過去現在未来、現実と虚構、内面と外面、あるいはそれらが、何かと融合し変化する過程。これらを同時多発的に表現することで、これまでの社会の価値観に風穴を開けようと試みるアーティスト、ヴァウター・ヴェニマ(Wouter Venema)。
現代社会が手にいれた科学技術や知識だけでとられられるほど、世界は簡単に構成されていない。我々が気づけない未知なる真実や、新たなイデオロギーが、そこら中に転がっているはずだ。
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人間が存在する以前から、生息する自然物についても、また然り。彼はアートを通じて、自然に対する新たな視点を表現しようと試みる。


まず、アーティストとして のコンセプトを教えてください。
〈内側〉と〈外側〉、両方の世界を行き来できるような境界を表現するのが、私の作品のコンセプトです。煙突を想像してもらうといいかもしれません。暖炉で木を燃やすと、木は灰になり、煙突を通じて煙が出て、空へと昇っていきますよね。煙突は、家の内側と外側を繋ぐ存在であり、そこには、暖炉の木という〈確かなもの〉と、火や煙といった〈儚いもの〉が共存しています。現実を構成するレイヤーが重なり合い、新しい何かに変わっていく瞬間にすごく興味があります。
世界は常に同時進行で、あらゆる物事が連なり、何かが起こることで変化していくことを表現したいのですね。
そうですね。現実と虚構、頭のなかにあるイメージと目の前のものを、1枚の絵に集約することで、様々なレイヤーを、同時に異なる視点で表現しようとしています。例えば、寄生虫は単体では生きられず、寄生する別の生き物に寄生してこそ成り立ちます。寄生虫を描くにしても、別の生き物との共生関係を描くことで、寄生虫の見え方は変わってきます。玉ねぎ、バリア、樹皮、タイルの壁、あるいは、アート作品のテクスチャーもそうですよね。
そんなコンセプトを、どのように作品で表現しようとしているのですか?
例えば、10個のレンズを付けたピンホールカメラをつくり撮影した作品があります。これは、レンズが10あるので、被写体も10あり、それが重なり、10の視点を同時に集約した作品です。目の前の被写体が、10のレンズを通し、同時にアウトプットされるので、現実とは異なるものに変化することを表現しています。ただ、最初は何を被写体とすればいいかわからなかったんですが、渦を巻いたごついコブラの像に出会って。それを買って、撮影することにしました。生きたヘビは定期的に脱皮をしますから、それを複数の視点で表現しました。
別の作品を例に説明して欲しいです。
僕は、絵と時間の組み合わせが面白いと思っています。その組み合わせをもとにしたのが、ゴッホ美術館で開催された〈When I Give, I Give Myself〉で展示した『One to One』です。3m×4mの大きな壁画として、回路のような間取り図を描きました。2週間でまとめるというルールを課して、地形図の等高線のようなパターンを描き続けました。この地図は場所を示すのではなくて、ある場所で過ごした時間、つまり、美術館の壁に向きあった時間を示す地図をつくりたかったんです。時間が生んだ形、絵を描く過程を地図化したかったんです。この作品は、ゴッホが弟テオに宛てた手紙から着想を得ました。
あなたのコンセプトとゴッホが、どのように繋がるのでしょうか?
この手紙を引用させてもらって説明するのがわかりやすいです。
絵を描くとは何か?どうしたらそこへ辿り着けるのか?自分が感じることと自分ができることの間に立つ、見えない鉄の壁を通り抜けるしかない。どうしたらその壁を通り抜けられるのか?むやみに叩くだけではダメだ。僕は、その壁の下を掘り、少しずつ、辛抱強く、削っていかないといけないと思う。その原則に沿って人生と向き合い、集中しない限りは無理だ。だが、誘惑や障害に惑わされることなく、そんなタスクに打ち込み続けることなどできるのか?創作もその他の活動と同じである。偉大なものは偶然からは生まれない。そこには意志が伴っているはずだ。
(テオ宛 第274信、1882年10月22日 日曜 ハーグ)
僕の見解ですが、「見えない鉄の壁を通り抜ける」というのは、ゆっくりと辛抱強く働きかけ、自分の感じているものを視覚化することだと思っています。ゴッホは〈崇高なもの〉に到達したかったと思いますが、その点には、あまり興味がなくて、日常の営みとして絵を描き続けたことに惹かれたんです。ゆっくりでも続ければ、いつの日か、想像もしていなかった場所、つまり見えない鉄の壁をも通り抜けられる境地にたどり着ける、という考え方に魅せられたんです。
つまり、ゴッホが日々、絵を描き続けることで自身の絵を変化させ、ゴッホを通して日常が素晴らしいものに変化していくということに惹かれたのですね。ちなみにゴッホの作品で好きなものはありますか?
〈花咲くアーモンドの木の枝〉が好きです。うねるような線や観ている人がどこに立っているのかわからなくなる感覚に惹かれます。僕はそこから地図や上空から捉えた街の姿を連想します。ゴッホの作品からは強烈な印象を受けますが、描いているのは日常の風景です。日々の暮らしで目にするような光や音、エネルギーも、強烈な体験として見えない周波数まで描ききっているように感じられます。
ゴッホの視点の豊さが感じられる作品なのですね。
平凡なものが鮮やかな色彩によってまったく違うものに見えてくる。ゴッホ作品は、非現実的なリアリズムだと思います。〈日常〉がどれだけ捉えようがないものなのか、見るたびに改めて気付かされます。
確かに、 あなたの作品にも通じる視点ですね。そのような考え方を持つようになったきっかけを教えてください。
美術学校を卒業して、映画製作に取り組んでいたときです。フランスのアンリ・ベルクソンの哲学やジル・ドゥルーズの映画論から大きな影響を受けました。ベルクソンによると、人間は時間のなかに生きていて、時間を、過去・現在・未来の連なりではなく、共存するものとして捉えるべきだといっています。誰しも子供であり、大人であり、老人でもある。どのレイヤーにいるのかは、その瞬間の文脈によると。ドゥルーズの〈クリスタル=イマージュ〉という映画論は、ベルクソンの考え方を基にしています。〈現在〉という時間を示す証がなくなってしまって、そこが〈現在〉なのか〈過去〉なのか、あるいは、夢なのか現実なのか、そうした境目がわからなくなった映画のワンシーンを想像してください。そこには、いくつもの時間が織り込まれています。または、クリスタルを回転させると、クリスタルに写った自分の像が幾重にもなって、どれが本当の自分の像なのか、わからなくなります。物語を通して、時間を経験することに興味が湧いてきたんです。
そ のような 時間や空間の捉え方 を 、平面作品にも繋 げ制作しているのですね 。
現象がどんな要素から成り立っているのかという視点で、常に物事を見るようになりました。映画や時間の経験というテーマへのこだわりは薄れていきましたが、物語には今も魅了されています。物語や詩の体験こそ、力強く、物の見方を変える力があると思っています。どんなテーマであっても、ひとつのイメージや考えに集約させてしまうのではなく、多面的に提示できるよう意識しています。



なるほど。そんなコンセプトをもとに、 今 現在はどのような作品を制作しているのですか?
木や植物の灰を他の素材とあわせてうわ薬をつくり、陶版に塗ってタブローを制作しています。灰を使ってつくれる色と、そのもとになっている植物にまつわる物語に興味があって。そうした物語を知ると、私たちの生きている世界について理解できる気がします。
具体的には、どのように制作しているのですか?
うわ薬は、見つけてきた灰を使うこともありますが、落ちている木や植物を燃やして灰にすることもあります。植物に含まれる成分がはっきりわからないので、どんな色になるのかは焼いてみるまでわかりませんが、だからこそ面白いと思っています。同じレシピでつくっても、灰の種類が異なれば、全く違う色になります。赤や青、黄色など、全く別の色味が出ることもあります。配合や炉の温度、火の入れ方も、様々なバリエーションがありますが、今はひとつのやり方に絞って、植物ごとの変化を見るようにしています。
同じ種類の植物を、全く同じものとして捉えてしまいがちですが、人間と同じように個体差があり、そこには、明らかに〈生〉の 尊さや エネルギーがあることがわかるんですね。
そうですね。例えば、3つの場所から採ってきたカシの木の枝を灰にしてつくったうわ薬を、3つの板に塗ってみます。すると、鉄分を多く含んだ土壌で育ったカシのうわ薬は少し赤っぽくなります。灰が元々赤いわけではないです。灰に含まれる鉄分が化学反応を起こし酸化したんです。色合いは植物の生育環境に大きく左右されます。育った環境によって人間も性格が変わるように、実は全然違う生物だとわかります。まるで、草木のポートレイトをつくっているような気分です。
面白いですね 。
また、植物を燃やして灰にする行為は、二通りの意味があると思っています。ひとつは、何かをつくるために植物を利用し、まして、燃やす行為は、人間中心主義的であることを意味します。もうひとつは、上記で説明したように魔法のようであり、変化するという面白さです。そうした矛盾に惹かれています。
灰は〈 死〉 を連想させますが、そこから色を つくることで〈 生〉 と対比させる、という意図もあるのでしょうか?
はい。西洋文化でも灰は〈死〉をイメージさせます。〈死んでいる〉素材を使って新たな物事、つまりうわ薬をつくり出せる、ことに惹かれました。また、灰は人間にとっては役に立たないものでも、自然にとっては土壌を豊かにしてくれる存在です。相反する様々な事実が共存していることが面白いと思っています。それを詩的に表現したいと考えています。
〈 詩的〉 とはどういう意味ですか?
灰には〈破壊〉と〈再生〉という両面があるというところまでは良いですよね。それをあからさまに説明したり、作品の中心には置かずに、他の要素と対等に扱います。サイドディッシュもメインディッシュと同様に重要です。〈クリスタル=イマージュ〉から学んだ多面的な物の捉え方がもとになっていますが、ものに対する様々な視点を認識し、それら全てを平等に扱う見方を表現したいと思っています。
わかりやすく言い切るのではなく、作品のなかに他の概念と同等に潜ませる感覚ですね。ちなみにあなたがいうサイドディッシュの具体例を教えてください。
例えば、人間が自然をどのように捉え、どんな物語を書いてきたのか、いつも探しています。オランダでは、稲妻などの天災から家を守る御守りとして、ドアにかけておくブーケにビロードモウズイカを使います。ビロードモウズイカが魔女除けの作用があると信じられていた時代もあります。今ビロードモウズイカを灰にしたうわ薬を試しているのですが、時を超えて、植物について様々な物語が語られている事実がたまらなく好きなんです。
物語や詩には人々の見方を変える力があるとおっしゃっていましたが、自然を素材として用いることで自然に対する見方を変えたい、という思いもあるのでしょうか?
見方を変えたいとまでは思っていません。人々が自然をどう見ているのか、という点には興味があるんです。個人的には、自然のなかで過ごすのは好きですが、近代に入り様々な技術が生まれ、天災をコントロールできるという幻想に囚われています。テクノロジーがあれば気候変動も防げると信じる人もいますが、自然に対する支配的なシステムを根本的に変える必要があると思います。ヨーロッパでは、動物や植物といった生物を資源として利用していいもの、つまり対等ではない存在として捉えてきた歴史があります。僕は作品でも実生活においても、そうした見方には抗いたいと思っています。そのために少し極端な選択をする場面もあります。理想主義的だと言う人もいるかもしれません。ですが、そうした思いが、創作活動や環境保護運動に積極的に参加する理由に繋がっています。
作品制作を通じて何を表現したいと思っていますか?
僕は、ひとつのメッセージや見方を表現したいとは思っていません。ありきたりな方法に頼らず、まとまりのないまま、多面的に物語を伝える方法を模索したいと思っています。
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