自衛隊の危機 02―彼らは〈戦争〉を始めようとしているのか?―

自衛隊の内部に〈不適切な人物〉が浸透している実態について報じた前回の記事に続いて、今回は、自衛隊が、そのような人物を招かざるを得なくなった理由について紹介する。自衛隊内部の告発者を含む匿名取材班〈Project Army〉による、知られざる自衛隊の現状についての長期取材、第2弾。

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apr 21 2018, 9:06am

前回、自衛隊の内部に〈不適切な人物〉が浸透している実態を報じたが、今回は自衛隊が〈なぜ、彼らを招く必要があるのか〉について、現場で危機感を募らせる制服組の話を中心に紹介したい。

「いま起きている事態は、大きくは制服〔武官〕と文官の対立、細かくいえば、三軍(公式には、3自衛隊と表現される)で考えを異にする制服同士の対立、さらに制服の上下関係における対立という側面があります」

こう語るのは、〈陸上自衛隊・富士学校〉で教鞭をとる1人の制服だ。

「三軍で考えを異にする制服と制服の対立は〈米軍との距離〉をどう考えるか、という点から始まっています。大きな枠組みとして、海上自衛隊は米軍との距離をさらに縮め、実質的には〈統合運用〔自衛隊が米軍の一部として行動〕〉することを目指しています。この方針を現職中に堂々と主張した1人が、武居さんでした。
対して、陸上自衛隊は、ロジスティクス〔兵站/軍隊を運用するために不可欠な後方支援、地球規模の輸送能力など〕と、〈戦略〉については米軍に依存するとしても、〈戦術〉レベルでは独立した運用能力を手に入れたい」

軍隊の運用能力は、およそ3つの段階で議論される。それが〈戦略/作戦/戦術〉である。たとえば、仮に、中国(軍)が尖閣諸島を急襲し、占拠してしまった場合――。〈戦略〉は、以下の3つの場面で必要とされる。

そもそも、急襲されないためにはどうするか。これがもっとも大事な戦略だ。しかし、占拠されてしまった場合、ここから、その戦略を考えるには遅すぎるので、次の戦略が必要になる。占拠されてしまった尖閣を〈どのように奪還するか〉。そして、〈奪還のさいに生じる問題と、その落としどころ〉をどこに設定するか。これらも〈戦略〉の範疇で議論される。

そして、その戦略を担保するために、尖閣を奪還する具体的な計画が〈作戦〉で、その作戦を成立せしめるパーツを〈戦術〉という。

ここで、陸自の制服(前出)が語っているのは、まず、尖閣奪還にあたって戦略を決定するのは同盟関係にある日米の両政府と、(実質的には)米軍であるという事実と、作戦についても米軍が主導することまでは認めざるを得ないという実状だ。

それでも陸自では、その作戦に付随する個々の戦術については――陸自が米軍の完全なコントロール下に置かれるのではなく――能動的に動けなければならない、という危機感が高まっているという。しかし、現実をみれば、自衛隊は憲法9条のもと、これまで1度の実戦経験もなく、戦術レベルのオペレーションでさえ、訓練以外では実行、運用した経験がない。

「徐々に現場経験を積むための悲願が、PKOへの〈施設部隊ではない部隊派遣〉と、将来における多国籍軍への参加で、駆けつけ警護の解禁は、その小さな一歩でしたが、日報問題によって足踏みすることになってしまいました」(前出)

たしかに、〈米軍との距離感〉という点において、〈米軍との統合運用を推進する海自主流派〉と〈独自運用能力の向上を目指す陸自主流派〉で、考えが異なるのは理解できるが、両者の軋轢と、自衛隊に不適切な人物たちを招いている問題に、どのような関連性があるというのか。

それについて制服はいう。考えの異なる三軍の制服勢力が、その立場の違いを超えて結束、もしくは、似たような行動をとるほどの〈文官勢力への不満〉が背景にあると。それは〈持続する歴史〉と〈国家〉への忠誠心(ロイヤリティ)をめぐる両者の見解の相違からくるのだという。

「これを狭小な民族主義〔ナショナリズム〕と捉えられると困るのですが、それでも、もし万が一、仮に、狭小な民族主義に過ぎなかったとしても、国家や歴史への忠誠心に欠けた軍隊よりは、狭小な民族主義を有する軍隊のほうが、まだマシです。こんな問題が取り沙汰されるのは、日本の自衛隊だけですよ。
私は、過去にPKOに参加し、あるいはシンポジウム等で、各国の将校と話をしましたが、先進国の軍人は全員、エスノセントリズム〔自民族優越主義〕です。たとえば、アフリカの話をしている最中に、フランス軍の少佐は『かの大陸で、今でもフランス語が使われているのは、我が国が〈良く〉指導したからだ』と平気でいっていましたし、アフガニスタンのISAFに参加していたある国の将校は身体に点線のタトゥーを入れて『(タリバンやアルカイダを揶揄する)切ってみろ』と彫ってありました。こんなこと、自衛隊でやったら差別だと糾弾されますね。イギリス軍の将校は得意げに『世界で最初に奴隷売買の禁止を明言したのは、イギリスだ』といいますし……軍隊というのは、政治の要請があれば、何だってやらねばなりません。そのために必要なのは〈守るべきもの〉に対する誇りではないですか?
それは、小さな対象としては自分の家族、友人から始まり、大きな対象としては国民、国家、国の歴史ということになるはずです。文官の方々は、それをわかっていない。背広(防衛省のキャリア官僚)にせよ、文官〔教官〕にせよ、彼らは新しくなった日本、〈戦後の日本〉を守れとしかいいません」

Project Armyの1人と十年近い付き合いがある制服は、真剣な顔つきで続けた。

「歴史は、決して分断されていないはずです。あるいは、歴史は積み重ねだといいましょうか。われわれは、敗戦しただけで〈戦後の日本〉もまた、〈戦前の日本〉の礎石の上に立っています。ところが、背広や文官は新しい日本、戦後の日本だけを守れという。そんなもの砂上の楼閣です。こざかしい憲法学者がどう理屈をこねようと、憲法9条の〈戦力不保持/交戦権の否認〉の意味が〈自衛隊≒軍隊≒憲法違反〉なのは明らかです。
その自衛隊、つまり、われわれに対して〈戦後の日本を守れ〉というのは、軍隊に対して〈軍隊を保持しない日本を守れ〉といっているのと同じで矛盾も矛盾、大矛盾ではありませんか……戦後の日本に、軍隊は存在していません。だとすれば、すくなくとも、これまでの戦後的価値観の中に、災害派遣を除いて、自衛隊の存在意義はないということです」

〈戦前の日本〉の欠陥と失策を〈持続する歴史〉のなかで克服し、旧時代を繰り返すことなく、新たな国家像を形成する、という意味でなら、彼の主張もわからなくはない。だが、それでも疑問は尽きない。その理想を追求するために、どうして〈不適切な人物たち〉を招聘する必要があるのか。

海自幹部学校が吉木誉絵に客員研究員の肩書を与えたことは既述したが、同校は、彼女の師匠・竹田恒泰にも講演を要請し、2人はこれを足掛かりに、陸自の各種学校にも進出している。

同様に、空自幹部学校は、ジャーナリスト、軍事漫談家の井上和彦を招聘し、また、防衛大学校では、ある制服教官が『大東亜戦争は日本が勝った』の著者、ヘンリー・スコット・ストークスの講話を開いた。さらに、吉木と同じく、竹田研究会に属する久野潤も同校で講演をおこなっている。

「本当に危ないなと思うのは、これらの論客にビジネス・チャンスを見出し始めた芸能プロダクションまで登場したことです……もちろん、防衛大学校側でも、学校当局や危機感を抱く文官教官を中心に、公式な場に呼ぶ際のチェックはしているのですが、一部の制服教官が自分の授業の枠や、校友会〔クラブ活動〕の枠でネトウヨを招き入れてしまうので、さすがにそこまでは確認しきれません」(防大関係者)

こうしてチェックをすり抜け、自衛隊の関係機関に現れる彼らが口にするのは、〈旧日本軍賛美〉であり、戦前ユートピア論である。では、国と自衛隊を憂う制服(前出)は、本当に彼らの言説を信奉しているのか。

「いえ、それはないですね」

制服は、即座に答えた。

「私自身は、竹田や吉木、井上、海自OBですが惠さん(隆之介)らを一流の知識人、研究者だと思ったことはありません」

今回の取材に際し、取材班は三軍の曹、士、OBらに同様の質問を投げかけたが、もっとも多かった回答は、上の制服と同じように「べつに、一流の知識人だと思っているわけではない」というものだった。そのような評価にもかかわらず、彼らに好意的な視線を向ける理由を、もっとも直截に説明しているのは、現役時代、最高レベルの階級まで昇りつめた1人の将官OBの言葉だろう。

「着々と軍拡、海洋進出を続けている中国、北朝鮮問題にロシア、アメリカ第一主義を標榜するトランプ、積み重なったイスラム原理主義と移民の問題に、ブレグジットで混迷を深める欧州……この世界情勢の中で、今後、〔将来的に〕自衛隊がドイツ軍やフランス軍などに代表される〈一般的な軍隊〉として活動せざるを得ないことは明らかだ。
一般の軍隊として活動するということは、場合によっては武力衝突が生じ、自衛隊員が敵を排除し、また自衛隊員が敵に排除されるということ。これが、将来において避けがたい事態であることは、背広組も、三軍の将官も皆わかっている。そのとき、考えられるもっとも〈最悪のシナリオ〉は、憲法9条2項が残ったままの状態で自衛隊を軍隊として運用せざるを得ない窮迫の事態が発生してしまうことだ。
過去のPKOへの〔非軍事的〕協力と、東日本大震災ではっきり示された、非常に残念な事実がある。それは、自衛隊員の多くが、自らの仕事を〈軍隊に似て非なる何か/軍人に似て非なる何か〉だと考えてしまっていること。
こんなことはいいたくないが、東日本大震災のとき、ごく初期の現場に入って、たくさんの遺体や街の惨状を目にしてPTSDやうつ病を発症したマスメディアの人間は、〈ほとんど〉いなかったと聞いている。実際、私が個人的に交流のある(現場に入った)記者やカメラマンたちは誰1人として、PTSDにも鬱状態にもなっておらず、むしろ若い自衛隊員たちへの影響を心配していた。
その後、自衛隊内でPTSDとうつ病の傾向調査を行ったところ、思った以上に悪い結果が出たとも聞いている。あの時、陸自では『(高リスク者を)5%超えさせるな』、海自では『10%超えさせるな』という〈忖度〉があったので、公表された数字は抑えられていたが、実際は、かなり大きな心理的影響があった。強い言葉を使うなら、落胆したというのが、私の正直な気持ちだ。
私自身も同じだが、自衛隊は〈軍隊でなければいけない〉のに、半世紀以上、〈現場〉から逃げ続けてきた。『(自衛隊は)現場の経験を積む必要がある』というと、〈左派リベラル〉の全国紙と、事実上のクロスメディアになっているテレビ局、共産党などは鬼の首でも取ったかのように『自衛隊が戦争を始めようとしている』と騒ぐが、現場を踏むというのは、日本が戦争を始めるという意味ではない。まったく違う! 中東にせよ、アフリカにせよ、事実上の戦争状態が発生している地域は沢山あり、そして現実に、世界の主要各国は、ある場合には国際平和のための地域安定化を目的として、別の場合には同盟関係にある国家を助けるために、またある時には、自国の国益のためにのみ軍を派遣して、武力行使を行っている。
それらの任務は、常に第一には〈正義〉のために必要なことで、第二には国際政治において自国のプレゼンスを強化するために必要な政治的手段であり、第三に、軍は現場を踏まなければ運用できないという理由からだ。
今後、自衛隊および自衛隊員に必要なのは、自らを〈軍人〉と規定すること。自衛隊を〈軍隊〉と規定すること。そして、仮に〈憲法9条2項〉が削除されなかったとしても、自衛隊が軍隊として運用される日がかならず来ると自覚すること……」

編集という過程がなければ、上記の会話は約2時間にわたる。それからようやく、将官OBは、いわゆる〈ネトウヨ〉を自衛隊の各種機関に招聘することに〈好意的な理由〉を説明した。

「どれほど優れた学者であれ、いわゆる有識者であれ、現在の状況で、自衛隊員を前にして〈憲法9条2項の無効性〉を説くことはできない。そのような言説は、即座に、彼らの社会的地位を脅かすからだ。同じように、学者先生や知識人には、自衛隊員を前にして『諸君は、勇敢な軍人たれ』ということもできない。
しかし、いま自衛隊員に必要なのは、その覚悟をおいて他にない。それが、現実だ。本当は、徐々に〈現場〉を踏むことで、文官も含めて〈軍隊としての運用能力〉と〈経験値〉を向上させ、精神も鍛えていければいいと思うが、憲法も、9条の制約から生まれたPKO要件も、マスメディアも、自衛隊の運用能力と経験値を向上させるための漸進的活動を許さない。そうであれば、せめて軍人精神だけでも先に整備しておこうと考えるのは、自然なことじゃないか?」

取材を通じて、多くの制服が切実に訴えたのは、まさに、この点だった。彼らは、明らかに追い詰められている。それは必ずしも〈戦争への恐怖〉からではなく、憲法9条2項によって軍隊たることを禁じられ、手足を縛られている自衛隊が現状のまま、ある日突然、軍隊に変貌することを求められるのでは、という懸念からだ。つまり、来るべき日に〈備える努力〉さえ禁じられている、と彼らが感じる現状と、国民からの〈根拠不明の期待〉をめぐる恐怖である。

この点についてはProject Armyも、一部だけは納得せざるを得なかった。たしかに、学識者は、自衛隊の運用能力と経験を磨くために、あるいは自衛隊員の(軍人としての)意識向上のために、自衛隊や防衛省に正式に招聘された場で、憲法9条2項の無効性(改憲の必要性)を説くことはできないだろう。なぜなら、それを学識者が公式に発言すること自体が現状において、自衛隊を批判にさらすことになりかねないからだ。

将官OBによれば、いわば、そのための〈安全パイ〉が昨今、自衛隊に出入りする〈論客〉だというのである。そのうえで、「海自は日米同盟に偏重しているから、一口にネトウヨといっても、米国に批判的な論者は呼ばない」という。

だが、これら制服の声を、防衛研究所をはじめとする自衛隊の各種学校で教鞭をとる複数の文官や、防衛省の背広たちに届けると、各人が怒りを露わにした。次回、制服の声に対する文官の反応を紹介する。

第3回に続く。

自衛隊の危機 01 ―なぜ、ネトウヨの浸透を許しているのかーはこちら

自衛隊の危機03 ―憲法9条2項とアメリカ合衆国―はこちら

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