「hole on black」2018

〈GOLD or JUST A STONE〉04.架空の体とリアルな表現ー片山真理ー

義足を選択した自分。私の体だと自覚できない自分。なぜか、コスプレし、今の私ではない私を写真におさめてしまう自分。自分の体を容認したり、拒絶したり、その狭間で揺れ動く理解できない感情を表現し続けてきたアーティスト。片山真理が現実と虚構の狭間で葛藤し、生まざるを得なかった作品について、そして、日常の生活の変化によって、生まれた新たな感情について聞いた。『EXTRA VICE』〈GOLD or JUST A STONE〉企画、最終回は、アーティスト、片山真理のインタビュー。

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04 May 2019, 3:00am

「hole on black」2018

インターネットやマッキントッシュ、スマートフォンなど、様々な科学技術の開発と呼応するように、新たなカルチャーが生まれ、新たな価値観が築かれてきた昨今。その真価が問われるのは、数年、あるいは数十年後の評価でしかない。
2020年、東京で開催されるオリンピックに向けて、どこもかしこも工事中。一足早く完成した豊洲市場、東京都で施行された受動喫煙防止条例など。古いものから新しいものへ、汚いだろうものを排除し、ますますクリーンな外装だけができあがっていく。
同時に、社会の監視と規制が強まるなかで、それならそれで、と軽やかに社会の闇をも受け入れ、自身の表現としてさらけ出す、若き心を持った人々を取材した。
金だろうが、ただの石ころだろうが、自分自身のジャンルのない道を進むものたちの心の声を聞いた。

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「I'm wearing little high heels」2011
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「I have child's feet」2011

群馬県にある片山真理の自宅へお邪魔すると、デトロイト・テクノのDVDが流れていた。作品で何かに扮したコスプレ姿とは、異なる印象の女性が出迎えてくれた。彼女が向き合ってきた〈普通の生活〉と〈世の中の普通の生活〉とのギャップについて、そして作品について聞いてきた。

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「my legg's #001」2012

表現をするきっかけが、幼少期の縫い物っておっしゃってましたよね?

絵も好きだったけど、お裁縫ですかね。補装具をすると着れる子供服が全然なくて。だから、母が、私の着る服を、お直しして作ってくれていたんです。母の影響が大きかったです。

着れるものがないなら、作っちゃえってことですね。

子供のころは、ビーズとか針と糸を、いじってるのが楽しかったけど、中学高校になると漫画や絵を描いたりしていたんです。16歳のときにスタイリストの島田さんが、ファッションショーのモデルをやってくれないかって連絡をくれて。そのとき、自分でホームページを作って、描いた絵やセルフポートレートも載せていたんですが、それを島田さんが見て、義足に絵を描いたらいいんじゃないって言ってくれて、それがきっかけで義足に絵を描くようになりました。

タトゥーみたいですよね。

義足に何を描こうか古本屋に入ったら、目に留まったのが『タトゥー・バースト』で(笑)。また、洋服もすごく好きで、ファッションの道にも興味があったんですが、ただ、明らかにセンスがないなって自覚してたんです。大人になってから、より自覚したんですけど、自分のことを見えてないというか、身の丈を知らないというか、洋服を自分で選べないんです。サイズ感もそうだし、色もそうだし。でも、ファッションは好きなんですけど、自分が洋服を着るとなると向いてないって自覚があるんです。

この洋服を着たら、自分がこうなるだろうっていう想像が一致しないってことですかね?それでファッションではなくアートの道に進むんですね。

そうですね。義足に絵を描くようになって、アートのコンクールに出すようになったんです。そしたら評価していただいて、それで美術の世界に入ったんです。

簡単なことのように軽く話ますけど、その作品に魅力がないと評価されないですよね(笑)。

今でも、いろんな人と関わったりしても、自分と他人とは、何が違うんだろうって、いつも思うんですけど、意外とアーティストって普通でいいんじゃないかなって。もちろん、予言的なことや活動家みたいな部分も役目かもしれないけど、私は〈受動態〉っていうか、受け身で良いんだと思うんですよね。起きたことをどう受け止めて、その結果が作品になるって気がしているというか。

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「you're mine #002」2014

なるほど。では、作品の話を具体的に聞いていきたいのですが、ここで紹介する作品は、自分で作った裁縫や義足に描いたオブジェを用いながら、自分が被写体になり、なおかつ写真も撮っていて、片山さんの世界を融合させたインスタレーションに近い表現ですよね。その表現方法も新しいですよね。

あんまりいないですね。ただ、すごい写真が上手いとか、何か秀でてるものがないからだとも思うんですよ。

上手くなりすぎたら、今とはまた別のものになるんじゃないですか?もしかしたら、何も感情が伝わらないかもしれないですよ。グロさだったり、不均質だったり、そういう部分が感じられないと、ただの広告表現になってしまいますよね。

確かに技術があったら、今の作品はつまんないんだろうな。この上の写真も私のひいおばあちゃんの部屋で、そこにあるものでセッティングして自然光で撮ってるんですが、これをスタジオで撮ったら、こうはならなかったと思う。

また、とても綺麗にメイクしてますが、太もものアザが残っているのが、すごく気になって。写っている片山さん自身もマネキンっぽいし、世界観すべてが作り込まれた虚構の世界ですが、アザだけが人間っぽいっていうか、片山さん自身の生々しさが残っていて、ドキッとしたんです。そこに、今の自分がこの世界にちゃんと存在しているみたいな意思を、個人的に感じたんです。

以前、モデルの仕事で写真を撮ってもらったことがあって、そのときに、現場にいた人が必死になって足の傷をファンデーションで全部隠してて、「なんで?」ってすっごいショックだったんです。世の中が、傷とか、シミとか、シワがない完璧な美しさを求めてるからこそ、そこがキラキラしてるように見えるんじゃないかって。そこに対してのメッセージは強いですね。

今の話もそうですし、さっきの洋服が似合う似合わないの話もそうですけど、片山さんは、どこかで自身の体が、自分の体のようで、自分の体ではない、道具的な感覚もあるのですか?

そうなんですよ。それは障がいがある/なしじゃなくて、普通に自分の存在っていうのが、なんかフワフワしてるのかなと。

また、作品では片山さんが、いろんな女性になってますよね。きっと自分の体で、この職業をしたら、こんなファッションを着たら、どうなんだろうって、子供のころ夢想していたものをアウトプットしているのかなって。分析みたいですみません(笑)。

(笑)。でも、その通りなんです。私小学校の夢とかで100個くらい、あれになりたい、これになりたいって書いてて、女優とか英会話の先生、靴屋さん、花屋さん、、、で最後大統領とか(笑)。今ふと思い出したけど、将来の夢を書いてたとき、私まだ足があって、この自分で何ができるんだろうって、本当にリアルな夢ではなくて、空想の夢を書いていたんですよ。そこには、足がない状態の私は全く想像つかなくて、だから全部の記憶が足があったころとか、足がない自分の目線じゃないんですよ。どっかでそれを見てるだれか、みたいな。

自分の体でないように扱ってるのに、どっかで自分の痕跡を残してて、自分の体をリアルに受け止めている部分と、どっか他人事のように捉えてしまう自分と、その狭間で揺れてるのかなって、作品を見てて勝手に想像しちゃって。そもそも、自分の体を使って表現しようと思ったきっかけってなんだったんですか?

それはね、ある種今踏みきろうとしてるのかも。

どういうことですか?

この前、都写美で小さい作品を出したんですけど、その写真が私のマタニティーのヌードだったんですよ。それを撮ったあとに「なんで、まりちゃんヌード撮ろうと思ったの?」って周りの人から言われて「えっ、私ヌード撮ったの」「確かに脱いでるー」みたいな感じで。そのときは、洋服が邪魔で、いろんなものを削ぎ落としていったら、ヌードになっちゃっただけなんですよね。世界観を作り込んでいるから、顔も体も確かに私なんだけど、自分だと思えないところもあって、写真に写った人を見て、この人すごいねーみたいな感覚だったんです。このときの写真も、ヌードだしそぎ落としてるから、少し自分の体と向き合うようになったんだと思うんですが、下のバストアップの写真は、より自分の体と向き合うようになってからの写真です。

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「cannot turn the clock back #001」2017

この写真だけ写真集『GIFT』の作品のなかでも、ちょっと異質です。割と素っぽいですもんね。

そうそう。出産直後にオブジェも作って撮影したんです。ただ、もう今までみたいな作品は作れないんだなって認識したっていうか、わかっちゃったんです。それで、何ができるかってやってみたら、これができて、テイストは似てるかもしれないけど、自分のなかでは明らかに違う。

今、自分自身の体と向き合いはじめて、それが表現にも、少しずつ現れてきたってことですね。

昔から、私は普通の人生を送っているつもりなんですけど、なかなか馴染めないっていうのは実感としてあって、普通の暮らしができないって感じるのは、なんでだろうって疑問はずっと持ってはいたんです。それが、娘が産まれて、娘を見ていると「足がある」って、ふと思うんです。私も昔はあったけど、すっかり忘れちゃうような古い記憶で、足があると、足の間の感覚とかもあるんだ、とか、バランスを取るときに、足の指に力が入るんだ、とか見てると、それがない状態で見る世界と、ある状態で見る世界は、明らかに違うっていうのが納得できて。やっぱり違うよねって、娘と暮らしてると感じられて、自分にとって本当に普通のことが、普通の人にとっては普通じゃないのかもしれないって思うと、そこから掘っていくことも面白いのかもしれないって、最近考え方が変わってきて。自分のことを、もっと客観的にみて考えてもいいのかなって思うようになってきたんです。

では、このシリーズにも区切りがついた感覚があるんですね。

やっと抜けられたって感じです。毎回、これで終わりにしようと思っても作っちゃったりしてるんで、なんとも言えないですけどね。でも、ー区切りついたとは思います。

子供の出産と育児が、かなり大きかったんですね。

それが人の営みなんだなって、3人で暮らしててそう思います。だから、これから新しい違う作品ができる気がしています。

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こちらの記事は、2019年4月19日、約2年ぶりとなるフリーマガジン『EXTRA VICE』に掲載。今号は〈GOLD or JUST A STONE〉をタイトルに、〈ユースフルなマインド〉をテーマにした1冊。移りゆく社会に呼応するように、新たな価値観で生きる人々をクローズアップ。 通常のVICE MAGAZINE同様に、書店、レコードショップ、アートギャラリー、ホテル、そして今号で特集している全国のフレッドペリーのショップでも配布している。