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Who Are You?: 加川大地さん(35歳)会社員

「中学に入って、いろんな小学校から生徒が来て友人関係が広がったときに、その子たちがほとんど特撮とかアニメとか観ていなかったんです。それで小学校時代からのそっち系の友達と、あれ?俺たちおかしいのかな?って」
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パンを食べながら歩いているサラリーマンの方とすれ違うことはよくあるのですが、フランクを食べながら歩いているOLさんとすれ違ったときはちょっとドキッとしました。そしてOLさんはほおばりながらスーパーに入って行きました。フランクの串はどうするんだろう。

日々の生活の中で、私たちはたくさんの人たちとすれ違います。でもそんなすれ違った人たちの人生や生活を知る術なんて到底ありません。でも私も、あなたも、すれ違った人たちも、毎日を毎日過ごしています。これまでの毎日、そしてこれからの毎日。なにがあったのかな。なにが起るのかな。なにをしようとしているのかな。…気になりません?そんなすれ違った人たちにお話を聞いて参ります。

加川大地(かがわ だいち)さん (35歳):会社員

こんにちは、本日はよろしくお願い致します。

よろしくお願い致します。

加川大地さん、お仕事はなにをされているんですか?

アニメーション業界におります。

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もう長いのですか?

はい。21のときにアニメーションの制作会社に入りまして、それからずっとこの業界におります。

すいません、私が本当にアニメのこととか知りませんで。色々教えてくださいますか?

はい、もちろんです(笑)。

ありがとうございます。さて、やはり小さな頃からアニメがお好きだったんですか?

そうですね。アニメも好きだったんですけど、特撮も好きだったんです。それで確か私が9歳のときに、宮崎勤の事件があったんです。あのくらいの頃から世の中のアニメとか特撮に対する雰囲気が変わって来たのを、幼ながらに覚えております。いわゆる「オタク」というキーワードが広まって来たころですね。それで小学校高学年になると、みんなアニメとか特撮とかから卒業していくんですけど、私と何人かの友達は全然卒業出来なくて。宮崎事件以降でしたので、ちょっとそんな目で見られ始めていたことを覚えています。

加川さん、ご出身はどちらなのですか?

千葉県の市川市です。

市川は東京の隣ですよね。何回か行ったことがありますが、都会のイメージがあります。あ、確かサイゼリヤが…

そうです、本八幡店がサイゼリヤの1号店なんです。ですので地元民はそれをかなり自慢しています。「サイゼリヤは俺たちから始まった」って。

(笑)。

さらに全国展開される前の味も覚えてまして、市川市民は「今は味が落ちた」って言っています。

いいですねぇ、市川市民。とても可愛いと思います!さてそんなピッツァを食べながら、どんなマンガとかアニメが好きだったのですか?

その頃は特撮の方にハマっていたんです。仮面ライダーBLACKとか。昭和ライダーの最後の作品なんですよ。あとそこから昔のウルトラマンにもハマって。で、もちろんアニメも好きで、そのまま中学生までずっとって感じです。

でもみんながアニメとかを卒業していく中、「あれ?俺は卒業出来ない。他の人と違うのかな」なんて思いました?

すごく思いました。小学校のときはあまり考えなかったんですけど、中学に入って、いろんな小学校から生徒が来て友人関係が広がったときに、その子たちがほとんど特撮とかアニメとか観ていなかったんです。それで小学校時代からのそっち系の友達と「あれ?俺たちおかしいのかな?」って。「まだ特撮モノ観てんの?」って言われますし。日曜の朝早く起きて観るなんて、子供のすることだと。週刊ジャンプはありだったんですけどね(笑)。

その頃は何ライダーだったんですか?

ちょうど仮面ライダー・シリーズが一旦終わっていたんです。それでやっていたのが新しいメタルヒーロー・シリーズ。

え?メタルヒーロー?

ギャバンとかシャリバンとか、宇宙刑事です。そして平成になってから新しくなってレスキューポリスシリーズというのが始まりました。つまり、今までは銀河の刑事だったのですが、今度は地球のいわゆる警察機関にいて、人々をレスキューする人たちのシリーズなんです。

へぇ~。今めちゃくちゃハツラツと喋ってますね(笑)。

すいません、好きなもんで(笑)。

レスキューポリスシリーズなんてまったく知りませんでした。

知らない方が普通です。後で私も知ったんですが、特撮史的には全然人気が無かった時期で、昔のウルトラマンとか観ていた人も「今の特撮は面白くない。子供が観るもの」って感じだったようなんです。でも私にとってはここがメインなんです。

中学になっても日曜に早起きしている加川さんに、ご両親はなにか言いませんでしたか?

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もちろん言っていました。特に母親は冷たい目をしていました。「あなたはオタクね」って。

じゃあ完全帰宅部と。

はい。家帰って、ゲーム、アニメ、そして特撮です。

完璧な三冠王ですね。でも宮崎事件以降ですか?お母さんもオタクっていう言葉を使い始めたりしたのは。

はい。この業界に入って、年上の人がよく言っているのは、やはり宮崎事件以降は雰囲気がガラッと変わったと。当時持っていたマンガを親に燃やされた知り合いもおりますし、小さかった私ですら、いきなり「ゲームオタクね」ってレッテル貼られたり。親戚からもチクチク言われたりして、「ああ~良くないことなんだなぁ」なんて思っていました。

じゃあ失礼ですけど、当時はクラスで浮いてました?気持ち悪い~とか。

そうですね、世間的には「オタク=気持ち悪い」の時代でしたので。でも私たちは「まぁ~いいや。好きなんだから」って。好きなことやめたら、部活に入れるのかといったらそれも出来ないし。「女の子と遊ぼう…なんて発想もやめよう。無理だから。いいよ、いいんだよ、俺たちは好きなことするの~」って二、三人でずっと遊んでいたんです。

わ、かっけー!!

でもいじめられるのは嫌だったんで、積極的に人と話すことを気にかけてはいました。千葉なんでヤンキーも多かったのですが、彼らもゲームはするじゃないですか。だからそこは得意分野なんで、一緒に夜中にゲーセン行ったり、ゲームのこと教えてあげたりしてくっついてましたね。

高校はどうでしたか?

公立の普通校に行ったのですが、何もなかったです。特にオタクっぽい子もいませんでしたし。相変わらず小学校時代からの友達と遊んでいました。彼らとは今でも付き合いがあります。

結束力強いですね!じゃあ、また帰宅部で?

でもずっとバイトしてました。

何をやっていたんですか?

地元にジャズバーがありまして…

わ、いきなりオシャレ!特撮とは程遠い!

元々音楽も好きだったんです。

どんなのが好きだったのですか?

電気グルーヴ世代でして。

おお!

姉が音楽好きだったんです。ユニコーン好きで。で、彼女は横浜でやっていた高校生のバンド大会、ホットウェーブとかに参加していたんです。

ホットウェーブ!ありました、ありました、懐かしいですね!

はい、いんぐりもんぐりが出た大会です。のちのイングリーズですね。

イングリーズ!!やばいですねぇ~!!

そんな姉の影響もあって、電気グルーヴが好きになって、テクノにもハマったんです。

ゲーム、アニメ、特撮、これにテクノが入ると、まさに電気グルーヴ世代って感じになりますね。でもテクノバーじゃなくて、ジャズバーですよね。

まー、音学系のバイトしたかったんで。母親がそのジャズバーのマスターと知り合いだったので、そこでウェイターとかやっていました。実は市川ってジャズの街だったんです。何軒かジャズバーがあったんですよ。

サイゼリヤだけじゃないと。ジャズの世界はどうでしたか?

そこで初めて音楽にもアンダーグラウンドな世界があることを知りました。そのころの音楽業界ってCD出したらイケイケで行けちゃうってイメージがあったんですけど、インディーで作品出したり、仕事しながらバンドやってたりする人がいるんだって。それもジャズ、しかも結構年配の方もいたり…。好きなことやってるんだなぁ、こういう音楽活動もあるんだなぁって。結構衝撃でした。

ではそろそろ進路を考える時期がやって来ました。趣味だったアニメを職にするぞ!って決めたきっかけは?

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ジャズバーのバイトから音楽のエンジニアとかもやりたいなって悩んでいたんですが、当時『カウボーイビバップ』というアニメが始まったんです。現在売れている菅野よう子さんが音楽を…

すいません、菅野よう子さん知りません。

あの…菅野よう子さんっていう一般的にもめちゃくちゃ有名になった人なんですけど…

すいません、一般的なことも知らなくて。

いえいえ、当時は全然知られていませんでしたから。その菅野よう子さんが『マクロスプラス』っていうアニメのOVAを…

すいません、OVAって。

オリジナル・ビデオ・アニメーションです。OAVって言ったりもするんですけど。

なんですか、OAVは?

オリジナル・アニメーション・ビデオです。

同じなんですね。

はい。その菅野さんが『マクロスプラス』の音楽を担当していまして、その音楽も素晴らしいけど、テクノとかクラブ・ミュージックにも目線が行ったアニメだったんですね。これはすごいなぁ~と思っていたら、その監督と菅野さんがまた新しいアニメを作ると。それが『カウボーイビバップ』でして、宇宙の賞金稼ぎ…って内容なのですが、その音楽のメインがジャズだったんです。

あ、それでビバップ。

はい。音楽とアニメが完全に一緒になっていたんです。「あーこれだ!」と。本当にこれが私のやりたいことだと思い、それで御茶ノ水にあったアニメの専門学校に行ったんです。自宅から総武線一本で行けるし、なんたって秋葉原が近い!最高のロケーションでした。

でしょうねぇ!で、気になるところなんですけど、中学校にも高校にもオタク的な人はいませんでした。しかし専門学校にはたくさん。もしかしたら全員がそうだと。

はい(笑)。それを初めて味わったんです。「やべえ!全員オタクだ!全員と話が通じる!」って(笑)。あとかなり年上の方もいたので、上の世代のオタクと初めて交流したのも刺激的でした。

でもアニメが全員にベースとしてあると、そこから更に濃ゆい友達を見つけるのって大変じゃないですか?どんな人と仲良くなるんでしょう?

もちろん性格もあるのですが、アニメ以外の趣味とかですね。これって社会人になってからも同じなんですけど、みんなベーシックがアニメ。知識の差はありますが、それはお互い補っていけばいいことで。

はい(笑)。

ではアニメの上にどんな趣味があるか、何をしているかと。ゲームが好き、音楽が好き、料理が好き、自転車が好き、みなさんやはりいろいろあるんです。そういうことで、話が面白かったり、ウマが合う友達が出来ました。

ちなみに何科に行ったんですか?

監督とか演出家になりたかったので、総合科に行きました。

ちょっと気になるのは声優科です。ありましたか?

はい。アーとかウーとかレッスンしているのはいつも見かけていました。交流はまったくありませんでしたが…。当時、エヴァンゲリオンが終わって、第三次声優ブームの頃だったんです。だから声優さんになりたい学生はたくさんいましたね。

あのう…声優さんって何になりたいんですか?すいません、変な質問で。なんか最近は生身でライヴとかもやってるじゃないですか。声優さんがよく分かりません。

エヴァンゲリオン辺りから始まった第三次声優ブーム以降から、アイドル化に拍車が掛かるんです。林原めぐみさんとか…

将棋の人はなんでしたっけ?

林葉直子ですね。その林原めぐみさんとか有名な声優さんが曲を出したら、オリコンで10位以内に入ったりするようになったんです。演技するというより「声優=アーティスト」みたいな感じに変わって来たんですね。

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私も息子とキュウリュウジャー観ていたんですが、悪者のキャンデリラちゃんが可愛くて。あの子も声優さんなんですってね。

そうなんです。でもちょうど過渡期に入って来ていて、今はそれがもっともっとブーストされて、もう完全にアイドル的な存在になっています。例えば駅伝。

駅伝?箱根駅伝ですか?

はい。あの箱根駅伝前にガイドブックみたいのが出るじゃないですか。あの出場選手プロフィールの「好きな芸能人」のところにバンバン声優さん上がってるんです。堀江由衣さんとか。すごいですよ。

加川さん、駅伝マニアなんですか?

いえ、これは豆知識です(笑)。でも柏原くんとか…

東洋大の新「山の神」!

ええ。彼もオタクですからね。だからオタクの子が駅伝で柏原くんを応援してたんですよ。

じゃあ、いやらしい話、そんなに声優としての力は無いけど、人気はあるからアイツ使おうとか?

そんなことないですよ(笑)。みなさん役者ですから、演技が上手くないと人気は出ないですし。でもアニメーションの企画を始めるときに、どの声優さんを使うか?というのは重要ですね。キャラクターに合っているかというのがもちろん最重要点ですが、人気声優さんならお客さんも集められますし。特に今すごいのが、乙女系といわれる女の子向けのアニメなんです。ゲームから始まったイケメンがたくさん出るアニメなんですけど、そのイケメンたちの声を誰がやるのか?は凄く重要です。人気のイケメン声優さんがガッチリいまして、今はむしろ男性声優さんの方がアイドル的人気が凄いんです。宮野真守さんっていう声優さんがいるんですが、武道館2デイズとかやってますし。

凄いなぁ~!イングリーズもびっくりですね。でも声優が先なのか、アイドルっぽいのが先なのか、分からなくなってきました。

いや、やはり声ありきです。声も良くて顔もいい。そして演技も出来なくてはならない。かつ声優さんの流れの中でフリートーク…ラジオですね。そこも強くなくてはならないんです。面白いことも話せなきゃならない。何条件も求められているんです。だから普通のアイドルとか俳優とかよりも厳しい世界だと思います。

福山雅治が声優出来なきゃいけない感じ?あの人ラジオは出来ますもんね。

そうです、そうです。

では学校を卒業されて、すんなり就職出来たんですか?

卒業制作のときに、アニメの制作会社の方が来て講師をされていたんです。その方が『カウボーイビバップ』のプロデューサーだった人が独立して、会社を起こしたと教えてくれたんです。私にとって『カウボーイビバップ』がきっかけだったんで、もうそこしかないと。それで紹介してもらったんですが、学校側は「そんな新しい会社には入れられない。まだ実績もないし、忙しいだけで潰されるぞ」と。でも潰されてもいい、関係ないって入ったんです。

潰されましたか?

いやいや・・・むしろ本当にお世話になりました。勝手に6年で自分の心が折れました(笑)。

あはは!どんな風に折れちゃったんですか?

いや、まぁ、とにかく忙しかったんです。聞いてはいたんですけど、やはり家にも帰れなくて。最初は制作進行っていわゆるADみたいなのをやるんです。

えっと、すいません、アニメ業界に入ると、大体最初はその仕事なんですか?

いえ、アニメーター志望の人は違います。その人たちは動画を何枚も何枚も書いていくんですね。一枚数百円とかでやっていくんですよ。

え?出来高制?バイトみたいな感じなのですか?

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会社に就職する人もいますが、ほとんどがフリーです。だからみんな最初はたくさん枚数が描けないので、初任給5万円とかになっちゃう人もいます。

マジすか?

だから今こんなにアニメは人気があるのに、アニメーターの数は相変わらず不足しているんです。ネットだと辛い現場なことは話題にもなっていますし。なかなか難しい構造なんだと思います。

加川さんはアニメーター側ではないんですよね?

はい、アニメーション制作会社の制作の下っ端として入りました。

どんな1日なのですか?

とにかく帰れません。ほとんど休みもなかったし。まあ私の要領が悪かったことも大きいですが(笑)。最初はいきなり劇場版のスタッフになったのですが、規模もデカくて。私は動画の管理担当だったのですが、ものすごい物量で本当に大変でした。アニメはたくさんの人が絵を描いてるんです。劇場版となればその人数は本当にすごい数で。動画の会社もありますが、自宅で作業しているフリーの動画さんもいるので、その方全員に電話連絡して、夜中に車でその人たちの描いた絵を回収しに行ってました。

え、データで送信!とかじゃないんですか?

データはまだありませんでした(笑)。

どの辺まで行くんですか?

でも杉並、練馬、遠くても埼玉ぐらいでしょうか。でも私の事情は関係ないので、出来上がった方から回収に行ってました。

じゃあ道も分かって来ちゃって。

そうですね。タクシーの運転手さんよりも詳しくなるし、ラーメン屋も覚えたり(笑)。

すいません、イマイチ制作進行というお仕事が把握出来ていません。もう少々教えて頂けますか?

はい。劇場版の後に今度はテレビをやったんですが、劇場版はほとんど先輩の手伝いという感じだったので、テレビ一話分を一人で担当することで、初めて制作進行としては一本立ちという感じになります。で、先ほど言った車でグルグルは、制作行程のほんの一部であって、その他の工程もいっぱいあります。アニメってとにかくそれに関わる人間が多いんです。しかもほとんどが外注なんです。原画描いた後それをチェック。背景を描く人がまた別にいてその人にもお願いして。さらに原画が上がったらチェックして、それを動画さんに割ってもらって、仕上げさんに色をつけてもらって。今度は撮影に渡して背景と一緒にガッチャンコしたら、フィルムにして、それを編集して、声優さんに声を入れてもらって、音楽も入れて…そういった一話数全てのスケジュールを管理するのが制作進行の仕事なんです。

クラクラしますね。私には絶対無理です。ちなみにこの作業…例えば30分番組だったら、どれくらいで完成するものなのですか?

私がいた当時は三ヶ月なら時間があると。でも大体二ヶ月くらいでしたね。

ちなみに監督とか偉い人から、途中でダメ出しとかあるんですか?

それが無いように全行程の間に監督、演出、作画監督のチェックを逐一入れていくんです。

うわー…。コレって楽しいすか?

うーん。仕事自体は辛いことのほうが多かったですね(笑)。でもフィルムが出来上がったときの喜びのために頑張ってました。あとは人間関係ですね。当時私のいた会社って常駐のアニメーターの方が多くいたんですね。スタジオでは彼らとずっと一緒にいるんですけど、仕事の合間でダラダラ喋ったりして仲良くなったり。業界の大先輩の方がほとんどだったので、可愛がってもらえたり、色んな事も教えてもらいました。それは楽しかったですし、今でも自分の財産ですね。

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そのあと転職されるのですか?

はい、最後に『交響詩篇エウレカセブン』という…

はい?

『エウレカセブン』

エウデカ?

いえ、『エウレカセブン』です。

すいません、今、イライラされてます?

大丈夫です(笑)。『交響詩篇エウレカセブン』という作品を担当することになりまして。当時は制作進行とは別の設定制作という立場になっていたんです。で、このアニメのテーマが音楽、それもテクノだったんです。6年目にしてやっと私のやりたかった作品が来たと。そのときに佐藤大さんっていう脚本家がシリーズ構成でいて、更に彼はフロッグマン・レコーズというテクノ・レーベルもやっていた人だったんです。私は中学の頃から彼の文章を読んでいましたし、彼はアニメとテクノとゲームをミックスした仕事を当時からたくさんしていたんですね。佐藤大さんとも仕事が出来るし、テーマもテクノでしたので、とても大変な作業でしたが、なんとか一年の放送をやり遂げました。でもさすがに仕事を6年やってきて疲れていましたし、好きな作品にも関われた。あといろんな人にも迷惑をかけてしまったので、もうこれで終わりにしようと。それで辞めました。6年目で折れました(笑)。

そのあとはどうしようと思っていたのですか?

音楽は好きでしたので、タワーレコードとか行けたらいいなって思ってました。

あ、もうアニメ業界に未練はなかったんですね。でも今も業界にいらっしゃる。

はい。実はそのあと、その佐藤大さんの事務所が人を探していると。で、一回話をしたときに、「このあとどうするの?」って聞かれて、「タワーレコードに行きたいと思っています」と答えましたら、「タワレコの店員やるなら僕らの仕事手伝ってよ」となりまして。それで入社したんです。

現在はどんな業務をされているのですか?

基本的にはライターズオフィスの制作ですね。社長である佐藤大のマネージメントや脚本チームのアシスタントとマネージメント業務を主にしています。関わる作品はアニメに限らず、ゲームや実写もやりますね。あ、他にも企画の立ち上げの企画書とかも作ったりすることもあります。

しかし、オタクと言われ始めた中学時代から状況は変わりましたね?

そうですね。なんか居心地が悪い感じがします。こんなにアニメが社会的にマジョリティ化するとは思ってもみなかったので。元々社会から虐げられていたものだし、まさかそれで就職なんて「あいつは結局大人になれていねぇ」とか言われたりもしたし。そんなこと言われても好きだからやって来ただけなんですけど、今や国策でガンガンアニメを押している現状があるわけで。こんな状況になるとは本当に思ってもみなかったです。

なるほどねぇ。メタルヒーロー時代のお母さんが未来を知ったらビックリしていることでしょうね。さて私生活はいかがですか?薬指にキラリと光るものを私は見ていますよ。

はい。一年半年前に結婚しました。

奥さまとの出会いは?

幼なじみなんです。保育園からの…

やっほう!すげえ!!

学生時代はそこまで接点は無かったんですけど、地元の友達で集まって飲んでるときに彼女も来ていまして。そこから始まりました。

奥さまの親御さんは、加川さんのお仕事について何か言われましたか?

いや、私もそこがちょっと気になっていたんです。アニメなんてイメージ悪いかなって。でもそれがあまり無く「好きなことをお仕事に出来ていいね」って言ってもらえて。その辺からもやはり状況は変わったんだなって強く感じました。とはいえ、安定した職業ではないので、心配はかけていると思いますが・・・。

好きなことが仕事になりましたが、今でもアニメはお好きですか?

昔に比べれば確実に観る数は減りました。ゲームは増えているんですけど(笑)。でもやはり好きですね。アニメが好きっていうより、仕事になって、人間関係が透けて見えるようになって、この業界がいいなって思います。お金は儲からないけど、やりたいって人がたくさんいますし、その人たちがいるからこそ成立している。そんな世界が本当に好きですね。

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