きだね。ヤツはいい仕事をしてくれた。

どのようにして、あのリミックスは実現したのですか?

79年にBLACKSで『Off White』というアルバムを創ったあと、今度はCONTORTIONSとしてのアルバム『Buy』に取り掛かるところだった。そしたらZE RecordsのMichael Zilkhaが、「実はもうひとつアイデアがある。ディスコミュージックのアルバムを創って欲しい」と言ってきた。予算は一万ドルあったからね。棚ぼたって感じで悪くはなかった。更に彼は、「君の考えるディスコミュージックがいいんだ」と、すべてを私に任せてくれたんだ。当時、ディスコミュージックを耳にしない日はなかった。どこでもかかっていたからね。ディスコに行かなくても、タクシーやスーパーでもかかっていたんだから。

それで『Buy』に入っている「Contort Yourself」のディスコバージョンをやることにした。最初は、もっと速いテンポのバージョンを創って、セントポールのディスコのDJに頼み込んでかけてもらったんだけど、客はかなり戸惑っていたよ。ディスコとしては速過ぎたんだ。私はパンクロックに影響されていたから、どの曲もとても速かった。それでMichael Zilkhaは、「このままじゃマズイ」と思ったんだろうね。所属アーティストだったAugust Darnellを呼んで彼にからせた。Darnellは、ただ音源をスローダウンさせて、新しいギターのパートを書き、自分で演奏して、バック・ヴォーカルと手拍子を入れた。実は私はその場にさえいなかった。私は新しくボーカルを録っただけだった。彼がすべてやったんだ。

CONTORTIONSのギタリストは気を悪くしませんでしたか?

喜んではいなかっただろうが、バンドはもう解散していたんだ。でも、私は今でもあのパートを使っている。気に入ってるからな。もちろん、あれはコラボレーションなんてものではなかった。Darnellが勝手に自分のテイクを加えたんだからな。でも私は構わない。なぜなら、私もあまり人とコラボレーションしないからだ。

なぜですか?

まず、やろうとしたことがない。昔のブリル・ビルディングみたいに、チームで仕事をするヤツらもいる。そんなヤツらは毎日セッションしてるが、私はそういうスタイルを好まない。まず、毎日一曲とか週に一曲創るなんてありえない。月に一曲だって、何年も書かないことだってある。本当に価値があるアイデアが浮かばなければ、曲は書かない主義だ。書くためだけの作曲はしないんだ。

では最後に曲を書いたのはいつですか?

2011年に出したアルバム『Incorrigible』のときだろう。知ってるかい?

正直に言います。そのアルバムは、知りませんでした。

だろうな。何が酷いか、といえば、ヨーロッパでしかリリースされず、ろくにプロモーションもされなかったんだ。だから誰にも知られてない。フランスのレーベルがアルバム制作を始めたんだが、資金が底をついてしまった。既にレーベルは破産しているのに、ともかくリリースだけはしようとしやがった。結局、私ともうひとりのプロデューサーが止めに入って、自分たちで会社を立ち上げて再リリースした。なんとか数ヶ国で出すことができたんだがな。

再結成した現在のCONTORTIONSの状況を教えてください。

メンバーは、解散後に私が創った曲はやりたがらない。だから、ほとんど昔のアルバムの曲をやっている。まあ、それはそれで楽しい。80年代から一緒にやっているニューヨークのアーティストたちとのライヴだから、しようがない。ただ、他の曲もやりたいとは常に思っている。

ご自分が、時代遅れになっていると感じることはありますか?

私はいつだって沸騰する前のようなもので、ブレイクしたことは一度もない。そして、たまにはどん底まで落ちる。例えば、私にとって90年代は酷い時代だった。私には何の縁もないグランジ一色だったからな。チェックのシャツを着るのが流行りだなんて、信じられなかった。ヒッピーの最悪な部分だからな。それに80年代初期のものがリバイバルするには、まだ早過ぎた。Henry RollinsとRick Rubinが再発レーベル「INFINITE ZERO」を始めたのを覚えているか?早過ぎて、誰も興味を持たなかった。でも私の作品もそこから再発されたおかげで、活動を再開したんだ。その後、2000年から2008年頃まで、一瞬ノー・ウェーブが少し盛り上がり、リバイバル・バンドも登場したが、景気も悪くなったからね、ほとんどのバンドが消えてしまった。

最近また盛り上がりをみせているように思いますが。

よくわからない。私のことを知っている人も出てきているようだが、私はデジタルな人間じゃない。この前、人に頼んでやっとオフィシャルサイトを立ち上げてもらったよ。

他にもやりたいことはありますか?ニューヨークで演奏することで満足ですか?

それは違うな。現在、私の活動は、ほとんどがヨーロッパだ。フランスに私のバンドもいる。私のビジネスモデルは、世界のどこであっても活動する場所の、ローカル・バンドとプレイすることだ。バンドを連れて移動するなんて、金銭的に不可能だ。シカゴではWATCHERSというバンドとやっている。ポートランドでやったときは、地元のバンドと組んだ。来年はオーストラリアに行くが、そこでも現地のバンドと組む予定だ。

新作の予定はありますか?

もちろんだ!いつでもアルバムを出したいと思っている。ここ二作は、アメリカではリリースされていないんだ。アイデアが浮かんだら、それを書き留めている。気に入った詞やリフを書き留めているのさ。それを引っぱり出して完成させる。さっきも言った通り、私には同行するバンドや、しょっちゅうリハーサルするバンドはいない。でも、私と一緒にやるアーティストには、そんなものは必要ない。普通のバンドは、即興に対応できないし、柔軟性がないから他のやり方ができない。音符のひとつひとつを暗記しなきゃならないんだ。私にはまったく関係のない話だ。どこでもすぐに対応できるのだからな。

ライヴがあればやる…ということですね。まさしくショービジネス。

その通り。でなければ、ひとりでスタンダードをピアノで弾いて、満足しているだろう。