ヘアスタイルでデヴィッド・ボウイの音楽的変遷を回顧

デヴィッド・ボウイは長年に渡り音楽のスタイルを次々と変えてきた。そして、そんな彼の思考具合が、最も明白に表れたのがヘアスタイルだ。ボウイの頭を見ながら、音楽的変遷を回顧する。

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21 January 2016, 5:59am

ファッションアイコンとは、どう見ても、どう考えても、どこの誰が着てもへんてこりんな服を、完璧に着こなす人物のことだ。

デヴィッド・ボウイ(David Bowie)こそファッションアイコンであった。自嘲的でありながら堂々と振舞い、煌びやかであるが近寄り難く。いつでも失敗を恐れず、何にでも挑戦。あらゆるスタイルを試しては、ファッション業界に激震をもたらした。へんてこりんな服も彼が纏えば、すべてがハマった。

それこそが彼の成功の鍵。例えばトム・ジョーンズ(Tom Jones)のモジャモジャ、ミック・ジャガー(Mick Jagger)のボサボサ、イギー・ポップ(Iggy Pop)の不揃いブリーチ・ブロンドなど、他のスターたちがスターダムに立ったときのヘアに固執する一方で、ボウイは七変化を楽しんだ。音楽はもちろんのこと、ファッションや考え方など、どんなものでも分け隔てなく挑戦。そして盗む。そういえば、ジェニファー・コネリー(Jennifer Connelly)のベッドルームで盗みを働いたこともあった。

『ラビリンス/魔王の迷宮』のジェニファー・コネリー。正確に言うと、この映画でボウイが盗んだものは彼女の弟。

日夜関係なくボウイは盗む。ミック・ジャガーは、かつてこう語った。「ボウイに会うときは、新しい靴を履かないって決めている」。もちろんその理由は、ボウイはその靴を見るや否や店に走り、同じものを購入するからだ。しかもその靴は、ボウイが履くとミックより似合ってしまう。

この窃盗常習犯は、長年に渡り音楽のスタイルを次々と変えてきた。そして、そんな彼の思考具合が、最も明白に表れたのがヘアスタイルだ。ほとんどの男性は思春期を終える頃、自身のヘアスタイルを確立させるのだが、ボウイのヘア変化に終焉は訪れなかった。

彼は66歳のとき、再度イメチェンを図った。ブライアン・フェリー(Bryan Ferry)、5代目007のピアース・ブロスナン(Pierce Brosnan)にも通じるヘア。あとちょっとだけおばちゃん女優のジュディ・デンチ(Judi Dench)からもパクったか?

架空のキャラクター、「ジギー」のジャンプスーツと、「シン・ホワイト・デューク」のドイツ騎士団服を思い出す。現在それらはすべて、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)で、ミイラのように展示されているが、これらの衣装はボウイでなければ、単なるヨレヨレの布にすぎず、あのヘアスタイルがなければ、まったく見栄えもしなかったであろう。そう、彼のヘアスタイルは、美味しそうなケーキに施されたフワフワのクリームなのだ。

デヴィッド・ボウイは、カメレオンのようにコロコロとスタイルを変え、トレンドを盗み、ヘアスタイルを完全に自分のものとした。そのキャリアを通じ、男性向け/女性向けを問わず、あらゆるヘアスタイルを試してきた。それがどれほど奇妙なスタイルであれ、その時代にマッチした。彼はヘアスタイリストを味方につけ、時代精神の探求に勤しんだ。そしてアルバムを出すたびにヘアスタイルを変えてきた。

ボウイの熱狂的なファンは、彼が1972年に『ジギー・スターダスト』で人々の心を虜にする前のセクシュアルな60年代を、唐辛子とミルクだけを摂取し、キャリアに火を点ける魔法の曲を求めて悶々と過ごしていた事実を知っている。

つまり、この口ひげを剃り落とすためのカミソリを探していた。

デヴィッド・ボウイは、ロンドン南部出身の目立ちたがり屋の少年にすぎなかった。1964年、17歳のデイビー・ジョーンズ(Davey Jones…ボウイ下積み時代の名)は、『ロングヘア男を虐待することに反対する協会』を設立。抱えている不満をBBCのレポーターに向かって饒舌に語っている。

17歳のボウイは、あらゆる場所で長髪の正当性を訴えた。

ボウイは下積み時代、彼が将来ビッグスターになるとはつゆとも思っていない美容師の卵たちに、カット・モデルとしてパーマをかけられ、前髪をつくられ、ありとあらゆるところをチョキチョキされていた。(この時代の写真の特徴は、彼に笑顔があること。1970年代に入ってからは、それがめっきり減ってしまった)

老婆が営んでいる地元のバーバーで切ってもらったような、フランス風のタートルネックのトップスが良く似合う、常軌を逸した滑稽な円柱型のブロンドのモップヘア。このヘアスタイルは、社会主義者のスウェーデン人が経営している養豚場でよく見かけたものだ。

1965年から1969年にかけて、ボウイは多様なバンドで経験を積んだ。一緒に映っているのは、さまざまなジャンルに属する若く有望な英国のミュージシャンたちだ。ボウイは彼らと成長をともにした。

個人的に気に入っているのは、ちょっとだけ活動したフォーク・トリオTHE FEATHERSのときの衣装。このトリオは、万人受けするキッチュなパロディーを専門としていた。その様は、デビュー・アルバム『デヴィッド・ボウイ』収録の「Sell Me A Coat」で確認することができる。ボウイはそのヘアスタイルと同様、服装の趣味も奇抜であった。

ボウイのような天然のコトドリ(世界一のモノマネドリ)にとって、正しい影響を与えてくれる人が近くにいなければならない。しかし、彼が受けてきた影響は偏っていた。更に、それ自体がTHE BEATLESをはじめ、キャット・スティーヴンス(Cat Stevens)やボブ・ディラン(Bob Dylan)などからの影響を受けていたため、まだまだスタイルアイコンとしてのボウイは存在しなかった。

しかし、遂に準備は整った。1969年にリリースされた『スペース・オディティ』は、アポロ11号の月面着陸に対する強い関心もあり、彼をメインストリームに押し上げた。ボウイは、人類が宇宙の玄関口に足を踏み入れたことに対する、世界中の人々の畏怖を織り交ぜ、空間を見つめる独りぼっちの宇宙飛行士のストーリーを楽曲に仕立て上げた。

そのヘアは、このように表現された。

ちなみに、下の時代遅れのものは、エリック・クラプトン(Eric Clapton)やジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)などが活躍した1967年のスタイル。

そして1970年。遂にボウイは大スターへの階段を駆け上がり始める。しかし、そのスタイルが完全に確立されたわけではなかった。その後の数年間も彼はさまざまな影響を受け、スタイル遍歴を続けた。

ボウイは刺激を求めてニューヨークに向かった。かねてよりアンディ・ウォーホル(Andy Warhol)の噂を聞いていたボウイは、ウォーホルに捧げる歌を携えて彼のファクトリーを訪れた。

アンディ・ウォーホルは、ボウイにからかわれていると勘違いし、最初は良い顔をしなかったが、スタッフにボウイの写真を撮らせ、彼を自分の映画に起用した。ボウイはパントマイムのポーズでそれに応えた。

ボウイはヒッピーのようなヘアスタイルをしていた時期にロンドンに戻り、イギー・ポップの名前を無断で借用し、「Z」を足して「ジギー」という新たな人格を創り出した。

大いに参考になったのは『Vogue』誌のイタリア版だ。そこには鋤田正義が撮影した山本寛斎のデザインも掲載されていた。両氏は後に重要なボウイの協力者となったが、ボウイはさしあたり、東洋と西洋の境界を打ち破る役目を「ジギー」に与え、最高の模倣、あるいは完全コピーに明け暮れた。

さらにボウイはメイクアップ・アーチストとしてピエール・ラロシュ(Pierre Laroche)を雇った。これらすべてのスタイルはラロシュが担当したものであり、当時の風潮がかなり反映されている。

もちろんボウイにとって、分厚いメイクアップを施し、片足しかない奇妙なニットのジャンプスーツを纏うために、毎晩2時間を費やすことは大きな無駄であった。そこで基本に戻り、キャラクターを捨て、ソウルを追求したアルバム『ヤング・アメリカン』を録音した。その時のヘアスタイルはロッド・スチュワート(Rod Stewart)風であったが、彼のような虫唾の走るオヤジ臭雰は皆無だった。

70年代だけで11枚と、アルバムは続々とリリースされた。それに伴い、彼はファッションやへアスタイルとともに、音楽性も変化し続けた。

当時のボウイに憑依したキャラクター「シン・ホワイト・デューク」が魅せたミニマリズムは、70年代の世界に蔓延していた、質素さを重んじる風潮が反映されており、ミルクと唐辛子しか摂取しないボウイにはうってつけだった。「デューク」は、後ろになでつけただけのポンパドール、簡素な衣装に新たな表現を見出した。

その一方、それらのスタイルに付随する楽曲は、壮大なエピック「ステイション・トゥ・ステイション」から、泥臭いファンク「ゴールデン・イヤーズ」、「ワイルド・イズ・ザ・ウインド」まで、多岐に渡る。

この時期はとにかく尖っていた。当時のボウイは、突き出た頬骨と炎のような髪、そして控えめなエイリアン的な風貌のほか、魔術師アレイスター・クロウリー(Aleister Crowley)や、コロンビア産コカインの影響により、明らかに他のミュージシャンとは一線を画していた。

しかし1980年代、ボウイは道を見失うことになる。彼はトレンドセッターである一方、時代に合い過ぎた意見を手本にしてしまった。

新たな時代の到来を恐れ、誤った選択をしたのだろうか?「性の解放」の時代は過ぎ去り、西洋の社会主義的思想の最後の喘ぎは鎮静化し、70年代の石油危機によって、時代は止めを刺された。それにより、新しい公平な世の中を創る、という理想は打ち砕かれ、80年代の理想は、見返りの少ない薄っぺらく安っぽい、消耗品のようなものに成り果ててしまった。

ああ、ボウイの80年代。

世間は悪趣味を身につけ、ボウイもそれに追随した。バッド・ボウイ。

大味なヘアカットと共に、音楽的センスも間違いなく低下した。ボウイはペプシコーラをスポンサーにつけ、趣味の良し悪しに捉われず、大規模な『グラス・スパイダー・ツアー』をスタートさせた。このツアーには湯水のように大金が注ぎ込まれたが、タイムズ・スクエアにたむろする娼婦のようなバックダンサーを始め、その趣旨は観衆にとって、彼のマレット、もしくはウルフカットと同様に不可解なものとして記憶に刻まれた。

そして、あまり触れたくない90年代。もちろん話さなくてはならない。下唇の真下と顎の上の小さな顎髭、品のないヤギ髭、顔の上にだらりと垂れた髪、粘土で作ったみたいな毛髪。

それらのいくつかの責任はNINE INCH NAILSトレント・レズナー(Trent Reznor)にある。少なくともヤギ髭は完全にヤツのせいだ。

そしてこれがデヴィッド・ボウイの21世紀スタイル。結局、この帽子を支持する気にはならなかったが、彼ほど多様なスタイルに挑戦してきたスターはいなかったし、これからも現れないだろう。出てきたとしてもリアナ(Rihanna)ぐらいか? 心からボウイに敬意を表したい。

親愛なるデヴィッド・ボウイ。宇宙でのヘアスタイルはどうしていますか? DEATH GRIPS風? DIE ANTWOORD風?もしくは、ケンドリック・ラマー (Kendrick Lamar)?ジャパニーズ・アイドル風だったり…。でもどれもバッチリに似合っているんでしょうね。もっと拝みたかったなぁ。