ジャンル未満をムーヴメントにさせたコンピ・シリーズ『EMO日記』

1997年、〈DEEP ELM RECORDS〉は、記念碑的コンピレーション・シリーズ〈The Emo Diaries〉のリリースを開始した。まだジャンル未満だった〈エモ〉のあらゆる欠片を集め、ムーヴメントにまで高め、意味を定義した結果、その後10年にわたり、〈エモ〉は、ロックシーンにおいてもっとも影響力の強いジャンルに成長した。

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mar 5 2018, 2:30pm

1997年、〈DEEP ELM RECORDS〉は、記念碑的コンピレーション・シリーズ〈The Emo Diaries〉のリリースを開始した。第1弾『The Emo Diaries Chapter 1 : What’s Mine Is Yours』は、まだジャンル未満だった〈エモ〉のあらゆる欠片を集め、ムーヴメントにまで高め、意味を定義した結果、その後10年にわたり、〈エモ〉は、ロックシーンにおいてもっとも影響力の強いジャンルに成長した。〈The Emo Diaries〉の1作目に参加したほとんどのバンドは、レーベルとも契約しておらず、注目度もほとんどなく、ハイプとは程遠い存在だった。しかし、この作品によって、〈エモ〉という、嘲笑的ですらあった単語が、初めてメインストリームに躍り出た。〈エモーショナル・ハードコア/エモコア〉ではなく、ただの〈エモ〉だ。米国のオーディエンスは、DEEP ELMが育てたジャンルを積極的に受け入れた。しかし、その後、同ジャンルの行き過ぎた商業化を目の当たりにしたDEPP ELMは、〈EMO〉を忌避するようになる。

『The Emo Diaries Chapter 1 : What’s Mine Is Yours』の10年後、Deep Elmは、商品化され、水で薄められた〈エモ〉に嫌気が差し、本来のエモを取り戻そうとした。DEEP ELMは、1997年の『What’s Mine Is Yours』で〈エモ〉の普及に貢献したが、2007年の『The Emo Diaries Chapter 11: Taking Back What’s Ours』では、かつて彼らのジャンルだった〈エモ〉がHot Topic、MTVに牛耳られている状況を糾弾していた。

『What’s Mine Is Yours』は、オルタナ・キッズにとって未知との遭遇だった。ハードコアの独自解釈から生まれた〈エモ〉のサウンドは、徹底的にヘヴィなスタイルから、静けさを湛えたメロディアスなスタイルまで、多岐に亘る。つまり、〈エモ〉とは解釈なのだが、同コンピレーション、そのあとに続いた、似たような作品の感傷的なタイトル、ジャケットのアートワークがカルチャーにおける〈エモ〉のポジションを確立してしまった。少なくとも表現上において、エモは、審美的要素の強いジャンルである。同コンピレーションは、〈TREE RECORDS〉のシリーズ『Postmarked Stamp Single』、〈CRANK! RECORDS〉の『(Don’t Forget to)Breathe』などのコンピレーションとともに、愛すべき、ときには、嘲笑われるべき、エモのステレオタイプを確立した。メソメソしたタイトルから、フォトグラファーが〈中庸〉を見出した刹那にシャッターを切ったであろう特に意味のなさそうなアイテムのモノクロ写真まで。いずれも、現在ではすっかり定番だが、エモ特有の〈美大を中退しました〉的ビジュアルや雰囲気は、ほぼ、『What’s Mine Is Yours』に端を発している。

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DEEP ELMの創立者であるジョン・ズッチ(John Szuch)は、意識的に〈エモ〉という呼称を当てはめたのではない、と主張する。実際、初期の仮タイトルは『The Indie Rock Diaries』だった。しかし、参加アーティストのなかでも、JIMMY EAT WORLDとSAMIAMが既にメジャーレーベルと契約していたため、名前を変えなくてはならなかったという。DEEP ELMは、オープンな姿勢でこのコンピレーションを制作したので、多岐にわたるキャリアを持つさまざまなバンドが参加し、素晴らしい内容となった。その後、スーパーバンドに成長するJIMMY EAT WORLD、エモのゴッドファーザーともいえるCAMBERといっしょに、ONLY AIRPLANES COUNTなど、短命に終わったバンドも参加している。DEEP ELMは、ハイプなバンドをあえて外し、成長中だったシーンの核心をオーディエンスに提示したのだ。

〈The Emo Diaries〉というタイトルは、期せずして世間にシーンを知らしめた偶然の産物だが、かつてバンカー(投資銀行家)だったズッチは、チャンスを逃さなかった。このコンピレーションのレビューを見ればわかるように、当時は〈エモコア〉という言葉が好んで使われていた。そんななか、彼は、〈コア〉を除き、ハードコアとのつながりを希釈し、単なる〈エモ〉にしたことで、同ジャンルは、あらゆるサウンドを無尽蔵に受け入れられるようになった。それにより、ハードコアとは無関係なバンドも〈エモ〉に分類されるようになった。あらゆるバンドをフィーチャーする、新たな上位カテゴリー〈エモ〉は、若きDIYのアーティストたちや、ツアーバンドにスキップされる音楽的辺境に住んでいたオーディエンスにとっての道標だった。

コンピレーションは、JIMMY EAT WORLDの〈Opener〉から始まる。JIMMY EAT WORLDは、その後、ほぼ間違いなく世界的エモの伝道師に成長する。同曲には、もちろん、ポップ・パンクに影響を受けた、JIMMY EAT WORLDならではの洗練されたポスト・ハードコア要素もあるが、〈The Middle〉などの曲がヒットしたあとの、MTV『トータル・リクエスト・ライブ』の視聴者たちが知っているようなJIMMY EAT WORLDのサウンドとはかなり違っていた。ニューヨーク出身のCAMBER(彼らのデビューアルバム『Beautiful Charade』は、同じくDEEP ELMから、コンピレーションと同年にリリースされた)、SAMIAM、JEJUNEは、コンピレーション収録バンドのなかでも知名度が高かった。それに加えて、JAWBOXのフォロワー、LAZYCAIN(のちにJAWBOXのJ.ロビンス(J. Robbins)がEPをプロデュース)、ポストロックの先駆者であるRACE CAR RIOT、そして〈グランジ・ミーツ・パワーポップ〉なFAST ACTIONらも参加したこのコンピレーションは、DEEP ELMだけでなく、広義の〈エモ〉をも象徴している。その後、〈The Emo Diaries〉シリーズに参加したバンドは、FURTHER SEEMS FOREVER、PLANES MISTAKEN FOR STARS、THE MOVIELIFE、そして日本のNAHTなどだ。

しかしDEEP ELMは、このシリーズで9枚のコンピレーションをリリースすると、シーン形成に寄与したにもかかわらず、エモからいったん離れた。〈エモ〉という言葉が鋭さを失った状況にうんざりしたズッチとスタッフは、自ら育てたトレンドから手を引いたのだ。しかし2007年、数年の休止期間を経て、エモを取り戻すべく、彼らは再び動きだした。その再始動第1弾コンピレーションのタイトルは単刀直入だった。『Taking Back What’s Ours:俺たちのモノを取り返す』。しかし、そのタイトルをもってしても、ズッチが忌避した世間のエモ熱は冷めなかった。当時、エモのなかでも勢いがあったSAY ANYTHING、MOTION CITY SOUNDTRACKなどのバンドへのアンチテーゼにはなっただろうが、『Taking Back What’s Ours』は、DEEP ELMの別コンピレーション・シリーズ『This is Indie Rock』程度のインパクトしかシーンに与えられなかった。2012年には、シリーズ最後の『I Love You but in the End I Will Destroy You』をリリースしたが、それ以来、ズッチは同シリーズをリリースしていない。

天才による賜物、あるいはまったくの偶然か。〈The Emo Diaries〉シリーズ、特に1枚目の『What’s Mine Is Yours』は、エモというジャンルが世間に広まるにはベストなタイミングでリリースされたのだ。BBSでは、〈エモとは何か〉〈エモという言葉のバカバカしさ〉といった議論で沸き返った。間違いなくDEEP ELMは、シーンをまとめ、エモのスタイルを確立したのだ。〈The Emo Diaries〉は、リリースから何年ものあいだ、エモキッズにとって、寮の部屋、CDラックに並べるべきアイテムだった。シリーズに参加したバンドには、成功を収めたバンドもいれば、あまり有名でないアーティストもいる。しかし、このシリーズへの参加は、エモ史に永遠にその名を刻まれるチャンスだったのだ。

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