インドネシアにおける母娘の関係やジェンダー・ステレオタイプを提示する写真家、ナディア・ロンパスとの対話。
Sonia Eryka and her mom. All photoscourtesy Nadia Rompas

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自らの女性性を定義する女性たちのポートレート

インドネシアにおける母娘の関係やジェンダー・ステレオタイプを提示する写真家、ナディア・ロンパスとの対話。

ナディア・ロンパス(Nadia Rompas)のポートレート写真集『Anak Perempuan』が切り撮るのは、母と娘たちの姿だ。しかし、実際に母親が登場するのは、本稿カバー写真のソニア(Sonia)の写真だけ。彼女のフォトシリーズにおいて、〈母〉は、そこにいるか否かにかかわらず、娘の人生に影響を及ぼしている。母の存在がありがたいときもあれば、服装の趣味、恋人の趣味、仕事についての考えかたがまったく違うときなどは、ストレスにもなる。

『Anak Perempuan』は、そういったフラストレーションを全て記録しているが、それだけに止まらない。ナディアが撮らえようとしたのは、母娘の関係における現実とプレッシャーだ。彼女は、娘の自己表現と、母親が娘たちに望む装いの差異にフォーカスし、それを実現した。娘たちは、いまだに孝行や家族の価値、慎みというものが重視されている社会で、独立した女性としてのアイデンティティ、娘としてのアイデンティティ、両者の折り合いをつけながら生きている。ナディアは、ジェンダー・ステレオタイプ、ファッション、親についての普遍的なストーリーを作品にしたいと語る。

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「女性と男性はまったく違う、という概念が当たり前のようにあります」とナディア。「女性に求められる特質というのは、とても細かくて、限定的です。それが母から娘へ伝わり、娘の服装やメイクに反映されるんです。この写真集が女性たちの意見を代弁することで、世間に蔓延している、無意識下のジェンダー・ステレオタイプに気づいてほしいんです」

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あなたのシリーズは、インドネシア女性の二面性、すなわち〈伝統的〉な面と〈現代的〉な面、彼女たちは〈グッドガール〉であり〈バッドガール〉であるという事実を浮き彫りにしています。このプロジェクトで被写体となった女性たちみんながそういう状況にあるのでしょうか?

被写体について、そういうふうに考えたことはないですね。なぜなら彼女たちの物語は、それぞれの個人の物語ですし、ひとりひとりがそれぞれ異なる人間です。あなたが言及した二面性に該当するのは、例えば、アリア(Alia)でしょうか。彼女は、厳格なムスリムの家庭に生まれたので、自らのファッション・アイデンティティが家族の理想とは真逆だと感じています。

でも、そうではない女性もいます。例えば、同じく今回の写真集に登場した、ファッション・ブロガーのソニア・エリカ(Sonia Eryka)。彼女の母親も敬虔なムスリムですが、ソニアが自らのスタイルをもって仕事をしていると100%理解しています。ファッションブロガーとしていろんなファッションを試すこと、それが娘のアイデンティティ。彼女の母親はそれをわかっているんです。

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その真逆がアディスタ(Adista)です。彼女は自分の意志で、ヒジャブを着用していますが、それでも母親は、彼女の服装についてうるさいらしいんです。母親が望むのは、もっとシンプルで、慎ましやかな服装。ミニマルでフェミニンなシルエットだそうです。でも、アディスタ自身はそうじゃなくて、長袖のアロハシャツやジーンズ、Dr. Martensのブーツを身につけたいみたいです。いわゆる〈インドネシアの伝統的な規範〉に則った装いをしていてもなお、彼女の母親には娘に望むスタイルがあります。興味深いです。

逆に、母親が娘に、もっと自己表現の強い、過激な格好をさせたがるパターンはありませんでしたか? やはりいつも、母は娘に慎ましやかな服装を望むのでしょうか。

ありません。ゼロです(笑)。 母親は、娘の表現の自由を認めるか、認めないかのどちらかです。そうではない母親がいるのであれば会いたいですね。

そもそも、このプロジェクトのアイデアはどこから生まれたんですか?

自分自身の体験、感じていたことに基づいています。私の母親との実体験、私のファッションにまつわる母との対立をプロジェクトに反映させているんです。

物心ついてから、私は自分が女の子らしいとは思ったことがありませんでした。男勝りだったので、スカートを履いたりメイクをしたりしたのも大学に入ってからです。母親からはいつも、スカートを履いてメイクして、もっと女の子らしくしなさい、といわれてました。あと、私がテコンドーを習いたい、とねだったときもバレエを習わせたがったり。両親の私への態度は、男兄弟への態度とは違うことにも気づいてました。兄弟はもっと自由で、やりたいことが何でもできたんです。

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私がファッションに傾倒し始めると、母にはかなりけなされました。例えば、大胆なメイクをしたり、アイブロウジェルを使ったり、〈ひとと違う〉格好のときは特に。大学を卒業した今は、私が大手の多国籍企業で働くことを、母は望んでいます。いまだに、私の人生を意のままに操ろうとしてるんです。そういう小さな出来事が積み重なってうんざりした私は、他の女性の経験を知りたくなりました。自分の経験に納得するための手段とでもいいましょうか。

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このプロジェクトについての、あなたの家族の反応は?

実は、家族はこのプロジェクトについてあまりよくわかっていません。趣味で写真を撮っているだけだと思われています。まあ、それも事実なんですけどね。家族は、私が写真で伝えようとしているメッセージを理解していません。写真集があることは出版後に知ったみたいだし、あまり深く考えてないようです。

あなたのファッションの感覚や価値観は、海外生活によって培われたんですか?

そうですね。海外暮らしで私の視野は広がりましたし、人生、そしてひとりの成人としてのアイデンティティについても、新たな視点から見つめられるようになりました。学部生としてカナダで、修士過程はオーストラリアで過ごしました。そこで、誰の目も気にすることなく、ファッションを通して自己表現することができたんです。

その後ジャカルタに戻ったばかりの頃は、留学時代の自由に慣れきっていたので、少なからずカルチャー・ショックもありました。私の被写体も同じように、インドネシアでは浮いているように見えますが、西洋の国々にはむしろ馴染むんです。彼女たちの格好を見て、眉をひそめるひとなんていませんから。誰も私たちの服装なんて気にしません。

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私の被写体の多くが、海外経験のあるインドネシア人です。なぜなら私自身が、彼女たちの経験に親近感を覚えるし、そのおかげで、作品のなかで、自信をもって彼女たちのストーリーを語れます。彼女たちは私であり、私は彼女たちである、という意識。そういう意味で、私は作品を観てくれるひとたちに「あなたはひとりじゃない、この世には、あなたと同じ苦しみを体験してきた女性たちがいる」と伝えたいんです。

ただ、前提として、私たちが恵まれていることは理解してます。私の被写体のほとんどが、海外留学ができる経済状況の家庭に育ってるわけですから。でも、国内外の女性たちの経験を比較することで、私の写真集が無意識のジェンダー・ステレオタイプについての議論を牽引するプラットフォームになってもいます。海外生活の経験がないひとたちにも、彼女たちの経験が示唆に富んでいて、参考になると思ってもらえれば幸いです。

では、どうなったら、このプロジェクトは成功なんですか?

今回被写体となってくれた女性たちは、私のために時間を割いて経験を共有してくれたんだから、私は彼女たちの声を絶対に誰かに届けなければなりません。私のパートナーもこのプロジェクトを応援してくれています。「これは写真集にしたほうがいい」と彼は資金を援助してくれましたし、このプロジェクトは意義深いものだ、伝統的な家族観に基づくジェンダー・ステレオタイプについての議論を活発にしなきゃいけない、と私を盛り上げてくれたうえに、、写真集のデザインも手伝ってくれたんです。私は、ウェブサイトやら何やらを準備しましたが、本当に大変でした。最終的にこうやって、早くかたちになってよかったです。

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私が思う成功は、写真集の売上数や売上高ではありません、数字の話をすると、現状で50冊中9冊しか手元に残っていないので、これで充分だと思ってます。それ以上に私にとって大切なのは、みんなにメッセージを伝えること。もしこれがオンラインだったら、Instagramをスクロールして終了です。書籍には重みがある。私の成功は、もっと形而上的な話です。インドネシアのジェンダーやフェミニズムには、大きな課題がある。私はそれを、自分の写真集で伝えたい。この世界に生まれてきたこと自体が成功です。人生そのものは、報酬でしかありません。

自費出版は大変ですが、自分の制作プロセスを自分で管理できます。誰も私のアイデアをめちゃくちゃにしないし、こうしろああしろと指示してくるひともいない。被写体の女性たちが私を信じて経験をシェアしてくれたんだから、私は彼女たちには誠実でありたい。彼女たちの言葉を歪めることがあってはならない。私にはその責任があります。