地下鉄の前の席で、カバンから何やらを取り出し、パクパク食べている女性がいらっしゃいました。ふわっふわの耳当てしてるかわいこちゃんです。その何やらは、手のひらで優しく包まれながら、お口に運ばれているので、何を食べてらっしゃるのかまったくわかりません。申し訳ないのですが、凝視させていただいていたら、やっと判明しました!じゃがりこでした。…ん、んんー。ちょっと違うなぁ。霧の箱舟だったら良かったのに。
日々の生活の中で、私たちはたくさんの人たちとすれ違います。でもそんなすれ違った人たちの人生や生活を知る術なんて到底ありません。でも私も、あなたも、すれ違った人たちも、毎日を毎日過ごしています。これまでの毎日、そしてこれからの毎日。なにがあったのかな。なにが起るのかな。なにをしようとしているのかな。…気になりません?そんなすれ違った人たちにお話を聞いて参ります。
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戸頃茂之さん(ところ しげゆき)さん (31): 塗装工
戸頃さんは、デンマークから帰国されたばかりだと伺っております。
はい、二週間前に帰国しました。
なぜデンマークにいらしたんですか?
実は僕、ペンキ塗りの仕事をしているのですが、DJもやっておりまして。
おおー、何系の DJ さんですか?
サイケデリック・トランスといいます。
おおー、わかるような気もしますが、具体的にはちょっと…。戸頃さんのヘアースタイルがヒントですよね。
インドのゴアトランスから派生したジャンルです。インドのゴア州は、元々ポルトガルの植民地だったので、そっちの文化も流れていて、他のインドとはちょっと違うんですね。そこで毎夜いろんなところでパーティーが行われていて、ヨーロッパとか色んな国々から人々が集まってきているんです。僕も何度も行ってるんですが、そこでデンマークのプロデューサーと知り合いまして、もうちょっとDJとか曲作りの勉強をしようかと。まだまだ力が足りないと痛感したんです。それでデンマークに行きました。
なんてお名前で DJ されているんですか?
Nolm(ノルム)といいます。
あれ、もしかして有名人なのではないですか?ホレホレ、動画もあるじゃないですか。
いえいえ、そんなことありません(笑)。とっても小さい世界です。
でもごはんも必要ですよね。デンマークでは、お仕事もしていたんですか?
ペンキ屋で探していたんですが、まず冬の間は仕事が無いと。それにペンキ屋でも4年間の専門教育を受けていないと厳しいということが分かったんです。それと、他の職業でも従業員が日本の半分ぐらいしかいなくて、機械でできることは機械でやって最低限の人数で回してる感じでした。
ペンキ屋とかにも学校があるんですか?
はい、そういう感じだと思います。デンマークって色んな職業がそういうシステムになっていて、ちなみにウェイターも専門教育を受けてないとダメなんです。学校はタダですけど。
じゃ、学校に行ったんですか?
いえ、僕も行けると思っていたんですが、デンマーク人とヨーロッパ人のみがタダだったんです。それを知ったときはかなりヘコみました。だから学校にも行けない、仕事も無い。デンマーク語学校は無料でしたので、そこに通ってましたが、物価も高いんです。
おお、じゃあ、ビッグマック指数やりますか。日本は、2016年2月現在で、単品370円です。
倍近くはしました。
それは高いですねぇ。
でも肉とかは、結構量があるのにそんなに高くないんです。だから鳥一匹買って、三日くらいかけて食ってました。
ご結婚はされているんですか?
はい。2歳の子供もおります。一緒にデンマークに行きました。
じゃ、奥さんもお子さんもひもじい思いを?
可哀想なことしました(笑)。でもうちの奥さんはギリシアで10年間美容師をやっていたんです。それで知り合いの髪を切ったりして、生活を保ってくれていました。
「浪花恋しぐれ」ですね!奥さんもお子さんもご一緒に帰国したんですか?
いえ、結局ギリシアに戻って、また美容師をやっています。ですので、僕は今、出稼ぎ状態なんです。
ご出身はどちらですか?
墨田区の東向島です。昔は玉ノ井という地名でした。
物心ついたときから、スカイツリーって造ってました?
いや、さすがにまだでした。でも大きな空き地だったことは覚えています。
やっぱ「下町、お祭り好きの江戸っ子」って感じの町なのですか?
そうですね。気が付いたら法被着て、山車引いていましたし。
ちょっと怖いイメージもありますが…
ええ(笑)。お祭りの仕切りもそっち系の方がやられていました。
そちら側の方、普通に町に馴染んでいるのかしら?
そうですね、多かったですよ。僕もボコられたりしましたし。
どうしてですか?
団地に停まっているバイクに跨って遊んでたり。そんなので殴られます。まぁ、顔見知りですし、酔っ払っているんですけど(笑)。
なんか昔ながらの感じの方が多そうですね。
そうですね。駅前にたこ焼きの屋台がありまして、みんな「まっちゃん」って呼んでたんです。その頃「まじかるタルるートくん」が流行っていたんで。優しくて、みんなもタメ語で気さくに話していたんです。でも後で知ったんですが、まっちゃんもそっち系の人でした。
戸頃さんはお悪い子だったんですか?
うーん、やんちゃだったとは思います。
喧嘩とかは?
僕らの世代の墨田区って、周りから狙われまくっていたんです。台東区、足立区、荒川区とかから。夜中とかバイクに乗ってると、目の前に10人位立っていて、いきなり跳び蹴りされたり、引きづり降ろされたり。
え、まだそんな時代だったんですか?2000年頃ですよね?暴走族?
そうですね。来る人たち、怖かったです(笑)。
戸頃さんも暴走族?
いえ、僕はそこまで…
でもバイクは乗ってたんですよね?中学生とかで?免許無いでしょ。
うーん、あの頃は先輩とかが教えてくれるんで(笑)。あと、道に結構バイクって停まっているので、ちょっと借りたりしてました。
いけませんね。学校はちゃんと行ってたんですか?
はい。皆勤賞でした。
素敵なギャップ !あの頃の悪い子たちって、どんなファッションしていたんですか?短ランとか長ランみたいな?
周りの中学にはいましたけど、うちの中学は厳しかったので、あまりそういう格好したのはいませんでした。ピアスとかしていると校門前でぶん殴る先生がいたので。
今じゃ考えられないですよね。やんちゃ以外の青春は?
中三からダンスを始めました。
お! 長山壮太さん はナインティナインの岡村に影響されてと言ってみましたが、戸頃さんは?
やっぱSAMっすね。
TRF の SAM ?
ええ。安室奈美恵と結婚してたSAM。
イージー・ドゥ・ダンササイズの SAM ですね。
「RAVE2001」っていうテレビ番組をSAMがやってたんです。そればかり観ていました。それで高校に入ってから、ダンススクールに通い始めました。
どちらの?
亀戸です。
こりゃまた渋い。どうしてそちらに?
当時好きなダンスグループがいたんです。「てつ男」ってチームなんですが。
すごい名前ですね。
その「てつ男」のメンバーの一人が、そのスクールで教えていたんです。
じゃ、放課後はそのスクールに行く日々だったと。
はい。ただ、高校も一学期で辞めてしまったんです。
お!久々!!でも相変わらず高校中退の方の出演多いですねぇ。 .333 くらいの成績じゃないかしら。どうして辞めたんですか?
工業高校だったんですけど、実習中にポケットからタバコが落ちてしまったんです。
(笑)。タバコはいつから始めたんですか?
中2からです。
最初の銘柄は?
キャスターです。キャスターマイルド。今はアメリカンスピリットです。
それでタバコ見つかって辞めさせられた?
いえ、停学ではないんですけど、ずっと職員室で勉強させられて。工業高校だから女の子もいないし、授業も面白くないし。ダンスやっていた方が面白い。それで嫌になって辞めました。
じゃ、結構本格的にダンスをやっていたと。
そうですね。本気でやっていました。ただ、バイクで事故って足を怪我してしまったんです。それでダンススクールにも行けなくなったんですが、駅前とかで練習はしていたんですね。
ああ、良くみる光景ですね。ラジカセ置いて。
そのときに好きな子が出来たんですけど、その女の子が色んな音楽を聴いていたんです。それこそサイケデリック・トランスからプログレッシブ・トランス、あとテクノとか。渋谷のTSUTAYAで働いてた子かな?
新鮮な情報がガンガン入ってきたと。
はい。そしたらがっちりハマってしまって、パーティーに行ったり、クラブに行ったり…あとやっぱ様々な良くないものを覚えたり(笑)。
でしょうね、でしょうね(笑)。
それでダンスも辞めて、完全にそっちの世界に入っちゃいました。
法被着てた子がよろしくないですね(笑)。お仕事はどうしていたんですか?
もうペンキ屋やってました。
でも週末に、楽しくて楽しくて本当にハッピーな時間を過ごして、月曜とかのお仕事大丈夫でしたか?
確かに月曜の朝は最悪でした。グラグラで…。でも週末はキラキラでした。
うまい!! DJ は、いつ頃から始めたのですか?
20くらいのときです。
どうしてご自身でもやろうと?
色々聴いているうちに、サイケデリック・トランスの中でも好きな分野が自分の中でも出来てきたんです。でもその手の音をかけるパーティーが少なくて。だったら自分でやろうと思ったんです。
それってどんな感じの音なのですか?
現在では、フォレスト、サイ・フォレストトランスなどとよばれてるんですけど、北欧のアーティストに代表される幻想的で妖精がいる森の中に迷い込んだような、そんな感じの音なんです。他のサイケデリックトランスより、「音楽」としての成り立ちが強いように感じました。スウェーデンのSanaton Recordsによって電気的啓示を受けましたね。
フムフム。
そんなのを自分でもかけたいと思うようになって、それで曲作りも始めたんです。
おお、 Nolm スタート。音源とか出されたのですか?
はい。友人を通して知り合ったレーベルのオーナーから依頼があって、出すことができました。
それでブレイク?
いえ、ブレイクしないっす(笑)。テクノなどと比べると本当に小さいシーンなんで。
じゃ、ペンキ屋もやりつつ、そこから DJ とかのお仕事も増えてきたんですか?
そうですね。でもお金云々ってことより、知り合いのパーティーに呼んでもらえたらやるって感じで。
では「これで飯食うぞ〜!」というノリではなかったんですね。
はい。
女の子系はいかがでしたか?
パーティーで知り合った子と21のときに結婚したんです。最初の結婚です(笑)。
あ、じゃ、バツイチなんですね。
はい。それで子供もできたので、奥さんの実家がある兵庫県に移って、他の仕事をやりながら、大阪を中心に音楽活動していました。そのときに自身のレーベルも始めたんです。
なんて名前のレーベルですか?
Mental Sauceっていいます。
どのようなレーベル活動をしているんですか?
自分の作品を出したり、アンダーグラウンドな日本のアーティストや、海外のアーティストを収録したコンピレーションなどを出しています。日本人アーティストの底上げと、サイケデリックトランスの間の垣根を超えて自由にできるようにしたいと。なのでデモ曲なども日々募集しています。
どのようなフォーマットで出しているんですか?レコード? CD ?
基本フリーダウンロードです。色んな世界中の人に聞いてもらえるので。過去に一つのコンピレーションが1万8000ダウンロードされたこともあります。フリーだからできることですよね。CD500枚もなかなか売り切れない時代ですから。でも一回旅先で知り合ったアーティストの曲を集めてCDを出しました。お金を儲ける気はなかったけど、形としてアーティストにお返ししたかったんです。
離婚された理由を聞いてもいいですか?
はい。僕がダメだったんですね(笑)。音源が一回リリースされて、「もっと創りたい!」モードになったんです。それで平日も夜になると自分の部屋に篭って、休みの日は一日中篭って。そんな感じだったんです。それですれ違いになりまして、あっちも浮気したり…。
「も」ってことは?
はい、僕も(笑)。それで24のときに離婚しました。
そして東京に戻ったのですか?
インドに行きました。
はい、来ました(笑)!しかしなんでみなさんインドなのでしょう?戸頃さんは、どうして行こうと思ったのですか?
やっぱり行かないとダメなんですねぇ(笑)。兵庫に住んでるときに、海外のアーティストを招聘して、パーティーとかもやっていたんです。そしたらみんな「絶対インド行った方がいい」って言うんです。でも結婚していましたし、家族で行くわけにもいきません。ですけど離婚したので「よし、今だ。行こう!」と。
どうでした?インドは?
最初はやはりゴアに行きました。トランスの聖地ですので。でもゴアはパーティーがいっぱいで、何ヶ月もいると色々と疲れてくるときがあるんですよ。
でしょうね(笑)。毎晩やってるのですか?
はい。どっかしらでやってます。クラブでもやってますし、ビーチでも。それで疲れてきたら、チルアウトをしに、遺産が有名なところで「ハンピ」ってところにがあるんですけど、そこに12時間ぐらいバスに揺られて小旅行しにいったり。で、またゴアに戻ってきて、パーティーに行く…って感じでした。
満喫してますね。
ええ、やっぱ楽しいです。あと、12年ごとに4つの聖地で行われるサドゥのお祭りで、クンブ・メーラというのがあるんですけど、ちょうど行ったときにガンジス川の岸にあるハリドワールというところで開催されていたんで行ったんです。
photo via wikipedia
これですか?なんかエライことになってますね!
はい、これです。ヨガの聖地で有名なリシュケシュから一人で向かったのですが、途中から人が多くてもう車が通れないんですよ。そこからインド人にもまれながら歩いて、知っているババがいる集落に向かったんですが、途中色んなテントに迷い込んでしまって。色んなババに会ってよくしてもらいました。たどり着いた時には、ちょうど昼寝の時間で、結局その目的の人には会えなかったんですが、それでも何万人の生き方を目の当たりにして、自分と向き合う良いきっかけになりました。
じゃあ、完全にインドにハマったと。最高だったと。
いや、最初はもちろんキツかったです。汚いし、臭いし、物乞いの人もいっぱいいるし。違う惑星に来たかのような感覚になりました。でも慣れてきちゃうんですね。それからほぼ毎年行くようになってました。
ゴアで DJ もやってたんですか?
はい。それでそこからヨーロッパのフェスティバルとかにも呼ばれるようになって。
ワールドワイドになりましたね!
冬はインド、夏はヨーロッパ、そして半年くらいは日本っていう生活を3年くらい続けていました。
これってもう、ご職業は「ペンキ屋さん」じゃなくて、「 DJ /アーティスト」でいいんじゃないですか?
いえいえ、その当時はお金は貰えてませんから。海外に行くにも飛行機代は自腹でしたし、ギャラ2000円なんてこともありました。
うわー厳しい!
でも日本からDJ呼ばなくても、周りにたくさん良いDJがいるわけです。でもプレイはしたいですから、勉強代だと思ってやっていました。
今の奥さまとはどちらで知り合ったんですか?
初めて会ったのは日本でしたが、インドで再会したんです。
奥さまも音楽好き?
はい、そうです。
じゃあ、戸頃さんの楽曲にアドバイスしてくれたり。
そうですね。あと6歳年上なので、しっかりしています。一人で10年間ギリシアにいるのってスゴイじゃないですか。とても尊敬しています。
現在の状況については何かおっしゃってますか?
応援してくれています。デンマークではうまく進まなくて、ちょっと僕自身も落ちていたんですね。でも彼女は「好きなことを頑張りなさい」って。
素敵な奥さんですね!でも久々に日本に帰ってきてどうですか?満喫してますか?
はい。デンマークでやりたいこといっぱいあったんですが、結局何も出来なかった。その反省も含めて、今回の日本では色々やってみようと思っています。このインタビューもそのひとつなんです。
ありがとうございます!他に何かやってます?
自分のルーツ探しを始めました。
ルーツ探し?
ええ。良く良く考えてみると、自分がどこから来たのか知らないし、血筋もわからない。親もどんどん年を取ってくるので、色々訊いておこうと。
ルーツ、見つかりました?
遠い親戚に倍賞千恵子がいました。
アハハハ!!
あとお爺ちゃんは蕎麦屋だったんですけど、お客さんに大映の社長とかが来ていて、何度も俳優やれってスカウトをされていたとか。
この調子だと、まだまだルーツ探しの旅は終わりそうにありませんね。
でも二週間で三代前まで遡ったので、なんとかこの機会に五代前くらいは行きたいです。
頑張ってください!あ、ペンキ屋さんの話ほとんどしていませんでした!えっと…景気はいいですか?
まあまあですが、これからオリンピックも予定されてるので、どんどん増えてくると思います。
ずっと同じペンキ屋さんですか?
はい、そうです。
親方に音源聴かせたりしたことは?
ありますけど「良く分かんねぇ〜」って。
(笑)。
あとは「オマエ、またインド行くのかー」ばかりです(笑)。
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