人生を取り戻す〈フィンスタグラム〉のススメ

信頼している友人だけに公開するフェイクのサブアカウントで、すべてが過度に演出されたSNS時代の落とし穴を避ける。

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07 March 2019, 8:37am

今日はネットばかりみてるな、と感じたとき、私はさほど遠くない過去である2012年を思い返す。具体的にいうと、オバマ大統領が再選を果たしたあのとき。マヤ暦で世界終末が預言されていた年だ(今振り返ってみると、実際、世界は2012年で終わったのかもしれない)。あのころのInstagramには、フィルターで彩度をいじりすぎてみえづらくなっている、友人の犬やオフィスでのランチが溢れていた。しかし今やInstagramは、自分の生活を披露する、私という〈企業〉のブランディングツールとなっている。

しかしInstagramが普及し、社会的、あるいは仕事上で必要なツールに変化するにつれて、〈私〉という企業の身動きはとりづらくなっている。たとえば若者たちにとって、Instagramは必携のアプリだ。かつて一世を風靡したFacebookと比較しても、そこには圧倒的な差がある。Instagramを使っていないと「無力感を覚える」、もしくは「孤立している」と感じる十代は数多く、さらに〈いいね〉にも、投稿にも、少なからぬ暗黙のルールがあるという。またInstagramは、自称も含むクリエイターたちやエンタメ業界人たちにとっては、LinkedInをはじめとする他のサイトよりも効率が良い履歴書だ。大方の企業は、従業員の、ひいてはブランドの評判に傷がつかないよう、〈SNSエチケット〉をもつよう注意喚起している。

これらの場合、Instagramのアカウントはポートフォリオに近い。その結果、最近では、本当の自分の姿を表現するための新しいツールが生まれつつある。昔だったら、箱に入れてベッドの下に隠していたであろう日記、その現代版といったところだ。それこそが〈Finstagram(フィンスタグラム:fakeとInstagramの合成語)〉、略して〈フィンスタ〉。信頼できる友人だけに公開しているフェイクのサブアカウントで、ひとにはなかなかみせられない自分の一面、つまり『LAW & ORDER:性犯罪特捜班』の全エピソードを6回も視聴したとか、難解な哲学ミームが大好きとか、キャットコール体験をよろこんで周りに訴えるとか(私だけかもしれないけど)、そういう自分をさらけ出す場だ。無意味なことを何も考えず投稿したい気持ちはあるけど、元上司、元パートナー、あるいは敬愛するひとたちにみられたら軽蔑されてしまうかもしれない、という恐れを抱いているあなたにこそ、フィンスタが必要だ。いろいろ大変そうにみえるかもしれないが、むしろそういうことをしたほうが有益だ。日記を書いたり、友だちに愚痴ったりするとすっきりするだろう。フィンスタも同じだ。ハリ・ネフ、ロード、タヴィ・ジェヴィンソンなど名だたるインスタ女王たちも、フィンスタアカウントをもっているとされている。つまり、フィンスタには価値があるということだ。

しかし、完全に秘密のセカンドライフを築くのは楽じゃない。プライバシーの問題や、〈相互フォロー〉という名のソーシャルキャピタルから緻密に導き出されたアルゴリズム(大したことにはみえないが大問題だ)を心配するひともいるだろう。そこで私が、正しいフィンスタの実践方法を伝授しよう。

1)ユーザーネームを考える

ユーモアを愛するなら、友人だけがニヤリと笑える名前にしてみよう。たとえば私のフィンスタネームは、1980年代の旧ソ連の政策の名前からとった。本名と音の響きが似ているのだ。本名とどれほど乖離させるかは、自分がどれほどのプライバシーを求めているかによる。プライバシー設定をちゃんとしていれば充分、というひともいる。しかし、いずれにせよ、ユーモアがあり、本名とのつながりがわかるような名前にしておけば、知り合いにみつかったときに良い印象を与えられる。

2)限定公開にする

アカウントを非公開にしよう。実際に知り合いで、好きなひとだけをフォローし、その他のユーザーからのフォローリクエストは削除する。徹底的に親密な空間をつくるだけで、想像以上に気分が良い。

3)投稿する

私は、よくみるミームから、くしゃみの瞬間のブサイクな顔、怒りの投稿、ふつうのアカウントのほうで受け取った卑猥なDMやウザいDMまで、さまざまな種類の投稿をしている。私は誰かの秘密をさらすのも好きだ。フィンスタでは、みんな過激な投稿ばかりしている、と考えているひともいるが(私のお母さんもそう)、フィンスタはただただ節操がないだけ。いうなれば、純然たる〈意識の流れ〉なのだ。友だちのお母さんにはみられたくない写真を撮ったり、チアプリンや、めちゃくちゃインスタ映えする料理をつくったり、しんどい1日を送ったり、皮肉のひとつもいいたくなったりしたときには、いつものInstagramアカウントから離れて、自分のことを心から大切にしてくれる、特別な仲間たちだけに打ち明けよう。SNS上で向けられる関心なんて、気まぐれで、偽りで、はかないもの。大切なひとたちと共有するのがフィンスタなのだ。

ただ、もちろん、わざわざふたつのアカウントをもち、何を公開しようか思いあぐね、自分の生活の一側面を公開するすること自体、虚栄心の発露でしかない。しかし、そのナルシシズムはInstagramに始まったことじゃない。そもそも、SNSですらない。300年前の金持ちだって、家族全員を集め、何時間もじっと動かずに美化された肖像画を描かせ、それを壁に飾っていた。人間はいにしえよりナルシシストなのだ。しかも、他人と感情を共有することを望む。ルソーはそれを〈amour propre(自己愛)〉と呼んだが、私にいわせればただ認められたいだけ。美点でも何でもない。資本主義は、私たちのさもしい本能を満足させるに何をすべきか心得ている。だから私たちは、サブアカウントをつくり、人生を取り戻すのだ。フィンスタは、ミレニアルピンクを売りたいマーケティングの神々がのたまうすべてを実現させてくれる。本物であること。他人とつながること。常に完璧であれというプレッシャーを忘れること。SNSのルールに盲目的に従い、いまだに抜け出せないあなたは、フィンスタをつくるべきだ。フィンスタは、私たちを現実に連れ戻してくれる。