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南極地域観測隊員の孤独を調理する敏腕シェフ

イタリア国立南極プログラム(PNRA)は、1年ごとに、基地のシェフを抽選で決める。この抽選システムにより、コンコルディア基地の料理は高評価を獲ている。『ロンリー・プラネット』は「誰もが楽しめる、日曜の厳選されたワインと七品のランチは、南極いち美味」と太鼓判を押す。

All photos courtesy of and copyright IPEV/PNRA

厨房に立つことは決して簡単なことではない。シェフという職業を全うするには、信じられないような繊細さと想像力が必要だ。しかも、最高にお膳立てされた状況であっても独特なストレスがかかる職業ゆえに、常に冷静さを保つ能力も要求される。南極のコンコルディア基地は世界のどこからも隔絶した調査施設であり、白夜と極夜が数ヶ月間も続き、気温は摂氏マイナス30℃からマイナス60℃の間を往き来する。そこでは、ただでさえ精神的に過酷な「シェフ」という職業がより凄惨な響きすら帯びる。

しかし、ルカ・フィカラ(Luca Ficara)は、2014年11月以来、コンコルディア基地でシェフを務めながら、決して弱音を吐かない。

コンコルディア基地の厨房で働くルカ・フィカラ

2015年8月、フィカラにSkypeで取材した。彼は、今後3ヵ月、陽の光を目にする機会がないにもかかわらず、笑顔でジョークを飛ばしていた。永遠に明けないかのような暗闇の最初の一週間を、元気に過ごしたようだ。彼は、「最高の環境」からは程遠い職場で働かなければならず、そこで職務を遂行にはあらゆる困難がともなう。そんな状況では、案外、取るに足らないコトが恋しくなるようで、「3ヵ月オレンジを食べてない」と物悲しげに漏らした。

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南極調査隊員たちは、フィカラを「厨房のデビッド・カッパーフィールド」と親しみを込めて呼ぶ。彼は、イタリアのシチリア島出身で、そこにあるIPSSARホスピタリティ・スクールで5年間、シェフとして修行した。現在30歳の彼は、オーストラリア、イングランド、スペインの厨房で腕をふるっていたが、南極でシェフになるとは想像だにしていなかったそうだ。

「正直、南極で仕事するなんて想像もしていませんでした」とフィカラは笑った。「宝くじみたいなものですね。スクラッチ・カードを買って、運が良ければ当たる。当ったらラッキーだけど、誰も自分が当たるとは思っていません」

フランスの極地研究機関、ポール・エミール・ビクトール極地研究所とともにコンコルディア基地を管理する、イタリア国立南極プログラム(Programma Nazionale Di Ricerche in Antartide, 以下PNRA)は、1年ごとに、基地のシェフを抽選で決める。この抽選システムにより、コンコルディア基地の料理は高評価を獲ている。『ロンリー・プラネット』は「誰もが楽しめる、日曜の厳選されたワインと七品のランチは、南極いち美味」と太鼓判を押す。

ホタテ貝とエビのシーフード・クリームパイ, ねぎ添え.

フィカラは、コンコルディア基地のシェフになるつもりはなかったらしいが、身についた多岐にわたるレパートリーを活かし、今のポジションを立派に務めあげている。PNRAに選ばれるシェフは、料理技術の熟練度だけでなく、世界中の食生活に対する確固たる知識も備えていなければならない。そうして初めて、イギリス、スイス、フランス、イタリアといった国々から集まる、13名の越冬観測隊員の味覚に応えられるのだ。

コンコルディア基地の越冬調査隊員は、ほぼ完璧な孤立状態で生活する。デジタル通信の制限により、外界とコンタクトできるのは、1年のうち8ヵ月に限られている。さらに、南極は寒すぎるので、ジェット燃料はゲル化してしまい、訪問者は基地にたどり着けない。そんな孤立した状況下にいる隊員にとって、食事はことのほか重要だ。11月まで隊員は基地に缶詰になるので、フィカラは毎晩、あらゆる国籍の同僚たちにヨークシャー・プディング、フォアグラ、チキン・パルミジャーナなど、故郷の味を楽しんでもらっている。

毎週土曜日の晩、フィカラはテーマを決め、豪勢な食事を用意する。

「ここでは、いち日いち日が全く代り映えしませんから、1週間の終わりを強調するために、スペシャル・イベントを開くんです」とフィカラは教えてくれた。「例えば、フランスの隊員たちには手の込んだフレンチをご馳走します。誰かをソムリエに見立て、給仕の手ほどきをする。そんな風にして何晩か過ごすんです。粋な計らいでしょう?」

毎週末、フィカラ丹精を込めて準備した宴で、基地は華やぐが、アルコールなしではパーティーにならない。隊員たちは、各々楽しむための蒸留酒を持参し、土曜の晩だけは、食事とともにそれを呑み、単調な1週間の終わりを祝う。カクテルのレシピをネットでダウンロードし、ディナーの席で試したりもするようだが、それより何より、隊員はワインが大好物らしい。なかでも、イタリアとフランスの隊員にとってワインは活力源だ。

「ここはワイン・バーではありませんが、たくさんのワインを準備しています。残念ながら、すべてフランス産です」とフィカラは楽しげに話す。「出身地産のワインが最高ですが、フランス産であろうと、一杯のワインはいつだって嬉しいものです」

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厳選されたフレンチ・チーズと自家製パン

南極の夏期(11月〜2月)、コンコルディア基地の人員は75人近くになるので、シェフは助けを要する。残りの8ヶ月、人員は10数名程度なので、1日3食の準備をフィカラはひとりでこなさなければならない。それは気の遠くなるような作業だけに、彼は、隊員をアシスタントにするそうだ。仲間たちにいつでも料理を教えられるよう、厨房の扉を開け放たれている。

「ほとんどの時間、私はひとりで厨房にいますが、ときどき、仲間に料理を教えたくなります。ベス(コンコルディアの英国人医師)と一緒にマフィンをつくれますし、マリオ(コンコルディアのイタリア人指揮官)とピザもつくれます」。フィカラは、隊員たちに料理を教えるだけでなく、自身のレシピをいかにして学んだのか、面白おかしく話して聞かせ、隊員たちを楽しませている。「私の食にまつわる旅行体験や、みんなが知る由も無い食べ物に関するあれこれについて見聞が広がれば、食事が楽しくなります。お皿には、私の歴史も載っています。どうやって目の前の料理を覚えたか、みんなに説明するんです」

夏の訪れとともに、白夜、数十名の調査隊員、そして、生鮮食品が運ばれてくる。3月以来、冷凍食材と乾燥食品だけで調理を続けるフィカラにとって、生鮮はこの上ない贅沢だ。隊員たちにとって、フリーズドライでない食品を口にするのがどれだけエキサイティングであろうと、それは決して豪華ではない。「おそらく驚かれるでしょうが、届きたての新鮮な野菜を最高に美味しく食べるには、手に取ってそのままかじりつくのが一番なんです」とフィカラは教えてくれた。この話をそばで聞いていた隊員は、11月になれば新鮮な果物と野菜に再びお目にかかれる、と想像して感嘆の声を漏らしていた。

層仕立てのカニ, ビーツ, ポテト, ライム. イタリア, モデナ産バルサミコ・ソース添え.

生鮮食品は、南極の基地に到着するまでに、途方もない行程を辿る。まず、フランス、イタリア、オーストラリアから船便で出荷され、南極大陸沿岸に到着する。そこから10日間で約1,200kmの道のりを経てコンコルディア基地にたどり着くそうだ。フィカラは、料理のバラエティと厳しい予算を考慮しつつ、食材到着の数ヶ月も前から献立を組まなければならない。しかも、自然環境に左右されざるを得ない配送システムなので、食材の到着予定日は、決して約束されていない。

「ワイン、果物、野菜は特殊なコンテナに保管し、基地まで運ばなくてはなりません。そうしないと、冷凍食材になってしまい、それが溶け出すと、でろでろになってしまいます」とフィカラは説明してくれた。「ついこのあいだ、10年にいちどあるかないかの輸送トラブルが発生し、発注していた生鮮食品を受け取れませんでした。注文の品を受け取れる保証は全くありません」

総じてフィカラは、コンコルディア基地での生活を楽しんでいるが、辺境の厨房ではなく、すべてが整った快適な厨房で腕をふるうのを楽しみにしている。彼は最後に、将来コンコルディア基地で働くであろうシェフたちにコメントをくれた。

コンコルディア基地の厨房で食事の準備をするフィカラ.

「一番の課題は、食材の確保です。私たちは、おかしなところで生活しています。ここでは、すべての食材が凍ってしまいますので、食材そのものの風味を引き出すのが困難です」。フィカラは続けた。「しかし、料理人としての矜持を保ち、手を抜かず、新しい挑戦を忘れずに頑張ってください」