パレスチナとイスラエルの
歴史が生んだ〈不在〉と〈現在〉

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パレスチナとイスラエルの 歴史が生んだ〈不在〉と〈現在〉

『Time and Remains of Palestine』が扱うのは緊迫した政治的テーマにもかかわらず、美しく、不気味で、慎ましいパレスチナの過去と、ヨルダン川西岸地区の不安定な現在を撮しだしている。1948年の〈ナクバ〉を表現するために、写真家、ジェームス・モリスは、どれだけの労力を費やしたのだろうか。

イギリス出身のフォトグラファー、ジェームス・モリス(James Morris)は、2016年3月、『Time and Remains of Palestine』をドイツ、ハイデルブルグの出版社〈Kehrer Verlag〉から出版した。同書には瓦礫、廃墟、1948年のパレスチナ紛争で破壊された後に舗装されてしまったパレスチナ人居住区など、なかなか人目に触れる機会のないナクバを撮らえた貴重な写真が掲載されている。

『Time and Remains of Palestine』が扱うのは緊迫した政治的テーマにもかかわらず、美しく、不気味で、慎ましいパレスチナの過去と、ヨルダン川西岸地区の不安定な現在を撮しだしている。私は、同書についてジェイムス・モリスと会話した。

ご自身をどのようなフォトグラファーと捉えていますか?

定義付けするのは、いつになっても難しいです。なぜなら、自ら定義付けしてしまうと活動を制限してしかねないし、大抵の場合、それは他人がすることですから。しかし、私は風景の中にある人類の営みや人類の存在に魅せられているフォトグラファーです。そこには人類の影響が積み重なって層をなす歴史的な証拠があるでしょう。私は、場所と人、過去と現在を繋ぐ糸を辿っているんです。

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あなたの写真への取り組み、過去の作品と『Time and Remains of Palastine』、どうやって両者の辻褄を合わせたんですか。

本書は、私のキャリアのなかでは異色かもしれません。紛争をテーマに据えていますが、今まで、そういったテーマを扱ってきませんでした。しかし、自らの活動の論理的延長であるような気もしています。イスラエル・パレスチナ紛争は、私が生まれてこの方ずっと続いていますし、終わりも見えていません。だからこそ、心の内では普遍的な問題です。だからこそ私は、現場を見たくなったんです。撮影初日に実際に目にしたのは、予想だにしない光景でした。建物は取り壊され、風景も破壊され、消された歴史です。消された歴史を探求することで、私の他のプロジェクトと同じように、継続と変化を表現しています。

あなたはこのプロジェクトをどう説明しますか。特に今回ようなプロジェクトでは、ときおり、物事以上に〈不在〉が描かれますが。

1948年のパレスチナでの出来事、現在のパレスチナ、両方を、特定の〈人為的な風景〉を通じて探求するのが今回のプロジェクトのテーマです。当プロジェクトでは、過去と現在を繋ぐ歴史が生んだ悲劇を辿っています。1章では、パレスチナ人の歴史をイスラエル占領地域内で探りました。2016年に強制退去させられた400名以上のパレスチナ人が生活していた地域など、さまざまな町村を記録しています。1948年のパレスチナ紛争、その後も続く両者の争いの結果、彼らの居住区の大半は壊滅し、そうでないところでも人口が減少しています。

2章は、1993年のオスロ合意の結果、パレスチナに訪れるはずだった平穏な未来のコンセプトが反映されています。実際にはその未来は実現されませんでしたから、その替わりに、イスラエル軍の占領手段やヨルダン川西岸地区での紛争をこの章に記録しました。ちなみに、ヨルダン川西岸地区は、複数の区画に分けられた回旋状の地区で、壁、フェンス、検問所、立入禁止区域、居住区が複雑に入り組んでいます。本書では、パレスチナ問題全体でなく、どんどん小さくなるパレスチナにフォーカスしました。

先ほどおっしゃられたように、この作品は大きく2つの章に分けられており、1章では、パレスチナ人のアイデンティティと歴史の大きな部分を占める大災厄〈ナクバ〉を扱っていますが、どのようにこの章の作業を始めたんですか?

初めてのイスラエル訪問で、まず、松林を散策しました。そうしたら、古代建造物の欠片のような、何とも説明がつかない瓦礫に躓いたんです。1章はその経験に基づいています。そこは、ユダヤ国民基金(Jewish National Fund)が2004年に設置した記念碑に、〈オアシス〉〈憩いの場所、水、希望、平和、展望の場所〉と銘打たれていました。しかし、その後、オンラインで、イスラエルに暮らすパレスチナ人たちが同じ場所を訪ねたさいに撮影した動画を見つけたんです。その中で、老人男性たちが、そこは彼らが幼少期を過ごした村だった、と回想していました。彼らは、1948年のパレスチナ紛争で国内難民となり、彼らがナクバと呼ぶ悲劇を経験することになります。村は更地にされ、彼らの帰還要求は却下されました。そうこうしているあいだに、他国から輸入した松が植林され、そこにあった彼らの暮らしは、松林で覆い隠されてしまったんです。

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イスラエルとパレスチナでは、同じ場所についての両者の認識が大きく異なっています。その場所を訪ねる以前から、ナクバのコンセプトは知っていましたが、実際、その地に立つことで、パレスチナ問題の歴史を理解するのは、パレスチナの現実への入り口であるのに気付きました。ナクバは、特に1948年の紛争における、パレスチナの敗北と人口減少にかかわる言葉ですが、〈災厄〉〈破滅的状況〉をイメージを強くイメージさせる言葉でもあります。

リサーチについてですが、実際に訪ねた場所には標識など殆どないでしょうから、たいへんな労力を費やしたはずです。どんなプロセスだったんですか?

指摘の通り、破壊された村には標識などないし、それらのほとんどは更地にされているか、別の建物に建て替えられています。たとえパレスチナの歴史に関心を持ちそうな外国人観光客向けに出版されたガイドブックも、そういった場所の情報は、ほとんど掲載していません。私は、イスラエルを初めて訪問した後、1980年代に登場した、所謂、イスラエルの〈新=歴史家〉たちの著書を主にリサーチして、そこで語られている受入容易な歴史に疑問を抱くようになりました。

私が読んだなかで、最も重要な文献はベニー・モリス(Benny Morris)著の『パレスチナ難民問題の起源(The Birth of the Palestinian Refugee Problem)』です。著者は、600ページを費やして、1948年のパレスチナ紛争以後のイスラエル軍とイスラエル政府の文書を徹底的に調査しています。他にもムロン・ベンヴェニスティ(Meron Benvenisiti)やワリード・カリディ(Walid Khalidi)の著書、それ以外にさまざまな文献に目を通しました。その後、イスラエルに戻り、古い地図やインターネットを使って村の跡地を探しました。簡単に発見できたところもあったけれど、多くの跡地は目視だけでは確認できなくなっていました。跡地発見は、いつも予期せぬタイミングでした。例えば、森の中で石が山積みになっていたり、近代的な建物が立ち並ぶイスラエルの郊外にポツンと立つミナレットを見つけたり…。 かつてこの地から離散したユダヤ人たちが、自らの土地を取り戻そうとする運動(シオニズム)もある程度理解できますが、そこに残されたパレスチナ人の暮らしの形跡を見つめると平常心を保てなくなりました。私は、これらの場所で撮影を始める前に持参した本を読み、歴史を学ぶように努めていました。後に、その場で取ったメモに手を加え、各地の写真の説明文として、簡単な歴史とともに本書に掲載しています。

1章は、今なお住民が暮らす居住区、廃墟の写真で構成されています。なかでも特に奇妙に感じたのは、駐車場や遊び場など、もともとパレスチナ人が生活していたのに、完全に様変わりしてしまった場所の写真です。撮影にあたって、最も奇妙だった場所はどこですか?

ありすぎて選べません。全ての体験が苛烈で、揺さぶられ、どれも凄く奇妙でした。私のプロジェクトに世間がどう反応するか想像できず、神経質にもなりました。誰も、私と同じようには物事を捉えませんから、結局、それも杞憂に終わりました。それに、私は、過去にそこで起こった事実と、そこで暮らしていたパレスチナ人が辿った運命を探求しましたが、もちろん、想像を絶するような恐怖から逃れ、安住の地を求めてイスラエルに辿り着いた欧州のユダヤ人たちの歴史についても詳しく知っていますので、全てが相まって、非常に緊張感のある雰囲気でした。

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カフラ・バラム(Kafr Bir’im)は、もぬけの殻になった村が残っていますから、奇妙な感じがしました。倒壊したり、草に覆われてしまった家屋を見ながら、小径を歩けるんです。イムワス(Imwas)には、古い共同墓地の中の、打ち棄てられた墓石に囲まれたところには、数脚のピクニック・テーブルが置いてありました。初めて見る人には、信じられない光景でしょう。現在は、芸術家たちのコミューンになっているアイン・ハウド(Ein Houd)では、家屋に精巧な石組みの技術が用いられています。そこは数少ない、破壊を免れたパレスチナ人の村です。現在のアイン・ハウドは、ボヘミアンな雰囲気ですが、どことなく罪の意識も漂っています。

静けさ、登場人物の少なさが、本書の特徴だと思います。それにより、明らかに、1章では、街などが荒廃している様子が強調されており、2章では、完全なる虚無感が漂っています。これは意図的でしょうが、いかかでしょう?

指摘の通り、1章の主題は〈不在〉であり、それこそ私が作品に求めた雰囲気でした。しかし、作品全体としては、個々の人物よりも歴史的進展に比重を置いています。ストーリーを語るランドスケープを求めていましたし、それができたはずです。例外はあるにせよ、作品に登場する人物は、意図的に特定の個人として認識できないようしています。ひょっとすると、彼らは象徴のような存在なのかもしれません。

この作品には人物があまり登場しないので、読者は自分が透明になった気にさえなります。制作過程ではイスラエル人、パレスチナ人、イスラエル政府当局など、現地の住民と、どの程度の触れ合いがあったのでしょうか?

実際そんなに多くないし、深い付き合いもしませんでした。客観性を保つために、常日頃から政治に影響を受けている現地の住民とは、一定の距離を保つことが重要な気がしたんです。私は、自分が発見した対象について純粋に探索したかったし、それに没入したかったので、イスラエルとパレスチナ、それぞれの文化に自分が組み込まれるのを避けたかったんです。ですから、日常的に人々と路上で交流する以外、かなり孤独でした。撮影を止められたのも、たったの1度だけです。イスラエルにある、パレスチナ人が利用していた古い建物を撮影しようとしたときです。撮影の中止を要求した本人でさえ、そこは撮影禁止である、という確証がなかったようです。

2章で描かれたパレスチナの暮らしの現状は、どのように1章で描かれたものと対比されたのでしょうか? それとも、1章に情報を加える役割を果たしているのでしょうか?

ヨルダン川西岸地区の描写で、私は、オスロ合意によって訪れるはずだったパレスチナの未来を象徴する場所を探していました。実際、イスラエルとパレスチナが合意した協定は実現されず、ヨルダン川西岸地区は、イスラエルの占領下で自治区のままです。1章、2章はそれぞれ独立した作品として機能するようになっており、時間と場所で分けています。本書のそれぞれの章を仕切板のように用い、イスラエル建国以降の歴史を分節する狙いがあります。イスラエル建国以降の歴史は、パレスチナの歴史のなかにある何かを覆い隠してしまっていますから、1章で提示される歴史的証拠を把握するのは、今日のヨルダン川西岸地区の風景がどのように変化してきたかを理解するのに役立つでしょう。それらは、ひょっとすると複雑なパズルの中の小さな2ピースのようなもので、そのパズルに組み込まれることで、単なる写真以上の何かが浮かび上がるかもしれません。

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同書には、例えばベイタル・イリート(Beitar Illit)の写真も何枚か掲載されています。 そこは、現存するパレスチナ人居住区にイスラエル人たちが新たな入植地として侵入した場所でもあります。そのような場所では歴史が繰り返されている、と感じられたのでしょうか?

繰り返しているというより、おそらくエスカレートした形で続いているんでしょう。初めてイスラエルに到着したとき、空港のインフォメーション・カウンターで『イスラエル観光地図』を渡されました。イスラエルの範疇は、ヨルダン川西岸地区の全域を覆っており、名前すら見当たりませんでした。ヨルダン川西岸地区内のパレスチナ自治区については言及されておらず、その代わりにジュディア(Judea)とサマリア(Samaria)という言葉が用いられていました。それに、1949年に設定されたイスラエルとパレスチナの両占領地の境界線として国際的に認知されているグリーンライン上の分離壁も記されてされておらず、ヨルダン川西岸地区から見てエルサレムを跨いだところに位置している5つのパレスチナの主要都市についても僅かに言及されているだけで、小さな町については触れられてもいませんでした。それとは対照的に、どんなに小さかろうが、イスラエル人居住区は表示されており、「これらはすべてイスラエルの領地であり、その範囲内であれば、どこに行ってもよい」と説明がありました。イスラエル人の大勢は、大イスラエル主義に賛同しており、おそらく、彼らよりはるかに少ない数のパレスチナ人がいたところで、嘆きもしないでしょう。ですから、この地図が物議を醸すことはないでしょう。入植地拡大は、明らかにパレスチナ存亡を脅かす侵略が進行中である、という印象を与えるでしょう。明確なゴールがあるか否かは、私にはわかりません。

この作品のテーマは、あなたの政治的な見解を示しているかと思うのですが、ご自身は、この本が政治的なものである、と認識されているのでしょうか?

もちろん、本書は政治的なテーマを扱っていますが、それが政治的活動のための文献である、とは思っていません。確かに、本書のほぼすべてがパレスチナ視点でストーリーを描いており、同じように、イスラエル視点のストーリーを描いて、概念的なバランスを保とうとはしていません。ですから、政治的であると解釈されてしまう可能性もあります。しかし、それは適切なラベリングではありません。私がリサーチに際して、何よりも読み込んだ、新=歴史家のベニー・モリスの文献には、「1948年のイスラエルのパレスチナへの侵攻は十分なものではなく、もっと多くのパレスチナ人を追い出しておくべきだった」と記されていますが、この偏った見解を本書に反映させる必要はないと思いました。実際にそこで起きた事実を撮し、読者は、その事実を観て、自らそれについて考えてる。それこそ、私の意図です。本書を、複雑な全体像のいちピースでしかない、と認識するのであれば、政治的著作ではありません。もっと大切なのは、ラジャ・シェハデ(Raja Shehadeh)が彼の著書のまえがきで述べている、「人々はナクバを実際に見て、理解しない限り、この地に平和は訪れない」という言葉です。

特に紛争問題では、過去と現在についての調査が続かなければなりません。本書の読者がイスラエル・パレスチナ紛争について自らの見解を持つだけではなく、それ以上の価値を見出してもらえれば幸いです。