OKINAWA2015
沖縄戦の孤児 ひとり戦場をさまよった神谷洋子さん(当時7歳)の証言
「しばらく行くと川がありました。みんな水が欲しくて集まってきたんでしょう。何十名何百名という死体が浮いているんですよ。死体はみんな腐って膨れていました。水を飲みたい一心で這っていって何度も手で掬って飲みましたが、水には腐れた血が混ざっていました。それでも蛆だけよけて飲みました」
いまなお沖縄戦のトラウマに悩まされる老人たち 蟻塚先生の診察室からの報告
眠れない。死体の匂いがする。死んだ人の顔が見える。足の裏が熱い。寝ていると体を触られた感じがする。戦争の記憶が70年以上たった現在も沖縄のお年寄りの多くを苦しめている。生き残った自分を責め続けている人もいる。これで平和になったと言えるのか。どうしたら忌まわしい記憶から解放されるのか。沖縄と福島でトラウマ治療に取り組んでいる蟻塚亮二医師に話を聞いた。
反基地非暴力闘争の発火点 伊江島の親子反戦地主 平安山良有さんと良尚さんの証言
米軍基地への土地提供を拒み契約を拒否する地主がいる。「反戦地主」と呼ばれる人たちだ。1955年の米軍の接収に抗った伊江島の反戦地主たちの非暴力の闘いは、やがて沖縄全島の人々を奮い立たせ、島ぐるみ闘争へと発展した。沖縄戦と土地闘争の生き証人であり、現在も反戦地主として闘い続ける平安山良有さんと、息子で反戦地主の良尚さんにインタビューした。
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OKINAWA 2015 - EPISODE 3 死線を泳いだ少女
1944年8月21日、800余名の学童を含む約1,800人を乗せて那覇港を発った学童疎開船対馬丸は、翌22日夜、鹿児島県悪石島付近で米潜水艦が放った魚雷により撃沈された。