男性優位のムエタイ界で歴史を切り拓いた女子選手たち

長年、女性のリング立ち入りを禁止してきたムエタイ。しかし今年9月、史上初の女子試合が行われた。
Muay Thai
9月18日、バンコクで試合を行なったニラワン・タンジュー(左)とタナワン・ソンドゥワン(右)。PHOTO COURTESY OF LUMPINEE GO SPORT

1956年に開設して以来、タイの国技ムエタイの聖地となったルンピニースタジアム。しかし、このバンコクの会場は、月経が聖なる場所を〈汚す〉恐れがあるという根強い迷信のために、女子選手の出場だけでなく、彼女たちがリングに触れることすら禁じてきた。

リングを取り囲む看板には、こう明記されている。「女性はステージに手を触れないでください」

しかし9月18日の夜、ふたりのムエタイ女子選手が史上初めてルンピニースタジアムでチャンピオンの座を奪い合い、10年間の慣習に終止符を打ち、女性の選手志願者への道を切り拓いた。

パンデミック下で何度も延期され、期待が高まる中ようやく開催に漕ぎ着けたこの試合は、国内のムエタイコミュニティから大きな関心を集めた。しかし、感染防止対策のためメディアの来場は禁止され、無観客で行われた。

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政府は空調管理されていても屋内での試合を禁止しているため、ルンピニーの敷地内に仮説の屋外スタジアムが設置された。クルーの数も制限された。

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ルンピニースタジアムのリングを囲む看板。PHOTO COURTESY OF MELISSA RAY

観戦者は、高校生のニラワン・タンジューが20歳のタナワン・ソンドゥワンに勝利するまでを、画面上で見守った。ニラワンは初動で優位に立ち、5ラウンド中2ラウンドまで一方的に攻め続けた。タナワンの反撃の試みは、ニラワンが繰り出すティープ(※ムエタイの前蹴り)や前蹴りにことごとく阻まれ、両者の距離を詰められなかった。最終ラウンド、ニラワンはパワフルな左キックでタナワンをマットへ沈める。審判がニラワンの勝利を宣言し、彼女はWBCムエタイミニフライ級王者となった。

「本当にうれしいです」と17歳のニラワンは試合後、VICE World Newsのインタビューに答えた。「うわ、本当にやったんだ、という感じ」

タイトル獲得は叶わなかったものの、タナワンはこの会場で試合ができて光栄だ、と語った。

「勝てなかったことは少し残念ですが、ルンピニー史上初の女子試合に出るチャンスをもらえてとてもうれしいし、誇らしい気持ちです」と現在大学生の彼女は試合の翌日、VICE World Newsに語った。「こんなことが起こるとは夢にも思いませんでした。試合を観にいっても、女性はステージに近寄ることすら許されない。このリングに立つことができて、心から光栄に思います」

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9月18日、バンコクで試合を行なったニラワン・タンジュー(右)とタナワン・ソンドゥワン。PHOTO COURTESY OF LUMPINEE GO SPORT

彼女たちはふたりとも、幼い頃にトレーニングを始めた。

サネジャン(Sanaejan)というリングネームで活動するニラワンは、ボクシング一家に生まれた。父親のジムでトレーニングを始めたのは、12歳のとき。彼女は3人きょうだいの2番目で、他のふたりもプロ選手だ。家族はジムで生活している。自身のジムを開く前、父親のチャムニ・タンジューはタイ東部の故郷で選手のマネジメントとトレーニングの補佐をしていた。彼は、実用的な理由から娘にムエタイを教えたという。

「そもそも娘にムエタイを教えようと思ったのは、いじめに立ち向かえるようにするためでした」と現在55歳の彼は木曜日の朝、娘が計量を終えたあとに語った。「でも、娘はムエタイが大好きになり、ポテンシャルがあっただけでなく、努力も惜しまなかった。だからアマチュアの試合に出場させることにしたんです」

「そもそも娘にムエタイを教えようと思ったのは、いじめに立ち向かえるようにするためでした」

まだ初心者だったものの、ニラワンはファーストマッチで見事勝利する。それ以降、懸命にトレーニングを積んできた。

毎朝5時半頃に起床。約1時間のランニングのあと、8時に登校するまでトレーニングを行う。放課後は30分のランニングのあと、夜8時頃まで再びトレーニング。父親によれば、これは数日の休みをのぞき、彼女が試合に出場してからの5年間、1日も欠かさず続けている日課だという。

「常に彼女の健康を保ち、試合に備えるようにしています」とチャムニは語る。

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一家の夢は、ニラワンが近い将来、オリンピックに出場することだ。ムエタイは最近、IOC(国際オリンピック委員会)に正式競技として認められた。チャムニは、娘の情熱と努力を踏まえれば、決して実現不可能な目標ではないと考えている。タイは格闘技で確固たる実績を残しており、東京オリンピックではテコンドーで金メダル1個、ボクシングで銅メダル1個を獲得した。

価値観は急速に変わりつつあるものの、チャムニが娘のトレーニングを始めたときに受けた反発は、いかにムエタイ界隈の一部の人びとが、この競技のインクルーシビティに不満を抱いているのかを物語っている。

価値観は急速に変わりつつあるものの、チャムニが娘のトレーニングを始めたときに受けた反発は、いかにムエタイ界隈の一部の人びとが、この競技のインクルーシビティに不満を抱いているのかを物語っている。

「『どうして娘を試合に出す? ケガをするかもしれない』と言ってきたひともいました。そんなひとは少数派でしたが」と彼は回想する。「男性と女性に違いはありません。女性は何にでもなれます。首相でもミュージシャンでも、男性が就ける職業なら何でも」

ムエタイ業界に足を踏み入れる女性が増え続けるなかで成長してきたニラワンも、父親に同意する。

「戦い続け、努力し続けること」と彼女は意欲的な女性選手たちにアドバイスを送る。「スタジアムは、女性選手をだんだん受け入れ始めています。この業界で女性のチャンスは増えていくはず。だから、モチベーションを失わないで」

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9月18日、タナワン・ソンドゥワンとの試合に勝利したニラワン・タンジュー(右)。PHOTO COURTESY OF LUMPINEE GO SPORT

ブアカーオ(Buakaw)というリングネームで活動するタナワンは、7歳頃にムエタイを始めた。タイ南部出身の彼女は、トレーニング1年目から試合に出場。現在はムエタイキャンプで暮らしている。

大学の授業がオンラインになったため、大学3年生の彼女は1日の大半をこの競技にあてている。朝6時に起床し、約3時間トレーニングしたあと、午後は4時から7時頃までトレーニングをする。

ムエタイは贈り物だと語るタナワンにとって、長時間の練習も苦にならない。「ムエタイは新しい人生を与えてくれた」と彼女は明言する。「鍛錬や努力すること、責任の意味を教えてくれた。私にとっては生活する手段でもあり、そのおかげで私たちはより良い暮らしができています」

〈八肢の芸術〉として知られるムエタイは、拳、ひじ、膝、すねの使い方が特徴的だ。このスポーツの起源は16世紀、アユタヤ王朝の兵士たちが鍛錬していた。タイでは長らく人気のスポーツだったが、総合格闘技が主流になるにつれ、ここ数十年で世界に広まった。

しかし、タイにおける女性とムエタイの関係は複雑だ。国内の多くのジムでは、今も女性は一番下のロープの下の這ってリングに入らなければならない。いっぽう男性は、一番上のロープを下げてそれを乗り越えるだけだ。土曜日の試合は確かに歴史的だったが、この慣習は適用された。

「かつて月経は汚らわしいものとされ、その汚れがムエタイの世界に流れ込むと一部のひとに信じられていました。時とともに、この考え方は慣習や伝統になっていきました」と語るのはタイ初の女性スポーツコメンテーターで、雑誌『Muay Champ』の編集長を長らく務めるスワンナ・スリソンクラムだ。

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「幼い頃からずっと、この考え方に疑問を抱いてきました。すごく頑固な子どもだったんです。自分の目で見なければ何も信じられなくて」と彼女はVICE World Newsに語る。「でも、大人も親も周りの人全員が同じ意見なら、反対するわけにはいきません。私はひとりぼっちでした。突然現れて、ボクシングスタジアムは男性ばかりだと主張したところで、誰が耳を傾けてくれるでしょう?」

スワンナはある逸話を思い出した。実証可能な出来事というよりも、言い伝えに近い話だ。それはある夜の最初の試合で、看護師が選手のケガを治療するためにリングに立ち入ると、その後の全試合が血まみれのテクニカルノックアウトで終わった、というものだ。このような言い伝えは枚挙にいとまがない。

それでも、今では受容が広まりつつある。会場によって禁止事項は異なるものの、女性のリングへの立ち入りや出場にまつわるルールは、多くの場所で取り消された。しかし、ルンピニースタジアムは今日に至るまで伝統を守り続けてきた

「幼い頃から、ルンピニースタジアムは歴史上重要で神聖な場所で、女性の出場は許されないと聞かされてきました」とスタンプ・フェアテックス(Stamp Fairtex)として活動するONE Championship所属のアトム級キックボクシング世界チャンピオン、ナサワン・パンソンは語る。「私はずっと、そのリングに上がる最初の選手になりたいと思っていました」 

23歳のナサワンは、彼女が競技を始めた当時の女性の試合出場に対する敬意の欠如をこう振り返る。

「私がボクシングを始めたときは、女子ボクシングはバカげた平手打ちの応酬だと思われていました。女子はパンチもキックも弱く、男子ボクシングよりつまらない、と」

「私がボクシングを始めたときは、女子ボクシングはバカげた平手打ちの応酬だと思われていました」

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STAMP FAIRTEX IN THE RING. PHOTO COURTESY OF ONE CHAMPIONSHIP

タイ陸軍が運営するルンピニースタジアムが開設したのは、1956年12月。本スタジアムは、もうひとつの有名なムエタイ会場のラジャダムナンスタジアムの10年後につくられ、タイで2番目の〈スタンダードジム〉となった。〈タイボクシング・クリエイティブ・メディア・クラブ〉代表のプラサート・ホーサムラットによれば、これらのスタジアムが開設する前は、これといった規制はほとんど存在しなかったという。

「当時の試合は、ほとんどがバンコクの外で開催されていました。アマチュアの試合で、明確なルールもありませんでした」と彼はVICE World Newsに説明する。「ギャンブルも、ムエタイにとって関わりの深い慣習でした。観客はさまざまなコミュニティ出身の選手に賭けていました」

ラジャダムナンスタジアムとルンピニースタジアムは、タイを代表する競技施設として、世界にその名を知られるようになった。現在のムエタイ選手のなかで、〈ルンピニーのムエタイチャンピオン〉というタイトルの栄誉を勝ち取れる者は、ほんのひと握りだ。

今回の史上初の女子試合が開催されたのは、ムエタイをよりインクルーシブな競技にするための長年の努力の結果であり、ラジャダムナンとルンピニーの両スタジアムで男性と戦ってきた先駆的なトランスジェンダーの選手のおかげでもある。

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2004年2月21日、バンコクにて、米国のアントニー・ディマイオ選手との試合の勝利を祝う、トランスジェンダーのムエタイ選手アピーニャ・ソー・ピュマリン(中央)。PHOTO: SAEED KHAN / AFP

「ルンピニーの開設から65年、スタジアムで女子試合が行われたことは一度もありません。一度もです。女性はステージに上がることすら許されない。それがルールであり、慣習でした」とプロモーターのシッティラット・サティーンジャルポンサはいう。「ここで女子試合を企画する機会を得たプロモーターはわたしが初めてです」

シッティラットは、女子選手をルンピニーのような世界的な舞台で戦わせることで、公平な機会を与えたかったという。その結果、彼は界隈の伝統主義者から激しい批判や反発を受けた。

「反対派のほとんどは、いわゆる古風なひとばかりです。彼らが挙げる理由は慣習や伝統だけ。そんなものに意味はあるんでしょうか?」と彼は問いかける。「女性ボクサーは世界中で受け入れられています」

「現代では男性と女性は平等です。それはタイの格闘技の世界でも同じこと」とシッティラットは付け加えた。「ムエタイは男性だけのものではありません」

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