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「最後の審判」の予言がハズレたら終末論を伝道するグルはどう取り繕うのか

幸いにも私たちは、10月7日が過ぎても、まだ生きている。今世紀だけでも、すでに20回以上の「携挙の日」が訪れ、その度、信ずる者たちは天に召されることを期待していた。最も最近ではつい2ヶ月前。この日、劫火が世界を焼き尽くし、大勢の不信者が黒焦げになり、神に選ばれし者だけが生き残る予定であった。

ファミリー・ラジオ(Family Radio)の終末論者、ハロルド・キャンピング photo via Wikipedia

「予言」と「預言」がある。「予言」は未来の出来事を語ること。「預言」は神の意志を預かり広めること。カルトの当事者は「預言」と信じていようが、非カルトにとっては取るに足らない些事なので、当記事では、カルトの「預言」は「予言」と表記する。

幸いにも私たちは、10月7日が過ぎても、まだ生きている。今世紀だけでも、すでに20回以上の「携挙の日」が訪れ、その度、信ずる者たちは天に召されることを期待していた。最も最近ではつい2ヶ月前。この日、劫火が世界を焼き尽くし、大勢の不信者が黒焦げになり、神に選ばれし者だけが生き残る予定であった。

フィラデルフィアを拠点とする宗教団体「eバイブル・フェローシップ(eBible Fellowship)の指導者クリス・マッカン(Chris McCann)はガーディアン紙上で宣言した。「聖書によると、10月7日に世界は終わりを迎える、と神は定められた」

紛争地帯、難民の皆様、10月7日に不幸な経験をした皆様には申し訳ないが、地球が劫火に焼き尽くされることもなく、2015年10月7日は大勢にとってつつがなく過ぎた。悪しき魂を地獄に送る首なしの騎士が出現した、といったニュースは、世界中のあらゆるメディアを見回しても掲載されていない。

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Twitterでは、何千ものユーザーが終末論をネタに同じようなジョークをつぶやいたが、何もなかったように普段の生活に戻った。しかし、世界の終焉を信じて家族や友人に別れを告げた人々にとっては、ジョークで済まされてはたまったものではない。この予言を真に受けた敬虔な子羊たちは、果たして今でも信仰心を失っていないのだろうか。

この度の「終末」騒ぎもにわかに起こった珍事ではなく、れっきとした経緯がある。例えば、2011年終末論を唱えるハロルド・キャンピング(Harold Camping)氏は自身のラジオ局「ファミリー•ラジオ(Family Radio)」を通じて、最後の審判は2015年5月21日だ、と発表した。しかし、審判の当日を迎えると、彼は、審判の日を10月21日と再予言した。

実際に行動を起こした伝道者もいた。宗教団体「神の子どもたち(The Children of God)」(のちに団体内で児童虐待が明らかになり、「ファミリー・インターナショナル(The Family International)」に改名)の創始者デビッド・バーグ(David Berg)は、信者たちに、審判の日に向けて準備するよう呼びかけていた。

「神の子どもたち(The Children of God)」に入信していた、幼少期のフロー・エドワーズ(Flor Edwards)

予言発表近辺の顛末に関して、1980年代から90年代にかけて「神の子供たち」の一員として育ったフロー・エドワーズ(Flor Edwards)に話を聞くと、予言発表のあと、彼女の元に男たちがやってきたそうだ。

「大いなる苦難、または『最後の日々』のあとに『携挙の時』が来る。私の家に来た男性たちは確か反キリストの軍隊に所属していた」。彼らは銃や警棒を手に、まるで軍隊のように彼女の部屋に押しかけてきたそうだ。

幼い時になんと恐ろしい経験を、と驚くと、彼女はこう答えた。「もちろんとても怖かった。救われることはわかっていたけれど、そのためにはまず死ななければならない。殉教者として定めに従わなければ、と信じていた。その年(世界の終末が予言された1993年)が来る頃には小学生だったから、死を怖れずに済んだ」

当然、この予言がハズれると、団体は数々の課題をクリアしなければならない苦境に直面した。まず彼らは、終末論を合理化しなければならなかった。つまり、神に間違いはないので「審判の日」を間違えたのはあくまで人間のせいである、と主張した。(申命記18章21〜22節「もし、あなたが心の中で、『その言葉が、主の語られたものではない、とどうしてわたしたちに見分けることができようか』と観想するとしよう。それを、預言者が主の御名で語ったとしても、預言が実現しなければ、その言葉は、主が語られたものではない。預言者が不遜にもそれを騙っただけであるから、似非預言者を畏れてはならない」)

言い訳のヘリクツにしか聞こえないが、これは預言者の誤りにすぎない、ということだ。預言者は聖書をもう一度読み直し、審判の日について手がかりを探すだろうが、新約聖書の冒頭で使徒マタイははっきりとその日を定めることは誤りだとしている。(マタイによる福音書24章36節「その日、その時は、誰も知らない。天の使いたちも、子も知らない。ただ父だけが知っておられる」)

予言のハズれが明らかになると、後始末をきちんとしなければならない。団体の存続が危うくなると、多くの予言者たちは日付を曖昧にして「携挙の日」を引き延ばす。フローによると、1993年が何事もなく過ぎると、「神の子供たち」の創始者デビッド・バーグは「今年中に起こる可能性もある」と曖昧に記した手紙を信者たちに送り始めたそうだ。

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この出来事をきっかけに団体は解散に向かったのでは、と尋ねると、フローはこう応えた。「確かに団体は解散に向かった。『預言者』の予測がはずれたことに対し、皆、屈辱感を味わった。信者たちにとっては信じがたい出来事だった」

このような珍事のあと、フローとその家族を含め、何人もの信者が団体を抜けた。1993年以降、バーグは伝道を続けるため、当時住んでいたタイからアメリカに戻った。信者たちは疲れ果てていた。しかし、教団設立の精神を、フローはこう説明してくれた。「重要なのは、最初からデビッドは信者たちにこの考えを押し付けていたわけではない。もともとは、純粋にヒッピー精神を愛する心から生まれた運動だった。世界をよりよい場所に変えたいと願う若者が集って始まった」

去る者は少なくなかったが、教団に留まる者もいた。信者というものはそれほど簡単には信仰心を失わない。多くの信者たちは、めでたくも、アブラハムのようにこの出来事を神が与えた試練、と捉え、忠誠心を試されている、と考えた。そのため彼らは前にも増して熱心に伝道し、祈るようになった。団体を存続させたのは、新たに設定された「審判の日」だった。たとえどんなに曖昧な目標でも、その日が希望の光となり、信者たちが熱心に活動する動機となった。

ハロルド・キャンピングは6度「最後の日」を予測し、いずれも外れたが、彼の死後もファミリー・ラジオは続いている。

クリス・マッカン自身も「神の子供たち」の信者の一人だった。彼が創立したイーバイブル・フェローシップ(マッカンは教派ではなくネット上の団体だと主張しているが、実際には月に一度のオフ会が行われている)にも、10月7日以降も多くの信者が残っている。

eバイブル・フェローシップにも取材を試みたが、以下のような返信内容で、断られてしまった。「あなたがたの興味を引くようなお話はできないと思います。我々は神の御言葉である聖書をなぞり、研究しているだけですから」

『黙示録の四騎士(Четыре всадника Апокалипсиса)』(1887)ヴィクトル・ヴァスネッオフ(Виктор Михайлович Васнецов)作 image via Wikipedia

一方、「oct7thlastday.com」というサイトにはこう書かれている。「eバイブル・フェローシップは、世界の終末を誤って特定しましたが、「審判の日」はいつか必ずやってきます…世界はこの日を「すでに過ぎ去った日」として、まるでこの世界に終わりなどないかのように祝っています。しかし本当は、世界は最期の苦しみの中にあります…いつその日がやってくるかは謎のままです」

この文章が掲載され、世界の終末の予測することは100%間違いだったことが明らかになった。コンコルディア大学(Concordia University)の宗教学教授ロレンツォ・ディトマッソ(Lorenzo DiTmasso)は、「終末論の預言者を信じる人々にとって、改宗は簡単なことではない」と分析する。「聖書解釈による価値観も、人生を左右するひとつの確固たる世界観だ。スーパーで果物を買うように、簡単に信仰を選んだり変えたりはできない」

宗教と人間の関係は複雑で、日々変化している。これからも信者たちは「最後の審判」の日を設定し、それを信じ続けるだろう。熱心な信者のことを忘れ去るのは簡単だが、似たような経験のある人は少なくないはずだ。誰しもばかげたことを信じていた頃がある。私も以前、ウガンダのゲリラに天誅を加えるため、「KONY 2012」のチャリティーポスターを、道徳的な行動だ、と信じて27ドル(約3300円)で購入したことがある。恥ずかしい経験だが、今は立ち直った。

予言がはずれたとしても、信者たちが、それを理由に信仰を失うことはないのだろう。