2015年6月11日。アルトサックス・プレイヤーのオーネット・コールマンが亡くなりました。享年85歳。従来のジャズの概念を覆す「フリー・ジャズ」の先駆者として大きく君臨していたビッグ・モンスター。ピューリッツァー賞、高松宮殿下記念世界文化賞、グラミー功労賞とかとか。どっからどう見ても偉人なのであります。でもちょいちょい耳に入って来てた。オーネット・コールマンは「奇人だよ」或いは「天然だよ」と。そこでやはり餅は餅屋に、オーネットはジャズ屋に。こちらは西新宿のモンスター、ジャズ廃盤LP専門店「ハルズ・レコード」の池田さんに、オーネット・コールマンのどこが凄くて、どこがヤバイのか訊いてみました。パンクからテクノ、ラーメンまで引き合いにして頂いて…とても勉強になりましたヨ!
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オーネット・コールマンが亡くなったのはどこで知りましたか?
FacebookとかSNSだったと思います。情報が流れて来て。
訃報を知ってどう思いましたか?
そうですね、最近は訃報が多いので、オーネットも遂に来たかと。ただオーネットは2012年の東京JAZZにブッキングされていたんですけど、体調不良で来れなかったんですね。でもオーネットのことだから体調不良っていうのは建前で、ホントは何かで機嫌を損ねちゃって来たくなくなったのかな、ギャラが合わなかったのかな…なんて思ってたんですけど、ホントに体調不良だったと(笑)。
(笑)。結構気難しい性格なんですか?
はい、そうだと思いますよ。
お店をやられていて、お客さんと「死んじゃったねぇ~」なんて会話もされました?
はい、普通にしました。1940~60年代のジャズ廃盤を中心に扱う店、そしてそのファンの方にとっても、オーネットの死というのはちょっとしたトピックと大きな事件との間…「ビトゥイーンこの二つ」って感じですね。
ビトゥイーンこの二つですか(笑)。亡くなってオーネットのレコードの値段が高くなったりとかは?
今のところありません。ジャズの場合は元々ある程度の高い値段が付いているんです。特に評価が定まっている1950~60年代のミュージシャンの値段が変わることはほぼありません。だから誰かが死んだからといって、変動することは無いんです。NIRVANAとは違うんですね。
あー、分かりやすいです。じゃ、オーネットのレコードが池田さんのお店でまた売れ始めたとか?
それも無いですね。というのもこの数年リリースも含めて活動が活発ではなかったんです。作品を出していればそれもあったかもしれませんが。それに昔出した作品は安定して評価され続けているから、わざわざ今になって祭り上げる必要も無いんです。これからも偉大なジャズ・プレイヤーとして引き継がれるだけだろうと思うんです。
それはすごい健全ですね。
そうかもしれませんね(笑)。外資系のお店でしたら追悼コーナーが出来るでしょうけど、うちのような廃盤屋ではマーケット的に云々というのはありません。
さてそのオーネット・コールマンなのですが、何が凄かったのでしょうか?
一般的なことからいうと、フリー・ジャズの創始者の一人ということです。いわゆるモダン・ジャズ、ビバップ、ハード・バップなどといわれるようなジャズのスタイルが1950年代に固まって来て、60年代に新しいジャズの形としてフリー・ジャズとモード・ジャズが出て来たんです。まずそのモード・ジャズの先鞭を切ったのがマイルス・デイヴィスなんですが、彼は50年代のジャズも牽引していんですね。そんなビッグネームが60年代になってもまた新しいことを始めた。だから音楽的にも人脈的にも50年代の延長で生まれたものだったんです。片やフリー・ジャズっていうのは突如としていきなり出て来たんです。いきなりシーンに現れて「なんだコレは!!」って騒がせた。それがフリー・ジャズであり、オーネット・コールマンであるわけです。
50年代にオーネット・コールマンという存在は知られていなかったのですか?
もう全然です。実際ジャズの表舞台では活躍していませんでした。元々はリズム&ブルースのグループに所属していたらしいのですが、演奏力があまり無かったと。だから表に出られなかったのでは…とも言われています。それが急に58年にデビューするんです。元々彼はテキサス出身なのですが、西海岸に移ってアルバム『Something Else!!!!』をContemporaryというレーベルからリリースしまして。このレーベルも50年代からあって、モダン・ジャズ…いわゆる普通のジャズで活気があったレーベルなんですが、突然フリー・ジャズ作品をリリースしたんです。
へぇー。でもオーネット・コールマンはなんでいきなりフリー・ジャズを始めたんでしょうね?
そこが面白いんです。これまでのジャズと断絶感があるんですよね。フリー・ジャズのキーワードとして、断絶や過去との決別などが挙げられるのですが、オーネットの音楽にはそれが確実にあったんです。
パンクが出たときに、これまでのレッド・ツェッペリンやらプログレやらが糞ったれだ!みたいなのがありましたが、それに近い感じですか?
そうですね。パンクって複雑化して形骸化したロックに対するアンチテーゼだといわれるじゃないですか。でもパンクってすごく新しい音楽かというと、そうじゃなくて、それよりも前のロックンロールの方に近いと。オーネットの音楽もそのプリミティヴさは、むしろニューオリンズ・ジャズとか、そういうものを感じさせるものだったんですね。彼は突拍子なことを演っていたのだけれど、ジャズがもっとプリミティヴだった頃の雰囲気を感じさせると評価されました。また、40年代とか50年代を経て、ジャズがスノッブでモダンな、商業的なものになって来るんですけど、そういったジャズに纏わり付いた価値観をもそぎ落として、元々ジャズが持っていた力がフリー・ジャズにはあったんです。この流れはとてもパンクに似ていると思いますね。カウンターでありながら先祖返り…ってことです。
先ほどオーネットは「演奏力があまり無い」とおっしゃっていましたが、その結果フリー・ジャズに進んだということは考えられませんか?
個人的な意見ですが、それもあると思いますよ(笑)。オーネット・コールマンはアルトサックス奏者なんですが、アルトサックスのジャイアントと言えばチャーリー・パーカーなんですね。彼が40年代にやっていたことを次の世代が真似して、50年代を洗練させて、ジャズらしいフレーズの基礎みたいなものがどんどん出来上がったんですけど、絶対にそういうことがやれない人なんです。
やらないじゃくて、やれない?
ええ。そういうことをやっても、めちゃくちゃ上手い人とは勝負にならないと思います。オーネットの後の世代のフリー・ジャズ・プレイヤーの中には、難しいことも出来るけど、もうそんなのは辞めてフリー・ジャズをやっている人も多いんです。でもオーネット・コールマンはそうじゃない。天然なんです。上手いことは出来ない、でも自分の思うまま吹くことが出来る人なんです。
それは音を聴いて分かるんですか?
これまでのフリー・ジャズの作品を聴いて比較検討した結果、多分そうだろうと(笑)。
他にもオーネット・タイプの天然系アーティストはいるのですか?
アルバート・アイラーが一番ですね。ジョン・コルトレーンみたいなプレイは出来るか?…っていったら、絶対に出来ないと思います。アルバート・アイラーはもう回路がおかしくて、彼のドレミファソラシドは全く違う、完全にアウトサイダー・ミュージシャンなんですね。でもオーネットはそこまででもない。適当さとハイ・アートな部分とプリミティヴのトライアングルのバランスが、オーネットを形付けていたと思います。
面白いですねー!でもちょっとオーネットから離れてしまうんですけど、フリー・ジャズってどうやって聴いたらいいんですか?どうも居場所がなくて。初心者にアドバイスをお願いします。
そうですね。まずその前に、「初心者はなにを聴いたらいいのですか?」って質問に当てはまるのは、ほとんどがクラシックとジャズだと思うんです。初心者って言葉を使ってしまうくらい、ジャンルの価値体系がしっかり築かれてしまったから、好き嫌いだけで聴いてはダメ、と思われがちなんです。パッと聴くチャンスも無いし、パッと聴いた瞬間にいいなって思うものに巡り会うこともそうそうない。そういう前提の元にこういった質問が出て来ると思うんです。
で、フリー・ジャスをどうやって?…の僕としての答えなのですが、「じゃポップスとかロックはどういう風に聴いていますか?」ってことです。ロックとかポップスをどうやって聴いたらいいのか?なんて考えている方って少ないと思うんです。フリー・ジャスも何も考えないで聴いて欲しいんですね。もちろんオススメの三枚とかは選べますけど、その中で「気持ちいいなぁ」って思うものがあったらそれが答えだと思うんです。以上です(笑)!!
ハイ、ありがとうございます(笑)!あと思ったのがフリー・ジャズって、ライヴとかで二度と同じように再現出来ないものなのですか?
それはジャズ自体がそうなんです。ジャズの形式として、一番最初にフックというかサビがあって、そのあとコード進行を元にソロを展開するという形式を取るようになって来たんですけど、フリー・ジャズに限らず、その再現は不可能なんです。ジミ・ヘンドリックスのギター・ソロが再現不可能と同じですね。で、オーネットの音楽を聴いてもらうと分かるのですが、意外にメロディーとか、テーマ、そして一番最初にあるフックも他のジャズともそんなに変わらず存在しています。
よく分かりました。それではオーネットに戻らせて頂いて、彼が登場してシーンがざわついたとおっしゃいましたが、やはりその衝撃は相当なものだったのですか?
そうだと思います。当時のアメリカのいくつかの雑誌を目にしたのですが、かなりセンセーショナルに扱われていましたね。で、同じ時期にセシル・テイラーというフリー・ジャズの担い手となるピアニストがやはりContemporaryから作品を出しているんですよ。彼とオーネット・コールマンがシーンに現れたことによって、評論家たちはこぞって「垢にまみれたモダン・ジャズの時代は終わった。本当の音楽が出現した」と発言するんです。「今聞くべきものはマイルス・デイヴィスではない」とまで言われていました。更に60年代ってヒッピー・ムーヴメントがあったので、その風潮も後押ししたと思いますね。
それでオーネットは一気にスターになったのですか?
そうですね。1959年には大手のアトランティックから作品を出しますし。インディーを経てのメジャー・デビュー…例えばタッチ&ゴーを経てユニヴァーサルに移った感じです。
今と同じですね(笑)!で、その作品が…
『The Shape Of Jazz To Come』、邦題は『ジャズ来るべきもの』です。
このタイトルって…
そうです、REFUSEDです。彼らは『The Shape Of Punk To Come』ですものね。復活しましたね…新作の限定カラー・ヴィニール盤手に入るかなぁ~…。
(笑)。繋がってますねぇ。
REFUSEDに影響を与えるくらいですからね、この作品はオーネットらしさ全開の歴史的名盤です。メンバーもオーネットが選んだドン・チェリー(トランペット)、チャーリー・ヘイデン(ベース)、ビリー・ヒギンス(ドラム)で、第一期黄金カルテットと言われています。本当にこの面子は凄いんですよ。ドン・チェリーなんか、それまでのモダン・ジャズやビパップなんかやらせたら超上手いし、オーネットのやりたいことをきちんと理解し、噛み砕いて、みんなに教えてあげてるくらいのことやってると思います。チャーリー・ヘイデンもフォービートのベースをちゃんと出来る人で、オーネットの土台として素晴らしいプレイをしているんです。
そんなしっかりした人が集まったのも凄いですね。
そうなんですよ。やはりオーネットに何かを感じたんでしょうね。「この音楽はスゲエ。今からコレだ!」って。ま、あとこの二人は性格が謙虚だったんでしょうね。いい人さが音に滲み出ています(笑)。
(笑)。
そんなこともあって個人的には今作が出た59年をフリー・ジャズ元年にしたいかなって。他にも同年にトピックがありますし…
と言うと?
モード・ジャズの時代を変えた名作と言われるマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』…今でも世界中で一番売れているジャズの作品なんですけど、それが出たのも59年なんですね。この作品でモード・ジャズが完結して、そのあとの10年間を幕開けた『The Shape Of Jazz To Come』が出たこの年をターニングポイントと考えています。
ではその後の10年…60年代は、フリー・ジャズが浸透した時期だと?
そうですね。例えばフリー・ジャズとモード・ジャズの間を行き来し、発展させたジョン・コルトレーンが出て来ました。元々この人は紆余曲折を経てマイルスのグループで腕を磨き、マイルスの影響を受けて来た人なんです。で、この人も59年に稀代の名作と言われる『Giant Steps』をアトランティックから発表しました。60年代は自身のグループを率いて活動し、音楽を追求し過ぎて67年に死ぬんです。高みに昇ってそのまま昇天…。
あらー。死因は?
病気なんですが、でも完全に「ストイックに!ストイックに!」…と、やり過ぎて、見えちゃいけないものが見えちゃったみたいな感じで灰になっちゃったんです(笑)。
見えちゃったんですか(笑)。で、オーネットのその後の活動はどんな感じでしたか?
作品を出し続けます。多作でしたね。名作とは言えないようなものもありました。テナー・サックスを吹いてみたり、トランペットを手にしてみたり。「オイ!余計なことすんなよ!」みたいな(笑)。
その「余計なこと」には、もがいているみたいな感じもあったのかしら?
うーん、本人としては表現の一つだったとは思うんですけど、それをやる理由が聴いてる限りでは分かりませんでした。本人にしか分からないと(笑)。
(笑)。ではオーネットの評価が下がったりはしなかったと。
そうですね、それは無かったと思いますが、アメリカのジャズのマーケット自体が60年代にガクッと落ちるんですね。ビートルズやローリング・ストーンズのブリティッシュ・インヴェイジョンがあり、そのあとにはフラワームーヴメント、更にはボブ・デイランを代表するフォーク・ムーヴメントがあって、若い層がジャズなんて全く聴かなくなったんです。
そうかー、同じ土俵だったんだ。
そうですよ、50年代はジャズが一番売れているポピュラー音楽だったんですから。現在流れているポップスが当時はジャズだったと思ってください。それでアメリカでジャズは古臭いものになってしまったので、アーティストは活動拠点をヨーロッパに移すんです。ヨーロッパではフリー・ジャズとかコルトレーンのフォロワーがたくさんいて、彼らの音楽を発展させて作っていこうとするアーティストも多数いたんですね。それにファンも多かったので、ツアーの中心はヨーロッパに移ったんです。だからオーネットも65年にBlue Noteから『At The “Golden Circle”』をリリースするんですが、ストックホルムでライヴ録音しているんです。アメリカで活躍していたミュージシャンは結構ヨーロッパに移住しましたね。
完全に市場はヨーロッパに移ったと。その状況は70、80年代になると…
ますますですね。ライヴはそこそこ人が入るんですが、作品を出してくれるレーベルが無いと。ニューヨーク録音でも海外のレーベルからリリースされるってパターンは70、80年代にかなりありましたね。
その頃オーネットはどうしてたんですか?
ただこの人はなんだかんだメジャーから作品を出していたんですね。「そんなに売れなくてもこの人は出しとかなきゃ」みたいな雰囲気があったのかもしれません。ジャンルを築いた大御所だし、ものすごい芸術作品を作り続けるジャズ・ジャイアント…そんなイメージが固まっていたんでしょうね。だからリリース出来なくて、食い扶持も無くなった時期なんて、彼には無かったんじゃないでしょうか。
じゃ彼の作品的なピークというとやはり50、60年代ってことになるんですか?
60年代ですね。ただこの『Dancing In Your Head』とかもいいんですよ。77年に出たものなのですが。モロッコの音楽をオーネット流に解釈した超ハッピーなダンス・チンドン屋ミュージックなんです。これなんかは若い人とかDJの人からも人気ありますね。ダンス・ミュージックの目線でジャズを聴く…そんな視点からも良い作品だと思います。
この作品もフリー・ジャズと捉えていいんですか?
そうですね、ジャンルとしては。でも例えばテクノとか言っても、シンセサイザーやら808やら909のドラムの音やら、そんなのもポップスでも使われているじゃないですか。マーブルになっていますよね。それはフリー・ジャズでも同じで、いろんなものと混ぜ合わさってマーブルになっているんです。フリー・ジャズの要素を取り入れた他の音楽…特に70年代はそれが顕著で、THE POP GROUPなんかそうですよね。パンクなんだかレゲエなんだかダブなんだかフリー・ジャズなんだか分からない。そんなスタイルがオリジネイターであるオーネットにも起こって、その結果が『Dancing In Your Head』なんです。
ああ、オリジネイターにも起こっていたんですね。それはとても興味深いですね。他にも目立った動きはありましたか?
オーネットの一番弟子と言われるジェームス・ブラッド・ウルマーが世界中で評価を受けまして、彼とかオーネットの影響を受けたアーティストの大ボスって感じでシーンに君臨してました。
大ボス(笑)!
存在感は常にある…って感じで(笑)。その頃からですかね、「ハーモロディクス理論」が世間一般に知られてきたのは。
なんですか?それは?
自分の音楽理論をハーモロディクス理論と名付けて、「私はハーモロディクス理論に基づいて音楽を作っている」と言い始めたんです。
おもしろい人ですね!で、それはどんな理論なのですか?
それがですね、明確に無いんですよ。ハッタリじぇねえかな(笑)。
ハハハ!!
例えば、ジョージ・ラッセルのリディアン・クロマティック理論というのがあるんですが、彼は従来の平均律の音楽理論をベースにして、自分なりの音楽理論を確立させた結果、理論書を出し、私塾も開き、卒業生も輩出し、その卒業生の中から教えを伝道するライセンサーも生み出すという、実にしっかりと展開していたんです。それに引き替えオーネット。
はい(笑)。
学校はもちろん、理論書もありません。ウルマーとあと何人かに免許皆伝しただけっていう。
ラーメン二郎みたいな感じ?暖簾分け?
でもレシピが無いんですよ。
アハハハ!!!
お前の舌で感じろ。コレとコレ使ってんだよ。あとは分かんねえな…そんな感じ。だけどオヤジは「本当はウチには秘密のレシピがある。でも誰にも見せられねえな」とか言ってるんですよ。んなもの無いのに!!
最高ですね!!
まぁ、ウルマーとかは体得したんでしょうね。オーネットとずっと共演していましたから。それを見てオーネットが「良し、合格!」って。そんなこともあって「あのジェームス・ブラッド・ウルマーのバックには、すごいオヤジがいるらしいぞ」って当時はなっていたようです。
時を重ねるごとに存在がデカくなっていく(笑)。
いや、ホントこの人面白いんですよ。ちょっと時系列がズレてしまうのですが、72年には『Skies Of America』というフル・オーケストラ作品をリリースしてるんです。芸術作品として評価を得てしまっているんですが、いやいや大丈夫かと。タイトルもやばいですしね。自分の曲をロンドン・シンフォニー・オーケストラに演奏させる大コンセプチュアル作品でして、もうコレがハイアートなのかハッタリなのか…そんなオーネットの最たる作品ですね。これもメジャーから出てますからね。
愛されキャラなんでしょうかね?
ああ、そうですね。やっぱ彼を尊敬する人が常に多かったのが、オーネットが消えなかった理由でもあると思います。例えば『Song X』というパット・メセニーとの共演盤が86年に出ているんですけど、パット・メセニーもオーネットの大ファンなんですね。でもパット・メセニーの源流はゲイリー・バートンで、つまりアメリカの田園風景が似合う古いフォーク・ミュージックであったりもするのですが、確実にオーネットイズムもパット・メセニーの中にあるんですね。彼はオーネットの名曲「Lonely Woman」も取り上げたりもしていますし。ちなみにこの曲がある限り、いつ何どきでもオーネットの名前は消え無いでしょう。誰かしらが取り上げるから(笑)。
じゃ、そんな風に誰かが取り上げたりしながら、死ぬまで来ちゃったイメージでいいですか?
そうですね。祭り上げてくれる人がいつもいて、そのバランスでここまで来たと。
なるほどねぇ。じゃあ21世紀に入っても現役バリバリで活動していたわけでは無いんですね。
そりゃそうですよ、年も年ですし(笑)。
彼の最後のオリジナル作品って何年だったんでしょうね?
いや、僕も覚えてないです。新譜は追わないジャズ・ファンの悪いところ。
あ、そういうもんなんですか?
ええ。ピークが50、60年代の人なら、その新譜は追わない傾向にありますね。
さて、池田さんは、なぜここまでオーネット・コールマンが崇められたと思いますか?
もちろんオリジネイターであることはもちろん大きかったとは思うのですが、適当さの部分がうまくミステリアスに運んだ気がしますね。まわりから「ハーモロディクス理論は素晴らしい!」なんて言われて、「あー…適当に言ったのにな…」なんて思いながらも、ミステリアスに答えるとウケるとか。自己像と他己像が相俟って尊大さが出来上がった気がします。こんなこと言っているとかなり怒られそうですが(笑)。でも彼が作った音楽は本当に唯一無二ですし、この人の曲は本当に面白い。だからこそドン・チェリーとかチャーリー・ヘイデンのような素晴らしいミュージシャンを従えることが出来たわけですから。50年以上もの間、もっとセールスのいいアーティストもいたし、フュージョン時代なんかもありつつ、それでもジャズの黄金期を経験し、しかもそこに大きな金字塔を打ち立てたオーネット・コールマンの偉大さは、これからも色褪せることは絶対無いです。それにさっきのTHE POP GROUPにしても、ジャズロックなんて言われたSOFT MACHINEにしても、リコメン系のHENRY COWにしても、そしてオルタナのSONIC YOUTHやらSTEREOLABやらジム・オルークにも確実に彼の血は流れているんです。AZTEC CAMERAにさえ流れてますよ!
では最後の質問です。オーネット・コールマンがいなくなってジャズ・シーンは変わりますか?
それは無いと思います。彼が残した遺産みたいなものは十分残っていますし。実は現在進行形のジャズ・シーンはオーネットイズムに溢れているんです。90年代とかはコルトレーンイズムだったのですが、今はオーネット以降のサックスとか曲作りなんかがニューヨークあたりでは主流になっているんです。
それは若い人たちですか?
はい。でもジャズで若いって言っても30代くらいですけど。そんなコンポーザーが出て来ているんですね。だからオーネットの遺産は確実に浸透しきっているので、彼が死んだことで大きく変わることは無いし、オーネットがこれ以上生きていても何かを生み出していた可能性も無いと思います。
池田陽介
ジャズ廃盤LP専門店「ハルズ・レコード」勤続15年。バイヤー歴10年。ビニール偏愛歴20年超。DJ/音楽ライターも時折。音溝から映し出される風景は様々です。それらを少しでも多くの人と共有できれば幸いです。
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