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カメラマン時代のキューブリックの写真にみる映画への布石

ニューヨーク市立博物館の企画展「Through a Different Lens: Stanley Kubrick Photographs」のキュレーターが、『2001年宇宙の旅』『シャイニング』を世に送り出した監督の素顔を明かす。

by Emerson Rosenthal
26 July 2019, 5:00am

Stanley Kubrick, Stanley Kubrick with Faye Emerson from “Faye Emerson: Young Lady in a Hurry," 1950. All photos courtesy of the Museum of the City of New York / SK Film Archive, LLC

スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)が、隔週刊行の米国写真誌『Look』に初めて写真を売ったとき、彼はまだ17歳だった。自身初のドキュメンタリー映画『拳闘試合の日』( Day of the Fight, 1951)のおよそ5年前、そして初の長編『恐怖と欲望』( Fear and Desire, 1953)の8年前の話だ。内気で高校に馴染めなかったという若きキューブリックは、ドキュメンタリー風の写真により、一躍有名になった。彼は、スナップ写真と演出された写真の両方を用いることで、その境界線を曖昧にしている。

彼が1945年からの5年間、『Look』のために撮影した1万3000枚の写真が、セントラルパーク北東部のニューヨーク市立博物館(Museum of the City of New York: MCNY)の企画展「Through a Different Lens: Stanley Kubrick Photographs」のテーマとなった。本展は、のちに『シャイニング』( The Shining, 1980)、『2001年宇宙の旅』( 2001: A Space Odyssey, 1968)、『時計じかけのオレンジ』( A Clockwork Orange, 1971)など数々の作品を生み出す監督を知る手がかりとなるプロジェクト、その影響を掘り下げている。

ニューヨーク市立博物館の印刷物、写真担当のキュレーター、ショーン・コーコラン(Sean Corcoran)が、展示内容から見えてくる、謎多き映画監督の素顔を明かした。

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スタンリー・キューブリック〈Life and Love on the New York City Subway〉より 1947年

まずは ご自身のバックグラウンドと、この企画展に携わったきっかけを教えてください。
私は当館の印刷物と写真のキュレーターで、展覧会の企画を担当しています。また、当館収蔵作品の管理人と管財人も務めています。今回展示するスタンリー・キューブリックの写真はそのいち部で、『Look』誌を刊行していた〈Cowles Magazines, Inc.〉より、1950年代から寄贈されました。これらの写真は、撮影からそれほど経たないうちに寄贈され、50年以上当館に保管されています。案件終了後、出版社は不要になったコンタクトプリントとネガを寄贈しました。これらは当館でずっと眠っていました。私たちは時間をかけて少しずつ現像しています。

2005年、私たちは『Stanley Kubrick: Drama & Shadows』という写真集を発売しましたが、当時はデジタル化していなかったので、すベての作品を把握していたわけではありませんでした。2010年頃にデジタル化してようやく、収蔵作品のなかに、キューブリックの写真が1万3000枚以上あるとわかりました。まさに夢のような宝の山だったんです。これらの写真からは、のちの映画監督の姿だけでなく、戦後のニューヨークの様子も知ることができます。

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スタンリー・キューブリック〈Columbia University〉より 1948年

1万 3000 枚というと、かなりの大仕事ですね。
本展を共同で担当したキュレーターのドナルド・アルブレヒト(Donald Albrecht)とふたりで、1万3000枚以上の写真フィルムの全コマを確認しました。写真は基本的に、キューブリックが担当した案件ごとに分類されています。私たちはすべてに目を通し、『Look』に掲載された写真と、撮影当時のキューブリックの個人的な興味が窺い知れる未掲載の写真へと、徐々に絞りこんでいきました。つまり、『Look』に掲載された写真や、すでに公開されているキューブリックの作品だけでなく、彼自身の当時の関心を示す個人的ないち面も見せる狙いがあるんです。

映画監督としてのキューブリックにも、いまだに多くの謎が残っています。なぜ写真家としてのキューブリックに着目したんでしょう?
これらのフィルムはすべて、当館の収蔵作品のいち部です。キューブリックはニューヨークの街を撮っていました。私たちの使命は、街の歴史を記録し、展示することです。キューブリックは生粋のニューヨーカーで、彼の写真の大半は、ニューヨークの生活、ニューヨークの有名人、ニューヨークの日々の物語を撮らえています。例えば彼は、ごく普通の男性の姿、靴磨きの少年の物語、街なかの会話、コインランドリーの利用者などを写真に収めています。ニューヨークの日常から、モンゴメリー・クリフト(Montgomery Clift)、フェイ・エマーソン(Faye Emerson)、バンドリーダーのガイ・ロンバルド(Guy Lombardo)などの有名人まで、当時のニューヨークの多様なライフスタイルを鑑賞できるのが、彼の写真の良いところです。

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ベッツィ・ヴァン・ファーステンバーグと友人たち スタンリー・キューブリック〈The Debutante Who Went to Work〉より 1950年

そのような写真から、若きスタンリー・キューブリックについて、何がわかりますか?
良い質問ですね。まず、キューブリックが『Look』に初めて写真を売ったとき、彼は17歳だった、という事実を思い出してください。彼はまだ高校生でした。高校卒業後、専属カメラマンになった彼は、1950年まで約5年間『Look』で働き、この期間で批判的な視点を身につけました。写真を通して人間を観察する方法、彼らの裡の感情や心理を捉える術を学んだ彼は、もちろんそれを映像制作に応用しました。また、彼は写真から、構図やライティングについて多くを学びました。

キューブリックは当時、フィルム・ノワールなどへの関心が高く、初期の映像作品には、ドラマティックなライティングが多いです。彼はまた、おもしろいカメラアングル、大胆なクローズアップからロングショットまで、あらゆるテクニックを用いています。『2001年宇宙の旅』( 2001: A Space Odyssey, 1968)にも観られますね。つまり彼は、カメラを通して感情により強く訴えかける構図のとりかたを学び、この技術を写真だけでなく、その後の映像作品にも応用したんです。

彼は『Look』での仕事を通して、組織のなかで働く術も身につけました。これは、彼がスタジオ・システムや映画業界で働くうえで役立ったはずです。彼は、編集部との働きかた、つまり彼らがどう企画を通すか、どのように自分の視点を理解してもらうか、理想通りにページをつくるにはどうするべきかを学びました。また、キューブリックはいくつかの組織の撮影も何度か担当しています。例えば彼は、コロンビア大学(Columbia University)を詳しく調査し、サーカス団〈リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス(Ringling Bros. and Barnum & Bailey Circus)〉の案件も手がけました。彼はフロリダ州サラソタで、次のシーズンに向けたサーカス団の練習風景を撮影し、そのなかで経営管理を始め、運営を円滑に進めるために必要とされるすべてを写真に収めました。この経験が、彼ののちの映像制作にある程度影響しています。

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スタンリー・キューブリック〈Johnny on the Spot: His Recorded Adventures Mirror the New York Scene〉より 1946年

彼の個性や傾向などについてはどうですか?
それは、今回の展示内容に含まれている未掲載写真によく現れているはずです。なぜなら掲載された写真は『Look』に、つまり家族向けの大衆誌にふさわしいものでした。例えば、サーカス特集には、空中ブランコ乗りなどの写真が載っており、これらは『Look』を意識して撮られています。しかし、キューブリックは、決して掲載されないとわかっていたはずですが、ダイアン・アーバス(Diane Arbus)の作品に近い、タトゥーやピアスだらけの男性の見事な写真も撮っていました。そこから彼自身の好みを何となく感じとれるはずです。

彼の作品のうち、演出された写真とスナップ写真の割合は?
最初からどちらもあります。例えば、彼が担当したシリーズ〈Life and Love on the New York City Subway〉は、演出された写真とスナップ写真の両方で構成されています。彼は、このシリーズで、ニューヨーク市の地下鉄内の体験の全体像を映しだそうとしていました。演劇かショー帰りに車内で寝てしまった乗客のスナップ写真もあれば、抱き合う恋人たちの写真も数枚あり、後者は明らかに演出されています。実は、この写真の女性はキューブリックの当時の恋人で、のちの結婚相手なので、スナップ写真でないのは確かです。初期の写真から1950年代まで、このふたつのあいだを行ったり来たりしています。

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スタンリー・キューブリック〈Guy Lombardo〉より 1949年

のちにキューブリックの映画に使われるスタイルの手がかりは、他にもありますか?
初期の映像作品との直接的なつながりは、いくつかあります。彼は『Look』の案件で、何度かボクサーを撮影しています。ひとつはロッキー・マルシアノ(Rocky Marciano)、もうひとつはウォルター・カルティエ(Walter Cartier)の記事で、カルティエは、キューブリックの最初の短編映画の被写体になりました。その映像作品は、彼がまだ『Look』で働いていたときに制作されました。その後、彼は『Look』の仕事をやめ、フルタイムで映像制作に打ちこむようになります。タイトルは『拳闘試合の日』です。彼は、『Look』のために撮った写真を、本作の絵コンテとして使ったんです。これは直接的なつながりですよね。実際、キューブリックが『Look』用に撮ったボクサーやショーガールは、彼が初めて成功した劇場作品『非情の罠』( Killer’s Kiss, 1955)においても、重要な役を演じています。私たちは今回、写真との比較のために、『非情の罠』の映像も展示しています。

このように、初期の作品には、わかりやすい例がいくつかありますが、彼が私たちの知るキューブリックに近づくにつれて、写真と映像作品の関連性はより曖昧になり、対象の撮らえかた、映像のスタイル、カメラアングル、ライティングなどに現れるようになります。彼が担当したコロンビア大学のシリーズのなかに、カラーレンズの丸メガネをかけた科学者の写真があります。これを見れば、誰もが『博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』( Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb, 1964)のピーター・セラーズ(Peter Sellers)を想起するでしょう。確かに関連性はあるはずですが、「キューブリックは、あの写真からピーター・セラーズのキャラクターを思いついた」とは断言できません。完全に憶測です。ですが写真を見れば、すぐにあの映画が思い浮かぶはずです。

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スタンリー・キューブリック〈Columbia University〉より 1948年

あなたがたのリサーチから明らかになった、『 Look 』時代のキューブリックのエピソードはありますか?
キューブリックは1966年のインタビューで、自身の初期の活動や映像制作を始めたきっかけに触れています。彼の人となりに興味があるなら、すばらしいインタビューなので、ぜひ聞いてみてください。私たちがひとつ発見したのは、『Look』編集部が彼を誇りに思い、天才少年とみなしていた事実です。実際に『Look』にも書かれていました。確か1948年のコロンビア大学を特集した号です。これはキューブリックが入社直後に担当した大きな特集で、彼が記事内の写真すべてを撮影しました。目次ページにはキューブリックの小さなプロフィールが掲載され、それによれば、年上の専属カメラマンたちはみんな、彼がもっとプロ意識を高め、成長するよう指導していたそうです。これは私にとって興味深いエピソードでした。辛酸をなめてきたベテラン報道写真家たちが、まだ17、8歳の子どもだったキューブリックの面倒を見て、プロの世界へ誘おうとしていたんです。

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スタンリー・キューブリック〈Leonard Bernstein〉より 1950年

キューブリックが『 Look 』で働いていた時代とかぶっているかはわかりませんが、彼と写真家のウィージー( Weegee )の関係について教えていただけませんか?
確かに、少しだけかぶっています。キューブリックはウィージーの大ファンでした。あるとき彼は、『Look』の撮影で、ジュールズ・ダッシン(Jules Dassin)監督の『裸の町』( The Naked City, 1948)のセットを訪ねました。この作品にウィージーが携わっていたんです。彼らはそこで知り合ったんでしょう。彼がウィージーのファンだったこと示す良い例として、非常階段で抱き合ったり、劇場や路地でキスをするカップルを撮影した、キューブリックの未掲載の写真シリーズ〈Love Is Everywhere〉があります。これらはすべて赤外線写真で、まさにウィージーの写真の影響を受けています。ウィージーとキューブリックには親交があり、互いを尊敬していました。そしてもちろん、ご存知かもしれませんが、その十数年後に、キューブリックは『博士の異常な愛情』のセットのスチールカメラマンとして、ウィージーを招きました。

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スタンリー・キューブリック〈Peter Arno... Sophisticated Cartoonist〉より 1949年

キューブリックの写真は、米国とニューヨークにおける写真史のどこに位置付けられるでしょうか?
良い質問ですね。個人的にはキューブリックを、『Look』で活躍していたひと世代前の報道写真家、例えば、アーサー・ロススタイン(Arthur Rothstein)やジョン・ヴァション(John Vachon)など、〈農業安定局(Farm Security Administration: FSA)プロジェクト〉に参加していた写真家と、次世代の写真家をつなぐ架け橋とみなしています。ダイアン・アーバスよりは少し前ですね。彼は、ふたつの世代の狭間に位置しています。誤解しないでほしいのですが、彼は雑誌の仕事をしていたので、多くの写真は前者のスタイルです。でも、未掲載写真には、彼の個人的な写真が『Look』用の写真と同じくらいあり、それを見ると、より新しいスタイルにつながる、雑誌向きではない一風変わった趣向に気づくはずです。次世代の写真家たちに通じるような写真です。キューブリックは、ゲイリー・ウィノグランド(Garry Winogrand)と同時期に活躍していました。ふたりは同い年で、ウィノグランドもちょうど同時期に、『Pageant』や他のメディアで仕事をしていました。初期の作風はどことなく似ています。ウィノグランドはその少し後に方向転換しますが。

最後の質問です。いちばん好きなキューブリックの映像作品と、その理由を教えてください。
難しい質問ですね。いちばん好きな写真を訊かれるのと同じくらい難しいです。たいていのファンは、ワーナー・ブラザース配給作品を挙げますが、それ以前の作品のなかにも名作はあります。後期の作品ほど独創性はないかもしれませんが、フィルム・ノワール作品とされる『非情の罠』や『現金に体を張れ』( The Killing, 1956)のような初期の作品にも、優れた点は多いです。でも、どうしてもひとつ選べといわれたら『博士の異常な愛情』ですね。ダークなユーモアに溢れていて、様々な点で今の米国社会にも通じるものがあります。

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スタンリー・キューブリック〈Shoeshine Boy〉より 1947年
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スタンリー・キューブリック〈Park Benches: Love is Everywhere〉より 1946年
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スタンリー・キューブリック〈Faye Emerson: Young Lady in a Hurry〉より 1950年
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スタンリー・キューブリック〈Fun at an Amusement Park: LOOK Visits Palisades Park〉より 1947年
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スタンリー・キューブリック 未掲載のシリーズ〈Shoeshine Boy〉より 1949年
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スタンリー・キューブリック〈Paddy Wagon〉より 1949年

This article originally appeared on VICE US.