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シカゴから2時間離れた場所で採取したベニテングタケを持つブランドン。彼はこう語る。「乾燥したベニテングタケの色、シワ、金属的な光沢は、ジョセフ・スミスの〈黄金の板〉の説明に類似している。彼が解読し、モルモン経典として出版したと主張している板だ。僕は一度ベニテングタケを食べたことがあるけど、そのときはそれなりに強い反応を得たよ。どうなったかというと、すごく元気になって、本来だったら1日かかる執筆作業を、深夜の2時間で終わらせたんだ」

モルモン教徒が幻覚剤に出会ったら

これまで閉じ込められていた領域の外に出ることができた。
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translated by Ai Nakayama
Tokyo, JP

モルモン教徒が「炉端(firesides)」と呼ぶ、スピリチュアルな体験をテーマにした、月1の講話会がある。話をするのは地元教会のリーダーで、聴衆は十代の信者たちだ。16歳の僕が参加した〈炉端〉では、木製のブロックの中心に刺さったらせんを話者が取り出した。彼はそれを掲げると、金属製の折りたたみイスに座り話を聞く、教室いっぱいに集った若者たちに見せた。

「今夜話すのは、欺瞞についてだ」と渦巻きを回しながら彼は語り始めた。「悪魔には、物事の姿を変える卓越した能力がある。私たちはそれに気づかず追い求め、結局騙されてしまう。その欺瞞の力を私が実際に証明する。私がこれを90秒回す間、真ん中をじっと見つめていてほしい」

僕は彼の言うことに従い、渦巻きを見つめ続けた。そして彼はそれを下に降ろすとこう言った。

「では、今度は自分たちの手のひらを見つめて」

僕は片手を顔に近づけた。するとそれは数秒間、拡大したり縮んだりして見えた。

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「今、君たちの感覚は騙されているんだ」とリーダーは言った。「これこそ、人々がドラッグを摂取することを好む理由だよ」

僕は思った。「うわ、ドラッグってすごいんだな」

僕の故郷はカリフォルニアのサンノゼ。6人きょうだいの5番目として生まれた。僕の家族は、モルモン教徒の一家としては平均的なサイズだ。我が一家の信仰歴は、モルモン教が創設された1830年代にまで遡る。僕は表面上は敬虔な信徒だった。汚い言葉は使わなかったし、アルコール、タバコ、コーヒーはやらない。マスターベーションもしなかった。毎週日曜は3時間、毎日学校に行く前に1時間教会で過ごした。自分の得たお金の10%を教会に納めていた。

しかし心の中では、教会の教義や歴史、戒律に関する多くの事柄(例えば黒人が1978年まで正式な信者として認められていなかったことや、エデンの園がミズーリ州にあると信じられていたこと)に対し疑問を抱いていた。でもその疑問は、自分の心の中に留めておいた。

大学を卒業し、コピーライターとして働き始めた僕は、ひとりのモルモン教徒に出会った。彼女は好奇心旺盛で、率直だった。それまで出会ってこなかったタイプの人間だ。

「1個のゴミ収集箱に10人の赤ん坊が捨てられるよりひどいことって何だと思う?」と彼女は初対面の僕に尋ねた。「10個のゴミ収集箱にひとりずつ赤ん坊が捨てられることだよ」

1年後、僕らはモルモン教会で結婚式を挙げた。

その後何年か経ち、僕のパートナーは信仰の危機に直面した。その主な原因は、モルモン教の苛烈なミソジニーの歴史だ。さらに〈モルモン・ストーリーズ〉というタイトルのポッドキャストが油を注いだ。各エピソードで、モルモン教の保守的な教義や戒律、歴史的出来事を掘り下げるその番組を、彼女は貪るように聴き込み、そして信仰を捨てることに決めた。

それと同時期、僕はYouTubeで幻覚剤愛好家/研究者として有名なテレンス・マッケナによる講義動画を見つけた。幻覚剤の使用の科学的、情緒的、人類学的、心理的、そして何よりスピリチュアルな効用が語られていることに、僕は驚いた。さらに驚いたのは、マッケンが語る幻覚体験が、モルモン教の創始者であるジョセフ・スミスが語った示現体験と酷似していたことだ。モルモン教の教えでは、スミスが得たと主張するヴィジョンや啓示について、〈聖見者の石(seer stone)〉、または〈神の力〉を使用した、ということ以外多くは語られていない。しかしマッケナの講義を聞くにつれ、もしかしたらスミスは、啓示を得る手助けとして幻覚作用のある植物を使用したのではないか、と考えるようになった。

そのあとすぐ、僕はパートナーと共に信仰を捨てた。僕の両親は、表面上はサポートしてくれたものの、親子の関係性は変わった。パートナーの父親は、モルモン書の概要を12ページにまとめた手紙を送ってきて、僕らが騙されていると考える理由を伝えてきた。すでに教義を信じていない身からすれば義父が送ってきた資料は全く見当はずれなのだが、やはりショックではあった。

しかし脱会したことで、これまで自分たちが縛られていた場所から解き放たれ、自由になった。まず、元モルモン教徒の友人から飲酒を教わった。最初に飲んだのはハードサイダーやハードレモネード。飲酒のコツを掴んだ僕らは、次に同僚を招き、マリファナの吸いかたを教えてもらった。

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彼がバックパックから取り出したのは水パイプだと思ったが、彼はそれを〈バブラー〉と呼んだ。火をつけるのに苦労したが、最終的には5回ほど吸うことができた(大いにむせながらだが)。その数分後には、僕は特に理由もなく大笑いしながら床に横たわっていた。立ち上がると、検眼医が僕の目に新しいコンタクトレンズを入れたような気分を味わった。世界を見る視点が、これまで以上にシャープになっていたのだ。僕は生まれてはじめてハイになった。

それは、過去に体験したどんなものとも違っていた。頭の中の雑音が消え去った。同僚のオーラが見えた。世界は自分のために作られているという感覚を得たし、「自分こそがイエス・キリストだ!」と叫ぶひとたちの頭の中を垣間見た気がした。

それから1年の間に、僕らはさらに何度かマリファナ経験を積んだ。僕はそのたびにハイになったが、パートナーは反応を示していなかった。しかし2017年6月のある夜、大麻入り食品を食べて1時間経った頃、彼女はソファから立ち上がり、我が家のリビングの壁に飾ってある大きな世界地図のそばまで歩いていくと、持ち物すべてを売ってメルボルンへ引っ越そう、と宣言した。

それから1時間かけて、彼女は計画について説明した。いつ家を売るか、いくらで売るか、オーストラリアがトランプ政権下のアメリカに比べていかにマトモな国か。さらに、モルモン教徒であったことの結果として僕たちが経験した具体的な〈痛点〉を指摘し、僕らの結婚生活や家族における複雑な関係性を分析した。

その半年後、僕らは本当にマンションを売った(彼女の予言した日からは6日過ぎ、売却額は1万ドル(約100万円)少なかったが)。そしてスーツケース数個を携えオーストラリアへ向かった。すべてをやり直すため。モルモン教に与えられた重荷から自由になるために。

僕らが信仰を捨ててから、今や5年が経った。僕はこれまでにLSD、シロシビン、ベニテングタケ(トリップ状態を強めるために自分の小便も飲んでみたが、効果はなかった)、サンペドロ、MDMA(もし離脱時にうつ状態にならないなら、これがベストだ)を試してみた。DMTも経験済みだ(とはいえ、吸いかたがわからなかったのだが)。

僕はあらゆる境界線を超えた。ヒンドゥー教の女神が歌唱を通して主要要素を生み出すところを見たし、地下世界への招待状も受け取った。あらゆる物質が崩壊する様も目の当たりにした。子宮内へと回帰し、宇宙の中心に何があるかも目撃した。無条件の愛情に心を開くとはどういうことかも理解した。

幻覚体験に入る前は、何が起こるのか予想もできない。これは単調な現代モルモン教とは真逆だ。実際、幻覚剤のおかげで僕は精神的にも身体的にも今いる領域を超え、はるか高い場所まで到達することができた。しかし、至った場所が高すぎるがゆえに、自分の体験を言葉にして伝えることは難しい。また、それらの体験は実に刺激的だが、心をかき乱すのも確かだ。

パートナーはメルボルンで、ソフトウェアエンジニアとして新しい道を歩み始めた。いまだにつらさは残るものの、モルモン教を捨てて不可知論者となった彼女は、生まれてはじめて、非モルモン教徒たちに囲まれた社会的生活を築くことに成功している。

僕は広告代理店でクリエイティブディレクターとして働いているが、今も社会生活を学んでいる途中だ。例えば、バーでのツケ払いの方法も、パブに行こうと誘われたときのうまい断りかたもまだ知らない。〈答え〉が必ず存在する、と考えてしまうなど、僕はまだ、モルモン教の視点を捨てきれていない。それは僕にとって損失かもしれない。しかし、不服従や不信心が恥へとつながるシステムに従う代わりに、幻覚剤を使用することにより、境界線の向こう側を垣間見ることができている。

僕は、自分が育てられた領域の外に出て、探検することを選んだ。そうして知った世界には、神秘も確かなものも、希望も絶望も、無限の可能性も無そのものも存在している。だけどいずれにせよ、自己欺瞞のぬるま湯に浸かるよりずっといい。

さらに深く知りたいひとは、ブランドンの新刊『Mormon on Mushrooms』をチェック。このテーマについて、あるいはその他の彼の経験に関する質問はmormononmushrooms@gmail.comまでご連絡を。