電車で真向かいに座っていた20代前半くらいの男の子。なんべんもなんべんも千円札を数えていました。あまりになんべんも数えるので、私も一緒に数えてしまいました。50枚、5万円分。「おい、バイト! 両替に行ってこい!!」って、電車で行ったのかしら。今年もお疲れさまでした。日々の生活の中で、私たちはたくさんの人たちとすれ違います。でもそんなすれ違った人たちの人生や生活を知る術なんて到底ありません。でも私も、あなたも、すれ違った人たちも、毎日を毎日過ごしています。これまでの毎日、そしてこれからの毎日。なにがあったのかな。なにが起るのかな。なにをしようとしているのかな。…気になりません?そんなすれ違った人たちにお話を聞いて参ります。※手嶋慎(てしま しん)さん 39歳:靴メーカー経営者今日は、宮本さんの先輩がご登場です。(カメラマン:宮本さん)いや、先輩ではなくて…あれ? カメラマンの先輩じゃないんですか?
私はカメラマンではありません(笑)。宮本さん、誰なんですか?(カメラマン:宮本さん)えっと、僕はフットサルを週に1回やっているんですけど、そこに来ているかたです。ああ、フットサルのチームメイトですか?はい、そうです(笑)。(カメラマン:宮本さん)ただ、あんまり喋る機会がなくて。先輩といったのは、人生の先輩という意味です。まぁ、たしかにチームのなかでは、最年長です(笑)。(カメラマン:宮本さん)手嶋さんのこと、ずっと気になっていたので、どんな方なのか知りたくて、今回推薦しました。手嶋さんのこと、好きなんですか?(カメラマン:宮本さん)いや、まぁ…。あまり僕は人に話しかけるタイプじゃないので、ちょっとここでお力を借りようと。ラブコールをしました。手嶋さん、どうですか? 気持ち悪くありませんか?いえいえ(笑)。僕もそんなに人と喋らないですし、「アイツ、なんなんだろう?」って目で見られているのはわかっていましたから(笑)。まぁ、今回お話をいただいたので、ありがたく受けさせていただきました。フットサルチームで、飲んだり、打ち上げとかはしないんですか?ないですね。身体を動かすのが基本ですから。終わったら、そそくさと帰っています。でも最近になって、ちょっとずつ打ち解けてきたかなぁ。(カメラマン:宮本さん)そうですね。共通の知り合いがいることも最近知りました。じゃあ、今日はもっと打ち解けて、手嶋さんと飲みに行けるぐらいにしまよう、宮本さん。(カメラマン:宮本さん)はい、楽しみです。早速ですが、手嶋さんのお仕事を教えてください。はい。靴をつくっています。宮本さん、知っていましたか?(カメラマン:宮本さん)それくらいは知っていますよ。個人でつくってらっしゃるんですか?はい。ブランドをやっています。なんてお名前ですか?〈Makers〉といいます。(サイトを見ながら)うぉー、めちゃめちゃ高そうな靴ばっかりじゃないですか! 革靴ですか?はい、革靴がメインになります。ご自身でコンコンつくられているのですか? 靴職人?職人というわけではなくて、自分で企画し、材料を買い付けて、デザインをしてから工場に発注しています。それをお店に卸しているのですか?はい。全国で30店舗くらいでしょうか。どの辺のお店ですか?都内ならバーニーズ ニューヨークとかですね。バーニーズ ニューヨーク! 宮本さん、入ったことありますか!?(カメラマン:宮本さん)ありますよ。(サイトを見ながら)…え、5万9500円!! この靴は高いほうですか?いえ、いちばん安いほうになります。マジですか! じゃあ、いちばん高いのはどれくらいするんですか?12万とか、13万くらいですね。なにが違うんですか、私が履いている靴と?皮が違います。皮!はい。いちおう、世界でいちばん高い皮を使っているんです。なんなんですか、その皮は?〈ホーウィン〉っていう米国のタンナーなんですけど、すいません、〈タンナー〉ってなんですか?皮から革をつくるメーカーです。そこのコードバン…馬のケツですね、その部分を使っています。通常の値段の20倍くらいします。〈皮のダイアモンド〉っていわれているんですよ。ダイアモンドの靴は、年間で何足くらいつくるんですか?そのタイプですと、200足くらいですね。他のタイプも入れると、年間どれくらいですか?800から1000足くらいになります。
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おひとりでやられているんですか?会社自体は、僕ともうひとり従業員がいます。宮本さん、知っていましたか?(カメラマン:宮本さん)従業員の数は知りませんでした。やっぱり、購入者は大人の男性が多いんですか?まぁ、でも幅広いですよ。上は60歳くらいの方から、下は20代のお客さんもいらっしゃいます。でもこれって高級靴ってヤツですよね?そうですね。いきなり始めて、売れるものではないですよね?はい。最初はまったくダメでした。最初から高級靴というコンセプトでスタートされたんですか?はい。材料費の調達とかはどうされたんですか? 貯めていたんですか?いえ、クソ借金です(笑)。でもいちばん最初にやった展示会で、50足くらい売れたんですよ。ツテもなにもなかったから、結局は友達とか知り合いしか呼べなかったんですけど、みんな買ってくれました。でも結局そこから4〜5年は、バイトしながらの極貧生活でした。でも今は大成功!いえいえ(笑)。まだちょっと借金も残っていますし。Makersを始めたのはいつですか?2009年からです。31歳のときですね。靴の前は、なにをされていたんですか?地元で…愛媛なんですけど、そこの洋服屋で働いていました。では、進学目的で上京されたわけでないんですね。はい。上京したのは13年前です。靴屋になろうと思って、上京されたんですか?いえいえ、まったく(笑)。地元の服屋も辞めて、なんにもすることがなかったとき、東京にいた同級生が「こっちに来る?」と。そのまま20万くらい握りしめて、その友達のところに転がり込みました。永ちゃんみたいですね。東京でなにかやりたいことがあったんですか?いえいえ、これもまったく(笑)。なにも考えていませんでした。とりあえずバイトして、生計を立てて。まったく靴屋さんに届きませんね。どうしてこうなっちゃったんですか? 宮本さん、気になりますよね?(カメラマン:宮本さん)気になります。コールセンターでバイトをしていたんですが、そのなかで偉くなっちゃいまして。ああ、わかります! 私もコールセンターでバイトした経験あるんですが、同じ時期に入ったクセに、いきなり責任者ポストになる同期のバイトいますよね! 手嶋さん、それですか?はい、それです(笑)。で、気付いたら月50万くらい稼いでいて。すごい!!それで自分の部屋も借りて、お金を貯めつつ、バイトをやっていたんですけど、そのコールセンターに、洋服好きの子がいたんですね。僕も好きでしたから、一緒に店でもやるかと。おおー、近づいてきましたね。それで高円寺に店を出したんです。友達は服をつくって、僕は古着を買い付けたりしていました。そうこうしているうちに、靴も置きたいって話になったんですけど、僕自身が売りたいと考える靴がなかったんです。買い付けでは、手に入らなかったと?それもありますし、僕は根本的に古靴がダメでして。人が履いた靴は履きたくなかった。アハハ! 本当に根本的ですね!それで店の権利は相方に譲って、僕は靴の勉強をしようと決めたんです。おー、繋がった!! どこで靴の勉強をされたんですか?バンタンに入りました。27歳のときですね。27歳の同級生、いました?いません、みんな年下です。先生が同い年でしたね。ええ(笑)。その先生が、靴のデザイナーさんだったんですけど、色々アドバイスをいただきまして。「靴をやるなら浅草でやれ」とか。
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ああ、うちの子供のランドセルも台東区で買いました。はい、皮はやはり東のほうが多いですね。それでバンタン卒業後に、その先生の紹介で、浅草にある靴の企画屋さんで2年間勉強したんです。パターンを引いたり、型を取ったり。修行みたいな感じですか?そうですね。で、もろもろ覚えて、自分でつくって、先ほどの展示会に至ります。ほうー! 人生30前からでもまったく遅くないと! 勇気をもらいましたね!(カメラマン:宮本さん)ですね。勢いだけです(笑)。手嶋さん、ご出身は愛媛のどちらですか?新居浜市です。ただ、親の転勤で、千葉市にいたり、西宮市にいた時期もあったのですが、小学校の高学年になって、また戻ってきました。新居浜…行ったことないのですが、どんなところなのですか?海と山ですね。僕の家も海と山のあいだに挟まれていました。あとは、住友系の会社がたくさんあります。財閥!!元々、住友が別子銅山というところを開発していまして、その後、住友グループの各社が生まれたんです。新居浜もほとんどが住友の土地だと思いますよ。やっぱ住友はスゲーなぁ。うちの父親も住友系で働いていたので、転勤が多かったんです。ただ、親父が他界したんで、それもあって実家の新居浜に戻ってきました。お父さん、お若かったんじゃないですか?そうですね、41歳でした。仕事が好きだったみたいですけれど、肝臓をやられてしまったんです。ひさしぶりに戻った新居浜はいかがでしたか?うーん、やはり田舎なので、最初はちょっと不安になりました。それまでは西宮だったんですけど、風呂に入っていても阪神の応援が聞こえるようなところに住んでいたので。甲子園のすぐ近くですか!はい。でもうちは巨人ファンでした(笑)。いち度、〈巨人ー阪神〉戦を観にいったんですけど、間違えてライトスタンドに入っちゃって…ああー、阪神側。そうです(笑)。巨人のメガフォンを持っていたんですけど、親父に「股のなかに入れろ! 隠せ!!」といわれたのを覚えております。アハハ。ちなみに千葉はどちらにいたんですか?稲毛区です。やっぱり新居浜に比べると都会ですものね。それに新居浜に戻った当時、僕は髪の毛が長かったんです。それで〈オカマ〉とかいわれて。ありがちですね(笑)。すごく嫌だったので切ったら、今度は天然パーマが出ちゃって。〈天パ〉と呼ばれて(笑)。その通りです(笑)。肩身狭かったですね。そんな暗黒期をどのようにして乗り越えたんですか?えっと、サッカーですね。ああ、この頃からお好きだったんですね。宮本さん、知っていましたか?(カメラマン:宮本さん)知るわけありません。サッカークラブに入っていたんですか?はい。地元の選抜チームにも入っていたんですよ。おお、本格的。では中学もサッカー?そうですね。土日もずっと練習してました。ずっとサッカーだけですか? 女の子のことも教えてくださいよ。ああ(笑)、中3のときに付き合った子がいました。いっこ下の子でした。新居浜にデートするところあるんですか?ありますよ。新居浜、バカにしてるでしょ(笑)。すいません、ちょっと新居浜の規模がわからなかったもので。駅前とかは、まぁまぁ栄えていたと思いますよ。ダイエーもあったし、ドムドムバーガーも。でも中学生なので、デートとか頻繁にするわけでもなく、一緒に登下校するくらいでした。サッカーが本当に忙しかったですし。じゃあ、高校に入ってからもサッカー三昧だったんですか?
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いいえ、高校じゃなくて、高専でした。手嶋さん、かしこかったんですね! でも高専とサッカーってあまり結びつかないんですけど。新居浜高専ってところなんですけど、結構サッカーが強かったんです。良い先生もいるって聞いていたので、色々相談して決めました。でも高専って、工学とかですよね? 元々そういうのがお好きだったんですか?いえいえ、まったく。ただサッカーがやりたいっていうのと、試験が早く終わるってところで。試験が早く終わる?高専は、入試が1月くらいだったんですよ。高校は2月じゃないですか? 早く終わりにしたかったので(笑)。でも高専って5年間ですよね? サッカーの大会とかって、どうなっているんですか?僕らの頃から、高校の大会にも出られるようになったんです。あと高専大会もありましたね。じゃあ、高専もサッカー三昧だったと。いや、それがそうでもなくて(笑)。どうしちゃったんですか(笑)。えっと、ダブっちゃったんですね。フムフム。普通に3年まで進んだんですけど、ここでダブりまして…フム。そしたら、またダブりまして。2ダブですね。ダブダブバーガーですか。2ダブしちゃうと、強制退学になるんです。エー!! どうしたんですか、それで?学校、辞めました。そもそも、なんでダブっちゃたんですか?え? もちろん、学校に行ってなかったからです(笑)。なんでですか?うーん、高専って自由なんですよね。自由だからって辞めないでしょ(笑)。具体的にお願いします。うーん…。まず1年で原付の免許が取れるんです。みんな原付で通学するくらいですから。はい。で、3年のときに、今度は中免が取れるようになるんですけど、友達のうしろに乗っていたら、事故っちゃったんですよ。あらー。で、膝をやってしまいまして、まずそこでサッカーができなくなって。ああ、すいません、悲劇があったんですね。あ、すいません。できなくなって…じゃなくて、僕の心が折れただけでした(笑)。正直ですね(笑)。それで、高専は単位制なので、自分で授業の計算ができるんですね。そっから、この授業はまだ大丈夫、ここ落としてもまだ平気、なんて考えるようになって、パチンコしたり、麻雀したり、タバコも吸いはじめて。オカマ髪の可愛かった手嶋さんがそんな子になるなんて…はい、完全に曲がりました(笑)。それで、3年からバイトも始めたんです。最初にいった洋服屋なんですけど。あー、そこから、働いていたんですか。はい。学校を辞めたあとは、その洋服屋に就職しました。どんな洋服屋さんだったんですか?わかりやすくいうと、セレクトショップですね。そこで販売をやっていました。今もその店に靴を卸していますよ。でも、学校も辞めちゃって、将来に不安とかはなかったんですか?うーん、なかったですね。あと、その洋服屋に内緒で、夜は違う仕事もやっていたので、忙しかったですし。なんですか? よろしくないお仕事ですか?いえいえ(笑)。サパークラブっていうんですか。バーみたいなところです。ああ、カウンターのなかにいる人ですか?そうです、そうです。お酒つくって、おしゃべりして。はい。そこのお客さんには、昼の洋服屋にも来てもらって、洋服屋のお客さんには夜のサパーにも来てもらって。うまく回転していましたねぇ。ああ、コールセンターの喋りテクは、ここで培ったと!!いえいえ(笑)。そして現在の東京時代に至るわけですが、お仕事以外にはなにをされています? ご趣味とか?
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そうですね、車が好きです。宮本さんも好きですよね?(カメラマン:宮本さん)はい。おお、男の趣味。それじゃあ車遍歴も訊いちゃおうかな。まず最初は、高専3年のときに中古のアコードを、そして20歳くらいのときに新車のレガシーに乗っていたんですけど、やっぱ旧車がいいなぁ、と思いまして、サニートラックを。ああ、あの四角くて可愛いヤツ。はい、つい最近まで、それに乗っていました。すいません、私、車のこと、まったくわからないんです。「車が好き」って、結構いらっしゃいますけど、何が好きなんですか? 改造したり? それとも運転?僕は運転が好きですね。じゃあ、新居浜時代もアコードとかレガシーに乗って、出かけてたんですか?そうですね。スノボーに行ったり、サーフィンに行ったり、キャンプですね。超満喫してるじゃないですか! なんか手嶋さん、いいですよね。生活に余裕があるというか、都度楽しんでらっしゃるというか。(カメラマン:宮本さん)そうですね、かっこいい。いやいや、なにも考えてなかっただけです。今、乗ってらっしゃる車は?フェアレディZです。初代のS30ってヤツです。おおー、スポーツカーじゃないですか。サーキットの狼!湾岸ミッドナイト!でも故障とかありますよね?はい(笑)。4日目に止まって、修理して、また1ヶ月後に止まりまして、旧車専門の業者に預けて、そこから100万くらいかけて、ようやく本物の車になりました。窓とか、アレですよね?はい、クルクル回すヤツです。ナビは?ついてません。エアコンは?もちろんないです。夏はどうしているんですか?夏は暑いです。それでも乗ってるんですか?はい。(カメラマン:宮本さん)かっこいいなぁ。すいません、よくわかりません(笑)。古い車のどこに魅力を感じるんですか?技術は進歩してますけど、今はお金をかけていないじゃないですか?んん? どういうことですか?例えばフロントなんて、全部FRPですし。なんですか? FRP? FYP? ポップパンク?(カメラマン:宮本さん)プラスティックみたいなバンパーで。そうそう、ずっと乗ってると変色しちゃうんです。昔の車は、全部鉄でつくっていたんですよ。それに鉄は、機械でつくるのにも限界があるので、人が手で曲げたりしているんです。そういう国産車はもうなくて、今やっているのは、ポルシェとか、フェラーリとか、ランボルギーニとか、桁が違う額の車だけなんです。やっぱり技術が乗っかっていますからね。値段が高いのには、ちゃんと理由があるんですよ。はー! 男のロマンですねぇ!! でもそんなスポーツカーが買えるくらいになったんだから、やっぱご商売は順調なんですね。いやぁ、ですから、そんなことありません(笑)。車はローンで?いえ、現金です。現金じゃないと、彼女が許してくれませんから(笑)。お、出ましたね。彼女さんのことも訊かせてください。どこで知り合ったのですか?同級生です。小・中の同級生。すげえ長く付き合ってる初恋の子とか?いえ、違います(笑)。僕は参加していないんですけど、新居浜で同窓会があって、LINEのグループができたんです。彼女は大阪、僕は東京だったんですけど、そこでやりとりしているうちに、こうなりました。小・中の頃から、気になっていたんですか?いえ、全然。喋ったこともなかったですから。へぇー、ロマンスですねぇ。今も彼女さんは大阪ですか?
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いえ、一緒に住んでいます。来年中に、結婚しようかな、って感じです。おおー、おめでとうございます! いろいろありましたが、手嶋さん、素敵な人生でしたね。まだ終わっていないです(笑)。落ち着いてらっしゃるし。2ダブしたとは思えない。(カメラマン:宮本さん)フットサルのときもクールなんですよ。練習後も寡黙ですし。疲れているだけですよ(笑)。宮本さん、どうでしたか? 手嶋さんのこと、わかりましたか?(カメラマン:宮本さん)はい。今度は飲みに行って、もうちょっとお喋りしたいです。どうですか? 手嶋さん?僕は、遠慮しておきます(笑)※「Who Are You?」では、インタビューを受けて下さる方を募集しています。自薦、他薦、構いません。お名前、ご年齢、性別、お住まい、ご職業、応募の動機を明記の上、こちらまでお問い合わせください。