底抜けに明るい未知なるキューバを収めた25年間のドキュメンタリー

80年代後半に写真家のマヌエロ・パガネッリが、キューバを訪れたのは、長らく音信不通だった親戚を捜すためだった。それから彼は幾度となくキューバを訪れ、この国の活気に満ちた陽気な一面を記録し続けた。一般的には知られていない、キューバの魅力が収められた写真は、現代の社会に、どのように写るのだろうか?

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24 February 2017, 2:30pm

ここで紹介するのは、写真家マヌエロ・パガネッリ(Manuello Paganelli)による新たな写真集『Cuba: A Personal Journey 1989-2016』(Daylight Books) からの抜粋。過去25年間、60回以上キューバを訪問したパガネッリが記録した100枚以上の写真が掲載されている。

このプロジェクトは、80年代後半にパガネッリが音信不通の親戚を捜すために、キューバを訪れて以来、2015年の米国とキューバの国交回復まで続いた。その後、フィデル・カストロの死により、この写真集は、より複雑な意味合いを帯びた。

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子供のころ、なぜキューバの親戚と連絡をとらないのか、と母に尋ねた。母は生返事をした。私たちが、子供の質問をはぐらかすために、ときどきするような返事だ。私はその質問の明確な答えについて追求するのをやめたが、大人になるに従って、自分がその答えを求めているのに気づいた。答えは、もちろん、キューバにある。それで、1988年、初めてキューバを訪れた。感動的だったキューバ初体験以来、私は、60回以上、同国を訪れた。カメラとノートを手にキューバ島を東奔西走し、誤解された人々の苦労を記録しようと決意し、魅力的なキューバン・スピリットを記録するために全力を注いだ。

キューバは、私が予想した以上のハイペースで門戸を開いている。初めて訪れた頃に比べると、著しく変化している。当時、道を歩いている観光客は私ひとりだけ、という状況も珍しくなかった。2~3米ドルを所持しているだけで、数年間、犯罪者として収監される可能性があった時代だ。今では施しを受ける失業者の長い行列も目にしなくなった。街には観光客があふれ、ホテルは満室だ。

だが、変わらないものもある。街は今も魅惑的な音楽でいっぱいだ。夜になれば、サルサを踊る人々がいる。打楽器のリズムが聞こえると、地元の連中が路上に集う。キューバ人は会話や社交を相変わらず愛している。力強いキューバン・スピリットは、今もしっかり息づいている。ハバナの路上を走る頼れる57年式シボレーのように、キューバ人は過去を大切にしながら、その陽気な性格と意志の強さで、全速力で前進し続けている。

美しく、生き生きとしたキューバのほんのいち部を、皆さんに紹介させてほしい。


結婚式 (1999)

(2011)

小学校の教室 (1995)

男の子はやっぱり男の子 (1991)

ダンスのリハーサル (2014)

農場へ向かう人びと (2005)

ハバナのヒップホップダンサー (1995)

バレーボールをする人びと (1993)

パパを待つ女たち (1997)

ひとりのサンテリータ (1998)

ウシたち (2005)