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ベルリンの壁崩壊から25年、東西を分断する光

1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊してから25年、街が再び東西に分断された。しかし今回は越えられない壁ではない。
14 November 2014, 5:20am

東西を光が分断する

1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊してから25年、街が再び東西に分断された。かつて壁が存在していたシュプレー川に架かるオバーバウム橋からボーンホルム・ロードまで全長16km、今回は超えられない壁ではなく、白い光を放つ24個のバルーンが、街を囲んだ。

インスタレーションを制作したのは、アーティスト兼デザイナーのクリストファー・ボウダー。彼は1998年に映画監督の兄マーク・ボウダーと共に、70年代にドイツの秘密警察に狙われていた民主共和党の若者たちを捉えたドキュメンタリー映画『Keine Verlorene Zeit(失われない時)』を制作。彼自身も秘密警察に捕えられ、西ドイツ政府によって開放されるまで、2年間刑務所に収容されていた過去を持つ。 壁と同じ約3mの高さを持つバルーンと共に、9mの大きさがあるスクリーンが6つの重要なロケーションに設置され、25年間の軌跡を振り返る映像が流されていたり、1kmごとに壁にまつわる物語が展示されていたりと、ベルリンの今と過去を対峙させるよう工夫されている。また、環境大国として知られるドイツならでは。LEDのライトを使用し電力消費を抑えただけでなく、微生物が分解してくれる素材を使い、環境への負担を減らした。

かつてはそこに壁があった、ということが何を伝えるのだろうか。感傷的なトーンの物語が目立つが、この記事では「移動の自由」に対して制限を課す権利を、国家なしいは権力者が所有するようになった経緯を辿ってみたい。

「移動の自由」を制限する権利は誰のもの?

現在、西欧的な社会においては、国民主権という名目で成り立っている。あくまで名目上だが、最高の権力者は国民。そして人間が生まれながらにして持っている「人権」を保障することが、権利を預かる国家の役目だ。 ヨーロッパでは、国民国家制になる前の、さらに王権制の前の、社会が土地を基盤にした生産に依っていた頃は、土地を持っている人が最大の権力者であった。諸々例外はあるが、領土を保有している人はその土地を貸し与え、敵の攻撃などから農民を保護する、その見返りとして、土地の使用者に生産物を納めることと、有事の際には兵力として戦いに参加することを求めた。これが、いわゆる「封建制」の基本原則だ。 ここで農民は、現在の私たちそうであるように、お給料をもらっていたのではない。「農民奴隷」として耕す土地に拘束され、労働し生産物の一部を納めることで、土地の保有者に保護してもらっていたのだ。次第に貨幣で労働代が支払われるようになると、労働の効率を上げることで余剰の時間を作り、ものを作って商売をするなど、土地に縛られない働き方が生まれてくる。すると農民たちの中には自由を求めて都市へ逃げ込んだり、独立して農業を営む者も登場し、徐々にこの制度は立ち行かなくなった。 決定的だったのは1789年頃、フランス革命の果てに農奴制が廃止されたことだった。 地域によってその後の展開にばらつきがあるが、市民たちが国民を主権とした国家の成立に向け戦った末に、「移動の自由」を獲得したのだった。それは、土地に根差した労働と、土地を保有する権力者からの開放だった。人の自由な行き交いは、資本主義経済の発展のために不可欠な要素だということもあり、現在「移動の自由」は基本的人権の一種として位置づけられている。ただし「公共の福祉に反しない限り」という条件付きで、だ。 「公共の福祉」とは何だろうか。少なくとも東ドイツにとっては、西側への人口流出が経済的な大打撃だった。国家の繁栄に逆らう「移動」は制限されるというわけか。 現在、日本で生きる人間に「移動の自由」はあるだろうか。壁はなくとも、日常の生活圏から離れる隙がない。時間が足りないのだ。空間を隔てる壁はなくとも、日常という重い足かせが「移動の自由」を制限しているのかもしれない。しかし誰が、足かせをはめたというのだろう。