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トランプ合衆国のパンク

米国の行く末を案じる音楽ジャーナリスト、ジェイソン・ヘラー(Jason Heller)は、こんなご時世だからこそ〈パンク〉そのものに立ち返るべきだ、と怪気炎を吐く。トランプ大統領の執政は、米国のストリートで暮らす当事者が〈パンク〉概念の再確認をしなければならないほどの懸念事項だ。今後4年間、〈パンク〉は米国社会とどう関わるのだろう。

米国の行く末を案じる音楽ジャーナリスト、ジェイソン・ヘラー(Jason Heller)は、こんなご時世だからこそ〈パンク〉そのものに立ち返るべきだ、と怪気炎を吐く。トランプ大統領の執政は、米国のストリートで暮らす当事者が〈パンク〉概念の再確認をしなければならないほどの懸念事項だ。今後4年間、〈パンク〉は米国社会とどう関わるのだろう。

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ここ数日、パンクロックとトランプについて考えている。考えているのは私だけではない。あからさまな人種差別主義者、女性蔑視野郎、外国人恐怖症、大富豪、堂々と性的暴力を楽しむ男。そんな大統領の誕生に直面して、当然ながら、失望が米国内のあちこちから噴き出している。大きな恐怖を感じるなか、パンクロックはこの状況にどう適応していくのか、と多くの議論が交わされている。Noiseyではキム・ケリー(Kim Kelly)が、パンク、メタルの両シーンに音楽的政治活動を呼びかけMTV Newsのジェシカ・ホッパー(Jessica Hopper)は、トランプ時代にパンクの黄金期が訪れる、と期待するのは短絡的で誤った見通しだとバッサリ切り捨てている。このふたつの記事には共通して〈明るい兆し〉というキーワードが登場する。ソーシャルメディアで、どんなに大勢がトランプ時代の〈明るい兆し〉として、リアルなパンクロックバンドの登場への期待を発信したところでそんなのはなんでもない、とふたりは断言しているが、同感だ。だから私はこう主張する。「今後4年間の希望を音楽に託すな。みんなで音楽を盛り上げるんだ」と。「演奏なんかできない」「音楽の才能はゼロ」 「楽器なんか触ったこともない」。ちょっと待った、ラッキーだよ。そんな皆んなにぴったりの音楽ジャンルがある。それが〈パンク〉だ。

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ケリーは記事の最後で、政治的な曲をつくるように呼びかけているが、それはミュージシャンに対してだ。オーディエンスには、楽曲の怒りに歩調を合わせるよう勧めている。ホッパーは、音楽に直接参加するべきだ、とは全く書いていない。むしろ、音楽と政治の関係を〈消費者〉と〈ポップアーティスト〉の立場から考察しており、トランプ時代に、より〈質〉の高い音楽がメインストリームに登場する可能性があるか否かに焦点を当てている。

こんなご時世なのに、どうしてミュージシャンだけが音楽を通じて政治的な自己表現をするよう促されなければならないのか。加えて、〈ポップ〉の名の下に、経済的、資本主義的条件によって測定される音楽の質を、どうしてわれわれが気にかけなくてはならないのか。

パンクは抗議の音楽である。単純明白だ。もちろん、すべてのパンク・ソングが何かに抗議しているワケではない。しかし、政治臭のなかった初期パンクバンド…たとえば青春丸出しのBUZZCOCKS、お馬鹿なTHE DICKIESでさえ、70年代に支配的だった男らしさ、神格化されたミュージシャン像を覆すような政治的発言をしていた。BUZZCOCKSは《I Believe》のようなポリティカル・ソングを歌っていた。THE DICKIESも、バリー・マクガイア(Barry McGuire)の60年代プロテストソング《明日なき世界(Eve of Destruction)》のカバーを、やや皮肉っぽく演奏した。当時は冷戦下であり、レーガンの大統領選出馬中にこのカバーは発表されたので、彼等も政治的活動をしていた、といえるかもしれない。

しかし、そうでなくても、パンクがポリティカルであるのには根本的な理由がある。パンクは元来、誰にでも音楽はできるし、誰もが音楽をやるべきだ、という理念のもとに成立しているのだ。

この事実は、生物学の博士号を持つBAD RELIGIONのグレッグ・グラフィン(Greg Graffin)が社会経済学について講義したり、BIKINI KILLのキャスリーン・ハンナ(Kathleen Hanna)がパンクにフェミニズムを持ち込んだのと同じぐらい重要だ。大事なのは、オーディエンスを受身な〈リスナー〉〈消費者〉ではなく、参加者として巻き込む働きかけだ。もちろん、40年以上前に誕生したパンク・シーンには諸々の問題点があり、それをごまかすつもりはない。パンクはその理想とは裏腹に、ストレートの白人男性が牛耳ってきた。また、パンクは人種差別、女性蔑視、性暴力、ホモフォビア、トランスフォビア、その他のあらゆる偏狭さを抱えている。これはパンクの理想に反しており、シーンに根強く残っている偏見でしかないのも認める。しかし、一方で、現在のパンク・シーンでは、素晴らしいバンドが誕生しているのも事実である。解散が惜しまれるオリンピアのG.L.O.S.S.を筆頭に、プロヴィデンスのDOWNTOWN BOYS、ニューヨークのLA MISMAなど、新しいリアルなパンクバンドの登場には、本当に興奮させられる。そういったバンドのインパクトは、バンドが解散したとしても、ずっとなくならないだろう。

そんなバンドを中心に、多くのバンドが〈パンク〉を前進させている。シーンの衰退期があったとしても、それでパンクの価値が損なわれたりはしない。パンクは民主主義に似ている。それは素晴らしい平等主義だ。もちろん、民主主義が必ずしもうまく機能するわけではない。2016年の大統領選は、忌まわしい出来事の代表例だ。だが民主主義と同じようにパンクにも、闘ってでも獲得すべき価値がある。実際に関わり、より良くしようと努力するだけの価値がパンクにはある。

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1977年のペニー・リンボー(Penny Rinboud)は、34歳のヒッピーであり、パフォーマンス・アーティストであり、元教師であった。親しい友人だったフィル・ラッセル(Phil Russell)* が不当に精神科病院に拘禁され、悲劇的な死を遂げたのをきっかけに、リンボーは、SEX PISTOLSを中心とするパンクのエネルギーにアプローチした。彼は、パンクスたちの父親といってもおかしくない年齢で、長髪で、音楽経験といえばEXITというパフォーマンスアート、アバンギャルド集団に属していただけであった。

それにもかかわらずリンボーはCRASSを結成した。パンク史上有数の政治的バンドだった。CRASSは〈質の高い〉音楽制作にこだわったり、ポップバンドのようにメインストリームに大きな影響を与えようともしなかった。ただ、自分たちが経済的にも政治的にも壁に突き当たっているのを実感したから、彼らはパンクを選んだ。70年代後半、マーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)によって、ストリートは閉塞感に苛まれていた。リンボーは、政治システムへの怒りを音楽で増幅させる方法をパンクに見出したのだ。

「バンドらしいバンドになろうなんて、これっぽっちも思わなかった。野心のかけらもなかった」とリンボーは2007年のインタビューで回想している。「よく誰かがやって来て、『俺も入れてくれないか?』といったもんだ。〔音楽的に〕何ができるかなんてどうでもよかった。そんなことは無意味だった。ギターを弾きたいというヤツがいればギターを弾いてもらった。バンドのリズムギターだったアンディ・パーマー (Andy Palmer:別名N.A. Palmer)は、7年間のバンド活動中、最後までコードを覚えようとしなかった。彼はコードにあまり興味がなかったんだ。でも、いいノイズを出してくれた。素晴らしい仕事をしてくれたよ」

いいノイズ、それがパンクだ。それがパンクのわかりやすさだ。それがパンクのパワーだ。テクニック不足を理由にステージに立つのを躊躇せずに済むのがパンクだ。そんな理念にパンクは基づいている。ここが重要であり、以前にも増して重要なポイントだ。確かに他のジャンルも、経験や技術のない人たちにも門戸が開かれている。しかし、その門をくぐれるチャンスがあるのは、パンク以外の音楽を演奏して誰かに真剣に聴いてもらいたければ何年もの練習と技術的研鑽が必要だ、と理解している未経験者だけだ。

ポップミュージック・シーンにアーティストとして参加するには、上手くなくてはならない。各ジャンルで要求される基準を満たすと、音楽に何らかの価値を認めてもらえる。しかし、そんなもんは商業的指標でしかなく、こんにちのアメリカにおける社会的障壁と同じく、階級主義的悪習であり、社会的不平等以外の何物でもない。そして、われわれは消費者としての立場に慣れきっており、暗黙の了解のなか、ミュージシャンとオーディエンスを隔てる境界線に忠実に従っている。この枠組のなかでは、粗野で剥き出しの怒りは歓迎されないが、それも偶然ではない。音楽における怒りとは、演奏における未熟さのようなもの、とわれわれは教えられている。怒りを丸く収め、婉曲し、記号化して当たり障りない表現にしなければならないのだ。もちろん、「そもそも、怒れる音楽なんて演らないほうがいいんじゃない」という暗黙の奨めもある。

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それに対してパンクのDNAのなかには、〈親しみ易さ〉と〈怒り〉が独特なカタチで絡み合っている。いってみれば、運動音痴でも気軽に入れる運動場だ。私がパンク・シーンに飛び込んでから数十年経つが、その間、パンクの発展について問題があったとすれば、それは〈メジャー化〉でも〈ポップ化〉でもない。問題なのは、要求される参加資格、音楽的技能がジリジリと上昇し続けていることだ。そうなればなるほど、パンクの音楽的長所である、ユルさとカオス味が損なわれてしまう。とはいえ、未だに、未経験者に優しい音楽であるのに変わりはない。

そして、更に重要なポイントを述べよう。パンクは、あらゆるジャンルがあるなかで、最も金のかからない音楽でもある。トランプ時代には、経済格差がより広がり、持たざる者の代弁者がこれまで以上に必要とされるだろう。不満があるなら、オンボロのギターかベースかドラムかキーボードを持ってきて、今すぐパンクを始めればいい。キーボードはキーが3つしかなくても構わないし、ギターは弦が2本でも大丈夫だ。ベースは弦1本でもいい。そいつを20ドルの練習用アンプで、最大音量で鳴らす。パンクの基本であるパワーコードは1日でマスターできる。必要なのは2本の指だけだ。もちろんCRASSの例からも分かるように、パンクはそんなに厳格じゃないから、基本コードは必須でもない。

それからボーカル。パンクの歌い手に求められるのは、ステージに立とうとする意志だけだ。上手に歌う必要はない。詩人でなくてもいい。自信を持つ必要さえない。パンクではそんなの問題にならない。パンクを演る目的は、オーディエンスを元気づけ、何かを伝え、きっかけづくりだ。ただ単に鬱憤を晴らすだけでもいい。大声で愉快に騒げばいい。

パンクは、いい加減さ、無骨さ、低俗さを許容するだけじゃない。パンクは欠点を称賛する。これこそパンク美学の核心なのだ。私は貧しい家庭で育った。ものすごく貧しかった。立ち退きで何度も家から追い出され、食べ物もままならなかった。だから、パンクにかかる経費の少なさは、とても大きかった。当時は80年代で、私はデヴィッド・ボウイ(David Bowie)やプリンス(Prince)といったポップアーティストが大好きだったが、彼らのように完璧なルックス、コスチューム、楽器で、彼らと同じように音楽を演りたい、とは考えなかった。自分の貧しさを隠したり、巧妙につくり変えたりするのではなく、それを認められるかもしれない、と気付いたのはパンクに出会ってからだ。

パンクは私にとってカタルシスとなった。パンクには唯一無二、理屈抜きの素晴らしさがあった。もちろんパンクだけがプロテスト・ミュージックではないし、ただパンクを演るだけではダメだ。しかし、パンクは、はじめの1歩だ。洗練された技術を身につけるだけの時間を持ち合わせていない人間にとっては特にそう。パンクでは、楽器を蔑ろにするのが許されているどころか、それが奨励されている。ボコボコにして、バラバラにしてやれ。壊れたら、代わりに別の安い楽器を手に入れればいい。大した出費ではない。ボロいノートパソコンもパンクには最適だ。簡単に替えが効く。

ボロボロの中古ベースに腹を立てていた子供の頃、パンクは信じられないほど早く完成できる音楽だともわかった。リフや歌詞を何週間もかけて完璧にする必要はない。バンドを組んで、速攻で曲をつくり、翌週にはライブができる。いや今週だ。他の音楽ジャンルよりも断然に素早く、すぐさま対応できる。パンクが他より優れているというワケじゃない。だが、実用性と対応の早さでいえば、パンクはこの上なく優れている。忌まわしいヘイトクライムのニュース、トランプの側近が要職に任命、というびっくり仰天のニュースが1時間おきに飛び込んでくる今、実用性と対応の早さは何よりも重要だ。なぜなら、誰もが知っているとおり、これは始まりに過ぎないのだから。

抗議集会に参加する何か月も前から、家でデモ行進の練習をしている姿を想像して欲しい。パンクは単なるデモ行進音楽ではない。音楽によるデモなのだ。必要とされたら、即座に、滅茶苦茶に、直ちに行動できる。トランプが当選して、そのときがきたのだ。もちろん、音楽を通じて抗議する方法はパンクに限られない。だが、パンクは、誰でも今すぐに、文字どおり明日から始められる、数少ない開かれた方法のひとつなのだ。

パンクの黄金時代が来るか否かは、わからない。しかし、よくよく考えてみて欲しい。アナタが偏屈な人間か大富豪でもないかぎり、今後4年間がアナタの黄金期になるとは考えにくい。だからパンクロックをやればいい。しつこいようだが憤怒、失望、欲求不満を直接表現する、最も手取り早く、簡単で、単刀直入な方法なのだから。オーディエンスが大勢いるかどうかは関係ないし、音楽ジャーナリストたちが満足するかどうかも関係ないし、大きなウェブサイトの年末ベストにランクインしなくてもいい。大事なのは、差し迫ったトランプの猛襲に備え、自分を鼓舞するためには、今何ができるかだ。いいノイズ、正しいノイズ、支離滅裂で、未熟で、その場しのぎで、愉快な破壊的なノイズを出す。抵抗を続け、絶望を寄せ付けたくなければ、パンクはかけがえのない音楽だ。

ジェイソン・ヘラーのTwitter: @jason_m_heller