なぜ人間は笑ってはいけないときに笑ってしまうのか

「何らかの出来事への即時的な反応として、場にそぐわない笑いが生じる場合があります。それは、自分が目の当たりにした事実から自らを守るためと考えられます」​
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translated by Ai Nakayama
Tokyo, JP
なぜ人間は笑ってはいけないときに笑ってしまうのか
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〈場にそぐわない笑い〉の危機に襲われたことがあるひとは、笑ってはいけないときに笑いたくなるのは、よりによって、まともな大人としてなんとしても笑うことだけは避けなければならない局面だということをご存じだろう。たとえば国際環境NGO団体グリーンピースのコンサートで、死亡したイルカに1分間黙祷するときとか(大罪だ)、もう84%は気持ちが離れているマジメな彼氏とのガチな喧嘩の最中とか(これも大罪)、わずかな年金で自分を育ててくれた大好きなおばあちゃんが亡くなった、という話を誰かから聞いたときとか(私は絶対しないけど。おばあちゃんは偉大なので)。

誰かの気分を良くするために無理につくる愛想笑いと違い、場にそぐわない笑いは誰の気分も良くしない。たとえ本人は笑うつもりはなかったといえど、周りのひとたちは、このひとなんかおかしいんだろうな、と思うだろうし、実際おかしいのだ。

〈おかしい〉というのはどういうことか。冷血でひねくれていて、思いやりなどかけらもないということか? そうではないとしたら、自分の脳の中では何が起きているのだろうか? 「場にそぐわない笑いは、非常に面白い現象です」と語るのは、メルボルンの〈心理社会腫瘍学プログラム(Psychosocial Oncology Program)〉代表、スティーヴ・エレンだ。「人間なら誰しも経験することです。私自身も何度も経験があります。なかなか難しい状態ですよね。何かについて真剣に語りたいのに、自分の身体は笑いという反応をとるんですから」

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エレンは、場にそぐわない笑いについて、不安や緊張に対する心理的反応だと説明する。「私たちの身体が緊張を緩和しようとして、笑いという手段をとるんです。自分がそれを望んでいなくても、真剣さを保ちたいと思っていてもです」

英国のサセックス大学(University of Sussex)で「人間の非言語発話」について研究している博士研究員、ジョーダン・レインもエレンの意見に賛同し、これはトラウマ的なものや苦痛などに相対したさいに緊張を発散しようとする脳の反応、あるいは自己防衛的なコーピングのメカニズムだという。

「何らかの出来事への即時的な反応として、場にそぐわない笑いが生じる場合があります。それは、自分が目の当たりにした事実から自らを守るためと考えられます」 レインはまた、場にそぐわない笑いについての手がかりを握っていると思われる「情動調節障害」についても言及した。情動調節障害とは、多発性硬化症や痴呆などの脳疾患を抱えたひとびとに時々見られる神経性障害で、制御や予測が困難な笑いの発作も含まれる。レインが引用したのは、脳障害を抱えたとある患者について詳細に研究した2005年の論文だ。この患者は、液体を飲み込むと病理的な笑いの発作が起きた(固体を飲み込んでも起きない)。

私はここで、場にそぐわない笑いの原因は脳疾患だ、と言いたいわけではない。より極端なケースのメカニズムを参照することにより、日常生活で生じるケースの仕組みに光を当てたいのだ。情動調節障害は、一説には脳のとある領域と領域をつなぐ経路に欠陥が生じているために起こるとされている。その領域とは、「面白い」出来事の情報(と、それに対してどんな反応が適切か)を評価する大脳皮質と、笑いなどを含む情緒的な反応を制御する「原始小脳」だ。

この理論を健康なひとびとに当てはめてみると、場にそぐわない笑いとは、それらふたつの脳の領域による主導権争いの結果といえるだろう。「とある出来事を、最高に面白いと判断した結果、皮質部分が他領域で起こった感覚過負荷を管理しきれなくなり、それが制御不能な笑いの発作として生じてしまうのかもしれません」

米国マサチューセッツ州のタフツ大学(Tufts University)で人間の有するさまざまな複雑さを研究する社会心理学者、アレックス・ボージェラは、面白みのない場において面白さを見つける、という行為について、そもそも〈場へのそぐわなさ〉自体が、さまざまなものをいろいろな意味で面白くしてしまうのだと語る。すべては自分自身の「評価」(知覚)と「刺激」(物事)なのだ。

「たとえばお葬式の最中に誰かが大きなオナラをするとか、目の前の状況を、社会的、倫理的な規範を無害なかたちで逸脱した、と自分が判断したときに〈笑い〉が生じることが多いですね」とボージェラは説明する。「有害な規範逸脱というのは、たとえばお葬式で誰かが撃たれたとか。あるいは、お風呂場でオナラをするとか、なんの規範も破ってないときも笑うことは少ないです」

この説明を聞いたら、なぜ自分が、他人が面白いと思ったことを、自分も面白いと思うよう期待されているときは笑えないのかがわかった。何か面白いことが起きる、という期待自体が、笑いの可能性を削いでしまうのだ。いっぽう場にそぐわない笑いは、それとは真逆にある(程度にもよるが(※冒頭のおばあちゃんの話を参照のこと))。 しかしレインによると、人間がどうして笑うのかは実はいまだにはっきりと解明されていないらしい。なので、場にそぐわない笑いについても正体の特定は難しい。「人生において毎日のように起こっているのに、よくわかっていない面白い現象のひとつです」とレインはいう。

「心理学者は、よく起こることよりもあまり起こらないことのほうが詳しいですからね」

とにかく、場にそぐわない笑いは誰にでも起こる。ただし、呪いのようにはっきりしない。でも、動揺させるような出来事によって生じた不安を、脳が発散するために起こすことなので、もしかしたら自分は、不安をコントロールできるひとたちよりも敏感なのかもしれない、と思えば悪いことではない。最強の自己防衛法なのだ、と言い訳をしながら乗り切ろう。

This article originally appeared on VICE AU.