「〈正しい性〉と〈エロい性〉のあいだでの葛藤はあります。エロいもの、気持ち良いものは、罪悪感や背徳感、禁断感があったほうが絶対燃えるんです」

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女性とは〈コスプレ〉でしかない

「〈正しい性〉と〈エロい性〉のあいだでの葛藤はあります。エロいもの、気持ち良いものは、罪悪感や背徳感、禁断感があったほうが絶対燃えるんです」

女性の社会的地位、格差についての議論が増えるのと同時に、〈女性が働きやすい職場〉〈女性が輝ける社会〉〈女性がつくる未来〉を目指し、女性を応援する制度や価値観を生みだそうとする動きが社会全体に広がっている。だが、ここでいう〈女性〉とは、果たしてどんな女性なのか。女性に関する問題について真剣に考えている女性、考えていない女性、そんなのどうでもいい女性、それどころじゃない女性、自分にとって都合のいい現状にただあぐらをかいている女性。世の中にはいろんな女性がいるのに、〈女性〉とひとくくりにされたまま、「女性はこうあるべきだ」「女性ガンバレ」と応援されてもピンとこない。

「いろんな女性がいるんだから、〈女性〉とひとくくりにしないでください!」と社会に主張する気は全くないし、そんなことを訴えても何にもならない。それよりも、まず、当事者である私たち女性ひとりひとりが「私にとって〈女性〉とは何なのか」本人独自の考えを持つべきではないのか。女性が100人いたら、100通りの答えを知りたい。

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美奈(30代)

「〈女性〉とは」と考えたことはありますか?

結構ありますよ。世の中の色々なものが〈男性〉〈女性〉で規定されているし、就職して社会に出たとき、世の中の異性愛社会っぷりに衝撃を受けましたから。

美奈さんは、異性愛者ではないということですか?

中学生の頃から、女の子とチューしたりはしていました。でも、自身のセクシャリティとは結びついていなかった。中学生、高校生までは彼氏もいたので、自分は異性愛者だと思っていたんです。親友に「女の子が好きなんでしょ」と指摘されてはじめて、私は女の子のことが好きなんだな、と気づきました。

女性として女性が好きというのは、どういう感覚なんでしょうか。ドキドキして、一緒にいたくて、触れたくて、ヤりたい、というような、異性に感じる好意と同じですか?

それで合ってます。女性の触り心地、匂い、仕草全部を可愛いと感じるし、キュンキュンする気持ちは男性に抱くのと同じです。

初めて女性とお付き合いをしたのはいつですか?

大学生ですね。当時、ヴィジュアル系バンドの全盛期で、いわゆるバンギャが大学にもたくさんいたんです。そのなかには、女の子同士のカップルもわりといました。私もヴィジュアル系のコスプレや男装をするのが好きで、大学では4人くらいの女の子と付き合いました。

男装をする=男性になりたい、というわけではないんですよね?

生物学的に男性になりたいわけではないんですが、当時は、モテたい、かっこよくなりたい、男になりたいという欲望がミックスされているような状態でした。

そういうコミュニティから出たら、異性愛が普通とされる社会で驚いたんですね?

そうです。ずっと女子校で、女の子同士の身体接触に抵抗がない、といったら変だけど、そういう環境でしたからね。男性と付き合ったほうがいいかな、と就職後にふたりの男性と付き合いましたけど、やっぱりなにか違うなと。それ以降は、女性と付き合って、少し嫌になったら男性と付き合ってと、行ったり来たりするようになりました。

いわゆるバイセクシャルということですか?

そうですね。〈男ともヤれるレズ〉かな。

どういう意味ですか?

だって男性とヤるのは簡単じゃん。「私レズだから付き合わないけど、セックスだけだったら」と声をかけたら、絶対のってくるし。

快楽を求めて、男性ともセックスをするということですか?

いや、そんなにすごいヤリマンっていうほど、誰とでもというわけではないです。基本的に気持ちいいことが好きなので、もっとすごい気持ちよさがあるのではないか、この先にどんな快感が待っているのかと、快楽を探求したいんです。

いっしょに快楽を探求できるひとであれば、性別は関係ないんですね。

そうです。ただ、守備範囲が広いと誤解されることがあります。誰でもいける、というバイももちろんいますけど、私は違う。例えば、タイプな相手が10人並んでいるとするじゃないですか。私はバイだからといって、並んでいる人数が増えるわけではなくて、その10人のなかに男性と女性が混じっているような感じです。いろんなひととヤりたいわけじゃなくて、気持ち良さを極めたいだけなんです。

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快楽を追求するためのグッズたち

現在、お付き合いをしている相手はいますか?

いないです。〈付き合う〉というのは非常に社会的な概念で、パートナーシップを固定するものじゃないですか。そうなってしまうと快楽を追求しづらいので、今はあまり、特定の誰かと付き合うことは考えてないんです。

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これまでお付き合いをしてきた相手は、女性と男性どちらが多いですか?

多分、女性のほうが多いかな。自覚してなかったんですけど、男性よりも女性と付き合っているときのほうが楽そうだし自然体だ、と妹に指摘されたんです。男性と付き合っているときは、なんか無理してるって。確かに、相手が女性だったら、男ウケを意識せずに自分の好みを優先した服を選んだりお化粧ができるし、嫌なことは嫌だとはっきりいえるし。いわれてみれば、そうかもしれないなと。

男性が相手だと、遠慮してしまったり、合わせなきゃ、という意識が働いてしまうということですか?

そういう意識があるのかもしれないです。でもそれは、私と父親との関係のせいだと思います。私の父は、イケメンでお金持ちで、父の周りにはいつもひとがたくさんいました。でも「誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ」みたいなことをポロっと口に出してしまうようなひとでもあったんです。私はそれがすごく悔しくて、いつか絶対に自立して、金銭的に母を支えられるようになりたいと考えていました。なので、私にとって父を含む男性は、憧れつつ憎む対象というか、ずっと〈父に勝つ〉のを生きるモチベーションにしていたんです。

最近までということは、お父さんへの思いは解消されたんですか?

父がビジネスに失敗して、家が抵当にとられたのをきっかけに、私が新たに実家を買いました。それまでは、父は男性だからどう頑張っても越えられない、と思っていた部分もあったんですけど、家を買ったことで父への憎しみは完全に消えましたね。「勝った」から。子どもが同性の親に対して、越えたいという気持ちを抱くケースはあるみたいなので、私はそのあたりが少し男性っぽいのかもしれません。

自分のなかに、男性っぽさを感じるときがあるんですね。

現在の日本は、まだまだ男性社会だと感じるし、女性が活躍できる社会といったって、結局〈男性モード〉じゃないと、〈男性並み〉じゃないと認められないじゃないですか。男性並みに働くことプラス、家事育児も求められる。私は仕事が好きだし、男性と同じ給料をもらっているんだから、男性並みに働きたいという気持ちは強いです。

働く女性を応援する社会の動きについてはどう思いますか? 男性並みに働きたいと考えたとき、応援されること自体はラッキーなことだと感じますか?

うーん。でも、応援されないと上にあがれない状況があるんだよな、というところは引っかかりますよね。今の社会は、女性が不利益を受けることが未だにあるから「女性頑張れ」と応援していかなきゃいけない状況もあるんだろう、とは理解しています。でも、私はどちらかといえば、女性がもっと頑張るより、男性があんまり頑張らなくてもいい社会になるのが良いんじゃないかと。女性が家事育児をこなしながら、男性並みに働くのは限界がありますから。

どうしたら、男性があまり頑張らなくてもよくなると考えていますか?

すぐには無理ですよね。長期的な話になりますけど、世代交代に期待しているかな。「ゆとり世代が飲み会に行かなくなった」とか「さとり世代が仕事よりも家庭を大事にするようになっている」とかきくと、いつか、男性がゆるく働いても生活できるような社会になるんじゃないかって。女性がもっと働きやすい社会になるには、男性のほうが、生きかたや働きかたを自由に選択できるような社会にならないと変わらないはずです。

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現在は、男女の性差がないようなお仕事をされているんですか?

仕事上、ケアが必要とされる場面があるので、そういったときは〈女性性〉で相手に接することが多いです。〈男性性〉を全面に出してマッチョに仕事するときと、〈女性性〉を使って相手をケアする仕事をするときの両方があるので、場面によって使い分けてます。男性性、女性性の両方が活かされる仕事は、すごく自分に合ってる気がします。

男装したり、男性、女性どちらとも付き合ったり、性を行き来してますね。

そうなのかもしれないです。生物学的には女性だし、自分の性別に違和感はないんですけどね。男装もそうですけど、女性の格好をして出かけるのも、なんとなく女装している気がしてくるんです。「あなたにとって〈女性〉とは」って、私にとっては〈コスプレ〉でしかないんですよね。うまく利用するものでしかない。女性だから出来ること、男性だから出来ること両方やりたいし、全部経験したいから、女性とはコスプレだと捉えることによって、どう頑張っても絶対になれない〈男性〉という存在に近づきたいのかもしれない。だってどう頑張っても、精子を出すことだけは、唯一できないから。

そうやって、男性と女性のあいだを行ったり来たりしていると、「本当の自分とは何なのか?」と悩んだりしませんか?

若い頃は自分のことなんて全然わからなくて、自分のことを異性愛者だと思った時期もあったし、レズビアンだと認識した時期もありました。でも、どんな自分もすべて自分でしかないんですよね。どんどん自分のセクシャリティが広がっていくんです。将来的にはもっと広がるのかもしれないし、逆に狭まるのかもしれない。〈自分のセクシャリティがなんなのか〉なんて、私は一生わからないんじゃないかな。そういう自分の変化 を楽しんでます。

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職場では、自身のセクシャリティを伝えていますか?

私の仕事は教育関係なんです。職場の後輩には、性的マイノリティの子どもが近くにいるかもしれないよ、と認識させる意味で、伝えるようにしています。

でも、子どもたちには伝えていません。伝えること自体に抵抗はないけれど、やっぱり保護者からのバッシングが怖いし、セクシャリティをパーソナリティの判断材料にされたくないから。本当は、性的マイノリティの大人たちが権利を保証されて仕事をしている姿を子どもたちにみせることが、当事者の子どもたちに希望を与えるんじゃないか、とも考えるんですけどね。

子どもたちには、どんなことを教えているんですか?

専門の科目以外に、性教育も担当しています。具体的には、リベンジポルノや、デートDV、セクシャルマイノリティの人権などです。ほかに子どもたちが気になることがあれば、個人的にききにきてもらって。でももっと、子どもたちに教えたいことがいっぱいあるんです。

子どもたちに教えたいこと、とは何ですか?

性教育といっても、セックスのことだけを指しているのではなくて、自分の身体について知るとか、ここは他人に触らせないとか、パートナーとどう関係性を築いていけばいいのかとか、そういう教育が必要なはずなんですよ。友達に暴力をふるってはいけないというのは当たり前にみんな理解しているのに、カップルになったとたん、相手を束縛したりしてしまうのは、パートナーシップをきちんと学ぶ機会がないからです。そういうことは、ちゃんと伝えていきたいです。ただ、〈正しい性〉と〈エロい性〉のあいだでの葛藤はあります。

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どんな葛藤ですか?

エロいもの、気持ち良いものは、罪悪感や背徳感、禁断感があったほうが絶対燃えるんです。性というものは、気持ちいいものだし幸せなものだし、それぞれのセクシャリティを認めていこうという社会の動きは非常にいいことです。でも、それぞれの性が全部認められてしまったら、同性間のセックスの禁断感がなくなるというか、エロみがなくなるなって。社会における平等は実現してほしいけど、エロに関しては支配する側される側、欲情する側される側、不平等なほうがエロいし。

ものすごい葛藤ですね。教育関係者として、そして快楽の探求者として、今後の目標を教えてください。

自身のセクシャリティを受け入れたことで、自分の性について、これからの生きかたについて、周囲のひととの関係についてみつめることができたし、父にも勝った。今、生活への不満や生きづらさやが全くないんです。教育関係者としては、もっと性教育がスムーズにできるような世の中にするために、性教育を教えられる大人を育成していけたらと。プライベートでは、職を失わない程度に快楽を探求して、いつか宇宙と繋がって素晴らしいオーガズムを得て、そのまま死ねたら最高かな。