Music

イタリア移民の希望の光となる西アフリカヒップホップ

BOOKU N’ DALやジョイを始めとする西アフリカ出身アーティストたちは、音楽こそが、近年イタリアで高まる反移民感情に対抗する武器だと信じている。

by Leanne Tory-Murphy
23 August 2019, 4:00am

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Sarjo Manneh, Yankhoba Sakho, Ismaila Koyate. Photo by Silvia Calcavecchio

歓声と骨太なビートが響くなか、キャップをかぶったふたりの青年と、ビーニーをかぶったひとりの青年が、薄暗いバーの奥の即席ステージに跳びあがり、フリースタイルのラップを始める。彼らはBOOKU N’ DALと名乗るヒップホップ・トリオだ。ガンビアで長期独裁を敷いていたヤヒヤ・ジャメ(Yahya Jammeh)が敗北を喫した2016年12月のガンビア大統領選、その1ヶ月前に開催された〈Gambian Assembly(直訳:ガンビア集会)〉で、彼らはステージデビューした。ガンビアは北大西洋とセネガルに囲まれた西アフリカの小国だが、現在このトリオが活動しているのは、イタリア、シチリア島の最大都市パレルモだ。ここ数年、パレルモは、西アフリカ系移民のヨーロッパへの玄関口となっている。「俺はこの新天地で、自分の文化を背負ってる」と明言するのはBOOKU N’ DALのメンバー、サージョ・マネ(Sarjo Manneh)だ。「俺たちの文化は他国の人びとにとって異質だから、俺たち自身が説明しないといけない。だけど説明すればみんな、俺たちと彼らの文化は違う、とわかってくれるはずだ。俺たちも彼らも、お互いに学びを得られるだろう」

イタリアでは、2018年3月の総選挙期間中、多くの政党が強硬な反移民政策を掲げて選挙活動を繰り広げ、結果としてポピュリストと右派が勢力を伸ばした。BOOKU N’ DALを始めとする西アフリカの若きアーティスト、DJ、プロデューサーたちは、その時流に逆らおうと活動している。彼らはわずか数年で、パレルモをヨーロッパにおけるアフリカ文化発信の地に変貌させ、アフリカ移民とイタリア人双方に、積極的に働きかけている。彼らは西アフリカの音楽だけでなく、ダンスホール、ヒップホップ、R&Bの要素を取り入れ、様々な言語、伝統、ビートを融合した音楽を、新天地で響かせているのだ。

BOOKU N’ DALのメンバーは、ガンビア出身のマネ(a.k.a. King Size)、セネガル出身のイズマイラ・コヤーテ(Ismaila Koyate a.k.a. MPJ City)とヤンコバ・サコ(Yankhoba Sakho a.k.a. Bay Fall)の3人。彼らは、共通の言語と音楽への愛を通じて仲を深めた。3人が初めて出会ったのは、アサンテセンター(Asante Center)だ。パレルモ郊外にあるこのセンターは、元々ホテルだったが、現在は移民受け入れ施設として、家族のいない未成年の移民、最大250名に住居を提供している。そこで気晴らしとしてフリースタイルバトルに明け暮れていた3人は、グループ結成を決めた。マネは、BOOKU N’ DALについて、1000通りもの定義ができるグループだ、と自負しつつも、核となるキーワードとして「愛、平和、団結、平等、反人種差別、反部族主義」を挙げた。BOOKU N’ DALが体現するのは、「他人の前で同じ人間であること、つまり平等」と彼らは強調する。

メンバー同士で使う言語は、西アフリカの地域言語であるジョラ語、ウォロフ語、マンディン語などを含む計9種。コヤーテによると、先にトラックをつくり、それから曲に合う言語を探るという。マネはこう説明する。「それぞれの言語で、違う主張を歌うようにしてる。例えば他のメンバーがフランス語で何かを歌うなら、それと同じ内容を俺が英語で歌うことはない。俺は俺で別のことを歌う。そうやって曲ができあがっていく。曲を理解するには、複数の言語が必要なんだ」

主にウォロフ語で書いた〈Exhibition〉という曲もあるが、彼らは、ヨーロッパのオーディエンスにアプローチすべく、イタリア語、フランス語、英語で歌詞を書くことが多い。「俺の母語で歌っても、ヨーロッパのリスナーは理解できない。曲を気に入ってもらえる可能性はあっても、歌詞の意味はわかってもらえない」とコヤーテ。BOOKU N’ DALは、アフリカ言語でラップすることと、より多くのオーディエンスに歌詞の意味を理解してもらうことを、上手く両立しようとしている。例えば、イタリア語で〈労働〉を意味する〈Lavorare〉という曲で、彼らはイタリア語とマンディン語でラップする。「働きたいんだ/俺たちは犯罪者じゃない」。この歌詞は、自らが体験してきた反移民感情と向き合ううえで、彼らが共有しようとしている重要なメッセージだ。就職難は、移民とシチリア市民にとって共通の問題だ。「俺たちは移民だ」とマネ。「新天地にやってきた俺たちは、生き延びるために働かなくちゃいけない。これは、現在のイタリアで、すべての人に関わる重大な問題だ」

政治問題、汚職、高い失業率、差別を逃れてきた多くの移民同様、BOOKU N’ DALのメンバーたちも、より多くのチャンスをつかむために母国を離れた。西アフリカからイタリアへのルートは〈裏口〉と呼ばれ、実に危険で、困難な経路だ。密出入国請負業者を頼りながら、〈コネクション・ハウス(connection house)〉と呼ばれる待機場所を転々とし、広大なサハラ砂漠を越える。リビアでは身柄拘束や拷問が横行しているし、航海は死と隣り合わせ。それでも、パレルモでキャリアを追求しようとイタリアを目指す、アフリカの才能豊かなミュージシャンは後を絶たない。

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ガンビア人DJ/プロデューサーのヌム・トゥレイ(Numu Touray)も、かつてアサンテセンターでライブしていた。それからまもなく、同センター内のラジオ局の運営に関わるようになり、現在はホテルの1室を改装したスタジオから、〈Asante Radio〉というウェブラジオ番組を毎週放送していた。明るい笑顔とハイトップフェードの髪型が印象的なトゥレイは、ガンビアでも、14歳の頃からずっと、首都バンジュールのラジオ局〈Unique FM〉で働いていた。そこでは〈African Day〉という番組のパーソナリティを務めており、ナイジェリアのアフロ・ダンスホール・シーンを代表するアーティスト、ティマヤ(Timaya)や、ガンビアの歌手、シンガテ(Singateh)などの曲を流していたという。

トゥレイは、イタリアに足を踏み入れた約2年前から、音楽関係の仕事を続けようと決めていた。「イタリアでは、音楽関係の仕事を探すのは大変です。移民が音楽業界を目指すとなると、さらに支援は少ない。僕は、そんな彼らが少しでも認められるよう、あらゆる手を尽くしています」とトゥレイ。アフリカの音楽や、アフリカ系ミュージシャンのプロモーションのために、トゥレイはナイジェリア人のFBIコメディアン(FBI Comedian)と組んで、パレルモ市内およびシチリア島内のクラブでDJイベントやライブを主催している。FBIコメディアンによると、アフリカの音楽は既に人気を博しているが、「パレルモのアフリカ系ミュージシャンには彼らにしかない創造性があり」、彼らがこの街で「アフリカのエンターテインメントを変える」べく努力していることを周知したいという。

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Photo By Naomi Morello

8年前からパレルモに暮らす30歳のナイジェリア人歌手、ジョイ(Joy)は、アフリカン・ゴスペルをより多くのオーディエンスに届け、パレルモにおけるアフリカン・エンターテインメントの新境地を開拓している。7歳から、母ときょうだいとともに地元の聖歌隊で歌い、その後、ハイライフ・グループのOLALEKAN ADEBOLAで研鑽を積んだ彼女は、現在でも、母語であるイボ語、ヨルバ語、エド語で、伝統的な聖歌を歌い続けている。同時にジョイは、歌詞に彼女自身の言葉を書き加えることで、個性を表現している。

様々なグループで長年活動してきた彼女だが、男性ミュージシャンには常に過小評価され、自分の才能を搾取されていたという。そこでジョイは、今年初めに自らのグループを立ち上げることにした。「みんな、私の姿を見て『ただの小柄な女じゃないか。どうせ何もできないだろう』って決めつけるんです」とジョイ。現在、彼女が率いるJOY AND THE HAPPINESS COLLECTIVEは、パレルモのヴェニュー〈Café Internazionale〉で毎週ライブを開催し、ファンを魅了している。彼女は、イタリア人の前でパフォーマンスできて光栄だというが、パレルモ在住の西アフリカ教会の信徒たちと歌ったり、結婚式、誕生日、献児式など、アフリカ出身者の行事でのパフォーマンスも続けている。「将来私は、大きなステージで歌う、一流のゴスペルシンガーになります」とジョイ。その夢を達成するには、自分を貫き続けなくてはならない。「他人の言葉に耳を貸せば、失敗します。アフリカにはこんなことわざがあるんです。〈我慢強い犬は、いちばんおいしい骨にありつける〉」

BOOKU N’ DALも、音楽界でキャリアを築くために綿密な計画を立て、まずは、パレルモでファンベースを築くところから始めている。「俺たちを受け入れることが、この街の利益につながる。でもそれだけじゃなく、俺たちはこの街から愛されたいし、俺らの存在に気づいてほしい」とマネ。「みんなに、BOOKU N’ DALを知ってほしいんだ」とサコも同意する。彼らは、第2の故郷パレルモに捧げる曲を、パレルモの公共広場での新年祝賀イベントで披露し、この街をこう称した。「地元のない人のための地元/家のない人のための家/土地のない人のための土地」

それでも、彼らの生活に試練がないわけではない。「この曲を聴いて、『外国人がこんなふうに歌うくらいなんだから、パレルモって最高なんだろうな』と想像するリスナーがいるかもしれない。だけど、俺たちは暮らしかたを心得てるだけだ。みんなには、〈クランデスティーノ(clandestino)〉、つまり不法移民の排斥よりも先に、犯罪の撲滅を訴えてほしい。そうすればきっと状況は良くなる」とサコは主張する。彼は、多くのイタリア人が、移民が直面してきた問題や暴力を理解せずに、保守的な態度で反移民を訴えているのでは、と指摘する。例えばトゥレイは、主催する音楽イベントの会場を探すさい、「どんな客が来るんだ?」とよく訊かれるそうだ。彼曰く「黒人をあまりよく思っていない」オーナーもいれば、利益を心配するオーナーもおり、後者の理由は彼自身も理解できるという。さらに、パレルモの西アフリカ系の人びとの大半はムスリムで酒を飲まないため、バーの売り上げに差し障る。それでもトゥレイは、チャージ代を割引してムスリムの客を受け入れてほしい、とオーナーを説得するそうだ。それを承諾するオーナーもいれば、「君たちみたいな客は必要ない」と断られる場合もある。このような反移民感情は、地元のレコーディングスタジオを予約するさい、よりいっそう顕著になる。スタジオを経営するのはすべてイタリア人で、まだ無名のトゥレイやBOOKU N' DALのようなアーティストにとって、使用料はかなり高額なのだ。

「俺たちには才能がある。それは確かだ。でも才能を輝かせるために必要なサポートが足りず、そのせいで俺たちは足止めを喰らってる。それでも夢を実現できると信じてる」とマネ。BOOKU N’ DALは、スタジオ代が払えるようになったら、すぐにでもフルアルバムのレコーディングに入りたいと望んでいる。そんな環境のなかでも、自分たちは移民として唯一無二の存在であり、自文化を代表し、これまでに発信されてこなかったメッセージを伝えられるとマネは自負する。「自分が経験していない事柄を歌うアーティストが多いなかで、俺たちは実体験に基づいた歌を歌ってる。全然違うよ。俺たちは移民として、メッセージを体現しているんだから」とマネ。「伝えたいメッセージなら、山ほどあるからね」

This article originally appeared on VICE CA.