世界のビジュアル・アーティスト連載 ゆVIっCE! 03.ヨースケ・コニシ(Yosuke Konishi)

「デジタルでのコミュニケーションが一般的になった現在、僕はより永続的でリアルなものを創り、社会に抵抗したいんです」

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13 juli 2016, 3:58am

連載第三回目にして、ルール違反。ビジュアル・アーティスト特集のはずですが、ここではアメリカのブラック・メタル・レーベル、NUCLEAR WAR NOW! PRODUCTIONS(以下NWN!)のオーナー、ヨースケ・コニシを紹介します。

まず何故、ビジュアル・アーティスト特集でミュージック・レーベル・オーナーを紹介するのかといいますと、彼がリリースする80年代の南米崩壊系サウンドや、ベスチャル・ブラック・メタルと呼ばれる、ブラックとデス・メタルのあいのこの様な音源を、非常に丁寧に、アートワークを含めた作品としてリリースしているからです。美しいレコード・ジャケットに重量盤のアナログ・リリース。そしてダイハード盤と呼ばれる、おまけがたくさん付いた特殊仕様。そんなNWN!の作品を追いかけていたら、彼の仕事はレーベル・オーナーの枠を超えてキュレーターの粋に達しているのではなかろうか、と感心させられたからです。NWN!は、キュレーターであるヨースケさんがお気に入りのアーティストの素晴らしい作品をコレクションして展示する美術館、と例えても過言ではないでしょう。

今回のインタビュー、筆者自身がまず何よりも、彼の謎に満ちた人生について知りたくなってしまったのがキッカケです。そして、彼の父方が皆、ビジュアル・アーティストだったのは驚きでした。それでは、そろそろ始めましょう。日本初、ヨースケ・コニシのインタビュー。

子供の頃、日本からアメリカに移り住んだんですよね? 自己紹介も含め、生い立ちを教えてください。

1976年6月4日東京生まれです。別れた理由はよく知りませんが、まだ幼い頃に両親が離婚しました。生まれたときはウエノという姓でした。母はその後再婚し、継父、姉2人と一緒に暮らすようになります。その後、1987年だったはずですが、毎日新聞の記者だった継父が、仕事の都合でアメリカのバージニア州アーリントンにあるボールストン駅近くの集合住宅で生活するようになりました。ワシントンD.C.にある報道センターでほとんどの時間を過ごす継父が通勤しやすい場所だったのです。僕の生い立ちは、日本人にとっては珍しいかもしれませんが、アメリカで暮らす移民としては特別ではありません。

お母さんがアーティストである、と聞きましたが。

母は高校の美術教師で、東京ではアーティスト集団に所属していましたので、家族でギャラリーのオープニングに行ったり、博物館の展示を観たり、アートやカルチャーに触れる機会が多々ありました。子供の頃にアートに触れたおかげで、芸術を愛でる心が養われたんです。人は誰でも、生きていくための原動力となるものを創り出したい、という衝動を秘めています。僕もそうです。クリエイティブな人に囲まれて育ったという点で、僕は恵まれていました。

音楽との出会いは?

アメリカに引っ越して、英語を勉強したり、新しい文化に適応しようと務めましたが、最初の1年は友達ができず、苦労した記憶があります。そのため、自然と音楽に惹きつけられました。初めて自分のお金で買ったのはエルトン・ジョンのベスト盤のカセットで、英語を教えてもらった家庭教師に薦められたはずです(笑)。そして、姉が図書館でビデオを借りてきたのをきっかけに、DEVO(脚注①にハマりました。今でもコレクションとして持っていますが、僕が初めて買ったレコードは 「Oh, No! It’s DEVO」のカット盤です。7号線沿いにあった「ジャイアント」という食料品店の隣のレコード屋で買いました。DEVOやThe Residents(脚注②)から始まり、Minor Threat、DRI、7 Secondsなど、姉が薦める音楽は何でも聴きました。13歳くらいのときにスケートボードに夢中になり、同時にパンクにもハマりました。ヒップホップに席巻されてアメリカのユース・カルチャーがダメになってしまう前に、そうでないカルチャーに出会えたのは運が良かったと思います。さらにはスケーターの友達の影響で、Naplam Death、Carcass、Autopsyなど、当時人気のあったデス・メタル・バンドを知りました。14歳か15歳のとき、友人のボーンのおかげでブラック・メタルと出会いました。今でも、彼の車でBlasphemyの『Fallen Angel of Doom』を聴き、どギツいカセットのカバーを見たのを憶えています。

また、当時バージニア州の北部で人気があったデス・メタルを経て、やがて、よりアンダーグラウンドな音楽にたどり着きます。近所のタワレコにはGrand Belial’s Keyのゲラル・ネクロソドミー(Gelal Necrosodomy)が手がける最高のメタル・コーナーがありました。バージニア北部にはDeceased、Twisted Tower Dire、Grand Belial’s Key、Abominog、Doomstoneなど、良いバンドがたくさんいたので、アンダーグラウンド・メタルに対する造詣が深まり、どんどん好きになったのは、そういったバンドの影響です。

ジェイソン・キャンベル(Jason Campbell)(脚注③)と出会った経緯を教えてください。彼が『Haruspex』(脚注④)の序文でNWN!について書いた文章に感銘を受けました。彼とのバージニア時代の話を聞かせてください。

ジェイソンと出会ったのは1996年、僕がバージニアコモンウェルス大学で生物学を学んでいた頃です。たしか、初めて会ったのは物理のクラスです。お互いアンダーグラウンドな音楽が好きでしたので意気投合しました。当時、彼はエクスペリメンタル・ノイズ、僕はブラック・メタルに熱中していたので、色々なタイプの音楽を聴かせ合い、お互いにアンダーグラウンドな音楽を深く知るきっかけとなりました。その後、彼は法学部に通うために西海岸に移り住んだのですが、数年間レーベルの運営も手伝ってくれました。

西海岸に移ったのはなぜですか?

バージニアコモンウェルス大学に2年間通ってから、生化学で学位を取るためにUCバークレーに編入しました。西海岸に住みたかったのは、UCバークレーが生化学を学ぶのに適した大学だったからですが、あの場所の音楽シーンと気候の良さがなければ、ずっと寝そべっていたでしょう。当時バークレーには、アンダーグラウンドなメタルを扱うレコード屋がいくつかあったので、授業の合間にはレコードを漁る日々でした。

レーベル運営を始めた理由は?

特に意図もなく、成り行きで始めたのですが、レーベルを運営し続けないといけない状況になりました。1999~2000年のあいだ、ジェイソンと僕は別々の街に住みながら、ブラック・ノイズのプロジェクトを進めていました。ジェイソンはErebusという名義でインストゥルメンタルをいくつか創り、西海岸にやって来ました。僕は、彼の創った曲にボーカルを入れ、Throbbing Gristle(脚注⑤)に敬意を表し、レーベルに「Neuclear War Now!」という名付け、曲を発表しました。最初の2作はErebusのデモです。そのリリース以外にレーベルとしての展望はありませんでした。しかし、2001年7月、Blasphemyの再結成ライブをきっかけに、やらなければいけな作業が雪だるま式に膨らんだんです。ライブを録音したり、レコードとしてリリースする許可を取ったり、その他いろいろ。それがきっかけで、レコード制作の虜になってしまいました。

特に80年代の南米で活動していた無名バンドなど、どのようにバンドを見つけて、レコード制作をするのか興味があります。レコード制作の過程をアタマから教えてもらえますか? どうバンドを見つけ、どのように契約するのか、あなたのテクニックを知りたいんです。

たいていの場合、アンダーグラウンド界の知人を介して情報を得たり、知り合ったりします。例えば、VONのジョー・キル(Joe Kill)は、かつてAbscessで一緒にプレイしていたAutopsyのクリス・ライファート(Chris Reifert)づてに知り合いました。デス・イェル(Death Yell)とは、チリで出会った人を介してです。アンドレス(Andres)と会えたのは、僕がロンドンを訪れるタイミングで、彼もロンドンで仕事をしていたからです。最近は、昔のバンドもFacebookアカウントを持っているので、レーベルから連絡を取るのは簡単になりました。10年前と比べて再発盤が増えたのは、それが理由かもしれません。

ジャケットを手がけるアーティストはどのように見つけるのですか?

バンドのメンバーから勧めてもらったアーティストを起用するか、以前仕事をした僕の知っているアーティストを薦めるか、そのいずれかです。バンドに1番合うスタイルを見つけるだけです。いくら僕にとってクリス・モイエン(Chris Moyen)(脚注⑦)の生々しいスタイルが格好良かろうが、全くスタイルの異なるStargazerのようなバンドに彼の作品を薦めはしません。Black Witcheryのような荒っぽい雰囲気には、モイエンの粗野なスタイルが合うでしょうが、Stargazerの複雑なアイディアを表現するためには、より繊細なビジュアル・アーティストが必要です。重要なのは、いかに視覚で聴覚を補完できるかです。

お気に入りのビジュアル・アーティストは誰ですか?

フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)はずっと大好きですが、他にもフランシス・ベーコン(Francis Bacon)、ウィリアム・ブレイク(William Blake)(脚注⑧)ルネ・マグリット(Rene Magritte(脚注⑨)、サルバトール・ダリ(Salvador Dali)、ヒエロニムス・ボッシュ(Hieronymus Bosch)など、たくさんいます。読者の方にも馴染みがある名前ばかりでしょうから、あまり詳しくは立ち入らないようにします。現代に生きているメタル界隈のアーティストでは、クリス・モイエン、マニュエル・ティンネマンズ(Manuel Tinnemans)(脚注⑩)ティモ・ケトラ(Timo Ketola)(脚注⑪)ロック(Rok)(脚注⑫)マルコ・マロウ(Marko Marov)(脚注⑬)ステファン・タニュー(Stefan Thanneur)(脚注⑭)デニス・フォーカス(Denis Forkas)(脚注⑮)を尊敬しています。クリス・モイエンは、粗野なラインを用いた作品で知られるアーティストで、ドロドロとしたブラック・デス・メタルとは最高の組み合わせです。マニュエル・ティンネマンズは、それぞれのバンドの美学の根幹を活かしながら、彼なりのスタイルに組み替えるのに長けています。ティモ・ケトラもそう。マルコ・マロウは、より細部を極めていく若手のアーティストです。ロックはSadistik Exekutionのアートワークで有名ですね。彼の作品にはSadistik Exekutionに合うような荒削りさがあります。ステファン・タニューが手がけたChaos Echoesのラストアルバムのアートワークは、近年発表された作品のなかでも最高の出来ではないでしょうか。デニス・フォーカスは、いわゆるメタル・アートの文脈から外れた作品を創りながら、一目置かれている点で特別です。

2013年にクリス・モイエンのアート・ブックを出版しましたが、他にもアート・ブックを出す予定はありますか?

今後アート・ブックを創るかわかりません。NWN!がレーベルとして活動を始めたころ、クリス・モイエンは活動していませんでしたが、そのときNWN!で手がけていたBlack Witcheryのレコードに、モイエンの作品を使いたいと思いました。古い雑誌を漁っていて、彼の兄弟が参加していたバンドの住所を見つけたので手紙を書いたら、数週間後、本人から作品を使用して良いという返事が届いて驚きました。それ以来親交を深め、何度も一緒に仕事をしてきました。荒っぽく獣のようなラインを用いたアートワークは1級品で、模倣したとしても肩を並べられるアーティストはいないでしょう。あの作品集は、彼のアンダーグラウンドのメタル・シーンに対する敬意を示すためのもので、そういったアーティストは、他に思いつきません。

父方の家族にビジュアル・アーティストが多いと伺いましたが、僕はあなたの父、上野遒(Shu Ueno)さんの作品が大好きです。ご自身はビジュアル・アーティストになろうとしなかったんですか?(あなたの祖父の作品も見てみたいので、名前を教えて下さい。)

僕の家族はほとんど全員、ビジュアル・アートに携わっています。姉は二人ともビジュアル・アーティストで、母は若い頃石版画をやっていました。母はもう引退しましたが、今でも鑑賞します。父、上野遒と祖父、上野誠はともに木版画家です。祖父はもう現役ではありませんが、ここで作品を見られます。
http://search.artmuseums.go.jp/search_e/gazou.php?sakuhin=6537&edaban=1
http://search.artmuseums.go.jp/search_e/gazou.php?sakuhin=6538&edaban=1

父の作品はこちら

http://search.artmuseums.go.jp/search_e/gazou.php?sakuhin=52409&edaban=1

僕も、レコードのレイアウトという形でビジュアル・アートをやっています。

あなたはベジタリアンであり、生化学の技術者でもあり、主催するレーベルは「Nuclear War Now!(今こそ核戦争を!)」という名前ですね。かなり異質ですが、悪質ないたずらなのでしょうか? まるでコンセプチュアル・アートのようですね(笑)。ビーガンになったのは動物愛護の観点からですか? 10代のころMinor Threatに熱中していたそうですが、ビーガン(脚注⑯)になったのは、ストレート・エッジ(脚注⑰)の哲学と関係があるのでしょうか?

僕はベジタリアンでストレート・エッジで、生化学の学位を持っています。人間よりも動物が好きなので肉は食べません。常に思考をクリアにしておきたいので酒もたばこもやりません。「Nuclear War Now!」の由来は、Throbbing Gristleの写真でジェネシス・P・オリッジ(脚注⑱)が着ていたTシャツにこのスローガンが記されていたからです。レーベルの名前や自分が選んだライフスタイルについて、おかしいとは全く思っていません。人生は矛盾に満ちたもので、僕も様々な感情を持つ普通の人間に過ぎません。虚無感に襲われると、地球から人類が消えてしまえばいい、と考えたりもします。ときには、娘のために自分の時間を全て費やし、彼女に明るい未来が訪れたらいいと望みたくもなります。

あなたの 「Only Analog is Real」というスローガンが大好きなのですが、なぜアナログでの制作にこだわるのですか? 余談ですが「V.A./ No Speed Limit」は最高でした。

デジタルでのコミュニケーションが一般的になった現在、僕はより永続的でリアルなものを創り、社会に抵抗したいんです。紙にインクで描く絵と比べると、デジタルで制作したビジュアル・アートは価値が低い。それと同じように、物理的に存在しないデジタル・サウンド製品は、アナログ・レコードと比べて不完全です。音楽を創るという意味では同じだ、ともいわれますが、僕はそうは考えません。僕にとっては、耳で感じる表現も目で見る表現も、分かち難く結びついています。耳と目で同時に体験し消化されるべきです。誤解を招きたくないのですが、何もダウンロード販売やCDに反対しているわけではありません。NWN!もダウンロードやCDの販売をしていますし、これからも販売を続けます。僕が伝えたいのは、ゆっくり座ってレコードを聴きながら、ジャケットを眺めて歌詞を読む、という体験の素晴らしさです。アナログ・レコードはひとつの芸術として完成した製品で、デジタル・フォーマットではそれを再現できません。

ダイハード・エディションのアイディアはどのようにして思いついたのですか?

スローガン自体は昔のIron Pegasusのピクチャー盤からきています。彼はこれをダイハード・ピクチャー・ディスクと呼んでいました。プレスしたレコードの一部を使って何か別のことをするというアイディアは、僕の好きだったパンクやノイズのバンドの影響です。彼らはツアー・エディションとして、自分たちの手でシルクスクリーンを印刷したり、面白いパッケージングを施してジャケットを制作していたんです。

一般的にですが、ブラック・メタルとパンクのファンは相容れないことが多いですよね。あなたは今でもパンクやハードコアを追っていますか?

パンク・シーンとメタル・シーンの分裂は今でも続いていて、その関係性は常に変化しています。それでも彼らの音楽、美学、文化に重なりあう部分があるのは、誰の目にも明らかです。

あなたはストレート・エッジを実践していますが、今もストレート・エッジの音楽が好きですか? パンクとストレート・エッジから何を学びましたか? あなたがパンクとどう向き合ってきたのか教えて下さい。

僕は、現在のストレート・エッジのカルチャーが大嫌いですし、過去にもパンク、ハードコア・シーンに身を置いたことはありません。Minor ThreatやYouth of Todayのような初期のストレート・エッジは、懐かしいので今も好きです。パンクやハードコアは若さと苦悩を原動力として、現実の世界にどっぷり浸かりながら、そこで問題に直面したさいに生じるエネルギーを音楽に向けます。一方、ブラック・メタルやデス・メタルは、地球上で生じる人間の汚れた感情や煩悩を、それを越えた何かに向け、音楽に昇華させています。39歳になった今、僕は、後者を探求したいんです。10代のときに抱えていたような怒りは消えてしまったので。

ブラック・メタルとストレート・エッジの考え方は、ほとんど真逆ではないかと感じているのですが、その2つをどう繋げているのですか?

ストレート・エッジのライフスタイルがメタル・シーンでは広がらない、という意味では、あなたのおっしゃる通りです。しかし驚くかもしれませんが、ビーガンかつストレート・エッジのメタルヘッズも多いんです。とはいえ、メタルはどんな形であれ、ストレート・エッジ・カルチャーとライフスタイルには結びつきません。ブラック・メタルとはニヒリズムであり、人間の全能感に対するアンチテーゼですから。

あなたをより深く理解するために大切な本を教えて下さい。

ピーター・シンガー(Peter Singer)の『動物の解放(Animal Liberation)』は、僕の人生で最も大きな衝撃を受けた1冊です。20年前に読んだこの本がきっかけでベジタリアンになり、半端ながらビーガンとして生きてきました。高校のラテン語のクラスで後ろの方に座って、初めてこの本を読んだのを今でも憶えています。この20年、様々な事柄について意見は変わりましたが、人間以外の動物がそれぞれ固有の価値を持っている、という信念はずっとブレません。

生化学の技術者になった理由は何ですか? 核戦争を起こすためですか(笑)?

若いとき、生物学がすごく面白く思えたんです。当時、家族は生物学からかけ離れたものを学んでいましたから、もしかしたら私なりの反抗だったのかもしれません。今は生物学に対して以前ほどの情熱を持ち合わせていないのが残念です。最近は仕事がつまらないですね。

NMN!が『Slayer Magazine』(脚注⑲)を発行することになった経緯を教えてください。

ジョン・メタリオン(Jon Metalion)とは、レコードを買ってもらったりして、もう何年も付き合いがありました。『METALION: The Slayer Mag diaries』についても、何年も議論を重ねてきました。その結果、その本は大きな出版社からリリースするのが良いだろうと判断したのですが、代わりにMorbidの12インチEPと一緒に、『Slayer Magazine』の20号目を販売することになりました。記念碑的な作品に携われたのは大変な栄誉でしたし、Morbidの12インチは予想していなかったので驚きでした。僕はレコードでも雑誌でも、手触りのあるメディアを強く信じています。80年代や90年代の古い雑誌の偏執的コレクターでもあります。可能な限りレーベルから出すカタログも紙で制作します。これまでに『Vatra I Sumpor』、『Haruspex』、『Snakepit』、そしてもちろんSlayerなどのファンジンを発行してきました。ウェブジンもそれはそれで良いのですが、いつかは消え去るサーバー上のデータに過ぎません。

次のプランについて教えて下さい。

ベルリンでNWN!フェスを計画しています。今年はフェスでたくさんの日本のマニアの方たちに会えたら嬉しいです!

弓場井宜嗣
21歳のときに渡米しRE/Searchに住み込み、編集者V.ヴェイルに師事する傍ら、フォトグラファーとしての道を志す。代表作は「SAN FRANCISCO」。また、RE/Searchでの経験を生かし、執筆業もスタートさせる。

若き写真家が見る歪んだ世界 vol.8 弓場井宜嗣はこちら

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