指定暴力団に完全密着したドキュメンタリー『ヤクザと憲法』の衝撃vol.2

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指定暴力団に完全密着したドキュメンタリー『ヤクザと憲法』の衝撃vol.2

先日、ある出版社から筆者(御取引先様)のもとに「暴力団等排除に関する誓約書」という紙が送られてきた。暴力団員、準構成員その他これらに準ずる者に該当しないこと、これらの者と密接な関わりを有していないことを表明し保証せよ、とのこと。

© 東海テレビ放送

先日、ある出版社から筆者(御取引先様)のもとに「暴力団等排除に関する誓約書」という紙が送られてきた。暴力団員、準構成員その他これらに準ずる者に該当しないこと、これらの者と密接な関わりを有していないことを表明し保証せよ、とのこと。ほかにもあるが、違反すると契約の全部または一部を解除するそうだ。親兄弟、親戚、友人などにヤクザがいたら、その会社とは仕事ができない。いつの間にか出版社が警察の手先のようなことを、さもそれが当然のように言う時代になってしまった。暴力団排除条例施行後のがんじがらめな現在を、ヤクザだけの問題とせず、自らのこととして考えるきっかけとしたい。

『ヤクザと憲法』──。東海テレビの取材班が大阪の二代目東組二代目清勇会に密着。40分テープ500本におよぶ映像素材から72分に編集された本作は2015年3月30日夜に放映された。そこに描かれていたのは、生活者としてのヤクザたちのあまりにリアルな日常だった。
今回、96分に再編集した劇場公開版の上映に先立ち、ディレクターの圡方宏史氏にインタビューした。取材対象者に対する思いや現場での迷い、作品を振り返っての批評などが、真っ正直な言葉で語られる。阿武野勝彦氏(プロデューサー)のインタビューと合わせてお読みください。

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圡方さんの肩書きは「報道局報道部記者」となっていますが、ドキュメンタリーをつくる部署にいるわけじゃないんですか?

そういう部署はないんです。ふだんは記者の仕事をやっています。僕らの場合はドキュメンタリーを撮らなきゃならないのではなく、撮りたいものができたとき、プロデューサーの阿武野に「やりたいです」と企画をもち込みます。

今回は取材対象がヤクザですが、「やりたいです」と言ったときの阿武野さんの反応はどうでしたか?

スタッフに身体的な危害が加わる可能性がある取材をプロデューサーとしては容認するわけにはいかない。これはできないと一度は断られました。僕に諦めさせるためだったと阿武野があとで言っていましたが、いろんな人のところに連れていかれました。それで県警のOBや弁護士の先生から話を聞くうちに、少しずつ阿武野が変わっていって、気がついたら彼のほうが前のめりになっていました。まぁ、最初からそうなる予感はしていましたが。

前作の『ホームレス理事長』とは阿武野さんの反応が違いましたか?

『ホームレス理事長』のときは「相談をするな」と言われていました。現場で考えて、スタッフのなかで一番いいと思ったものを俺にぶつけてこいという考えです。しかし今回は、取材対象がいわゆる反社会的勢力ということもあり、最終的にこれが放送できるかどうかの一線が非常に微妙になってくるだろうと彼は予測していたようです。初期の段階で、「弁護士を取材してくれ」と言われました。「これはマストで入れろ」と。僕らは非常に苦しみました。「わかりました。弁護士は取材します」と言いつつ、阿武野に黙って山之内幸夫弁護士を取材しました。山口組の顧問弁護士ですね。

阿武野さんは、圡方さんたちが山之内弁護士を取材していることを知らなかった?

最初は伝えていません。引き返せなくなったタイミングで、なんとなくは伝えた気がしますけど……。弁護士をなんで取材するかというと、世間から見て黒い人たち(ヤクザ)のなかに白い人(弁護士)をひとり混ぜて放送しようという狙いがあったからです。ところが山之内さんはヤクザの弁護士ですから、黒い人たちのなかにもうひとり黒い人がいるように見えてしまう。取材しながらスタッフは山之内さんで大丈夫と確信していましたが、阿武野に対して、「約束は守ったじゃないですか」とは言えません。怒られるのかな〜と思いました。

本作のなかの山之内さんには、ヤクザとともに衰退していく哀愁のようなものが漂っています。

その通りです。それが今回の作品のなかで山之内さんに担っていただいた役割といえるでしょう。実際、ヤクザとの接点をもった人たちは、ヤクザと一緒に追いやられていく。ヤクザを取材している僕らも同じです。メディアも排除されつつある。世の中全体がそうなってきていますよね。そんな現状を山之内さんは表していると思います。

山之内弁護士がカメラの前で著作や映画化作品、法律監修した作品について語るシーンはなんとも得意げで、かわいい人だなと思いましたが。

なんだ、この人は!? と思いましたよ(笑)。僕らは常々、取材対象は愛すべき存在でなくてならないと考えています。少々間が抜けて見えてもいい、おっちょこちょいでもいい、どこか愛すべき存在であれば。この人、かわいいなぁと思えないと取材対象として成立しません。例えば、『ホームレス理事長』の山田理事長はそういう存在ですね。でも正直に言うと、山之内さんには最初それを感じなかった。もう、先生困りますよって思いながら取材に入った記憶があります。

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山之内法律事務所の事務員のおばちゃんは素敵な方ですね。ふたりのやりとりを見ているとあたたかい気持ちになります。

そうなんです。山之内さんの人間性や愛すべき部分を表現する際、あの事務員さんの存在は欠かせませんでした。昔、山之内さんのご実家が魚屋さんだったことは『ヤクザと憲法』でも語られていますが、実はあの事務員さんはそこで女中さんとして働いていたんです。本筋から外れるので出しませんでしたが、魚屋さんがつぶれたとき、山之内さんが彼女を引きとったそうです。ふたりは50年ぐらいのつき合いで、家族みたいな関係なんです。ほかの事務員さんが辞めていっても彼女だけは残っている。山之内さんに対する話し方も事務員さんにしてはずいぶん親しげですよね。そんなところから山之内幸夫という人物像が見えてくる。山之内さんの人の良さも出ていると思います。

山之内弁護士ご自身が語ったり、過去のニュース映像を使って彼の活動を説明するよりも、あのおばちゃんの存在のほうが山之内さんという人間を雄弁に語っている気がします。

そこが山之内さんのラッキーなところなんです。あのおばちゃんがいなかったら、取材対象を別の弁護士さんに変えようとしたかもしれない。あのおばちゃんが山之内さんの人柄に気づかせてくれたんです。だから僕らもラッキーでした。

撮影中の2015年1月、山之内弁護士は裁判で有罪になります。そのことを計算して撮影に臨んだのでしょうか。

偶然です。東海テレビでは、「想像するな。想像することは起こらない」というのをドキュメンタリーのルールのひとつに定めています。これはドキュメンタリーの神様がいるという設定で。……というのは想像上の話ですけど(笑)。ドキュメンタリーの神様は想像したことは起こさない。だから目の前で起きていることを受けとめる。それを肝に銘じてやってきたつもりです。

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話はさかのぼりますが、ヤクザを撮ろうと思ったきっかけはなんですか?

愛知県警の4課担当をやっていたときに警察関係者が言いました。「ヤクザはもう追い詰められて、絶滅寸前だよ」と。強い者の代表みたいに見ていたヤクザが、一番底辺にいる弱者なんじゃないかと思いました。いま、テレビのドキュメンタリーは思考停止になりつつあって、誰からもお墨付きの弱者しか扱いません。それはそれで、とんでもない差別だと思います。僕はまず、ヤクザが強者か弱者かを確かめに行ってみようと思いました。そういうモチベーションで始めた企画なんです。少々ひねくれてますけどね。

取材中、スタッフは圡方さんを入れて何人ですか?

3人。私とカメラマンと音声です。

3人という人数は、受け入れる側にとっては多いですね。ヤクザの人たちが、カメラに慣れるまでに時間がかかりましたか?

ヤクザの特徴のひとつだと思うんですが、カメラの前でさらけ出してくれるまで、まったく時間がかかりませんでした。ふつうは2カ月ぐらいかかるんです。人間関係ができるまで2カ月は無駄にまわせ(撮影しろ)と僕らは教わってきました。人というのはなかなか内面を吐露しないし、距離感を保とうとするものなんです。でもヤクザは違いました。ヤクザは、親分が黒と言ったものは黒、白と言ったらそれがカラスであっても白なんです。だから親分が客人と認めた瞬間に、距離感がグググッと近くなるんですね。

取材者の3人は、みんな同じように取材対象に近くなりましたか?

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基本的には同じでした。僕はディレクターなので前に出て、視聴者の代表のつもりでアホな質問をたくさんします。みんなが知りたいようなことを。するとヤクザの人たちはだんだん怒りはじめるんです。「そんなの当たり前だろう」と。そうやって僕を怒ったあとでカメラマンに「こんなアホと一緒で大変だなぁ」と言ったりする。「お前なら話わかるやろ」と。そうやって僕がダメだと思われても、3人いるのでずいぶん助かりました。

冒頭でいきなり圡方さんが言うところの“アホな質問”が出ますが、作品中の時系列は撮った順になっていますか?

ほぼ順番通りだと思います。年長のほうの部屋住みの人に事務所を案内してもらったのが、取材に入って2、3日したころでした。阿武野から、「気持ちが新鮮なうちにわからないことは全部聞いたほうがいいよ」とアドバイスされていましたから早めに聞きました。

「マシンガンとかでは?」「拳銃はないんですか?」「覚せい剤ですか?」とか質問していましたが、聞かれたヤクザが「そうですよ」と答えたらどうしたと思いますか?

わからないです。その場でどうしたか、撮影したテープをどうするか、オンエアはどうするか、僕らがとるべき行動は何か──正直わかりません。ただ、ひとつ言えるのは、彼らはギリギリまでしか見せない。おそらく警察官とよく会話しているからだと思うのですが、尻尾を摑ませないということに非常に長けています。法的にアウトになることは何も撮っていません。たとえ全テープを警察に没収されたとしても、犯罪を立証できる証拠は出ません。映していないというより、映らなかったんです。

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ヤクザに怒られた話をひとつ聞かせてください。

僕らは取材する側として暴排条例を凄く気にしていました。「たこ焼き買ってきたから、お前らも食え!」と言って、ヤクザがおごってくれようとしたことがあるんです。「半分食べろ」と。僕は神経質になっていましたから、たこ焼きを食べることが、どういう影響を及ぼすかわからなくて怖かったんです。暴排条例違反だと言われたらそんな気もするし、一線を越えちゃう恐怖がありました。それで「お金を払います」と言ったんですよ。「400円の半分だから200円払います」と。そしたら「お前らアホか、いい加減にしろ!」と怒られました。当たり前ですよね。同じ人間同士でおごってやるって言うのにカネを出すなんて失礼だって話で……。「俺がやったものが食えんのか」と怒って、しまいには「それは差別だ」と言う。きっと差別なんでしょう。だって同じ人間なのに極端なところしか見ていないわけですから。暴排条例というものの恐ろしさが身に沁みました。メディアに属している僕がそうなんですから、一般の人たちはもっと怖いだろうなと容易に想像できますね。

生きていけないほどヤクザを追いつめるのは差別なんじゃないかと考えさせられる作品ですが、その取材者がヤクザから「差別だ」という言葉を突きつけられていた。

たこ焼きの話には取材者も状況に入り込んでしまうことの恐ろしさがあります。『ホームレス理事長』で、カメラの前で取材対象にお金を貸してくれと食いさがられ、狼狽しているところを撮られたことがありますが、それに似ています。ヤクザが絶滅するかどうか、高みの見物をしていられるうちはよくても、自分たちが引きずり込まれそうになると急に腰が引けてしまう。面白いシーンになるかもしれませんが、今回のように相手がヤクザだと、取材行為自体が彼らの代弁=利益供与ととられる可能性もあります。「お前らは暴排条例に違反しているよ」と言われたら、少なくとも僕は「なるほど〜」と言っちゃいますね。暴排条例は法律ではなくて条例です。法律のような明確な物差しがなく、警察がダメと言ったらダメなんです。その恐ろしさは、暴対法よりももう一歩進んでいます。

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たこ焼きのことで怒られたとき、撮影してましたか。

撮りました。使っちゃいけないわけでもなかったし、編集の段階でも使いたいと思ってましたが、最終的には残せませんでした。取材者が暴排条例にビビっているのを面白く描くことの優先順位が、さほど高くなかったんです。それよりも例えば、暴排条例が及ぼす直接的な影響、そして貧困や差別といった彼らの背景──そういうヤクザをやる人たちの多くに共通している何かを、まずは出したかったんです。

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大石さんと部屋住みの子の疑似親子関係がとても印象深く描かれていました。

そうですね。部屋住みの子を描くことは、テレビ放映版では優先順位が高くなかったので落としましたが、今回はどうしてもやりたくて。劇場公開版をつくるにあたって、「部屋住みの子を入れたい。映画とテレビの違いはそこにしたい」と編集マンに伝えました。大晦日の晩に居場所のないふたりが、事務所でテレビを観ながら馬鹿話をしているという幸せ。彼らにとっての幸せと寂しさを描きたいと思ったんです。

ヤクザ関係の本などを読むと“疑似家族”という言葉をよく目にするのでわかったつもりになっていましたが、あのシーンで実感しました。

僕もてっきり肩書き程度に思ったんですよね。“部長”の代わりに“叔父貴”みたいな。ところが、もっともっと濃かった。なんらかの不幸な生い立ちや家庭環境を経験している人が多くて、帰属するものに飢えている。だから、互いに本当の家族のように思っている。その結びつきの強さに驚かされました。

二代目東組二代目清勇会を取材することに決めたのはどうしてですか?

コネクションから二代目清勇会たどり着きました。結果的によかったと思っています。古いタイプのヤクザですから。彼らの言葉でいうと“任侠”、僕らの言葉でいうと“ヤクザ”。とても人間関係を重んじています。疑似家族を母体として、経済活動は優先順位の下にある。そんな団体です。指定暴力団のなかでも希有な存在じゃないでしょうか。おそらく、大きな組織なればなるほど、もっと経済的な結びつきが強く、サラリーマン化しているでしょう。ヤクザ全体が絶滅危惧種のようなものですが、なかでも極めて減少している絶滅寸前種といえるかもしれません。

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映像として残してくれてよかったと思います。ドライな言い方ですが民俗学的にも。

記録映画としての意味合いもあるかもしれません。もしかしたら50年後には存在しないかもしれない共同体ですから、彼らの日常を記録として残しておきたいという思いがありました。それこそ民俗学的、社会人類学的にも。ここには日本的な価値観や文化が凝縮されていると思います。家父長制で、曖昧を良しとする文化。あの部屋住みの子なんて、引き受けるメリットが組にはないのに、それでも置いておく。メリットがあるかどうかで判断しない。日本から失われようとしているある部分が、彼らのなかに色濃く残っています。まぁ、就活生に言わせれば、ブラック企業みたいなものですが。挨拶しなきゃいけないし、逆らえないし。

給料もない。

ブラック企業って何かというと、昔の日本なのかもしれないですね。

ホワイトボードがあるのが会社みたいで面白かったです。磁石に名前が書いてある人たちはなんですか?

責任者、その日の当番ですね。責任者が曜日ごとに決められていて、日曜日はいないので、6人です。担当する日に事務所に行って、何かあったら責任者として対応する。でも、いまは携帯電話があるんで、組事務所の役割は形骸化しているようです。

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取材を終えるタイミングはどうやって決めますか?

タイミングはないんですよね。ある日終わるんです。

作品のなかの川口和秀会長の言葉で思わず唸ったことがあるんです。

なんだろう、ヒントをください。

タイトルの「ヤクザと憲法」に関わることです。

ああ、「人権を盾にとって──」と言うところですか。なるほど。

あえて迷いがあるような聞き方をしているじゃないですか。

あれは僕がビビってるんですよ。「ヤクザと人権って不思議な組み合わせのような……」とか言ってないで、しっかり質問しないといけないのに。いまでもあそこは聞くたびに物凄く恥ずかしいです。編集マンにもドヤされました。取材者として僕の生ぬるいところなんです。長く取材しているうちにどんどん取材対象に近くなって、聞きづらくなってしまう。「ヤクザが人権なんて、ちゃんちゃらおかしくありませんか? だって、あなたたち法を破っているんでしょう?」とか、本当はバシッとぶつけるべきでした。

でも、その人らしさを感じさせる自然な言葉を引き出していると思います。「実際に被害受けてるからね、人権を盾にとって、ヤクザに人権ないんかって言ってるだけであって」という。ヤクザも生活者ですから。

あらためて考えたことはありませんでしたが、僕らのなかに、取材対象者を自分たちの枠に収めたいという思いがあったんでしょう。それはテレビマンの悪い癖なんです。もっと心から人権のこと考えてくださいよって、現場でやきもきした記憶があります。テレビ的に都合良く考えていたんです。「盾にとって」と言われて「もうちょっとなんか言いようないのかねぇ〜、親分」とか心で思っていました。でも、それは制作者のエゴなんです。彼らにとっては、この現実を変えたいという思いが先で、人権云々からスタートしていない。
個人的な話ですが、本当は人権という言葉が好きじゃないんです。人権という言葉を出した瞬間に、観るほうが思考停止になりますから。「人権! なるほど、こういう映画ね」みたいにレッテルを貼られてひと括りにされるのも好きじゃない。そもそも人権なんて僕自身がまだわかってない。僕もある意味、人権を盾に、憲法を盾にとっているだけだったのかもしれません。この作品をオンエアするために。でも本当は、実際の人間の日常を覗いて、ヤクザも人間なんだなぁと感じてほしい。そこからスタートしたいですね。

テレビで放映後、本作に出ているヤクザの人たちから何か反応はありましたか?

関西で放送していないからかもしれませんが、とくに何もなかったですね。彼らにとっては日常が映っているだけなので、さほど面白くないんじゃないかなと思います。当たり前のものを流してるの? という感じでしょうか。

取材対象から影響を受けたことはありますか?

なんだろう、取材対象から影響を受けたこと……。いいか悪いかはさておき、いまを生きるという感覚でしょうか。取材で出会ったヤクザたちは、先を計算しすぎないようにして生きているようでした。いまの日本人にしては珍しいですね。あとは、鬱陶しい人間関係の面白さに気づいたことでしょうか。何をするにしても、誰かの約束をとりつけたり、凄く人が関わってくる。面倒くさいんだけど、ありがたい部分もある。いいのか悪いのかはわからないので、積極的にとり入れようとは思いませんが。

圡方宏史ディレクター

圡方宏史(ひじかたこうじ) 1976年生まれ。上智大学英文学科卒業、98年東海テレビ入社。制作部で情報番組やバラエティ番組のAD、ディレクターを経験したのち2009年に報道部に異動。遊軍としてメイン企画コーナーのVTRを担当する。11年、12年に日本の農業や交通死亡事故をテーマにした啓発キャンペーンCMなどを制作。14年、初めて監督したドキュメンタリー『ホームレス理事長 退学球児再生計画』が高く評価されるが、一方で視聴者の賛否両論を巻き起こす。公共キャンペーン・スポット「震災から3年~伝えつづける~」で、第52回ギャラクシー賞CM部門大賞、14年ACC賞ゴールド賞を受賞。公共キャンペーン・スポット「戦争を、考えつづける。」で15年ACC賞グランプリ(総務大臣賞)を受賞。

公開情報
映画『ヤクザと憲法』
2016年1月2日(土)よりポレポレ東中野にてロードショー、ほか全国順次
www.893-kenpou.com