人類とハチの関係はかなり複雑だ。ハチは、ハチミツをつくり、花に受粉させてくれるが、鋭い針でわれわれを攻撃してくる。ハチは恐ろしいが、いないと困る。
人間とハチが繰り広げるダンス・バトルが見たければ、メジャーリーグのオープン戦がもってこい。毎年3月になると、羽の生えた悪魔は、オーブン戦が開催される球場に舞い降りる。フロリダやアリゾナの球場で、北部からやってくる青白い顔色の観光客やファンとともに、ハチは、お目当ての選手を歓迎しようと待ち構えている。
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ハチの群れから逃げ回ったヘイワード選手、ホームランを放つ
ジェイソン・ヘイワード選手とカブスは喜んで然るべきだ。野球選手はおかしなくらい験を担ぐので、昨年のワールドチャンピオン、ロイヤルズが今年もハチに襲われた、という情報はかなり疑わしい。もしかすると、ハチは人間を刺すだけでなく、チームの勝利を予知する能力があるのかもしれない。どちらにせよ、ハチは春季キャンプの風物詩だ。
ということで、シーズンの始まりには欠かせない「ハチと野球選手の名勝負」を振り返ってみたい。
2012年、2014年:ジャイアンツと偶数年のハチ騒動
ハチの襲撃は王座獲得の前触れ、という事実を疑うまえに、ここ数年のサンフランシスコ・ジャイアンツについて。過去4年のあいだに2度、ジャイアンツはアリゾナ・ダイアモンドバックスとの試合中、(2014年の場合はレギュラーシーズン中だったが、4月3日であれば春季キャンプの延長、と考えて差し支えないだろう)。どちらの年も、ジャイアンツはワールドシリーズ優勝を果たしている。
この事件にまつわる、笑えるエピソードがある。当時のダイアモンドバックスの監督カーク・ギブソンは、「卒業できるんだろ」と息子の高校卒業式を欠席するような偏屈な人物だった。そんなギブソンはハチを怖がったのだろうか? 彼はこう息巻いた。「球場からハチを追っ払って、誰が仕切ってんのか思い知らせてやるべきだった。俺たちが現役の頃、ハチで試合を遅らせたことなんかない。ヒマワリの種を噛む代わりに、生きたスズメバチの蜜袋から直接ハチミツを吸い出してやったくらいだ。俺の玉金パッドにハチが巣をつくっても、チームが連勝してたから9日間ずっと履き続たんだ」
2014年:マーク・テシェイラによる、ハチに勝つためのそなえ
ヤンキースとレッドソックの試合はいつも長丁場だ。5時間以上にわたる試合では、打者ひとりに対する投手の投球数は10球を超え、投手は頻繁に交代するため試合中断時間も増え、そのせいでCMは長引き、コメンテーターのジョン・クラックは息遣いが荒くなる。しかし、オープン戦であれば、観客の目から血が出る前に試合が終わる可能性もある。
しかし、ハチが登場するとそうもいかない。2014年のあるオープン戦、3イニング目に、スタインブレナー球場にハチの群れが現れた。ありがたいことに、ヤンキースにはマーク・テシェイラがいた。
ハチ?ご心配なく!マーク・テシェイラがハチミツでハチをおびき出してるからね
ベテランの一塁手は、大昔から言い伝えられてきた戦法を心得ていた。「ハチに勝つには、ハチの立場になって考えろ」。ジェシー・スペクターの『スポーティング・ニュース』では以下のように報じられた。
「ピーナッツバターとハチミツが大好きなんだ」とテシェイラは教えてくれた。「好きすぎるから、クラブハウスのどこにハチミツがあるのか知っている」
ハチミツを持ち出した理由は?
「駐車場にハチミツを並べておけば、ハチがおびき寄せられて、試合の邪魔をしなくなる」
きわめて論理的だ。「そなえよつねに」。このモットーを遵守するテシェイラはボーイスカウト出身に違いない。名選手たるもの、ハチを場外におびき出すためにハチミツの隠し場所を把握していなければならない。これは、スコアブックに記載されない選手の才能だ。
1936〜1940年:ハチと野球が一つに
1930年代半ば、フランチャイズ制導入で盛り上がりが期待されていたにもかかわらず、低迷が続いていたボストン・ブレーブズ(現アトランタ・ブレーブス)は、球団名を改め飛躍を図ろうとした。覚えておかなければならないのは、当時のプロスポーツ界は未発達で、球団のオーナーたちは、ダニエル・スナイダー氏の教訓を知らなかった、という事実だ。レッドスキンズ(NFLのチーム)のオーナー、スナイダー氏は、チーム名が差別的だという意見に対し、氏が幼少の頃から慣れ親しんだチーム名であるうえ、この名称はネイティブ・アメリカンの伝統に敬意を表しているので変えるべきではないと主張している。しかし、チームのブランディング、マーケティング、ライセンシングなどなど、名称変更に伴う様々な問題も、「ゼニゲバ」の誉れ高きスナイダー氏が「レッドスキンズ」というチーム名にこだわる理由だろう。
ボストン・ブレーブスの時代は、現在のようなブランディング概念もなく、チームも早急にファンを獲得しなければならなかったので、球団社長ボブ・クインは新しい名前を公募した。ボストンの人々が、このナショナル・リーグのチームに選んだ名前は、「ビーズ」だった。
フロリダ州セントピーターズバーグで、ビーズ対ヤンキースのオープン戦が行われた。1937年3月13日付のセントピーターズバーグ紙は、この試合を大々的に報じている。
「この街にヤンキースが来るなんて最高だ。メジャーリーグが続く限り、春季キャンプが開催される限り、ここに戻ってきてほしい。セントピーターズバーグは、ヤンキースとビーズ、2つのチームの故郷だ。彼らはこの街の名物であり、それはこれからも変わらない」
両チームはこの街で熱烈な歓迎を受けたようだ。ボストン・ビーズという名前が使われていた5年間、春季キャンプの相手だったヤンキースは、4度ワールドシリーズで優勝している。これは単なる偶然ではないだろう。
なんにせよ、ハチとチャンピオンシップには何らかの因果関係がありそうだ。