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カール・クレイグのウチくる!? (行く、行く)

デトロイトテクノ第2世代の重要人物カール・クレイグ。今も活躍する47歳のDJ/プロデューサーが、彼のキャリアにとって、そしてデトロイトのエレクトロニックミュージック・シーンにとって、重要な地元スポットを案内してくれた。

by Michelle Lhooq; photos by Luis Nieto Dickens
17 September 2016, 9:29am

デトロイトで知っておくべきすべての人を、カール・クレイグは知っている。それを目の当たりにしたのは、2016年5月のとてつもなく暑い日の午後。身体にぴったりとフィットしたブラックシャツと、レイバンのアビエーター型サングラスを丸刈りに乗せて現れた47歳のDJ/プロデューサーの好意で、私は貴重な経験をした。彼のキャリアにとって、そしてデトロイトのエレクトロニックミュージック・シーンにとって重要なスポットを、カール・クレイグ本人が案内してくれたのだ。

デトロイトテクノ史の奥深くまで、クレイグの根は張り巡らされている。そのため彼は、車を降りるたびに友人やファンに囲まれ、にこやかに握手を交わすことになる。また、デトロイトテクノの最重要レーベルUnderground Resistanceの共同設立者マイク・バンクス(Mike Banks)とSubmerge* のオフィスで出くわすと、こっそり真剣な話もしていた。たぶん。

* マイク・バンクスが、Underground ResistanceのCDリリースレーベルとしてスタートさせ、その後はディストリビューション、レーベル、マネージメント、ショップなど、事業を拡張させた。

テクノ・ツアーのガイドに、クレイグほどの適任者はいないはずだ。デトロイトテクノのオリジネーターは、であるが、クレイグは、デトロイトテクノ第2世代の重要人物だ。相変わらず海外での活動も盛んで、サマーツアーでは、イビザやヨーロッパの都市を周り、パリのARTE Concert Festivalでは、NO BOUNDARIES名義で発表したモジュラーシンセ・アルバム『Modular Pursuits』のパフォーマンスも披露した。スヴェン・フェイト(Sven Vath)のレーベルCocoonが主宰するコンピレーションアルバムや、PET SHOP BOYS、そしてニコール・マウデイバー(Nicole Moudaber)とSKINによるコラボEPのリミックスも完成したばかりだ。

Submergeのオフィスにて

クレイグが最初に名を成したのは、もちろん故郷デトロイト。彼は今でも地元のヒーローだ。1991年に立ち上げた自身のレーベルPlanet Eからは、ケビン・サンダーソンやムーディーマン(Moodymann)など、仲間たちの楽曲をリリース。また、Detroit Electronic Music Festival(現在はMovementと呼ばれている)の発起にも重要な役割を果たした。このフェスには今でも大きく関わっており、2016年にはTHUMPの「Made In Detroit」ステージでDJセットをプレイした。

「ここではみんながお互いを、とてもよく知っているからね」。緊密に繋がるデトロイトシーンの複雑な生態系がどのように機能しているかを訊くと、柔らかいバリトンボイスでクレイグは解説してくれた。「生態系のトップにいるのはデリック(・メイ)、ケビン(・サンダーソン)、そしてホアン(・アトキンス)。もしホアンがいなかったら、デリックは今みたいに活動していないだろうし、デリックが、ケビンをホアンに紹介していなければ、ケビンだって同じだ。それに僕も、もしデリックに会っていなければ今みたいにはなってない。そうやって頂上から徐々に滴り落ちるように関係が広がったんだ」

その午後、クレイグが案内してくれたのは、Underground Resistanceの素敵なDIY精神溢れるテクノミュージアムから、MOODYMANNのスゴすぎるプリンス御殿、そしてホアン・アトキンスのレーベルMetroplexが入っている建物などなど。しかも、「なぜその場所が特別なのか」が、すぐにわかる解説付きだ。すべて重要なスポットだが、現存するものもあれば、今や失われてしまった場所もある。しかし失われた場所も、その場にいた幸運な人々によって、いつでも心の中に蘇るのだ。

1. Metroplex / Transmat(メトロプレックス / トランスマット)

初期の作品はすべてこのビルで制作した。下の階はホアン(・アトキンス)のレーベルでMetroplex。上の階はデリック(・メイ)のTransmat。デリックは、今でもここに住んでるよ。この通りを「テクノ大通り」という名前にしようと働きかけている。デリックとは、30年もそれについて話しているね。数年前、僕がデトロイト・エンターテインメント・コミッション* の委員だったときに出願したんだ。僕たちにとって、それが承認されるのが一番大事。僕は常々、人間誰しも持っているのが、「嫉妬」と「貪欲さ」だと考えている。自分たちが十分に認められていない、と感じているときは、認められている誰かがうらやましい。マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)だって、然るべき評価が得られなかったときは、そんな風に考えていただろう。

* デトロイト市議会の諮問機関。エンターテイメント、スポーツ、映画、アートなどの発展を支援する機関。

2. 90年代の黙示録 Planet Eオフィス

Planet Eがスタートしたのはこの団地だ。僕が22〜23歳の頃、当時のガールフレンドがこの建物の8階に住んでいた。建物の裏側からはカナダが見える。90年代始めだね、火が灯っていてね、『ブレードランナー(Blade Runner)』みたいだったよ。曲をつくっているときにその火が見えた。ヘリコプターがサーチライトを灯して、川を渡って国境を越える人がいないかを探していた。火は好きだよ。素晴らしい光景だった。

3. テクノクラブのパイオニア The Majestic(ザ・マジェスティック)

The Majesticは、テクノミュージシャンとして僕が初めてプレイした場所のひとつ。確か1989年か1990年。キャパは大きくて、1200人くらいの入るのかな。当時のテクノのオーディエンスに、黒人はそれほどいなかった。黒人が知ってるエレクトロニックミュージックは、CHARIVARI* とかだったからね。だけどThe Majesticには、ブレイク・バクスター(Blake Baxter)などの黒人DJが数人いたんだ。ブレイクは超ダークスキンの男で、いつもスカートを履いてたけど、ゲイではなく完全にストレートだった。ゴスの女の子がやたら好きだったんだよ。あいつは記憶に残る男だね。それにTHE BELLEVILLE THREE** のデリック、ホアン、ケビンもいたし、忘れられた4人目のメンバー、エディ・ファルクス(Eddie Fowlkes)もいた。ブレイク・バクスターはデリックとケビンの子分みたいだったね。

* 1980年に、ハイスクールパーティーからスタートしたイベント。お坊ちゃん向けのパーティーだった。

** デトロイトテクノのパイオニアであるホアン・アトキンス(Juan Atkins)と、ケビン・サンダーソン(Kevin Saunderson)、そしてデリック・メイ(Derrick May)。

4. Submerge(サブマージ)

ドラマ『シリコンバレー』は観たことある? Submergeは、それに出てくるインキュベータ* みたいなものだ。Underground Resistanceのマイク・バンクスが所有するビルの中に、スタジオを持たせてくれるシステムがあった。その判断は「本気かどうか」で決まる。マイクは本気じゃないヤツらを嫌がった。Submergeは、一時期レコードのディストリビューションも請け負っていて、90年代には、レコードを制作するほぼすべてのアーティストが、Submergeと契約していた。430 WestやHappy Records、そういうレーベルの活動が軌道に乗るために、重要な役割をSubmergeは担っていたんだ。当時はレーベルもたくさんレコードをつくっていたしね。

* 起業、もしくは、既存事業者の新規事業を含む支援事業者。

5. Chene Park Amphitheater(シェイン・パーク・アンフィシアター)

川に浮かんでいるようなこの劇場は、客席が階段式になっている。デリック・メイが、デトロイト交響楽団とパフォーマンスしたのがここだ。僕もConcert of Colors* で何回かプレイしたよ。Concert of Colorsは、アフリカやレバノンなど、世界各地の音楽の祭典だ。このシェイン・パークは、70年代の終わりか80年代の頭からあるんだけど、この場所がクールなのは、まずカナダが見える。そしてボートに乗って、川側から観覧する人たちがいる。THE GAP BANDがここで演奏したときには、観客全員が、正装した売春の客引きか、ペテン師だった。ヤバかったよ。

* 1993年にスタートしたミュージックフェスティバル。

6. 80年代、テールゲート・パーティが開かれたストリート

80年代は、ここでパーティが開催されていた。夏の金曜、土曜は、ハート・プラザからベル・アイルまで車だらけになる。ベル・アイルに着いたら、トランクを開けて音楽を鳴らす。踊る女の子たちもいれば、うろうろしたり、タバコを吸ったりする男たちがいた。すごいエネルギーが溢れていたよ。まさしくテールゲート・パーティ* みたいだった。こんなパーティが、デトロイトの音楽シーンには、かなり重要だったんだ。だって他人が流しているカセットテープが聴けるんだから。P-Funk、KRAFTWERK、B-52’s、CYBOTRONなど、当時のホットな音楽がいろいろ聴けた。特にまだ若くて、クラブに入れない連中にとっては最高だったね。

* 車のトランクを開けてBBQなどを行うパーティ。

7. FMラジオ曲WGPRとエレクトリファイン・モジョ

多大な影響を与えたラジオDJ、エレクトリファイン・モジョ(The Electrifying Mojo)がホットな音楽をWGPRでかけると、毎日やってるような昼の別番組もそれに追随する。もしモジョが曲をかけてくれたら、そいつは認められたってわけ。たくさんの人がWGPRの前を通って、テールゲート・パーティに向かっていたよ。「家にいるならライトをつけろ、イースト・ジェファーソン通りにいるならクラクションを鳴らせ」ってモジョがよくわめいてたね。そうするとクラクションが聞こえてくるんだ。最高でしょ。彼は街のエネルギーを司っていたんだ。10年間以上もね。

8. 現在のPlanet Eオフィス

ここは10年前から所有していたんだけど、最近、Planet Eのオフィスをこの場所に移したんだ。レーベルは25年目になる。約30平方メートルのビルも持っていて、そこはマイクとケビンのところからも近かったんだけど、好きじゃなかったから処分したんだ。今は、新しいディストリビューション取引を扱ったり、「Versus」プロジェクトの交響曲アルバムを完成させたところ。僕のレーベルと、フランスのレーベルInfinitiとのコラボレーションだ。現在、進めているプロジェクトでは、それが一番大きなリリースになる。フランチェスコ・トリスターノ(Francesco Tristano)とモーリッツ・フォン・オズワルド(Moritz von Oswald)が参加している。