マーテルによると、この年老いた酔っ払いは、19世紀、ハンツ・コート農場の真向かいに住んでいたという。フレデリックの土地に由来するナシは何種類もあり、そのなかのひとつが、不運なアダ名を背負っていたのだ。「まわりに訊いてみたら、そんな名前はやめとけ、まともじゃない、と反対された。それでも、この名前に決めたんだ」とマーテルは胸を張る。チェスターのチーズ専門店〈The Cheese Shop〉のオーナー、キャロル・フォークナー(Carole Faulkner)は、スティンキング・ビショップ発売当初から、このチーズを扱っている。「今まで英国に、こんなチーズはありませんでした」とフォークナー。「店に入ってきたお客さんが、『この店に…』といったら、続きは聞くまでもありません。みんな『スティンキング・ビショップはありますか?』と続けます」運命は、マーテルにもうひとつの驚きをもたらした。10年前、アードマン・アニメーションズ(Aardman Animation)が新作映画『ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!』(Wallace & Gromit: The Curse of the Were-Rabbit, 2005)の劇中でスティンキング・ビショップを使いたい、とオファーしてきたのだ。彼は二つ返事で了解した結果、チーズの売り上げは、瞬く間に急上昇した。「映画の依頼がくる前から、私たちはフル稼働していて、毎週5000リットルのチーズを製造していた。事務弁護士がプレスリリースを配ると、木曜日に、ニュースサイト〈Ledbury Reporter〉がそれを取り上げたんだ」とマーテルは回想する。「その翌日には、家の前に記者の列ができ、テレビカメラが押し寄せ、電話も鳴りやまなかった。カナダと日本からも取材陣がきた。グロスターシャー州の小さな農家が億万長者になる、なんていうストーリーは、メディアの大好物だからね。これからどうするのか、と質問されたけれど、私は、何もしない、と正直に答えたよ。そもそも私は怠け者だし、現状に満足している。スティンキング・ビショップは高級品だから、チェーンのスーパーで売りだすつもりもないしね」マーテルは信用に足る男だ。控えめかつ親切で思慮深く、カマンベールのようにマイルドだ。神を冒涜したりもしない。ただし、彼のチーズはその限りでない。