初めてワールドカップ予選に参加した米領サモアのトランスジェンダー選手

「もし神への愛を誓いながら、『ゲイは嫌い。悪魔だ』なんて陰口を叩くなら、神との強い絆などあり得ないでしょう。本当に神を愛していれば、他人を愛することも簡単な筈です」

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29 september 2015, 3:04am

米領サモアのジャイヤ・サエルア(Jaiyah Saelua)は、2011年にトランスジェンダーの選手として初めてFIFAワールドカップの予選に出場。さらに、その檜舞台で、サエルアはとても素晴らしいプレーでチームに貢献した。

米領サモアは、FIFAの世界ランキングで長らく最下位に甘んじていた。国際試合で一度の勝利も経験したことのないチームは、世界最弱の不名誉を背負わされてきた。17年間で得点したのは、たったの二度。2001年のオーストラリア戦で喫した0対31の大敗は、いまでもサッカー国際試合史上最悪の敗北である。

2011年予選の対トンガ戦、米領サモアは2対1でリードしていた。試合終盤、ゴール前での混戦のさなか、キーパが飛び出し、捉え損ねたボールが米領サモアのゴールに向かって転がった。だれもが同点、引き分けを確信した直後、懸命にフォローに走ったサエルアが、ゴールラインを越える寸前にボールをクリアし、チーム初の勝利に導いた。

そのシーンは、米領サモアのサッカーチームと初勝利を描いたドキュメンタリー映画、『ネクスト・ゴール!世界最弱のサッカー代表チーム 0対31からの挑戦』(Next goal wins, 2014)の中にも登場する。

「あれは私の人生で一番幸せな瞬間でした。本当に最高だった」

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サッカーを始めたきっかけを教えてください。

小学校での授業が始まりです。たしか11歳か12歳のとき。監督はニッキー・サラプでした。(サラプは0対31で敗れたオーストラリア戦と、勝利した2011年のトンガ戦でのゴールキーパー)その年に米領サモアの大会でチームは優勝し、私はMVPに輝きました。もし、そのとき負けていたら、おそらくサッカーにそれほど興味を持たなかったはずです。そして高校一年生のときに、国の代表チームのテストを受けるよう声が掛かり、合格して代表入りしました。

自分がトランスジェンダーだと気づいたのはいつでしたか。

小学校時代はよくわかりませんでしたが、少しずつ、違和感を感じるようになりました。高校生になると、同じ学校に私と同じような子がいたんです。私たちは親友になりました。高校時代ずっとお互いを支え、学びあい、そして家族や友人にカミングアウトしました。足の毛を剃ったり、眉を整えたりするようになったのもその頃です。

米領サモアのトランスジェンダーは市民権を得ているのですか。

理解されています。ファファファイン(fa’afafine)と呼ばれていて、女性としての在り方、女性らしさ、女性の心を持った男性に与えられる称号です。葬儀、結婚式など、様々な行事を取り仕切ります。コミュニティや家族の中でやるべき役割がたくさんあるんです。そして家では、女性の仕事も、男性の仕事も、両方出来なければなりません。米領サモア・ファファファイン協会(SOFIAS)という団体もあり、資金を募るイベントを開催し、収益をカトリック教会が運営する高齢者施設、病院の小児病棟に寄付しています。

キリスト教がトランスジェンダーのグループと密接に繋がっているのですか。

はい。米領サモアでは、宗教が生活の重要な一部となっていますが、それよりも重要なのは信念です。世界中の宗教には、多くの人が義務として従うしきたりがあります。でも、もっと大切なのは、神と自らの繋がりです。もし神への愛を誓いながら、「ゲイは嫌い。悪魔だ」なんて陰口を叩くなら、神との強い絆などあり得ないでしょう。本当に神を愛していれば、他人を愛することも簡単な筈です。

あなたはハワイの大学に進学して代表チームを離れました。しかし、ハワイではあまり受け入れられなかったそうですね。

それまで愛情を注いでくれるコミュニティで育ったので、私の何が問題なのか、みんながなぜ私を嫌悪するのか、まったく理解できませんでした。

どんな嫌な思いをしたんですか。

ハワイ大学の男子サッカーチームの入団テストを受けようとしました。朝5時からテストが始まりましたが、5時15分には、私は家路についていました。ウォームアップの途中で監督に呼ばれ「選手に気まずい思いをさせたくないので、帰って欲しい」と告げられました。私は、テストを受けることもできず、帰宅して思い切り泣きました。それからは普通の学生生活を続けましたが、チームの誰より巧い自信がありました。

どうやって米領サモアの代表チームに戻ったのですか。

ハワイにはクラブレベルのチームが無かったので、留学先で、サッカーはやりませんでした。2011年の夏、休暇で米領サモアに帰省したときに、ショッピング中の代表選手に会ったんです。私は、代表チームがトーナメントのためにトレーニングをしていることすら知らなかったのですが、その場で「すぐに来い」誘われました。再テストを受けもせずに、大学を一学期休み、代表チームに合流しました。

代表チームの生活はいかがでしたか。

ハワイと違い、米領サモアではホルモン剤が手に入りません。トーナメントに向け、使用量を減らしました。また、体力不足が原因でピッチの上で倒れるのも嫌でした。ポテンシャルを出し切らずにプレーしたくありませんでした。

オランダ人監督トーマス・ロンゲンが、米領サモア・チームを変えたと評判ですが、彼はどんな人でしたか。

着任当時は、いつも通り白人が仕事をしに来て、また帰っていくのだと思っていました。「米領サモアなんてどうでもいい」と。でもトーマス監督は、私たちを選手として成長させることに熱意を持っていました。私たちを強くしようと、心から考えていたんです。フィジカルな技術だけでなく、勝者のマインドを持つよう鍛えてくれました。私たちは敗北に慣れ過ぎ「代表になったらタダで旅行に行ける」「別に勝てなくてもいい」そんな風に考える私たちを、監督は変えてくれました。メンタル面でもレベルアップできました。

監督はトランスジェンダーとしてのあなたにどう対応しましたか。

彼は「ジョニーと呼ばれるのがいいかな?それともジャイヤ?」と確認してくれました。私はジャイヤと呼んで欲しい、とお願いしました。今までの監督は、誰も気にせず「ジョニー」でしたので、監督が、私のことを本当に気にかけてくれているんだ、とわかりました。さらに彼は、私に奥さんを紹介してくれたんです。彼女は、男性の集団の中で、どのように女性として振舞えばいいのかをアドバイスをしてくれました。トーマス監督が、すべてを受け入れ、そしてサポートしてくれたので、私はトランスジェンダーであることにもっと自信が持てたんです。

次のワールドカップでも米領サモア代表になりたいですか。

もちろんです。でも、今はダンスの学位を取得して、米領サモアに帰るのが目標です。もちろん、若い選手の育成に関わりたいとも思っています。各地を回って講演もしたいです。今回のワールドカップ予選の後、私はすぐにでも性別適合手術をするつもりでしたが、チームの状態が非常に良いので、考え直しました。サッカーを完全に辞めるつもりはまだありませんから。手術は後回し…4年後です。

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